1 北海道の地名ーアイヌ語源ばかりではないー

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 北海道(から北東北まで)の古い地名には、アイヌ語源のものが多いことは事実ですが、そのアイヌ語による語源解釈には、数説あって定説がないもの、音韻がかけ離れているものも多く、少なからぬ疑問が残るものが数多く存在します。

 音韻の一致、地形との符合などからみると、アイヌ語源ではなく、ポリネシア語源の地名と考えられるものが、黒潮から分かれた対馬海流が洗う津軽海峡周辺から、北海道中央部、そして太平洋沿岸などに、かなり見られます。

 

(1) 松前(まつまえ)

 北海道渡島支庁松前(まつまえ)町は、松前半島の南端の白神岬の西にある漁業の町で、かつて松前藩の城下町でした。藩主松前氏は、古くは蛎崎(かきざき)氏を称していましたが、文禄2(1593)年豊臣秀吉から「蝦夷島主」の称号を賜り、慶長9(1604)年徳川家康から蝦夷交易の独占権を認められ、姓を松前に改めました。

 松前は古くからの地名で、蝦夷地を記録した最も古い地図とされる13世紀半ばの『諏訪大明神絵詞』に、「蝦夷ケ小島」に「満堂宇満伊」、「万当宇満伊」なる小島があり、これを「まとうまい」と訓んで、「松前」の語源とする説が有力です。また、『弘前蝦夷志』によれば、古記録には「的前」と書かれていたといいます。 この「まとうまい」は、アイヌ語でマツ・オマ・ナイ(婦人のいる沢)、マツ・オマ・イ(婦人のいるところ)、マツ・オマ・ナイ(山崩れのところ、半島)、マック・オマ・ナイ(山の後ろにある川)などの説があります。

 この「マトウマイ」は、マオリ語の

  「マトウ・マイ」、MATOU-MAI(matou=we;mai=be quiet)、「我ら(疲れはてて、またはびっくりして)静かになった(口を噤んだ場所)」

  または「マトウ・マエ」、MATOU-MAE(matou=we;mae=languid,drooping)、「我ら疲れはて(て到着し)た(場所)」

の転訛と解します。津軽海峡の荒波をやっと乗り切って、初めての土地に上陸することができた感慨が実に良く表現されている地名と考えられます。このような祖先の事績を表現した地名は、ニュージーランドのマオリ語地名には決して珍しいものではなく、約6パーセント(祖先の人名、伝説を含めると約15パーセント)にも達します。

 

(2) 白神(しらかみ)岬

 対馬海流が流れ込む津軽海峡の入り口には、北海道松前半島の白神岬が、青森県津軽半島の竜飛(たっぴ)崎(入門篇(その三)平成11年1月1日書き込み分参照)と向かい合っています。

 この白神岬の「しらかみ」は、アイヌ語の「シララ(岩)・カムイ(神)」からとする説があるようです。

 この「シラカミ」は、マオリ語の

  「チラ・カハ・アミ」、TIRA-KAHA-AMI(tira=fish fin;kaha=strength,rope,boundary line of land etc.,ridge of hill;ami=gather,collect)、「魚の鰭のような・山の峯が(一直線をなして)・連なっている(岬)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となり、そのA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「カミ」となった)

の転訛と解します。この岬の突端には、百メートルもの高さの断崖がありますが、この岬の後ろには、天狗山(310メートル)、白神岳(352メートル)、松倉山(661メートル)、百軒岳(772メートル)、袴腰山(815メートル)、大千軒岳(1072メートル)の山々がほぼ一直線に、次第に標高を増しながら連なっていますので、遠くの海上から一見すると「魚の鰭」のように見えることによるものです。

 青森県と秋田県にまたがる広大なブナの原生林を擁し、世界遺産に指定されている白神(しらかみ)山地の名も、全く同じ語源で、「魚の鰭のような・山の峯が(辺境の地に)・連なっている(場所。白神山地)」の転訛と解します。

 

(3) 江差(えさし)

 江差町は、桧山支庁桧山郡の海岸の町で、かつては松前藩による桧の伐採やニシン漁で繁栄し、北海道の商業の中心地として栄え、松前三湊(福山、江差、箱館)の一つに数えられました。

 この「えさし」は、永田方正『北海道蝦夷語地名解』(明治42年)は「エサシ(昆布)」としていますが、近年では「エ(頭)・サ(前浜)・ウシ(につけている)・イ(もの)」で山が海岸まで突き出した岬を指すとする説が有力です。しかし、北見枝幸(きたみえさし)も含め、地名のもととなるような突出した特徴のある岬はその周辺に見当たりません。

 この「エサシ」は、マオリ語の

  「エタヒ」、ETAHI(how great!)、「なんと大きなこと(浜)よ!」

  または「エタ・チ」、ETA-TI((PPN)eta=(Hawaii)eka=dirty,filth;ti=throw,cast)、「(穢い)アイヌ族が・たむろしている(浜。地域)」

の転訛と解します。前者では、原ポリネシア語で「エサシ、ESASHI」であったのが、日本語ではそのまま、マオリ語では「サ」が「タ」に、「シ」が「ヒ」に変化したものです。

 

(4) 函館(はこだて)

 函館市は、渡島半島の突端にある道南最大の都市で、その形から巴(ともえ)港とも呼ばれる天然の地形に恵まれて松前三湊の一つに数えられ、幕末の開港後は貿易港として、また、本土との連絡拠点として発展してきました。

 この地名は、古くはアイヌ語で「ウスケシ(入り江の端)」、「ウショロケシ(湾内の端)」と呼ばれ、「宇須岸」、「臼岸」などと表記されていましたが、享徳3(1454)年に津軽の安東氏が南部氏に追われたとき、この地に移り住んだ武将の一人、河野政通が築いた館が箱型であったところから、「箱舘」と名づけられたとも、またその館を「ハク(浅い)・チャシ(館)」と呼んだことによるともいいます。

 しかし、この地のような極めて特徴のある地形の土地に、その地形を表す地名が付けられなかったはずはありません。古く付けられた地形地名が、「はこだて」になつたものと私は考えます。

 この「ハコダテ」は、マオリ語の

  「ハコ・タタイ」、HAKO-TATAI(hako=anything used as a scoop or a shovel;tatai=arrange,adorn)、「形を整えたショベル(のような地形の土地)」

の転訛(「タタイ」のAI音がE音に変化して「タテ」となった)と解します。

 

(5) 汐首(しおくび)岬

 津軽海峡の出口に、青森県下北半島の大間崎と相対して、亀田半島の汐首岬があります。

 この「しおくび」の語源は、通説では「山下」を意味するアイヌ語「シリポク」が転訛したものとされていますが、あまりにも音がかけ離れています。

 この「しおくび」は、マオリ語の

  「チオ・クピ」、TIO-KUPI(tio=oyster;kupi=be covered)、「牡蛎貝で覆われた(岬)」

の転訛と解します。

 なお、同様の名前の岬としては、徳島県の太平洋岸、海部郡由岐(ゆき)町に鹿ノ首(かのくび)岬(地名篇(その一)平成11年4月1日書き込み分参照)があります。

 この「カノクビ」は、マオリ語の

  「カノ・クピ」、KANO-KUPI(kano=seed;kupi=be covered)、「種子で覆われた(岬)」

の転訛と解します。この岬の岩は、粗粒砂岩で、写真をみると、波によって浸蝕され、表面は平滑ではなく無数の凹凸があります(阿波学会『由岐町地質調査報告』による)。例えば、苺のように果実の表面にポツポツと種子(砂利)が出ているような礫岩ではありませんが、「(苺などの)種子で覆われた」と言う形容も決して不自然ではない形状です。

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(5-2) 奥尻(おくしり)島、青苗(あおなえ)岬

 奥尻(おくしり)島は、道南西部の日本海に浮かぶ島で、道内では利尻島に次ぐ大きさです。南北に細長い山脈(最高峰は神威(かむい)山585メートル)の北側が東側に斜めに折れたような形の島です。「おくしり」は、アイヌ語で「イクシュンシリ(向こうの島)」の意味とする説があります。

 南端には千畳浜につづき青苗(あおなえ)岬がありましたが、平成5(1993)年7月の北海道南西沖地震によって千畳浜と青苗岬の先端は海に没しました。

 この「おくしり」、「あおなえ」は、

  「オ・クチ・リ」、O-KUTI-RI(o=the...of;kuti=draw tightly together,contract,pinch;ri=screen,protect)、「衝立(のような山)を・つまんで平たくしたような(島)」(「クチ」が「クシ」となった)

  「アオ・ナヱ」、AO-NAWE(ao=scoop up with both hands;nawe=be set on fire,be unmovable(nawenawe=secure,firm))、「(海底から土砂を)掬い上げて・堅く固定したような(土地。岬)」

の転訛と解します。

(6) 室蘭(むろらん)ー絵鞆(えとも)半島、チキウ岬

 室蘭市は、内浦(噴火)湾の東端の絵鞆(えとも)半島に抱かれた天然の良港に立地する胆振支庁の支庁所在地で、港湾と鉄鋼業で発展した臨海工業都市です。

 この地名は、アイヌ語の「モ・ルエラニ(緩やかに下る道)」から、「モルエラン」、「モロラン」に変化し、安政5(1858)年ごろから、あて字の室蘭の字に引かれて「むろらん」と呼ばれるようになったといいます。この解釈では、どこにでもある地形地名で、室蘭の特徴ある地形を表したものとは言い難く、疑問が残ります。

 この古名の「モロラン」は、マオリ語の

  「マウル・ラ(ン)ガ」、MAURU-RANGA(mauru=north-west;ranga=raise,pullup by the roots,ridge of a hill,sandbank)、「北西の部分を・根こそぎにした(除去して穴が空いている湾。この湾のある土地)」

の転訛(「マウル」のAU音がO音に変化して「モル」となり、さらに「モロ」に変化し、「ラ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ラナ」から「ラン」となった)と解します。室蘭の地形を見事に的確に表現しています。

 なお、もともと「ムロラン」と呼ばれていたと仮定しますと、

  「ム・ロ・ラ(ン)ガ」、MU-RO-RANGA(mu=insects;ro=roto=the inside;ranga=raise,pullup by the roots,ridge of a hill,sandbank)、「中を・虫が食った(虫食いがある)・(丘の稜線が伸びている)半島」(「ラ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ラナ」から「ラン」となった)

の転訛と解します。

 また、絶壁の景観が美しいチキウ岬や、金屏風、銀屏風の名所がある絵鞆(えとも)半島の「えとも」は、アイヌ語では襟裳(えりも)岬と同じで「エンルム(突き出ている頭。岬)」の転訛という説があります。また、『出雲国風土記』に秋鹿(あいか)郡恵曇(えとも)郷、恵曇(えとも)の浜の記事があり、この浜は岩壁が高く嶮しく、船の停泊ができないと記されています。

 この「エトモ」は、マオリ語の

  「エト・マウ」、ETO-MAU(eto=lean,attenuated;mau=fixed,continuing)、「(岩が剥がれて薄くなっている)絶壁が連なっている(半島、海岸)」

の転訛と解します。この「エト」、「マウ」は、後述する択捉(えとろふ)島の「エト」、襟裳(えりも)岬の「モ」と同じ語源です。

 絵鞆半島の南端にチキウ岬があります。この「チキウ」は、アイヌ語の「チケプ(断崖)」からとされていますが、これも音がかなり離れています。

 この「チキウ」は、マオリ語の

  「チキ・ウ」、TIKI-U(tiki=a rough representation of a human figure on the gable of a house;u=be fixed)、「(家の破風に付ける)人身像らしきものが(岬の突端の絶壁に)付いている(岬)」

の意と解します。

 

(7) 石狩(いしかり)平野

 石狩平野は、石狩川とその支流がつくった沖積地と、千歳川、豊平川などがつくった扇状地からなっている北海道西部にある日本屈指の大平野です。かつての石狩川とその支流は、曲流がはげしく、また平野の大部分は広大な泥炭地の湿地でした。

 この「いしかり」は、石狩川をさすとする説が一般で、アイヌ語の「イ・シカリ(塞がる)」(松浦武四郎)、「イ・シカリ(回流する)・ペツ(川)」、「イシ・カラ(美しく作られた)・ペツ(川)」などの説がありますが、定説はなく、「石狩地方を指す固有名詞」とする研究もあります(中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』草風館、1995年)。

 この「イシカリ」は、マオリ語の

  「イ・チカ・リ」、I-TIKA-RI(i=beside;tika=straight,keeping a direct course;ri=protect,screen)、「真っ直ぐに行くのを妨害する(川や湿地の)付近一帯」

の転訛と解します。

 

(7-2) フゴッペ洞窟

 小樽市の西に隣接する余市町の海岸から200メートルの平地にある砂岩質の小丘陵の東側にある岩陰遺跡で、壁面に200余の原始的な図像が陰刻されており、呪術的な性質を有するものと考えられています。洞窟からは、賊縄文式土器、石器などが見つかっており、昭和28(1953)年に国の史跡に指定されました。

 この「フゴッペ」は、

  「フ・(ン)ガウ・パエパエ」、HU-NGAU-PAEPAE(hu=promontory,hill;ngau=bite,hurt,act upon;paepae=an ancient rite to cure sickness,ease disabilities of tapu,etc.)、「病気を治したり禁忌に触れて倒れた人を癒すなどの・呪術を行っ(て岩壁に図像を刻み付け)た・丘」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」から「ゴッ」と、「パエパエ」の反覆語尾が脱落し、AE音がE音に変化して「ペ」となった)

の転訛と解します。

(7-3) 旭(あさひ)岳

 北海道中央部、大雪山の南西部にある標高2290メートルの北海道の最高峰です。安山岩質の成層火山で、山頂直下から西に開いた縦長の爆裂火口(地獄谷)は最大幅500メートルに達し、噴気孔は今も活動しています。

 この「あさひ」は、

  「アタ・ヒ」、ATA-HI(ata=how horrible!,clearly,deliberately;hi=raise,rise)、「(恐ろしい)噴煙を上げる・高い(山)」(「アタ」が「アサ」となった)

の転訛と解します。

(8) 襟裳(えりも)岬

 日高山脈の南端部が太平洋に突出した岬で、先端部から西側の海岸は、高さ40~60メートルの海食崖が続き、その先の海上にローソク岩やカマ岩などの岩礁が1.3キロメートルにわたって突出し、さらに海中を6キロメートルの沖合いまで岩礁が続く雄大な景観を呈しています。寒流と暖流の合流地点のため、海霧が発生しやすく、また強風で有名です。

 この「えりも」は、アイヌ語の「エンルム(突き出ている頭。岬)」の転訛という説があり、「ポロ(大きな)・エンルム(岬)」、「オンネ(年老いた)・エンルム(岬)」とも呼ばれたといいます。

 この「エリモ」は、特徴のある岬の突端の岩礁に着目した地名で、マオリ語の

 「エ・リ・マウ」、E-RI-MAU(e=to denote action in progress,by;ri=screen,protect,bind;mau=carry,fixed,continuing)、「(岩の)垣根が・ずっと(沖まで)・続いている(場所。岬)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)

の転訛と解します。

 

(9) 十勝(とかち)平野

 十勝平野は、北海道東部の東西60キロメートル、南北100キロメートルにおよぶ盆地状の日本屈指の大平原をなす平野です。

 この「トカチ」の地名は、元来十勝川河口付近の地名とされますが、その語源には定説がありません。古くは、「トカプチ」とも称したようで、幕末に来航したオランダ船カストリクム号の船長フリースの日誌には、村落名「トカプチ」と、同船を訪れたアイヌが「タカプチ」と称したと記されています(『日本地名ルーツ辞典』創拓社、1992年)。また、トカチのアイヌは、隣接のシラヌカ、クスリ(釧路)のアイヌと仲が悪かったとあります(同上)。

 この「とかち」または「とかぷち」は、アイヌ語で「ト・カ・プ・チ(沼のあたりに枯れ木がある所)」、乳房のような双丘(トカプ)の間から十勝川が流れ出る、または乳が出るように十勝川の河口が二筋に分かれて流れるので、「トカプ・ウシ(乳のあるところ)」(松浦武四郎)、「トカリ・ペツ(トドのいる川)」、かつて強暴な十勝アイヌを憎んで、他の地域のアイヌが「トウカプチ(幽霊)」と呼んだ(永田方正)などの説があります。

 この「トカチ」は、マオリ語の

  「ト・カチ」、TO-KATI(to=the...of;kati=block up,closed of a passage)、「(立ち入りを)阻んでいる(または道が閉ざされている地域、平野)」

の意と解します。石狩平野が曲流する川と湿地で通行に難渋したように、十勝平野も繁茂する草木、薮のために通行に難渋したことによるものか、あるいは十勝アイヌが他部族の侵入を許さなかったことによるものかも知れません。

 なお、十勝アイヌが自称した村落名および自称名の「トカプチ」、「タカプチ」は、マオリ語の

  「ト(タ)・カプチ」、TO(TA)-KAPUTI(to=the...of(ta=the);kaputi=gather together,assemble)、「(人、部族が)集合している(村落、地域、部族)」

の意と解します。

 

(10) 釧路(くしろ)平野

 釧路平野は、北海道東部の沖積平野で、その大部分は低湿な泥炭地(釧路湿原)からなっています。

 江戸時代の古文書(『松前旧事記』寛永20(1643)年)や古地図(『正保日本図』正保元(1644)年)に「くすり」の地名が記されています。明治2年、松浦武四郎が音の似た「釧(くしろ)」の字をあてて「釧路」と命名しました。

 この「くすり」の古名は、アイヌ語の「クシュ・ル(通路)」、「チ・クシ・ル(我らが通る道)」、「チクシ・ル(往来する道)」、「クスリ(温泉)」、「クッチャロ((屈斜路湖の)咽喉もと)」などの転訛とする説がありますが、定説はありません。

 この「クスリ」は、マオリ語の

  「ク・ツリ」、KU-TURI(ku=silent;turi=water)、「静かな水(湿気の多い場所)」

の転訛と解します。

 

(11) 霧多布(きりたっぷ)

 霧多布は、釧路支庁厚岸町の砂州で繋がった島の名で、その地区の町名にもなっています。中心集落は霧多布島と内陸を繋ぐ砂州の上にありましたが、昭和35(1960)年のチリ地震津波で砂州の一部が切れたため、現在は霧多布大橋によって陸地と結ばれています。

 古くは「きいたっぷ」と呼ばれていたのが、霧の多い場所であるところから、「霧多布」となったといい、アイヌ語の「キ・タ・プ(茅を刈る場所)」の転訛とする説があります。

 この「キリタップ」は、この陸繋砂州をさす言葉で、マオリ語の

  「キリタプ」、KIRITAPU(hymen,unmarried)、「処女膜(のような砂州、このような砂州で繋がった島)」

の転訛と解します。

 

(12) 根室(ねむろ)

 北海道最東端に根室半島があり、その北側の根室湾に面して、根室港、根室市があります。千島航路の中継地でした。

 古くは「ねもろ」といい、アイヌ語で「ニ・ムイ(木の箕のような湾)」の転訛(松浦武四郎)、「ニ・ム・オロ(流木が詰まる所)」、「ニム・オロ(樹木の茂った所)」、「メム・オロ・ペツ(湧き壷のある川)」などの説があります。

 この「ネモロ」は、マオリ語の

  「ネイ・モ・ロ」、NEI-MO-RO(nei,neinei=stretched forward;mo=for,against;ro=inside)、「(根室半島の)内側に向かって広がっている(地域)」

の転訛と解します。

 

(13) 納沙布(のさっぷ)岬ー野寒布岬、宗谷岬・珸瑶瑁(ごようまい)水道

 根室半島の東端に北海道最東端の納沙布岬があります。

 元禄10(1697)年に松前藩が幕府に献上した『元禄絵図』には「ノツサフ」(稚内の野寒布(ノシャップ)岬は、「ノッシャフ」)とあります。

。納沙布岬と歯舞諸島の水晶島の間の海峡を珸瑶瑁(ごようまい)水道と呼んでいます。

 この「のさっぷ」は、アイヌ語の「ノッ・シャム(岬のかたわら)」で、稚内の野寒布岬の語源も同じとする説と、稚内は「ノシャップ(下顎)」とする説があります。また「ごようまい」は、アイヌ語の「コイ・オマ・イ(波が・在る・場所)」とする説があります。

 この「ノサップ」および「ノシャップ」は、いずれも同じマオリ語の

  「ノチ・アプ」、NOTI-APU(noti=pinch;apu=billow)、「大波のうねりに圧迫される(翻弄される岬)」

の転訛と解します。

 この「ごようまい」は、

  「(ン)ゴイオ・マイ」、NGOIO-MAI(ngoio=whistling sound,asthma;mai=to indicate direction,or motion towards)、「(ぜんそくの発作のように)激しく咳き・込む(ように潮流が流れる。海峡)」(「(ン)ゴイオ」のNG音がG音に変化して「ゴイオ」から「ゴヨウ」となった)

の転訛と解します。

 なお、稚内の野寒布岬と宗谷湾をへだてて東に対する日本最北端の岬、宗谷(そうや)岬の「そうや」は、アイヌ語で「ソー・ヤ(磯岩の岸)」という説があります。

 この「ソウヤ」は、マオリ語の

  「タウ・イア」、TAU-IA(tau=attack;ia=current)、「潮流が襲いかかる(岬)」

の転訛と解します。

 

(14) 野付(のつけ)半島

 北海道の東岸と国後島の間の根室海峡の中央に、野付半島が突き出ています。

 この「のつけ」は、アイヌ語で「ノツ・ケウ(顎の骨)」と解する説があります。

 この「ノツケ」は、マオリ語の

  「(ン)ガウ・ツケ」、NGAU-TUKE(ngau=bite,attack,hurt;tuke=elbow)、「食い千切られている(入り江が内側にある)・肘(ひじ)(のような。半島)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

(14-2) 知床(しれとこ)半島・羅臼(らうす)岳

 北海道の東北部にオホーツク海に突出する知床半島があり、平成17年に世界遺産に指定されました。厳しい自然を色濃く残す半島で、西北岸には知床連山の主峰羅臼(らうす)岳(1,660メートル)の火山流によつて堰き止められた知床五湖があります。

 この「しれとこ」は、アイヌ語の「大地の果て」の意とする説(平成17年7月の各新聞、テレビ等の世界遺産指定の報道による。)があります(「シリ」は大地、「エトク」は頭の突出部の意で、「シリ・エトク」は単なる「岬」の意(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』による)で、「大地の果て」と解するのは商業主義による誇張表現です。アイヌ族は千島列島からカムチャツカ、アリューシャン列島とも交流があり、ここが「大地の果て」などとは考えていなかったはずです)。

 この「しれとこ」、「らうす」は、

  「チ・レイ・トコ」、TI-REI-TOKO(ti=throw,cast;rei=swampy ground,peat,wet;toko=pole,rod)、「(池沼が多い)湿地が・(あたりに投げ出されて)ある・(真っ直ぐの)棒のような(半島)」

  「ラウツ」、RAUTU(sharp applied to the keel of a canoe)、「(カヌーの竜骨の立ち上がりのような)険しい(山。またはその険しい山が迫る海岸)」

の転訛と解します。

(15) 網走(あばしり)市ー能取(のとろ)湖

 網走市は、網走支庁の所在地で、オホーツク海に面する水産都市です。北部にある能取(のとろ)湖は、東西を丘陵、北岸を湾口砂州によって封じられた潟湖で、かつては毎年9~11月の烈しい風波がはこぶ漂砂で湖口が塞がるため、春に湖口を開く「砂切り」が行われていました。

 この「あばしり」は、古くは「はゝ志り村」(『津軽一統志』)、「はゞしり」(『松前島郷帳』)で、アイヌ語の「ア・パ・シリ(われらが発見した土地)」、「アパ・シリ(入り口の土地)」や、網走港にある帽子岩をアイヌ漁民が「神の岩」として崇めたことから「チパ・シリ(幣場のある島)」から転じたとする説などがあります。

 この「アバシリ」は、マオリ語の

  「ハハ・チリ」、HAHA-TIRI(haha=deserted;tiri=scatter)、「荒漠とした風景が広がっている(土地)」

の転訛と解します。

 また、能取湖の「のとろ」は、アイヌ語の「ノトロ(岬のところ)」とする説では疑問が残ります。

 この「ノトロ」は、マオリ語の

  「ナウ・トロ」、NAU-TORO(nau=come,go;toro=creep,extend)、「(水路が狭くて浅いのでカヌーが)這うように出入りする(湖)」

の転訛(「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)と解します。

 

(16) サロマ湖

 網走の西、オホーツク海に面してサロマ湖があります。琵琶湖、霞ヶ浦に次ぐ日本第三の湖です。延長30キロメートル、幅200~700メートルの砂州が内湾と外海を隔てている細長い潟湖で、かつては湖の東端部で海と通じ、毎年冬季には漂砂によって閉塞されていました。

 この「さろま」は、アイヌ語の「サルオマトー(葦原にある湖)」からという説があります。

 この「サロマ」は、マオリ語の

  「タ・ロマ」、TA-ROMA(ta=dash,aim a blow at,cut;roma=channel,current)、「(湖に通ずる)水路が(漂砂に狙われて)閉塞する(湖)」

の転訛と解します。

 

(16-2) 白滝幌加沢(ほろかざわ)遺跡

 紋別市の南、遠軽町の旧白滝村地内の対雪山山系に属する赤石山(1,147m)の山頂付近に数カ所の大きな黒曜石の露頭があり、近くを流れる湧別川の流域に大規模な黒曜石の加工遺跡が発見されています。中でも湧別川の支流、幌加(ほろか)湧別川の源流に近い幌加沢(ほろかざわ)遺跡からは、旧石器時代中期から後期との説がある黒曜石の大型石器や、40万点を超す細石刃や石刃核が発見され、日本でも最大級の黒曜石の加工・流通拠点と考えられています。

 この「ほろかざわ」は、

  「ポロ・カハ・タワ」、PORO-KAHA-TAWHA(poro=butt end,pierce of anything cut or broken off short,cut short;kaha=strong,strength,persistency;tawha=burst open,crack)、「(黒曜石を)細かく切断加工することを・長期にわたって行った・(谷)沢」(「ポロ」のP音がF音を経てH音に変化して「ホロ」と、「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「タワ」が「サワ」となった)

の転訛と解します。

(16-3) 利尻(りしり)島、礼文(れぶん)島、スコトン岬

 利尻(りしり)島は、道北部の日本海に浮かぶ島で、円錐形火山の利尻山(利尻岳、利尻富士ともいう。1721メートル)からなるほぼ円形の火山島です。「りしり」はアイヌ語「リシリ(高い島)」の意とされます。

 礼文(れぶん)島は、礼文水道を挟んで利尻島の北東にあり、南北に細長い島で、最高点は礼文岳(490メートル)、北端にスコトン岬と金田ノ岬に挟まれた船泊湾があります。「れぶん」はアイヌ語「レプンシリ(沖の島)」の意とされます。

 この「りしり」、「れぶん」、「すことん」は、

  「リ・チリ」、RI-TIRI(ri=screen,protect;tiri=throw or place one by one,scatter,stack)、「衝立(のような山。利尻富士)を・置いたような(島)」(「チリ」が「シリ」となった)

  「レヘ・プ(ン)ガ」、REHE-PUNGA(rehe=wrinkle,fold,in the skin;punga=lump,swelling,anchor)、「皺が寄った・膨らみのような(島)」(「レヘ」のH音が脱落して「レ」と、「プ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「プナ」から「ブン」となった)

  「ツコ・トネ」、TUKO-TONE(tuko=a digging implement;tone=projection,knob)、「堀り棒で掘り崩されたような・突起(のような岬)」(「ツコ」が「スコ」と、「トネ」が「トン」となった)

の転訛と解します。

(16-4) 焼尻(やぎしり)島、天売(てうり)島

 焼尻島、天売島の2島は、道北西岸羽幌町の沖にあり、東西に並び、双子のようにみえる島ですが、自然景観は驚くほど異なっています。焼尻島は、イチイ(アイヌ語でオンコ)の原生林をはじめ、混合林に覆われ、畑や草地が開けた穏やかな景観であるのに対し、天売島は、高木はみあたらず、風が強いため低木がまばらにあるだけで野草地が殆どを占め、険しい海食崖が続く北西岸はオロロン鳥(ウミガラス)など海鳥の自然繁殖地となっていて、焼尻のオンコ原生林とともに天然記念物に指定され、きびしい自然景観を見せています。

 「やぎしり」は、アイヌ語で「ヤンケシリ((舟などを陸に引き)揚げる島)」や「足の裏」、「てうり」はアイヌ語で「足指」の意とする説があるようです。

 この「やぎしり」、「てうり」は、

  「イ・ア(ン)ギ・チリ」、I-ANGI-TIRI(i=past tense;angi=light air,fragment smell,free,without hindrance,move freely;tiri=throw or place one by one,scatter,stack)、「(森林や草地の)香わしい空気を生んで・いる(土地が)・(海に)置かれているような(島)」(「ア(ン)ギ」ののNG音がG音に変化して「アギ」となり、「イ・アギ」が「ヤギ」と、「チリ」が「シリ」となった)

  「テ・ウリ」、TE-URI(te=crack,emit a sharp explosive sound;uri=descendant,relative,race)、「けたたましい声を上げる・種類の(オロロン鳥、ウミネコなどが生息する。島)」

の転訛と解します。

(17) 北方諸島ー歯舞(はぼまい)諸島・色丹(しこたん)島・国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)島

 北方諸島の地名は、それぞれアイヌ語で

歯舞(はぼまい)諸島の「はぼまい」は、「アプ・オマ・イ(流氷の中にある)」、

色丹(しこたん)島の「しこたん」は、「シ・コタン(本当の、または極地の村)」、

国後(くなしり)島の「くなしり」は、「キナ・シリ(草の島)」、

択捉(えとろふ)島の「えとろふ」は、「エツ・オロ・プ(鼻の中のもの=人が鼻水を流しているように見える岩がある)」とする説があります。

 これらをマオリ語(一部はハワイ語)で解釈しますと、

  「ハボマイ」は、「ハプ・オ・マイ」、HAPU-O-MAI(hapu=clan;o=of;mai=mussels taken out of the shells)、「剥き身の貝の一群(のような島々)」

  「シコタン」は、「チコ・タ(ン)ガ」、TIKO-TANGA(tiko=settled upon,stand out;tanga=row)、「(千島列島の)列からはみ出ている(島)」

  「クナシリ」は、「クナ・チリ」、KUNA-TIRI((Hawaii)kuna,kunakuna=itch,scabies;tiri=throw or place one by one,scatter)、「(大地が)疥癬(かいせん。皮膚病の一種)にかかったような(沼や湿原が)・あちこちにある(島)」または「ク・ヌイ・チ・リ」、KU-NUI-TI-RI(ku=silent;nui=many,large;ti=throw,cast;ri=screen)、「衝立(防波堤)のように・置かれた・非常に・静かな(島)」

  「エトロフ」は、「エト・ロプ」、ETO-ROPU(eto=lean,attenuated;ropu=heap)、「(痩せた、薄くなっている)幅が細くて高い(島)」

の転訛と解します。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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