東日本大震災追悼

東日本大震災追悼

海を出る日に手を合はす震災忌  五島高資

On the anniversary of the Great East Japan Earthquake

Rising sun through the ocean

putting my palms together in prayer

for the earthquake victims 


Facebook・清水 友邦さん投稿記事 2011年3月11日東北大震災当時の文章から。

激しい揺れが東北を襲いました。家は断水して停電し本棚が倒れて床が本だらけです。

震度3か4くらいの地震が繰り返し起きて地鳴りがして大地がゆれています。

地球は生きています。

地震の前日に津波の夢を見たと教えてくれた妊娠したばかりの生徒さんいました。

カミさんは地震の前にひどい目眩がしました。

地震のとき動物が異常な行動をとる事は昔から知られています。

動物たちは微細なエネルギー場の異常をとらえることができるようです。

地震後、ガソリンスタンドは在庫がなく休業して盛岡市ではガソリン不足で自動車が極端に少なくなりました。

信号はすべて止まっていました。

人々は自転車や徒歩で移動していました。

震災後は車を手放して自転車にしました。

停電していたので街全体が暗く星空が美しく見えました。

日が沈んで暗くなると寝て日が昇ると起きました。

知人に用事があるときは車も携帯も電話も使えないので、直接足で出向いて話をしました。

暖房がないので真冬の恰好で首を冷やさないようにマフラーをしました。

手袋の指先を切れば手先を使う仕事もできます。

ウールの靴下にすれば替えなくともしばらく過ごせます。

普段から暖房をなるべく使わないで寒さに慣れていたので暖房がなくともしのげました。

犬や猫は裸ですが人間のような暮らしをすると、動物も弱くなります。

プロパンガスが使えたので特に冷える時は湯たんぽをしました。

停電している時。注ぎ口が白色の耐熱ペットボトルとカセットコンロと水があれば湯たんぽを作れます。

それに靴下を重ねて2枚くらい履かせると熱の調節ができます。

角のある耐熱ペットボトルは角をツボに当て熱いと感じた時すぐに離せば温灸として使えます。

スーパーは、食料品の売り切れで空の商品棚ばかり、乾電池とラジオ、充電器のすべては避難所へ送られていました。

インドを旅行していた時はトイレットペーパーをつかいませんでした。

用を足し終えたら水を汲み左手で洗い流したのです。

そのためインドで左手は不浄の掌なので食事で使いません。

そして停電はインドで日常茶飯事でした。

何ヶ月も旅をして日本に帰ってくると、必要以上にエネルギーを浪費している日本が異常に思えました。

縄文の遺跡は高台にあり津波の被害を免れていました。

縄文人は自然を畏怖していました。

農耕が始まると人間は自然を変えることができると思い込むようになりました。

経済の効率があがる便利な場所に人が集中し、極端な自然開発を進めた結果、何度も同じ災害にあうようになったのです。

現代の生き方は弥生の延長にあります。

買いだめして独り占めするのが地獄の世界、

お互いに分かち合うのが極楽。

幸福な社会のあり方は競争社会ではなく、

共生社会にあります。

ゴミになるビニールやパックに入った物を購入しないのでプラスチックのゴミがでませんでした。

2050年には、海に泳いでいる魚よりプラスチックゴミの方が重くなるかもしれないといわれているので、地球の生態システムにはいいことです。

私たちが使い捨ての大量消費を続けたなら必ず地球の資源を食いつぶし、残った廃棄物で破綻するのは時間の問題でした。しかし膨大な環境コストのかかる消費生活を手放すことはしませんでした。

本当は空気と水と豊かな緑、親しい友達や家族とつながり、ここにこうして存在していることだけで十分幸せなのです。

消費世界では心の分離感をお金と物で埋めようと大量消費に走ります。

しかし、いくら物を買い集めても心の隙間は決して埋まりません。

それは心の渇きであり物ではないからです。

必要なのは人々とのつながりであり、本当の自分を知る事にあるのです。

ご飯は炊かないと食べられないと思っている人がいますが、震災直後は塩をおかずに発芽させた玄米を生で食べました。

強健術の肥田春充は18歳ころまで病弱者でしたがは70歳をすぎても学生時代の体力や敏捷さを保っていたといわれています。彼は一晩水に浸して少し柔らかくなった玄米を、そのまま生で食べていました。

地震後もしばらくは発芽玄米と干し菜の味噌汁を食べていました。

【生玄米の食べ方】

1、二日くらい水の入った容器に入れ発芽させた玄米を生で良く噛んで食べる。

2、玄米を一晩水に浸けて良く噛んでたべる。

3、生玄米をすり鉢ですって粉にして、それを生のまま一週間以内に良く噛んで食べる。

生の玄米を良く噛んで食べると、3日くらいで肌がすべすべしてきます。生なのでCO2が出ません。水と玄米があれば飢えはしのげます。

8歳で被爆して白血球も肝機能も低下した広島の少女が玄米食を始めると、焼けただれたケロイドの皮膚が剥がれ髪の毛も元通りに戻りました。奇跡的に回復して、その後結婚されて7人もの子宝に恵まれました。(平賀佐和子)

原爆に被災した長崎県の是真会病院の職員は味噌汁と玄米食をしていて無事でした。

玄米のフィチン酸が腸壁から有害物質を吸収するのを防いだり、排泄を促進します。 秋月辰一郎「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊

味噌を混ぜた餌を放射線照射の1週間前からマウスに与えると普通の餌を与えたマウスよりも生存率が高くなります

。味噌仕込み後10日前後の熟成していない味噌よりも完熟した味噌の方が効果があります。

(発酵食品 放射線障害の防御作用の研究 広島大学渡遺敦光)

玄米と味噌の話をツィッターで流すとものすごい勢いでリツィートされました。

大規模な災害が発生すると意識が高揚して自我の壁が薄くなり社会貢献の意識、共同体の連帯感が高まります。

それを災害ユートピアといいます。

被災地では見ず知らずの相手にも思いやりを示し、お互いに必要なものを無償で提供しました。

暴走族のお兄さんが避難所でおまわりさんに親切にされて、それまで敵だと思っていたお巡りさんが敵ではない事がわかり暴走族を解散してボランティアを始めました。

しかし、災害ユートピアは一時的なもので、長くは続かず人々の自我の壁が再び強化されるとユートピアは解体します。

今回の震災で経験したことは、すべて形のあるものは、消えていくということでした。

大勢の人が住む町全体が一夜の夢のように、本当になにもかもがそっくり、一瞬にして消えてしまいました。

物質的な喜びは儚いと言う事を私たちに教えてくれました。

お金の価値を優先し、物を溜め込み物にあふれた生活よりも、人々とよい関係を築くこと、そして清らかな水と空気と大地のほうが大切なことを震災は教えてくれました。

人生の困難や苦悩は深い気づきが起きて、その人を成熟に導く機会でもあります。

耐えがたいストレスにさらされると、思考能力と生命力が低下して、問題に無関心になったり、現実に眼をそむけて見ないといった拒否反応が出ることがあります。無力感から専門家にまかせて、どうにでもなれと消極になったりすると独裁的な政府の台頭を招き支配を受けやすくなることを歴史が教えています。

この宇宙には挫折をやさしく受け止めてくれる存在がいて、詩は感情ではなく経験であるとリルケはいっています。リルケは失恋の痛手を美しい詩に変えました。

無意識から流れ出てくる衝動に気がついたのなら、暴力的になったり自分を傷付けるのではなく音楽、絵画、詩や歌や踊りなどの芸術表現を通してエネルギーを創造的に発散することができます。

東日本大震災の地震で岩手県山田町は40cm太平洋側に動きました。一つのパンゲア大陸から花びらがひらくように、一億二千万年かけて南半球から北半球まで移動して大陸は7つに分かれました。ふたたび南にむかってしぼむのに一億二千万年かかります。大陸は今も動いています。

一秒という時間は、原子にとっては一生に当たります。地球の時間軸からみれば、人間の一生は一瞬です。太陽系は二億八千万年かけて銀河を一周します。宇宙からみれば、地球の一生も束の間の出来事です。

陰の中に陽があり、陽の中に陰があります。

陰極まれば陽となり、陽と陰の関係は常にダイナミックに変化し続けます。

陰陽図はどんなに最悪な事態でも必ず良いことが潜んでいることを示しています。

過去の多くの文明は環境の変化に適応出来なくなり衰退しました。

自然災害や気候変化、食糧不足、資源の枯渇、戦争、放射能汚染、環境の悪化とより新しい秩序を求めて世界はゆらいでいます。

心に境界線を引いて他人を閉め出して、外に敵を作って争い、世界を破壊することも

自分と他人や世界との垣根を取り払い、美しい惑星にすることもできます。

眠りから、目覚めて変容するのか、それとも眠りこけたまま退行するのか。

私たちは文明の大きな転換点にいます。

今ここにある本当の幸せに気づきますように


 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000