奥州三関

https://www.fukutabi.net/fuku/sirakawa/sirakawaseki.html【白河の関(奥州三関)】より

白河の関概要: 案内板によると「 白河関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を刻み、また文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場所である。関の位置については久しく不明であったが、江戸時代後期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると断定され、寛政12年(1800)に「古関蹟」の碑が建てられ、今日に至っている。関が置かれた年代については不明であるが、延暦18年(799)、承和2年(835)の太政官符には「白河?」の名が認められることや歴史的な背景からみて、大化の改新以後の7・8世紀頃には存在していたものと考えられる。昭和34年から38年までに実施された発掘調査では、竪穴住居跡や掘立柱建物跡、空掘、土塁、柵列などの古代から中世にいたる遺構が発見され、縄文土器、土師器・須恵器・灰釉陶器、鉄製品などの古代から中世にいたる遺物が出土している。出土した土師器の中には、「門、大室、□船」などの墨書土器がみられる。白河関の全体像についてはまだ未解明な点もあるが、現在も奥州三関の1つとして多くの人々に親しまれ、歴史のひとこまに触れることができる場となっている。また、春には藤やかたくりの花が咲き、訪れる人々の心を和ませている。 文部科学省 白河市教育委員会 」とあります。

白河の関に実際訪れてみると、近世以降の関所の印象とは大きく異なり、城塞や砦といった感じを受けます。施設の主郭部分には深い空堀と高い土塁が築かれている事から古代城柵や中世の館として利用されていたのではないでしょうか?中世の館の遺構としては東西56m、南北90m、土塁は高さ約2m、底部幅約4m、空堀の深さは2~3m、下端幅2~3m、形状から箱型薬研堀に似ていると言われています。

又、敷地内には延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されていたという白河神社(旧二所関明神)が鎮座し、古くから開けていた地域であったと思われます。

白河の関は鼠ヶ関(山形県鶴岡市)、勿来関(福島県いわき市)と共に奥州三関の1つに数えられ、元禄2年(1689)には松尾芭蕉の奥の細道の目的地の一つにもなっています。白河の関跡は極めて貴重な事から昭和41年(1966)に特別史跡名勝天然記念物に指定されています。

白河の関の句・歌

・ 行く人を 弥陀の誓ひに 漏らさじと 名をこそとむれ 白河の関 ・一遍上人

・ 白河の 関の関守 いさむとも しぐるる秋の 色はとまらじ ・藤原定家

・ やま水の 高きひくきも 隔てなく 共に楽しき まどゐすらしも ・松平定信

・ 有明の 月も雲居に 影とめぬ かすめる末や 白河の関 ・順徳天皇

・ 都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関 ・能因法師

・ 都いで 逢坂越へし おりまでは 心かすめし 白河の関 ・西行法師

・ 秋風に 草木の露をば払わせて 君が越ゆれば 関守も無し ・梶原景季


https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/joho/koho/mailmag/mampo/nezugaseki.html 【鼠ヶ関】 より

いま、山形から・・・ 山形漫歩 県境の歴史と港の街 鼠ヶ関(ねずがせき)(鶴岡市)

1300年前から関所があったという鼠ヶ関(ねずがせき)。奥州三大古関のひとつであり、源義経ゆかりの地といわれています。この街の歴史や観光名所とともに、イカや紅エビなど、季節を通じて豊かな海の幸に恵まれる港町としての魅力をご紹介します。

勧進帳の舞台はここ鼠ヶ関?

蝦夷防備のための最前線基地として鼠ヶ関に関所が設けられたのは1300年前。国道7号沿いに位置する「近世念珠関址(きんせねんじゅせきあと)」は、荘内藩主として酒井氏が入部した1622年以後に移転・整備されたもので、古くは山形と新潟の県境付近に関所があったことが発掘調査で確認されています。

この念珠関は、「白河関」、「勿来関(なこそのせき)」と並び、「奥州三大古関」のひとつとされています。一説によれば、1186年、兄の源頼朝に追われた源義経一行は、義経が青春時代を過ごした奥州平泉をめざし、京の都から琵琶湖を渡り、越前、越後と日本海を北上、念珠関に入ったといわれ、海岸近くには直木賞作家で長編小説『源義経』の著者・故村上元三氏の筆による「義経上陸の地」碑が建てられています。

「歌舞伎の名場面『勧進帳』の舞台となったのは一般には現在の石川県の安宅関(あたかのせき)と伝えられていますが、鼠ヶ関には義経から伝えられた矢立て、扇、般若心経が残っているとの言い伝えもあり、関守の富樫左衛門と同じ富樫姓が多いことなどから、『勧進帳』の関所は実は念珠関ではないか、ともいわれているんですよ」と地元あつみ観光協会の阿部麻由子さんが「秘密」を語ってくれました。

白紙の巻き物を広げ、主君義経のため、あたかも勧進帳であるかのように朗々と読み上げる弁慶。その嘘を見破りながらも、一行を逃がしてやる富樫・・・。数百年の昔、そんなドラマがこの場所で繰り広げられたかもしれない、と歴史浪漫に胸がふくらみます。

※「勧進帳」とは、寺院の堂塔の建立などに要する金品・材料の寄付募集の趣意を記し、巻物などにしたもの。僧や山伏が民衆から寄付を集める時に読み聞かせる。

生まれも育ちも鶴岡市(旧 温海町)という、観光協会の阿部麻由子さん

ぜひ足をのばして欲しい念珠の松

観光協会の阿部さんが「ぜひ訪れて欲しい」と教えてくれたのが「念珠の松庭園」。一本の松が、まるでこれから天に昇る龍のように、大きく横へと伸びています。これは約400年前に元村上旅館の佐藤茂右エ門が盆栽の松を庭に地植えし、代々庭師を入れて丹精込めて手入れをしてきたという黒松で、山形県天然記念物に指定されています。その周囲には世界的にも有名な日本庭園の造園家・中島健氏が設計した風情ある美しい庭園がつくられ、念珠の松を彩っています。県外からも庭木や植物好きな方が訪れるのも納得です。

また鼠ヶ関海岸にある弁天島には遊歩道が整備され、陸の先端にある灯台まで歩いていけるようになっており、釣りや夕陽のスポットとしても人気があります。たくさんのプレジャーボートやヨットなどが停泊する鼠ヶ関マリーナ、夏は海水浴客でにぎわうマリンパークねずがせきもあり、さわやかな潮風の中を散策したり、海で遊んだりと、大人から子どもまでが楽しく過ごすことができます。

山形県漁業協同組合念珠関総括支所長 佐藤修さん。

鼠ヶ関のもうひとつの魅力は紅エビをはじめ、ハタハタやサワラ、ズワイガニ、寒ダラなど、四季を通じて獲れるさまざまな魚介類。今年9月に開催される「全国豊かな海づくり大会」の海上歓迎・放流行事会場にも選ばれている鼠ヶ関で、豊かな水産資源を守るためどのような取組がされているのか、山形県漁業協同組合念珠関総括支所長・佐藤修さんに伺いました。

「底びき網やはえ縄などの漁法が行われている鼠ヶ関では、水産資源をとりすぎないよう、土曜日を競売のない休市日(きゅういちび)にし、漁をしない日を設けています。

また、魚食普及のため、子どもや一般の方に新鮮な魚介類に親しんでもらえる様々なイベントを行っており、イベントの前には、河口や漁港などの大掃除をしています。大雨が降ると大きな木の根が流れついたり、海からの漂流ゴミがあったりと、自分たちが気を付けていても、港では清掃作業は必須なのです。さらに平成26年から森・川・海の自然の循環について理解を深めるため『魚の森づくり活動』がはじまり、林業と漁業の関係者がいっしょになり広葉樹の植林なども行っています」。

多数のリピーターが訪れる様々なイベントがあるのも鼠ヶ関の特徴です。5月の大漁旗フェスティバルは「鮮魚販売や子どもの魚のつかみ取りで一日中楽しめる」と、県内外からのお客さんでにぎわいます。7月中旬から8月中旬までは、底ひき漁船をつかった「鼠ヶ関漁船クルージング」で船長の話を聞きながら、漁師気分を体験できます。9月と10月に開催される「とれたて!お魚市」は紅エビとズワイガニなどの100%地元で水揚げされた魚介類をさまざまな食べ方で、しかもお値打ちで味わえるとあって、毎回大盛況です。

そして6月のおすすめはイカまつり。生イカやイカの一夜干し、イカ焼き、イカ汁、イカ飯の販売。その他、ユニークなイカ墨を使った「イカ墨書道」、スルメイカをラケットにした「スルメイカ卓球」、イカの口であるトンビを口にくわえて飛ばす「イカのトンビ飛ばし世界大会」、釣りや一夜干し作り体験、海辺でのシーカヤック体験など、イベント盛りだくさんです。

思い切り海で遊んで、おいしい魚介類をたらふく味わう。自然や歴史にふれ、ゆっくりと民宿に泊まり疲れをいやす。歴史と港の街・鼠ヶ関でこんなぜいたくな休日を過ごしてみませんか?


http://www.tohokufukkonow.com/%E5%A5%A5%E5%B7%9E%E4%B8%89%E9%96%A2%E3%81%AE%E4%B8%80%E3%81%A4%E5%8B%BF%E6%9D%A5%E9%96%A2/ 【奥州三関の一つ勿来関】より

今回はいわき市にある奥州三関「勿来関」(なこそのせき)「白河の関」(しらかわのせき)

「鼠ケ関」(ねずがせき)の一つ勿来関跡がある勿来の関公園に足を運びました。

「禁止」の意味で用いられる「勿」(~なかレ)と「来る」を合わせて勿来すなわち「来るなかれ」勿来関は北方の蝦夷の南下を防ぐ目的で設置されたと言われている。

勿来関入り口には有名な「吹く風を 勿来の関と思えども 道も背に散る 山桜かな」を

詠んだ源義家(1042〜1106)の像もお出迎え。源義家銅像

関跡に入ると石畳がひかれその石畳の両サイドには石の歌碑や句碑がたつ見事な散策路となっています。

勿来関は源義家をはじめとし、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など多くの歌人が

男女の仲や風や季節の行く手を阻むものとして和歌に詠んだ歌枕として有名です。

平安時代から歌枕としてつかわれていますが、当時はどのような風景だったのでしょうね。

散策路の先にある勿来関文学歴史館でより勿来関を知ることができるというのでお伺いしました。

入館すると順路はまっすぐエレベーターに。

案内板通りに2階へ上がりエレベーターを降りるとそこには不思議な空間が・・・

勿来関の詳細と歌をわかりやすく教えてくれる音と映像でドキドキ

このエリアの中心にある勿来関のイメージ像

なんとこちらは平安の昔からよみつがれてきた19首の秀歌を音響と映像、そして仕掛けと造形で楽しめるエリアでした。

続いて案内板に従って進んでいくと不思議タウン?

中に入るとそこは江戸時代の宿場町の雰囲気を味わいながら、ゲーム感覚のミュージアム。

タイムスリッップした世界で驚きあり笑いありの感覚で学ぶおもしろびっくり歴史体験ゾーン。

入り口の井戸には覗くべからずと貼り紙が・・・覗くなといわれると覗きたくなりますよね・・・

江戸時代の夜はこんな感じだったのでしょうね 今にも辻斬りがあらわれそう(汗)

立て札を見てみるとあれ?どこかで見た顔が!?

時代劇でよくみる屋台の小料理屋 道ばたにあったらつい寄りたくなりますね

江戸時代のつくりだけでも私は十分楽しめたのですが、覗くべからずと言うことで余計に覗きたくさせるとか、開かずのトイレ(子供にうけがよいトイレネタ)等 見せ方の工夫や楽しませようという趣旨が私のツボにはまりました(笑)大人も子供も楽しめること間違いなし

是非ここ勿来関で歴史の重みを感じ楽しく学習してみてはいかがでしょうか。

勿来関文学歴史館

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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