https://ameblo.jp/yona-0824/entry-12496357595.html 【アニミズムと芭蕉の俳句】より
アニミズムと芭蕉の俳句-「俳句の海に潜る」(中沢新一・小澤 實 角川書店 2016年)を読む-
堀口 昌彦
1.アニミズムについて
金子兜太が佐々木幸綱との対談の中で、「アニミズムを無視して俳句を作るなと言いたいぐらいです」と言っていると、中沢新一は本書の「俳句のアニミズム」(「第52回現代俳句全国大会」(平成27年10月)の講演記録)で紹介している。
本書は俳句とアニミズムが根源的なところでつながっていて、上記の言葉は俳句の本質を正しく突いていると主張している。
ところで、アニミズムは現在どのように理解されているのだろうか。
「岩波 仏教辞典」(1989年)によれば、ラテン語で気息とか霊魂・生命を意味するanimaから出た語。さまざまな霊的存在(神霊、精霊、霊魂、生霊、死霊、祖霊、妖精、妖怪など)にたいする信仰・観念を有し、<霊魂・精霊崇拝>とか<有霊観>と訳される。
イギリスの人類学者タイラー(Tylor,E.B)はアニミズミをもって宗教文化の起源と本質を説明しようとした。
彼は、最古の人類が人間に宿る生命原理としての非物質的実体=霊魂の存在を信じ、これを動植物・自然物にも及ぼしたことから、さまざまな霊的存在にたいする信仰・観念が生じ、霊魂・精霊崇拝がさらに進化して諸神や一神の観念を生むにいたったと仮説した。
アニミズムは未開社会の宗教に濃厚に見られるが、開発途上社会や文明社会の諸宗教にも広く存在する。死者(霊)崇拝、祖先(霊)崇拝はもとより、各種動稙物崇拝や山岳・海洋崇拝を含む自然崇拝もアニミズミの観念の延長上にある。
仏教は本来霊魂・精霊崇拝を否認する立場を特徴とする宗教であるが、仏教が伝播、定着した国々においては、何らかの形でアニミズムの習合が見られる。日本においても、特に民衆レベルにおいて、仏教は宗派を問わずアニミズムと結合することにおいて展開した。
一方中沢はこの本で、「一元論的アニミズム」を主張していて、「ヨーロッパ人の考えた「アニミズム」は、二元論の考え方です。物体とアニマは別のもので、物体の中にアニマが入る込むことによって、生命をもって活動し始めるのですから。
ところが古代人らは、一元論で思考します。大いなる「動くものが=スピリット」があって、それが立ち止まるところに存在があらわれ、あまりにどっしりと立ち止まってしまうと、そこには生命のない物体が存在するようになるが、それら存在者は生物も非生物も、もともとは一体です。このような一元論的アニミズムこそが、本当のアニミズムだと、私は考えます。」と言っている。
このことは、ドーセイ(19世紀アメリカの人類学者)がアメリカ・インディアンの首長の語ったことを記録した下記の言葉に拠っている。
「あらゆるものは動きながら、あるとき、あるいは他のあるときに、そこここで一時の休息をする。空飛ぶ鳥は巣を作るためにあるところに止まり、休むべくして他のあるところに止まる。歩いている人は欲するときに止まる。
同様にして神も歩みを止める。あの輝かしく素晴らしい太陽が、神が歩みを止めた一つの場所だ。月・星・風、それは神が居たところだ。
木々、動物は全て神の休止点、留まった点であり、インディアンはこれらの場所に思いを馳せ、これらの場所に祈りを捧げ、彼らの祈りが、神が休止したところまで達し、助けと祝福とを得られるようにと思う」(「俳句の海に潜る」179頁)
中沢はアメリカ・インディアンの文化は、日本の縄文文化とほぼ同じ、新石器文化の段階にあるので、両者の考え方は基本はだいたい同じと考えて良いと云い、次のような結論を導きだす。
「インディアンや縄文人の思考はこうです。「宇宙をあまねく動いているもの」これをかりに「霊」と呼び、英語では「スピリット」と呼ぶことにしましょう。このスピリットは宇宙の全域に充満して、動き続けている力の流れです。
その「動いているもの」が立ち止まるとき、そこに私たちが「存在」と呼んでいるものがあらわれます。立ち止まり方が堂々として、何千年の単位で立ち止まっているものは石と呼ばれ、二百年ぐらいの単位で立ち止まったスピリットは木というものになります。立派な木や石に出会ったとき、インディアンは石や木そのものでなく、その背後にながれている「動いているもの」に向かって祈りを捧げるのです。」
文化人類学者の岩田慶治は「草木虫魚の人類学」(1973年 淡交社)で、アニミズムの世界について、「そこは<地>と<柄>がひとつになって生きる世界である。大地という母胎から、一人一人の人間と草木虫魚とが同時に誕生し、同時に出会う。同時成道(じょうどう)といわなくてもよい。同時にお互いが見えてくるのである。
大樹が風に鳴っている。いや、大地が風に揺れているのだ。梢でリスが私を見つめている。あの眼は大地の眼だ。人が山を見、山が人を見る。その間に何物も介在しない。利害得失、是非善悪はない。きわめて透明な純粋空間がそこにあるのだ。その純粋空間のなかに人がある。草木虫魚がある。
そこはまた、メタモルフォーゼ(転身、変身)の世界である。しかし、メタモルフォーゼは決して奇跡ではない。摩訶不思議ではない。日常の、目前の事実である。人が草となってそよぎ、石が花となって咲く。将来のある時点において、そうなるというのではない。すでにそうなのである。眼の見えないものが見、耳の聞こえないものが聞く。絵に描いた餅が食べられる。奇怪な話のようであるが、人間のほんとうの食物は真実という餅なのだ。」と言っている。
2.中沢が選んだ芭蕉のアニミズム俳句
・「閑さや岩にしみ入る蝉の声」(おくのほそ道)
句意は「何という清閑さか、蝉の鳴き声が岩の中にしみ透っていく。」
(「芭蕉全句集」角川ソフィア文庫から、以下同じ)
この句は山形市にある山寺立石寺での作である。
中沢新一はこの句をアニミズムの極致であるという。「<岩にしみ入る蝉の声>と言うとき、蝉を流れるスピリット(宇宙をあまねく動いているもの=霊)と岩を流れるスピリットが、相互貫入を起こして染み込み合っています。それが<閑さや>というわけです。」
山寺立石寺のある場所は、この地帯に住んでいたエゾ系の人々の埋葬地であった。「ですから、人間の体という容器から外に出てきたばかりの霊たちが、いっぱい群れ集まっている。そういうところに、土中から出てきたばかりの蝉が鳴くのです。
そこには土中から立ち上がってきた岩もある。大地、岩、蝉、死者霊、それらすべてが相互貫入しあう世界。芭蕉は全感覚を開いてその全体運動を感知しています。そして、この俳句が生まれた。これはとても凄まじいアニミズム俳句です。」
・ゆく春や鳥啼魚の目は泪(おくのほそ道)
句意は「行き過ぎる春を惜しんで鳥は鳴き、魚の目にも涙が見える。」
この句は「おくのほそ道」の旅の出発した時の句で、深川から船に乗って、日光街道最初の宿場である千住で船をあがり、そこで見送りの人々と別れた。
中沢は「詩を詠んでいる「私」は空を行く「鳥」や水中にいる「魚」と相為相関のつながりのなかにあって、ひとつの共鳴する空間を形成しています。その空間が全体で、「春」の去っていく頃を惜しんで、嗚咽し、涙し、激しく慟哭しています。」と解説している。
旅先で果てるかもしれない未知の地方へ出発するにあたって、鳥と魚が山川草木を代表して別れの悲しみを述べているというアニミズム俳句である。
3.私が選んだ芭蕉のアニミズム俳句
「芭蕉全句集」(角川ソフィア文庫)から、主に俳句の主人公が人間以外のもので、動物や植物が自主的な意志を持ったものとして描かれている句を選んだ。
・古池や蛙飛びこむ水のおと(蛙合)
句意は「静かに水をたたえた古池に、蛙の飛び込む水音がする」
この古池は芭蕉庵の傍らにあった。池の水と蛙とが作り出す水の音を芭蕉は楽しんでいる。あたかも水琴窟の音を楽しむように。
蛙は水に飛び込むことで静かさを破り、さらに静寂さを深める。芭蕉は静かさの中にも春の喜びを感じて、蛙に飛び込むことを願い、蛙もそれに応えている。
・はらなかやものにもつかず啼くひばり(あつめ句)
句意は「一面に広がる原の中、雲雀が何に取りつくこともなく、空高く鳴いている。」
三月末、東京のウォーキングで深川を訪れた。隅田川に向かって、多くの支流が入り込み、渡船場もあった。今は多く住宅や、ビルがたっているが、芭蕉がこの地の庵に住んでいた頃は原野であったのであろう。
この原野の上に広がる青空に、高く、姿は見えないが雲雀が鳴いている。雲雀は何者にも執着しないで自由気ままに飛んでいるようだ。芭蕉はこのような雲雀に心を寄せ、雲雀のようでありたいと願い、こののどかな春の日が続いてほしいと思う。雲雀もそれに呼応して囀り続けている。
・山も庭にうごきいるゝや夏ざしき(曽良書留)
句意は「この夏座敷から眺めると、新緑の山が動いて庭に入ってくるように感じられ、とても心地よい。」
那須に滞在中に詠んだ句である。
登山の経験からすると、山が呼んでいると感じることがある。苦しい登りを続けていて、休憩しながら目指す山頂を眺めると、山が自分のところに早く来るようにと、声をかけてくれるのである。
この句では開け放った座敷に座って見る新緑の山が、初夏のさわやかな風に乗って庭に入ってくるのである。
自分が山を見ると同時に、山が自分を見て近づいてくるというアニミズム的な句である。
・鳩の声身に入(しみ)わたる岩戸哉(漆島)
句意は「秘仏を祀った岩戸を前にして、折からの鳩の声が身に沁みわたることだ。」
美濃の国の宝光院での作である。本堂の近くに岩窟があり、そこに秘仏が祀ってある。そこで作者は身に沁みわたる寂しい山鳩の声を聞いた。山鳩の声は岩戸にも沁みわたり、岩戸の冷やかさが作者の身にも沁みわたるのである。ここでは山鳩と岩戸と作者が共感し合っているのである。
・此秋は 何で年よる 雲に鳥(笈日記)
句意は「この秋はどうしてこんなに年老いたと感じるのか。空を仰げば鳥が雲の向こうに消えてゆく。」
大阪に滞在していた時の句である。
芭蕉は伊賀を出てから深く老化を感じるようになったのではないかと思われる。積年の疲労が、この秋はどっとばかり押し寄せてきたようで、老衰が一時にきた感じが「此秋は 何で年よる」という俗語的表現になってつぶやいたのでろう。
このような時は天を仰ぐしかない。顔を空に向けると、今にも雲の中に吸い込まれて行く一羽の鳥が目に映った。その時、芭蕉は孤独な寂しさの中で過去と現在の全人生を一瞬のうちに捉え、雲の中に入ってゆく鳥と同化しているのである。芭蕉はこの秋に亡くなった。
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