「ちまた」とは「岐」とも書く

道祖神は岐の神 

http://tomisatochristchurch-baptist.net/index.php?%E5%BE%8C%E3%82%8D%E3%82%92%E6%8C%AF%E3%82%8A%E8%BF%94%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%80%EF%BC%88%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%9A%EF%BC%91%EF%BC%94%EF%BD%9E%EF%BC%92%EF%BC%96%EF%BC%89 【後ろを振り返ってはいけない (創世記19:14~26)】

1.ためらっている者の手を引かれる主

二人の御使いが町にやって来ましたら、案の定、町は乱れに乱れていて、この二人の御使いを町のならず者たちが慰めものにしようとして、ロトの家に押しかけてきました。ロトは、自分の二人の娘を代わりに差し出すからこの旅人には手を出さないで欲しいと言います。それでも、言うことを聞かない暴徒に対して、御使いは目をくらまして、ロトの家族を守りました。そして、この間に、ロトの親族に知らせて、早く町から逃れるようにと促しました。しかし、娘婿たちはその言葉を信じることが出来ず、冗談だと思って付いて来ようとはしませんでした。そこで、しかたなくロトの家族4人の手を引っ張って、早くこの滅びの町から逃れるようにと勧めます。

「ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き、『さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ。』と促したが、婿たちは冗談だと思った。夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。『さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。』ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。『命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。』」(創世記19:14~17)

御使いがロトの家族に言った四つの言葉があります。それは「命がけで逃れよ。」「後ろを振り返ってはいけない。」「低地に留まるな。」「山へ逃げなさい。」この四つです。これは私たちクリスチャンの生き方についての大切な四つの要素が入っています。

A) 命がけで逃れよ。(Flee for your lives )

最初の「命がけで逃れよ」という言葉は、原文では、「お前の命のために、逃れよ」となっています。つまり自分自身の命を救うために、全速力で逃げるようにと命じています。この間の東日本大震災の津波の時も、津波警報が出た時、必死になって高い所へ逃げた人は助かりました。その警告を信じて、その通りに逃げた人は助かりました。でも、その警告を無視したり、甘く見たりした人は、家に残ったり、急がなかったために襲ってくる波に飲み込まれてしまいました。

そうです。誰もこの警告を信じませんでした。あの堤防を越えないだろう、このビルの高さまでは来ないだろうと、皆、たかをくくっていたのです。また、津波が来ても、三階まで逃げれば大丈夫だろうと思っていました。また、今まで何度か警報が出ても、実際には10メートル以上の津波が来なかったからです。誰も、そんなことが起こるはずがない、想定していないと安心していたのです。

ロトが、娘婿のところに行って、この町が滅ぼされると言っても婚約者たちは誰一人信じませんでした。婿たちは皆、冗談だと思って相手にしませんでした。結局、彼らはソドムとゴモラの町と共に滅んでしまいました。「命がけで逃げろ」というのは、今そこに迫っている危機のために、一日も早く、全力で、必死になって逃げることを言っています。自分の生き死にがかかっているのです。神の最後の審判の時が明日起こるかもしれない、今晩かも知れない、だから、今といううちに神のもとへ逃げなさい。自分自身の命のために、手遅れにならないうちに、今日という内に信じなさいという警告です。

B)後ろを振り返ってはいけない(Don’t look back)

ロトの家族が、逃げて行く途中、ようやく、途中の小さな町ツォアルに着きました。その時、主がソドムとゴモラの町に審きを下され、硫黄の火が天から降り注いで、死海のほとりにあった町々が、一瞬のうちに滅ぼされてしまいました。それは突然起こりました。今でも、あのヨルダン川と死海と紅海にいたるルートは活断層があって、大きな地殻変動を起こす危険性があると言われています。そして、火山の爆発か何かによって大きな地殻変動が起こり、町は滅んでしまいました。現在ではソドムとゴモラの町は、死海の底に沈んでしまったと言われております。

その時、町が破壊されて行く大音響と共に、ロトの妻は思わず、後ろを振り返ってしまいました。いろんな思いがあったのではないでしょうか。町には親しい人々がいたでしょう、自分の家や財産もあったことでしょう。そういう、過去の生活や家財産に対する思いが、思わず妻の顔を振り返させてしまいました。妻の名前は出ていませんから、これは恐らくこの世のものに未練のある人全てを、指しているのではないかと思います。

イエス様もこう言っています。「人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」(ルカ17:30~33)

ふり向いた妻は、その場で塩の柱になってしまったと書かれてあります。塩の柱とは、無益なものと言う意味です。私も死海のほとりを旅行した時、「ロトの妻」といわれる大きな塩の柱を見ました。大きな岩塩の柱で、何となく女性が後ろを振り返っているような姿に見えなくもないというものでした。過去の自分やこの世のものに固執し、後ろを振り向いて、前に進んで行かない限り、私たちもロトの妻のようになってしまいます。

パウロも言っています。「わたしたちもまた、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐりすてて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ12:1~2)

C)低地のどこにもとどまるな(Don’t stop anywhere)

ところが、ロトは主がせっかく手を引いて救って下さったにもかかわらず、この神様の「低地のどこにもとどまるな」という言葉に、最後まで従い続けることはできませんでした。神様が、山に逃げるように指示しましたが、彼は山での生活に不安があったのか、その指示を断り、近くの小さな町ツォアルに逃げたいと懇願しました。「わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。御覧ください。あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。」(19~20節)

神様が、せっかく逃げ延びる方法と逃げるべき場所を教えて下さったにもかかわらず、ロトは、どこまでも自分の希望、願いを優先させました。山での生活は大変だ、それよりは少しでも生活が楽な近くの町で我慢しよう、小さい町だけど、厳しい山での生活よりはましだろう。住む家や買い物をするくらいは、あるのではないだろうかと考えました。

残念ながら、ロトは、この神様の御言葉に従い切る信仰はありませんでした。神様の命令と自分の希望の妥協点を探るような、中途半端な信仰でした。山での厳しい生活よりは、小さな町でほどほどの信仰をもって静かに余生を送りたいと思ったかもしれません。残念ながら、どこまでも人間的この世的な信仰です。それでも、主は背後でのアブラハムのとりなしの祈りの故に、ロトの希望を受け入れて、小さな町、ツォアルに住むことを許して下さいました。この後、ロトの残された家族に恐ろしいことが起こります。それは近親相姦によって、子孫を残さざるを得なかったという悲劇です。(19:30~38)

D)山へ逃げなさい(Flee to the mountain)

この御使いが述べた「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」という言葉に、私たちクリスチャンの生き方が示されているような気がします。先週も言いました。「レフ・レハ―」自分自身に向って行きなさいと。私たちはまず最初に、この世的な生まれながらの自分から出て、神様の元にある、本来の自分自身のところに向って行きなさいということです。私たちの向う場所は、山です。それは、神様に一番近い所です。

山は、神様のいる所であり、人間と神様が一対一で合い向き合う場所です。御使いは、ロトにもう一度神様にお会いできる山へ向って行きなさい。自分の出て来た所、原点に立ち返りなさい。そして、自分の人生をもう一度主の前で振り返ってみて、いかにこれから歩んだら良いかを神に尋ねなさいと命じたのです。でも彼は、その神様の厳しいですが哀れみに満ちた言葉を信じ切ることができませんでした。途中の小さな町ツォアルで、満足し、そこに留まりたいと言ったのです。神様もムカッと来たかも知れませんが、ロトの願いを聞き入れました。それは、やはりあのアブラハムの背後での祈りがあったからです。

山へ逃げるとは、この世の富や名誉、地位、財産よりも、まず神を第一にすることです。何をおいても、神を第一にし、神の前に立つならば、必ず、主はそれに答えてくださるということです。神の山、すなわち神の前に立つということです。これが信仰であり、私たちが人生で一番第一にし、目指すべき目的です。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。」ということの意図していることです。

3.アブラハムの祈り

最後の場面を見てみましょう。

「アブラハムは、その朝早く起きて、先に主と対面した場所へ行き、ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」

(19:27~29)

神様が、ロトの家族を救出したのは、アブラハムのとりなしの祈りがあったからです。私たちも、ともするとロトのような中途半端な信仰でしかないかも知れません。人生の荒波や危険の中にあって、おぼれてしまいそうな時もあります。信仰の旅の途中で、疲れたり、神様を見失ったり、道に迷ってしまったり、後ろを振り向いてしまったり、途中でもういいやと足を止めてしまったりすることの多い者です。でも、そういう弱い、不十分で中途半端な私たちですが、神様は滅びの真っ只中から、私たちの手を引っ張って救い出して下さるお方です。

そして、そのような弱い私たち、中途半端な信仰の私たちのために、必死に神様に食い下がって祈っていてくださる兄弟姉妹がいると言うことを覚えたいと思います。誰かの祈りによって、誰かのとりなしによって、助けられて今日あるを得ています。津波で流されて行く時に、たまたま木の枝があってそれに手を伸ばして助かったように、神様は実に不思議な仕方で私たちを危険と死の淵から救い出してくださいました。誰かが、どこかで、私達のために祈っているからです。

ですから、私たちも、祈る者となりましょう。祈りと御言葉の祭壇を、人生の節目節目で築いて行きたいものです。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」この世から離れて、祈りの山へ登りましょう。そして、そこへ行って主の前にひざまずいて、人々の救いのためにとりなす者でありたいと願っております。                (岡田久)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E 【岐の神】より

岐の神(クナド、くなど、くなと -のかみ)とは、古より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。また、久那土はくなぐ、即ち交合・婚姻を意味するものという説もある。

別名、久那土神、久那止神、久那戸神、久那斗神、車戸神、来名戸祖神、岐神、衝立船戸神、車戸大明神、久那度神、クナド大神、クナトの神、クナト大神、熊野大神、久刀。

概要

「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味[1]。もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神である。

道祖神の原型の1つとされる[1][注釈 1]。読みをふなと、ふなど -のかみともされるのは、「フ」の音が「ク」の音と互いに転じやすいためとする説がある[2]。以下のように、意味から転じた読みが多い。岐(ちまた、巷、衢とも書く)または辻(つじ)におわすとの意味で、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)[3]、峠の神、みちのかみとも言う。また、障害や災難から村人を防ぐとの意味で、さえ、さい -のかみ(障の神、塞の神)[4]、さらに「塞ぐ」の意味から転じて幸の神、生殖の神、縁結びの神、手向けの神の意味を併せるところもある[4]。

神話では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。また、『古事記伝』では『延喜式』「道饗祭祝詞(みちあえのまつりのりと[1])」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。

『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。これは『古事記』では、最初に投げた杖から化生した神を衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)としている。

なお、道祖神は道教から由来した庚申信仰と習合して青面金剛が置かれ、「かのえさる」を転じて神道の猿田彦神とも習合した。

治安が安定してくる平安後期以降は、往来に置かれた道祖神は道標(みちしるべ)としての役割を持つようになる。仏教の説く六道輪廻の概念から生じた末法思想を背景に、六道に迷った衆生を救う地蔵菩薩信仰が民間で盛んとなり六地蔵が置かれるようにもなった。


http://www5d.biglobe.ne.jp/~sak/dousojin/203.htm 【ちまたの神】より

<ちまたの神>

古事記の話を続けます。イザナギが禊(みそぎ)のときに投げ捨てた杖から、くなどの神が生まれたことは、すでに述べました。続いて、脱ぎ捨てた褌(はかま)から、道俣(ちまた)の神が生まれた、と記述されています。

イザナギのはかま、つまり下半身の股(また)と、道の俣(また)をかけてあるのでしょう。現在では衢(ちまた)という字を当てますが、この字は「道が分かれるところ」の意味です。

軽井沢町 旧軽井沢 諏訪神社。文化十三年(1816)。文字碑「大衢神」。

実際、道祖神は、道の分かれ目に置かれていることが多いのです。そして股ですから、男根・女陰を連想するでしょう。これが一対になった道祖神もあるわけです。

茅野市 泉野。陰石・陽石。

男根・女陰は生命の根源であり、子孫繁栄・五穀豊穣・夫婦円満・良縁などをかなえてくれる神であっただろうと推測できます。

なお日本書紀では、前述の「ふなと」に、道の分かれ目を表す「岐」という字が当てられています。「ふなとの神」と「ちまたの神」が習合し、同じものと見なされていたことを示しているのでしょう。

<やちまたひこ・やちまたひめ>

八という数字には、たくさんという意味があります。それで、多くの道が分かれる意味で、八衢(やちまた)という言葉もあります。

西暦927年、平安中期に書かれた「延喜式」という法典には、久那斗(くなど)の神と一緒に、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)という神の名が出てきます。ちまたの神が男女一対の神であるという考え方は、遅くともこの頃までに成立していたと考えてよいでしょう。

辰野町 下田。円形中区、文字碑「八衢毘古、八衢比賣、岐神」。

なお、平安後期(930年台~1150年台)に書かれた「本朝世紀」という歴史書には、男根・女陰が彫ってある男女の人形が、一対となって京の街角に置かれていた、という記述があります。京の都の人々は、どんな思いでこの人形を眺め、おそなえをしたのでしょう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000