旅立ち

https://manapedia.jp/text/1904 【奥の細道 旅立ち】 より

このテキストでは「奥の細道」の冒頭「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」から始まる部分の現代語訳・口語訳とその解説、そして品詞分解を記しています。タイトルが書籍によって様々で、「おくのほそ道」や「冒頭」、「旅立ち」、「序文」、「漂泊の思ひ」、「発端」、「出発まで」などと題されるものがあります。

※「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」で始まる一節で広く知られている奥の細道は、松尾芭蕉によって書かれました。江戸を出発し、東北地方、北陸地方を巡り岐阜の大垣までの道中の出来事を記した紀行文です。

原文

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。(※1)古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、(※2)海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、(※3)三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、(※4)杉風が別所に移るに、

草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

表八句を庵の柱に掛け置く。

(※5)弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は(※6)有明にて光をさまれるものから、不二の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢またいつかはと心細し。

むつまじきかぎりは宵よりつどひて舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、(※7)幻のちまたに離別の涙をそそぐ。

行く春や鳥なき魚の目は涙

これを(※8)矢立の初めとして行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆるまではと見送るなるべし。

現代語訳(口語訳)

月日は永遠に(終わることのない旅をする)旅人(のようなもの)であって、去ってはまたやって来る年もまた旅人(のようなもの)である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬子として馬のくつわを引いて老いるのを待ち受ける人は、毎日が旅であって旅を住処としているのだ。昔の人も多くが旅をしながら亡くなっている。

私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて行くように、さまよい歩きたいという気持ちがおさまらずに、海辺をさすらい歩き、去年の秋に、川のほとりの古びた家に(旅から)戻り(留守にしておいた間にできていた)蜘蛛の巣をはらいのけて(住んでいるうちに)、次第に(その)年も終わり、春になり霞たなびく空を見ると、白河の関を越えてみようと、なんとなく人の心を誘い動かす神が身に取り憑いて心を正常ではなくならせ、(おまけに旅人を守るという)道祖神が(旅へ)招いているような気がして取るものも手につかず、股引(ももひき)の破れを繕い、笠の緒を付け替えて、三里(膝のつぼ)に灸を据えるとすぐに、松島の月がまず気にかかったので、住んでいた家は人に譲って、杉風の別荘にうつる(と、次のような歌を詠んだ。)

このわびしい草庵も住人が替わることになった。次は雛人形なども飾られる華やかな家になることであろうよ。

(この句をはじめとする)表八句を草庵の柱に掛けておく。

三月も下旬の二十七日、夜明けの空はぼんやりとかすみ、月は有明けの月(夜が明けても空に残っている月)で光はなくなっているので、富士の峰がかすかに見えて(かすかにしか見えず)、上野や谷中の桜の梢を再びいつ見られるのかと(思うと)心細い。

親しい人たちは皆前の晩から集まって(今朝は一緒に)舟に乗って見送ってくれる。千住というところで舟をおりると、前途は三千里もあろうかという旅に出るのかという思いで胸がいっぱいになり、幻のようにはかないこの世の分かれ道に離別の涙を流す。

もう春は過ぎようとしている。その別れを思い鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいるかのように見える。

これを(旅で使う)矢立ての書き始めとして(出発したが)行く道はやはり(足が)進まない。(私たちを見送ってくれている)人たちは途中まで一緒に並んで、(私たちの)後姿が見えるまではと見送ってくれるのだろう。


https://tenki.jp/suppl/saijiki_shuuka/2016/03/23/10431.html 【旅立ちの春~「弥生も末…」に込められた芭蕉さんの旅と春に思いをはせて】より

彼岸も過ぎ、「弥生も末の七日(三月二十七日)」が近づいてきました。

当時、四十六歳になっていた松尾芭蕉。昨秋に前の旅から戻って間もない春に、またも旅心を抑えきれず、みちのくへと旅立ちました。気紛れな芭蕉さんの旅と春とは…?

旅に魅せられていた?~芭蕉さんと旅

芭蕉さん曰く…『月日というのは終わりを知らない旅人みたいだね…船頭や馬子は、生業が旅だからいいねぇ。なんたって、風雅の道を究めた人たちだって旅の途中で人生を終えている。やっぱり旅っていいなぁ…去年の秋に旅から戻ったんだけれどね、腰を落ち着けようかと思いつつ、年も暮れて春が来て、気が付いたらみちのくの旅にでたくなってねぇ…花や鳥が私を呼んでる。道祖神まで手招きしてる…こりゃ、旅支度を始めなくてはいけないって、家まで譲って準備万端ですよ…』

今風に言えばこんな感じに、芭蕉さんは旅への想いを「おくのほそ道」の序章《発端》で語っています。

この頃、芭蕉さん四十六歳です。当時では年配と言っても過言ではありません…なかなか、元気で可愛いおじいちゃんだと思いませんか?…というか、旅をしなくちゃ生きてるって言えない!くらいの気持ちでいたのではないか?この告白からはそんな風に感じることができます。ただのお年寄りではない、このアクティブな生き方とベールに包まれた日常から、芭蕉さんは忍者だった?という説が生まれるのもうなずけますね。

芭蕉さんと春~旧暦の弥生も末の七日って今でいうといつ?

ところで、「弥生も末の七日(三月二十七日)…」というと、新暦でいうといつになるのでしょうか?

芭蕉さんは、《旅立ち》の中で、『上野・谷中の森に見える花の梢に今度はいつ会えるのかな…少し、心細くなってきたよ』などと、センチメンタルな言葉を残していますが、旧暦の三月二十七日は、新暦の五月中頃にあたります。ということは、上野の森の桜はとうに散っています。これは、心の中に桜吹雪が舞っているようだと言いたいのでしょうか?親しい人々との夜通しの別れの後、千住から歩き始めるのですが、あんなに「旅にでたいよぉ~」と思っていた芭蕉さんが、ここでは後ろ髪を引かれる風情でいっぱいです。矢立のはじめとして詠んだ句にもその想いがあふれているようです。

『行く春や鳥啼き魚の目は涙(ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ)』 芭蕉

春が今まさに去ろうとしている。鳥の啼き声、魚の目がうるむ様子さえ、春を惜しみ哀愁にくれているようだ…と、旅立つ我が身になぞらえて句を作りました。この句が、この旅の矢立はじめとなったのですが、少し前までウキウキと旅支度をしていた人と同一人物とは思えない哀愁たっぷりの一句です。不思議ですね。

*「矢立(やたて)」…綿に墨汁をしみこませた墨壺に、筆入れの筒のついた携帯筆記具。矢立はじめは、旅日記のつけはじめの意味。

芭蕉さんに寄り添う、曾良と旅路のあと

さて、そんな気紛れな芭蕉さんですが、同行の曾良(そら)とともに約半年かけて道程を達成します。曾良と芭蕉さんの道中には、面白いエピソードに事欠かないのですが、出立(しゅったつ)して間もない、「室の八島(むろのやしま)」のくだりでは、弟子の曾良が春の女神・木の花咲耶姫(このはなさくやびめ)について、師匠・芭蕉に説明するという、子弟が逆転するような一場面があります。研究では、句にする景色がなかった説などと分析されることが多いものですが、佐保姫と並ぶ、春の女神を話題にすることで季節感を感じさせる効果は抜群ですね。

深川から千住にかけて、芭蕉の心にフォーカスを充てた紀行文は、室の八島で長旅を共にする弟子の曾良の紹介とすることで、その後の二人のやりとりを、読者が自然に受け入れられる流れになりました。ストーリーテラーとしての芭蕉さんの筆の力を感じますね。

長い旅路の方々(ほうぼう)で、句碑や銅像が建てられています。その一つ、東京の荒川区・すさのお神社では、句碑だけでなく、芭蕉さんを記念した句会が開催されています。

その名も『奥の細道矢立はじめ』に参加できる!

紅白合戦…源平枝垂れ(桃)

紅白合戦…源平枝垂れ(桃)

その場所は、南千住から大きな通りを歩くとひょっこりと現れる。芭蕉さんがはじめの一歩を踏み出した千住のすさのお神社…一歩足を踏み入れると、21世紀の日常を忘れる空間が広がります

すさのお神社は…

「紀行から百三十年後の文政三(一八二〇)年、亀田鵬斎ら文人たちの手により、旅立ちの地の鎮守 素盞雄神社境内に矢立初めの句『行く春や鳥啼き魚の目は泪』の碑が建てられました。」(すさのお神社㏋より)

今年で二十二回を迎える俳句大会は、すさのお神社ご鎮座の千二百年を記念し、旅立ちの『弥生も末』に因んで平成五年より開催されるようになりました。

筆者は、昨年の二十一回大会の当日句会に飛び入り参加したのだが、大会が始まる前、境内では野点やお焚き上げ、時を告げる太鼓の音、源平枝垂れという名の桃の花に納められた多くのひな人形…と、俳句を作るにはうってつけの景色が広がります。

春の一日、芭蕉さんのはじめの一歩に思いをはせ、句作に興じるてみてはいかがでしょうか?


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