「守る」と「見守る」どう違う

ムスカリのつぼみを守る朝日かな  五島高資

The buds of grape hyacinths

rising sun is watching over them

for a bright future         Takatoshi Goto

「褒めないで勇気づけること」、「過保護過干渉を控えること」が見守ることであり、真実に守るとはエンパワメントを高めることではないでしょうか?

http://sinki.kosodatekitchen.com/2017/08/22/%e3%80%8c%e5%ae%88%e3%82%8b%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e8%a6%8b%e5%ae%88%e3%82%8b%e3%80%8d%e3%81%ae%e9%81%95%e3%81%84/ 【子どもを「守る」と「見守る」どう違う?】

~本当はできるのに、なぜ手を出してしまうのでしょう~子どもを「守る」と「見守る」どう違う?

「守る」と「見守る」の違い

国語辞典で「守る」と「見守る」を引くと、表現が似ていて理解しにくいのですが、英単語に置き換えるとイメージしやすいのではないかと思います。

weblio 研究社 新和英中辞典より引用

【守る】  protect 保護する  defend 防ぐ  guard 警護する

【見守る】 watch   stare   watch over(保護する)

英単語も日本語で通常使われているものが多く、イメージがわきませんか?

スポーツでよく使われるディフェンダー、警備といえばガードマン。私のイメージは、寄せ付けない感じ。

それに対して「見守る」は、見る・観察する でした。

命の危険から「守る」ことは必要ですが、それ以外のことに守られている状態だと、危険とは何かを知るきっかけもなく、親と別行動をしている時に、危険が近寄っていることさえ気づけないのです。

小学生になると一人で行動することが増えます。ずっと付いていられないので、それまでに自分で危険から身を守る方法を知らなければなりません。

守り続けられないから、術を覚えてもらう。

それを教えていくのが、親(保護者)なのです。

http://sinki.kosodatekitchen.com/2017/08/22/%e6%ae%8b%e5%bf%b5%e3%81%aa%e4%ba%8b%e5%ae%9f%e2%91%a0/ 【残念な事実①】より

以前、近所の交差点で小学1年生の子が、右折してきたトラックにひかれて死亡しました。その子のお母さんは、家の近くの大きな交差点を一人で渡らせるのは危険だと、毎朝と帰宅時間には信号を一緒に渡っていたそうです。ところがその日の帰宅時間、お母さんは固定電話に出ていて交差点には行けず、マンションの自宅から下の交差点を見ていました。目の前で起きた事故でした。それを聞いて私は居た堪れない気持ちになりました。

車の運転手が気をつけるのは当たり前。でも、歩行者も気をつけなければなりません。そのニュースを聞いて気になったのは、子どもが自分で危険予測をして行動していたか?でした。もし毎日お母さんが左右を確認し、「さあ渡りましょう」と言っていたら、子どもにとってはいつも安全な状況が当たり前で、自分で気を付けようという気持ちは育っていなかったかもしれません。

遅くとも小学1年生(6歳)には、保護者がつかない時間が増えます。これを言うと、「登下校はせめて誰か大人がついていくべき」という意見も出てきます。しかしこれから先、どの子もどんどん行動範囲は広がります。それを止めることはできません。

親が一緒にいられる小さなうちに、ある程度の危険を「見極める力」を育てなければならないのです。

残念な事実②

あるマンションでのできごと

ひとりのシニアの男性が町会の夏祭りの打ち合わせのために、マンションのエントランスをはいり打ち合わせ場所の上層階に行こうとEVに乗りました。ちょうどそこに小学生がエントランスを入ってきて・・・

男性は小学生が来たのが見えたので開ボタンを押して待っていたのですが、その子は目の前に来て、EVに乗らずただそこに立ち止まってしまいました。男性が声を掛けても返事もしませんでした。男性はきっと乗りたくないのだろうと察しドアを閉めて上に行きましたが・・・

これは、きっと親から言われているのでしょう。

「知らない人と話してはいけない」「知らない人がいたらEVに乗らないように」

子どもは忠実に守ったのだと思います。親は危険の可能性を排除したつもりかもしれませんが、この子は本当の非常時にとても困るでしょう。誰とも話せず、「助けて」が言えない・・・何も言わない子に周囲は困り果て、救いの手は届けようがありません。

親はいつまでも子どもと一緒にいてあげられません。親が一緒にいたくても、子どもはどんどん成長し離れていきます。

一緒にいない時にも、しっかりとした行動が取れるように育てていく。小さな体験の積み重ねが、子どもの自信になり、判断力を付け、行動できるようにしていくのです。


http://jlogos.com/docomosp/word.html?id=5100947 【まも・る】より

[他][ラ四]ら/り/る/る/れ/れ

▲「ま(目)」+「もる(守る)」で、目でじっと見守るがもともとの意と考えられる。

[1]見つめる。じっと見つめる。

[例]「面(おもて)をのみまもらせ給うて物ものたまはず」〈大和・一五二〉

[訳]「(帝(みかど)は)顔ばかりを見つめなさって、ものもおっしゃらない」

[2]見定める。注意してみる。

[例]「◎家思ふと心進むな風(かざ)まもりよくしていませ荒(あら)しその道」〈万葉・三・三八一〉

[訳]「◎家を思うからといって心あせりするな。風をよく見定めていてください、荒々しいのだ。その海路は」

[3]警戒する。気をつける。

[例]「その通ひ路(ぢ)に、夜ごとに人をすゑてまもらせければ、いけどもえ会はで帰りけり」〈伊勢・五〉

[訳]「その通い路である垣根のこわれた箇所に、毎晩人を配置して警戒させたので、(男は)行ったけれど会うことができなくて帰った」

[4]防ぐ。守る。守護する。

[例]「一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞまもり申しける」〈大鏡・花山院〉

[訳]「(手に手に)一尺(=約三十(センチメートル))ほどの刀を抜いたままで守護し申し上げた」

東京書籍

「全訳古語辞典」

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