あるがままを受け入れる

ムスカリのつぼみを守る朝日かな  五島高資

The buds of grape hyacinths

rising sun is watching over them

for a bright future         Takatoshi Goto

http://tamesue.jp/blog/archives/think/20150801 【あるがままを受け入れることと、現状肯定の違い】 より

よくあるがままを受け入れるしかないという話をすると、それじゃあ現状の問題は何も解決されないし社会はよくなっていかないじゃないか、という意見をもらう。この辺りは微妙で、実際に仏教でどう解釈されているか、社会でどう解釈されているかわからないけれど、私にとっての認識を書いておきたいと思う。

まずあるがままを受け入れることは、あるがままを受け入れているわけで、現状を肯定しているわけでも否定しているわけでもない。石がそこにあるなという世界と、なんであの石は角ばっているんだという世界。サバンナでシマウマがライオンに食べられましたという世界と、ライオンに食べられたシマウマがかわいそうじゃないかという世界。あるがままの世界には善も悪もない。善も悪も私が決めている。

一方現状肯定の方は、現状は如何ともしがたいから自分の認識を肯定的に変えることで不条理を受け入れましょうという考えだと私は認識している。つまり、現状を変えるのは困難である→だから捉え方を変えることで対応するしかない→現状に対してどうこう思い、どうこうしようとするのをやめて肯定的に捉えればそれなりの幸せが訪れる。これが現状肯定だと捉えている。確かに現実の不条理に屈服する、または蓋をする形なので、こういう人ばかりでは世の中は何も良くならないし、実は腹の底に不満が溜まるばかりというのはよくわかる。

あるがままを受け入れるというのは、そもそも見る人がいなければ悪も善も、この世界すら存在しないという立場にたつことだと思う。私がいなければ私にとっての世界はない。一方現状肯定は否定すると辛いから肯定する方向に変えようという眼鏡の架け替えだと思う。眼鏡をかけていることに気づいたところから始めましょうという世界と、眼鏡の架け替えによって対応しましょうと違いではないか。

あるがままを受け入れるということは、まずそのままを一旦受け止めようということだと思う。その上で、ここが重要なのだけど”私”がすべきだと感じることをする。世の中のあるべき形に近づけるのではなく”私”のすべきだと思うことを成す。なんだ結局同じじゃないかと言われるかもしれないが、私はこの二つは違うと思っている。世の中はひたすらにそのままなのだけど、すいませんちょっとだけ自分の価値観を反映させてくださいねという世界観。

世の中は不条理で不公平で、生まれてすぐ死ぬ子もいれば、庭から石油が出ている人も、善いとされる行いをしながら病気になる人も、悪いとされる行いをしながら健康に生きる人もいる。ああそりゃそうだよな、さてその上で自分は何をしようか。あるがままを受け入れた後の行動には恨みつらみがなくひたすらに淡々とした世界が広がっているのではないかと、私は想像する。


https://www.takaramap.com/catalystcounselor/mind/%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%8C%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%82%8B/ 【あるがままを受け入れる】 より

『あるがままを受け入れる』

わたしは以前この言葉を聞いて、?マークしか出てきませんでした。

「あるがまま」とは何ぞや?と。

あるがままなんだから、今のまま?

成長しないってこと?

他の表現で、『流れに身を任せる』

という言葉もあるけど、

どうやらそれとも違うようだ。

でも、この『あるがまま』的な人生を送っている人たちは何か幸せそう。。。いいなぁ。

なんて感じていたのを覚えています。

なんだか、、、頭だけで考えてるとグルグルグルグルとめぐり巡って

『ああーーーわからん!』

となり結局昨日の自分と々行動をとってしまう。

まあ、そんな苦悩の中、13年間をすごした私ですが、何と攻略法があったんです。

今すぐその攻略法を13年前の自分に伝えたい!!

そんなことを言ってても人生うまく回らないので、その秘訣をあなたに伝授し、我々が人の心を癒せるようにしていこうじゃありませんか。

そんな攻略法がこちらです。

『五感すべてに感謝すること』

命の授業

腰塚勇人さんはこういってます

「口」は…、人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう

「耳」は…、人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう

「目」は…、人の良いところを見るために使おう

「手足」は…、人を助けるために使おう

「心」は…、人の痛みがわかるために使おう

あなたがもしも今この文章を読みことが出来ているならば、それは目が見えているから。

もし、今日起きた時に家族に『おはよう』と言えたならば、それは口がきけたから。

あなたがもしも今朝、目覚まし時計でおきることができたなら、それは耳が聞こえたから。

起きた時に、布団をはぎ、階段を降りて、椅子に座り、箸を持つことができたなら、手足がある証拠。

もしも、家族の結婚の知らせに喜びを感じ、不幸に胸を痛めているとしたら、それは心があるということ。

このような事は、あなたにとって当たり前でしょうか?

あなたの当たり前は、他の人には特別かもしれません。

五感とは、嗅覚、触覚、味覚、聴覚、視覚のこと。

この五感に感謝していきます。

この感覚器官は外の世界から情報を獲得するために必要です。

その器官を感謝して感謝して感謝して感謝で満たし、愛で満たしていきます。

これで、準備完了。

『あるがままを受け入れる』

これは言いかえると

『どれだけ自分が持っているものに感謝できているか』

その感謝の量に比例してあるがままの受け入れ度は増していきます。

まず自分にとって当たり前な事実に感謝します。

そうすると見えてくる世界があります。

・家族の存在の有り難さ

・同僚の大切さ

・衣食住を獲得出来ている喜び

などなど、身の回りにある『当たり前』に感謝することができるようになります。

そしてそして、発展すると

・相手が存在するだけで感謝できるようになる

・自分の存在に喜びを感じるようになる

・あるがままを受け入れることができる

どうでしょう。

このようなフローチャートになります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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