http://www.basho.jp/senjin/s1410-1/index.html 【むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす芭蕉 (おくのほそ道)】 より
小松(石川県)の多太(ただ)神社での句。この神社を訪れた芭蕉は、斎藤実盛の兜に出会う。
幼い木曽義仲の命を救った実盛であったが、年を経て平家方として義仲と戦わざるを得なくなる。白髪を染め若武者と見せ出陣するが討たれてしまう。恩人実盛の首に涙した義仲は、多太神社に兜を奉納したという史実が句の背景にある。また「むざんやな」は謡曲『実盛』の一節「あなむざんやな」を踏まえる。
句意は「意に添わぬ戦いに出なければならなかった実盛は、なんといたわしいことだ。この兜の下のきりぎりす(今のこおろぎ)も、その悲しみを思い鳴いているようだ」
今の私達は博物館やお寺に行き、展示品を見ながら句を作ることがある。芭蕉も同じように兜を見て、句を一生懸命考えていたと思うと微笑ましいではないか。普通対象物を見るとそのまま句にしようとするものだが、芭蕉は違っていた。歴史の事実を踏まえ、義仲や実盛の心境にまで思いをこらし、それを鳴いていたこおろぎに託し句を仕上げたのである。この独自の視点が今も芭蕉の評価が高い理由ではないだろうか。
ただこの句は『おくのほそ道』の本文があってはじめて理解出来ることを付け加えておきたい。
https://bell3.blog.jp/archives/8780711.html 【あなむざんやな ~ 実盛よもやま話】 より
「おくのほそ道」での松尾芭蕉は、加賀(石川県)・小松に到着すると、多太(通常は”ただ”と呼ばれるが、正しくは”さた”)神社にて、源平時代の斎藤別当実盛(さねもり)の遺品である兜と錦の布切れを見物し、”むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす” と一句詠んでいます。斎藤別当実盛は、当初は源氏方(源義朝)に仕えていたのですが、平治の乱で義朝が失脚後は、平家方(平宗盛)に仕えました。寿永2年(1183)、木曾義仲との篠原合戦では、この時70歳を超えていましたが、平維盛に従って出陣し奮戦しますが、義仲軍の手塚太郎光盛と遭遇、名を尋ねられても名乗らないまま、組討ちとなり首を討たれてしまいます。手塚は義仲に不思議な武者を討ち取ったことを報告します。義仲は(孤児の頃、斎藤に預けられ育ててもらっていて)実盛ではないかと直感しますが、白髪でなく黒髪であったのを怪しみ、義仲の四天王の一人であり、実盛とは旧知の友であった樋口次郎兼光を呼んで、首実検を行わせます。樋口は黒く塗られた白髪頭を一目見るなり(実盛であることを知り)、「あな、むざんやな (あゝ 何とも痛ましいことよ)」と涙を流します。義仲は実盛の首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わり、かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知り、人目もはばからず涙にむせびました。その後、懇ろに弔い、その着具であった甲冑を多太神社に納めました。
この一連のくだりは「平家物語」で詳しく描かれていますが、これが世阿弥作の「謡曲・実盛」では、「樋口参り、ただ一目見て、涙をはらはら流いて、”あなむざんやな 斉藤別当にて 候ひけるぞや” 」 と謡われました。芭蕉は更にそれを引用して、”あなむざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす” と句を詠んだのですが、字余りを修正し、冒頭の”あな”の二文字を削除しています。この芭蕉の句は、横溝正史の長編推理小説「獄門島」で、3つの重要な俳句の一つとして用いられているのは、ご存知の通りです。
写真は女郎蜘蛛に捕まったツクツクボウシです。これを見た途端、思わず”あな無残やな”の言葉を思い出した次第です。それでなくても短い命の蝉なのに、天命を全うすることもなく、蜘蛛の餌食になろうとは‥ ”あな無残やな つくつく法師にて 候ひけるぞや” です。
ところで、樋口が首実検で実盛と見破ったのは、遠い昔、実盛が樋口に「六十を過ぎて戦場に向かう時は髪を黒く染めようと思う。若武者たちと争うのも大人げないことだし、 老武者といって侮られるのもつまらないことだ」と話していたのを、樋口は覚えていたからでした。また芭蕉は、源義経や木曽義仲、斎藤別当実盛といった悲劇の武人に、とりわけ強い思いを寄せ、「おくのほそ道」の旅中、これらの人物にゆかりのある土地を訪れて句を残しています。芭蕉は、「私が死んだら木曽殿の墓の横に葬ってくれ」と遺言し、元禄7年(1694)10月12日、大坂で息を引き取るや、直ちに遺骸は近江(滋賀県大津市)の義仲寺に弟子たちによって運ばれ、義仲の墓と隣合うように芭蕉の墓が建てられたことは有名ですね。
https://ameblo.jp/kumagaya-labo/entry-12406428822.html 【斎藤別当実盛と芭蕉の句 紹介(埼玉新聞)】 より
《埼玉新聞 2018年9月20日(木)》
9月9日の文化講演会の様子が埼玉新聞に掲載されました。下記のYouTubeと併せてご覧ください。
芭蕉 「むざんやな甲の下のきりぎりす」 句碑建立地:妻沼聖天山北側(熊谷市妻沼)
斎藤別当実盛公敬仰会 文化講演会
「斎藤別当実盛と妻沼地域の句碑・俳諧文化」
講師:山下祐樹
場所:妻沼中央公民館
とき: 2018年9月9日(日)
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