https://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/rinri_33.pdf 【現代の実存哲学
第 4 章 現代を生きる人間の倫理】より
学習メモ 今回学ぶこと
実存主義という哲学は、人間が本来持っている生き生きした人間性や主体性を回復していこうとする思想だった。その展開について、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルの思想を通じて理解を深める。特に、ヤスパースの思想では、限界状況に直面しての生き方について、ハイデッガーの思想では、人間という存在のあり方について、サルトルの思想では、自由と責任について、考える。
ヤスパース/限界状況/実存的な交わり/
ハイデッガー/「死にかかわっている存在」/サルトル/
「実存は本質に先立つ」/自由と責任。
ヤスパースの思想 〜限界状況に直面して〜
ドイツの哲学者ヤスパースは、人間は限界状況に直面して挫折せざるをえないと説く。限界状況とは、死・苦しみ・争い・罪ざい責せきといった、自分の力ではどうすることもできない壁のような状況である。しかし、その挫折を通じて人間は、自己を越え、自己を支えてくれる超越者に気づき、本来の自己である実存にめざめる。
また、真の実存にめざめるためには、自分一人だけでは不可能であり、他者との本音のつきあい、つまり、たがいに率直に自己をさらけ出して問いかけ合う「愛しながらのたたかい」としての実存的な交わりが必要であると考えた。そして、それを可能にするのも人間のもつ理性であると考え、実存とともに理性を重んじた。
ハイデッガーの思想 〜「存在」とは〜
ドイツの哲学者ハイデッガーは、これまでの西洋哲学は「存在」というものを忘れてきたと説く。そして、人間を「存在が現れる」、「存在を理解する」ということで、「現存在」と呼ぶ。「現存在」としての人間は、ふつうは、存在とは何かなど考えずに、うわさ話や好奇心など、日常の出来事に心を奪われて生きている。そのような人間のあり方を、ドイツ語で「ダス・マン」(ひと)と呼ぶ。そして、「ダス・マン」として日常をおくっている人間が、「存在」について気づくのは、自分がいつか、誰にもかわってもらえずに、必ず死ぬということを、明確に自覚したときである、とハイデッガーは考えた。このように、「現存在」は、本質的に「死にかかわっている存在」であり、これを自覚することで、人間は本来のあり方に戻ることができると説いた。
サルトルの思想 〜「自由」の重さ〜
フランスの哲学者サルトルは、20 世紀を代表する実存主義者である。彼は、徹底した無神論の立場から、人間は、最初から本質が定まっている他の道具とは違い、最初にこの世に実存して、その後で自ら主体的に自己の本質をつくっていく自由な存在であると説く。そもそも人間の本質を決定する神がいないのだから、人間は、自分の自由な意志で英雄にも、卑ひ怯きょう者にもなれる、自由な存在なのだと考えたのである。このことをサルトルは「実存は本質に先立つ」と言っている。そして、人間は自由だからこそ、自分一人だけでなく、全人類に責任を負って生きる必要があると考え、その責任の重さをさして「人間は自由の刑に処せられている」と説いた。また、そのような責任をはたすために、人間は広く社会へとかかわって生きることが大切であると主張した。
コラム サルトルとボーヴォワールの夫婦関係
サルトルは 24 歳のとき、3 歳年下のボーヴォワールと「結婚」します。婚姻届を出したり、一緒に生活したりしない夫婦関係であり、お互いの自由と主体性を尊重した「契約結婚」というものだそうです。さて、ボーヴォワールは、フェミニズム(性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動)の哲学者としても有名です。主著である『第二の性』では「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と説いて、“ 女性らしさ ” と言われるものは生まれつきのものではなく、社会的・文化的につくられた約束事に過ぎないと主張します。
現代の日本でも性別役割分担の見直しが進んでいますが、サルトルとボーヴォワールの関係や、彼女の女性論など、みなさんはどのように考えるでしょうか。
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