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山中問答(李白) 書き下し文と現代語訳 - くらすらん
俗世間を逃れて山中に入り、自然と一体となっている境地を詠んだ詩。 <白文( 原文)> 問余何意栖碧山 笑而不答心自閑 桃花 ..
https://sirdaizine.com/CD/Rihaku03.html 【中国語朗読つき 李白 詩と生涯 CD-ROM 販売】 より
こんばんは。左大臣光永です。ゴールデンウィーク最後の一日。いかがお過ごしでしょうか?明日からまた仕事という方。ずっと年金生活で悠々自適だという方。いろいろだと思いますが…私は昨日「中国語朗読つき 李白 詩と生涯」をようやく発売することができました。すでに多くのご注文をいただき、反響の大きさに驚いています。ゴールデンウィーク明け(明日)からの発送となります。本日はこの商品にあわせて、「阿倍仲麻呂と李白」のお話をお届けします。
百人一首より
天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
大空を振り仰いで見ると、月が出ている。あの月は私の故郷、春日の三笠山に出ていた月と
全く同じ月なのかなぁ。
百人一首の中でも特に人気の高い阿倍仲麻呂の歌です。
ほかの歌はともかく、これだけは覚えているという方、かるたではこの札だけは取りたいという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
また百人一首をおぼえるのに、まずこの歌から覚え始めるという方が多いようです。
とにかく、人気の高い歌です。阿倍仲麻呂は遣唐使として中国に留学し、玄宗皇帝に仕え李白・王維・儲光羲といった詩人たちと交流を持ちました。
この歌は三十六年ぶりに仲麻呂が故郷に帰る際、明州(現在の浙江省寧波)で宴を開いてもらった、その宴の席で詠んだ歌です。
寧波【寧波】
阿倍仲麻呂(698-770)。716年阿倍仲麻呂は19歳の時、吉備真備や玄昉らとともに遣唐使として選ばれ、翌717年、長安へ向けて出発します。
遣唐使とは?
ここで「遣唐使」について見ておきます。
遣唐使は飛鳥時代から平安時代にかけて日本から唐に遣わされた使節です。
唐の文化や制度・先進技術を学ぶことが主な目的で630年(舒明天皇2年)犬上御田鍬を派遣したのを最初として、894年(寛平6年)菅原道真の建議によって廃止されるまで、途中空白期間をはさみながら10数回派遣されました。
(だだし回数には諸説あります)
どんな旅だったか?
渡航に用いた船は帆船で、風が無い時は帆を下し櫓で漕ぎました。
強度は弱く、風雨に見舞われ遭難することも多かったのです。
命がけの航海です。
はじめ2隻のちに4隻編成が基本となります。
遣唐使の長官を大使、副官を福使といい、通常大使・福使は一名ずつ。
以下、判官、録事、知乗船事、訳語、請益生、主神、医師、陰陽師、画師、史生などさまざまな役職があり、さらに留学生・留学僧らが加わりました。
一隻に百数十人が乗り込み、全体では数百人の規模だったといいます。
その行路は?使節団はまず摂津の住吉大社で航海の安全を祈ります。
遣唐使船には住吉大社を祀った祠があり、「主神(しゅしん)」という祈祷をする役職の者も乗り込んでいました。
難波津から船に乗って瀬戸内海を経て九州博多に至り、唐へ向けて出航します。
それ以降はいくつかのルートが推定されています。
北路
まずは壱岐・対馬を経て朝鮮の西岸沿いに北上し渤海から山東半島へ至る「北路」。
このルート「北路」は663年白村江の戦い以後、新羅との関係が悪化すると使われなくなりました。
南路
代わって使われるようになったのが五島列島から東シナ海を横断し揚子江の河口へ向かう「南路」です。
新羅との関係が悪化してからはこの「南路」が使われるようになりました。
遣唐使ルート
【遣唐使ルート】
そして長安へしかし、いずれのルートをとるにしても羅針盤も無い時代です。
正確に目指した場所に行きつくことは不可能でした。
4隻の船がばらばらの海岸にたどり着くこともありました。
岸に着いた一向はまず自分の位置を確認し、揚州など沿岸の都市に集合してから役所に名乗り出て、運河を北上して洛陽・長安まで向かいました。揚州~洛陽~長安
【揚州~洛陽~長安】
というわけで…716年阿倍仲麻呂は遣唐使に選ばれ、翌717年遣唐使多治比県守(たじひのあがたもり)に従って唐に出発します。
同じ遣唐使船の中には下道真備(しもつみちのまきび)…後の吉備真備(きびのまきび)の姿もありました。この時真備、22歳です。
長安入りした阿倍仲麻呂は中国風に「晁衡(ちょうこう)」と名乗りました。
そして太学(たいがく)という官僚養成機関で勉強し、科挙に合格します。
外国人としては異例のことでした。
晴れて唐王朝の官僚としてのスタートを切った阿倍仲麻呂は順調に出世を重ねていきます。
李白と王維と阿倍仲麻呂
733年、36歳の時、仲麻呂は入唐した第10次遣唐使とともに帰国を願い出ます。
しかし玄宗皇帝は帰国を許しませんでした。
すでに唐王朝の官僚となって10年以上。優秀な仲麻呂を玄宗皇帝は手放したくなかったのかもしれませんし、
唐王朝の機密を多く握っているため国外に出すのはまずいという考えもあったかもしれません。この間、仲麻呂は長安滞在中に李白・王維・儲光羲(ちょこうぎ)といった詩人たちと交流を持ちます。
おそらく長安の居酒屋で集まって、さかんに飲んだんじゃないでしょうか。
李白
「おらあああっ酒持って来い!俺様を誰だと思ってる。天才の李白さまだぞ」
阿倍仲麻呂・王維
「まあまあまあ太白殿、落ち着かれよ」
こんな感じで…。
再度帰国を願い出る752年、藤原清河(ふじわらのきよかわ)率いる
第12次遣唐使が入唐します。
副使はかつて仲麻呂とともに唐へ渡ってきた吉備真備です。
吉備真備は一足先に日本に帰国していました。
遣唐使としてはじめて選ばれた時、阿倍仲麻呂は17歳。吉備真備22歳。
お互い、紅顔の美少年でした。それから30数年の月日が流れ、お互い50代になっていました。
「おい真備!」
「あっ、仲麻呂!お前、おっさんになったなあ」
「お前もな」なんて言い合ったかもですね。
仲麻呂は「さすがに今回が最後の機会かもしれない」と、玄宗に帰国を願い出ます。玄宗皇帝は、おっしゃいます。
「貴君は長安に来て何年になるか」「はっ陛下、今年で35年となります」
「そんなにもか。誰しも故郷は恋しいもの。長い間引きとめてしまったな。
日本へ帰るがよい。よくこれまで我が王朝に仕えてくれた」「陛下、もったいないお言葉です」
送別
仲麻呂が帰国すると聞き、王維は歌を書き送ります。また李白や王維ら親しくしていた人々は、海に近い寧波まで見送りをし、送別会を開いてくれました。
寧波
【寧波】
その席で阿倍仲麻呂が詠んだとされるのが百人一首で有名なこの歌です。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
(大空を振り仰いで見ると、月が出ている。あの月は私の故郷、春日の三笠山に出ていた月と全く同じ月なのかなぁ)
すぐさま中国語に訳され、全員にまわされます。「おお…さすが晁卿衡」感嘆の声が上がりました。現在でも、西安市の興慶宮公園(こうけいきゅうこうえん)には阿倍仲麻呂の碑が建っています。
残念ながら、先日の尖閣諸島の問題で日中関係が悪化している所で、心無い落書きをされてしまいましたが…
李白の慟哭
こうして藤原清川率いる遣唐使一行は僧鑑真を伴って蘇州から出航しました。
蘇州
【蘇州】
蘇州から日本へ
【蘇州から日本へ】
しかしその途中、暴風雨が船団を襲います。鑑真の乗った船は日本にたどりつきますが、
藤原清川と阿倍仲麻呂の乗った船は難破していまいました。
「晁衡(阿倍仲麻呂)が死んだ」長安に知らせが届きます。
「なに!あの高潔な晁衡が!海に沈んだ!」…李白は親友晁衡を失った悲しみを歌に詠みます。
日本の友人、晁衡は帝都長安を出発した。
小さな舟に乗り込み、日本へ向かったのだ。
しかし明月のように高潔なあの晁衡は、青々とした海の底に沈んでしまった!
愁いをたたえた白い雲が、蒼梧山に立ち込めている。帰国ならず
しかし、仲麻呂が死んだというのは誤報でした。
阿倍仲麻呂の乗った船は安南(ベトナム)に漂着していました。
安南
【安南】
仲麻呂は苦心の末、755年長安に戻ります。この年安史の乱が起こりますが、仲麻呂はその後も順調に出世を重ねます。
ベトナム方面の最高長官である鎮南都護、安南節度使に任じられ玄宗についで粛宗・代宗三代の皇帝にわたって仕え73年の生涯を終えました。
二度と日本の地を踏むことはありませんでした。没後、日本からも正二品の位が送られています。
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中国語と日本語の朗読に加え、解説音声とにあわせて文字が画面に表示されることで、詩の内容や背景が、とてもわかりやすくなっております。
漢詩ファン・李白ファンはもとより、 詩吟をされる方、中国語を勉強中の方にも 必ず喜んでいただける内容です。
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日本語朗読・解説 左大臣光永
左大臣プロジェクト運営委員会代表・左大臣光永。主に古典や歴史の解説音声や朗読音声を販売しています。メールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」は読者数1万3千人。楽しく歯切れのよい語りで好評をいただいています。
仕事履歴
平成23年パナソニック映像(株)の社内セミナーで「おくのほそ道」の講演。東京都教育委員会の学習コンテンツシステムにて『平家物語』、『論語』、漢詩の朗読を担当。平成24年4月~9月TAMA市民大学TCCで「はじめての『平家物語』」講演。10月~3月「百人一首の歌人たち」講演。4月~「松尾芭蕉とその時代」講演。マリエッタ(株)スマートフォン用アプリ「華麗なる百人一首」で朗詠音声担当。三省堂(株)学校教科書の副読本付属CDで古典や漢詩の朗読担当。平成25年、広島県海の見える杜美術館にて菅原道真のナレーション担当。
東京都教育委員会の学習コンテンツとして採用されています
左大臣光永の漢詩の朗読は東京都教育委員会の学習コンテンツ(学校授業で使える教材)として採用されています。
中国語朗読 TOMOこと王 紀超
私は中国の北京から参り、日本に来てもう13年になりました、日本が大好きで、仕事も好きです。趣味は本を読む事、音楽を聞く事と文章を書く事です。たまに生徒さんから中国語のブログを見たいなので、ここで自分のブログを作りました、中国語を勉強している皆さんに何か役に立てばと思います。
どうぞ、宜しくお願い致します。
収録内容
導入
戴天山の道士を訪うて遇わず
峨眉山月の歌
秋 荊門を下る
早発白帝城
春夜洛城に笛を聞く
内に贈る
黄鶴楼送孟浩然之広陵
孟浩然に贈る
客中行
静夜思
将進酒
子夜呉歌
清平調子 其一
清平調子 其二
清平調子 其三
晁卿衡を哭す
月下独酌
魯郡の東石門にて杜二甫を送る
金陵の城西楼にて 月下の吟
宣州謝?樓餞別校書叔雲
独坐敬亭山
友人を送る
山中問答
山中にて幽人と対酌す
望天門山
汪倫に贈る
望廬山瀑布
収録時間: 約3時間
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