https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19981220,19991018,20021110,20021219,20031114,20070201,20080228,20101204,20111112,20121124,20121125,20121211,20141113&tit=%8A%9B&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%8A%9B%82%CC 【季語が鴨の句】より
藻疊はよきや鴨たち雨の中
山口青邨
昭和三十八年(1963)の作。自解に「東京西郊井の頭公園、雨の風景」とある。我が地元の公園だが、地元民としてはわざわざ雨の日に出かけたりはしないものだ。したがって、雨の日の鴨たちの様子は知らないのである。作者は、以前から予定されていた句会があったので、雨にも負けずに出かけていった。「冬のことであり、それに雨、私たち俳句を作るものの外は誰もいない」と書いている。以下、地元民にとっても貴重なレポートを書き写しておく。「私は弁天堂の軒下に入って池の鴨の写生を初めた。鴨はたくさんいた。こんなひどい雨の中で鴨はどうしているのであろう。冬も枯れない藻、河骨のような広い葉の水草、睡蓮などべったり敷きつめて、藻疊(もだたみ)をつくっている。鴨はその上にいた。藻のない自由な水面には一羽もいない。眼を見はるとそれも鴨、これも鴨、頭が黒いので水草の中ではまぎらわしい。時々嘴(くちばし)で藻をくわえてはぶるっと振って、千切って食べている。水の中より藻疊のほうが暖かいのであろうか」。『自選自解・山口青邨句集』(1970)所収。(清水哲男)
鴨すべて東へ泳ぐ何かある
森田 峠
すべての鴨が、いっせいに同じ方角に泳いでいく。そういうことが、実際にあるのだろうか。あるとしたら壮観でもあるし、たしかに「何かある」と思ってしまうだろう。群集心理。野次馬根性。はたまた付和雷同性。そうした人間臭さを、鴨にも感じているところが面白い。作者には、この句以前に「ねんねこの主婦ら集まる何かある」があり、これまた面白い。こちらのほうは、たしかに「何かある」から集まっているのだ。その「何か」が知りたい。作者は「鴨」よりも「主婦」よりも、このときに野次馬根性を発揮している。両句のミソは「何かある」だが、この表現は作者の特許言語みたいなものだろう。誰にでも使える言葉であり、使いたい誘惑にもかられるが、使って句作してみると、なんだか自分の句ではないような気がしてしまう。俳句では他にも、こんな特許言葉が多い。たまに起きる盗作問題も、多くは特許言語に関わってのそれだ。なお、単に「鴨」といえば冬の季語。この時季には「初鴨」や「鴨来る」が用意されている。そんなに厳密に分類するのも可笑しな話だけれど、一応そういうことになっているので。『逆瀬川』(1986)所収。(清水哲男)
吊るされて鴨は両脚揃へけり
土肥あき子
季語は「鴨」で冬。食用に、両脚をくくられ吊るされている鴨だ。既に臓器は取りだされ、毛もむしられて丸裸にされている。両足を「揃へ」てくくったのは人間であるが、作者には、そうは見えなかった。こんなにも残酷で無惨な仕打ちを受けた後にあっても、鴨は最後の力を振り絞って、おのれの矜持を保つかのようにみずからがみずからの意志で脚を揃えたと見た。いや、そう見たかったのだ。なんという優しさだろう。一寸の虫にも五分の魂。掲句には、この言葉と呼応しあう弱者への深い共感が込められている。句を読んで、すぐに思い出したことがある。小学生の頃、学校から戻ると父が庭で焚火をしていた。焚火それ自体は珍しくもなかったが、見てしまったのだった。私が毎日餌をやったり運動をさせたりしていたニワトリの一羽が、焚火の上に逆さ吊りにされ、毛をむしられている姿を……。途端に、頭の中がくらくらっとなり、真っ白になった。夕飯はすき焼きだったけれど、母からいくらすすめられても「食べたくない」と頑強に言い張って、一口も食べなかった。この句を読むまでは思いもしなかったけれど、あのときのニワトリもまた、みずからの意志で両脚をきちんと整えていたに違いないと思えてくる。いや、やはりそう思いたいのだ。三十羽ほどいたなかで、ヤツがいちばん元気で恰好いい雄鶏だった。「朝日新聞」(2002年11月9日付夕刊)所載。(清水哲男)
海くれて鴨のこゑほのかに白し
松尾芭蕉
貞享元年(1684年)十二月の句。前書に「尾張の国あつた(熱田)にまかりける此、人びと師走の海みんとて船さしけるに」とある。寒い師走の夕暮れどきに海を見るために船を出すとは、何と酔狂なと思ってしまうが、これまた風流の道の厳しいところだろう。もはや日は没していて、夕闇のなかを行き交う船もなし。しばらく櫓を漂わせた静寂にひたっていると、不意にどこからか「鴨のこゑ」が聞こえてきた。そちらのほうへ目を凝らしてみるが、むろん暗くて姿は見えない。もしかすると、空耳だったのだろうか。そんな気持ちを「ほのかに白し」と詠み込んでいる。この句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれるけれど、芭蕉当人には、そうした明確な方法意識はなかったのではないかと思う。むしろ、空耳だったのかもしれないという「ほのか」な疑念をこそ「白し」と視覚化したのではないだろうか。聞こえたような、聞こえなかったような……。そのあやふやさを言いたかったので、見られるとおりに、あえて「五・五・七」と不安定な破調を採用したのではなかろうか。そう読んだほうが、余韻が残る。読者は芭蕉とともに、聞こえたのか聞こえなかったのかがわからない「白い意識」のまま、いつまでも夕闇につつまれた海を漂うことができる。(清水哲男)
猟夫と鴨同じ湖上に夜明待つ
津田清子
季語は「猟夫(さつお)」と「鴨(かも)」で、いずれも冬。「猟夫」は「狩」に分類する。狩猟解禁日の未明の情景だろう。息をひそめ手ぐすねをひいて「夜明」を待つ猟夫たちと、そんなこととは露知らぬ鴨たちとの対比の妙。標的をねらうものと標的にされるものとが「同じ湖上」に、しかも指呼の間にいるだけに、緊迫感がひしひしと伝わってくる。私は鴨猟をやったこともないし、見たこともない。銃も、空気銃以外は撃ったことがない。だが、掲句のはりつめた空気はよくわかる。きっと過去のいろいろな細かい体験の積み重ねから、待ち伏せる者の心の状態がシミュレートできるからだと思う。自治体によって狩猟解禁日は違うし、解禁時間も異る。なかには午前6時7分からなどと、ヤケに細かく定めたところもあるという。そしてこの解禁時間の直後が、鴨猟連中の勝負どころだそうだ。時間が来たからといって、遠くにいるのを撃っても当たらない。でも近くに来すぎると、今度は散弾が広がらないので仕留めそこなってしまう。しかし解禁時間になった途端に、必ず誰かが撃ちはじめるので、うかうかしていると逃げられる。猟夫たちはみな鴨の習性を知っているから、句のようにじっと夜明けを待つ間は、自分なりの作戦を頭の中で組み立てめぐらして過ごすのだろう。そういうことを想像すると、なおさらに、いわば嵐の前の静けさにある時空間の雰囲気が鮮かに浮き上がってくる。句とは離れるが、ずっと昔に「狩」といえば「鷹狩」のみを指した。現代の俳人・鷹羽狩行の筆名は、おそらくこの本意にしたがったものだろう。本名を「高橋行雄」という。山口誓子の命名だと聞いたことがあるが、なかなかに洒落ていて巧みなもじりだ。『礼拝』(1959)所収。(清水哲男)
鴨沢山呼んであります来ませんか
ふけとしこ
鴨は普段でも目にする鳥だが、1月から4月にかけて越冬のためシベリア付近から飛来するという。マガモ、オナガ、コガモ、同じ鴨でもよく見ると首の長さや身体の大きさに違いがあることがわかる。春近い陽射しを受けて鴨達の羽根がきれいに光っている。池に群れている鴨は誰かに呼ばれて来ているわけではないが、こう書かれてみると鴨好きのあなたのために作者が集めてくれたみたいだ。こんな俳句が載った吟行案内のハガキを受けとったら、何を置いてもいそいそと出かけそう。例えば男の子がこの句の案内を見れば、レストランに可愛い女の子達が肩をぶつけあいながら座っている場面を想像するかもしれないし、狩猟好きのおじさんなら鉄砲をかついですぐさま出掛けて行きそうだ。読み手の立場で楽しい想像がいくらでも広がっていく。このふくらみは呼びかけの間の小休止が切れとして効果的に効いているからだろう。そして「鴨」は生活に密着したところで様々な成語になっているので、読み手の連想によって多義的な表情を見せることができる。動植物に親しい作者は、彼らの生態とともにその名前が多彩なイメージを生み出す秘密を知っているようだ。「仏の座光の粒が来て泊まる」『ふけとしこ句集』(2006)所収。(三宅やよい)
椿落ちて椿のほかはみなぶるー
小宅容義
光の春と呼ばれる二月の空は明るく、それでいて冬の冷たさをとどめた美しい色をしている。真っ赤な椿が地面に落ちたあと、椿を見ていた視線を空に移したのか、それとも水際にある枝から水面へ花が落ちたのか。作者の目に青が大きく広がる。ついさっきまで咲き誇っていた花が何の前触れもなく首ごともげて地面に落ちる。その突然の散り方が、椿が落ちたあとの空白を際立たせる。散る椿に視点を置いて詠まれた句は多いが椿が散ったあとの空白を色で表現した句はあまりないように思う。ブルーではなく「ぶるー」と平仮名で表記したことで今までに自分が見た水色が、空色がつぎつぎ湧き上がってくる。ヘブンリー・ブルー、ウルトラマリン、群青色、などなど、どの「ぶるー」が赤い椿に似合うだろうか。それとも「ぶるー」は色ではなく椿を見ている人の気分だろうか。いったん緩んだ寒気がぶり返したこの頃だとぶるっとくる、体感的な寒さも思われる。リフレインの音のよろしさと最後のひらがなの表記が楽しい。作者は大正15年生まれ。「鴨落ちて宙にとどまる飛ぶかたち」「新らしきほのほ焚火のなかに淡し」など時間の推移を対象に詠みこんだ句に魅力を感じた。『火男』(1980)所収。(三宅やよい)
羽ばたきの一つありたる鴨の水
石井那由太
首を埋めて丸くなったまま漂っている浮寝鳥、まこと気持ちよさそうでどんな夢を見ているのかと思うが、脚は常に動いており熟睡することはないらしい。それでも冬あたたかな池の辺で日向ぼっこしつつぼんやりしていると、鴨ものんびりしているように見える。そんな時、突然水音がしてそこに日差しが集まり一羽が羽ばたく。そしてきらきらとした音と光は一瞬で消え、そこは静かな鴨の池にもどるのだが、この句の下五が、鴨の池、だったら、一気に邪魔なものがいろいろ見えてきてどうってことのない報告になってしまう。鴨の水、という焦点の絞り方が、観たままでありながら一歩踏み込んで読み手をとらえるのだろう。『雀声』(2010)所収。(今井肖子)
太き尻ざぶんと鴨の降りにけり
阿波野青畝
羽ばたきが聞こえ水しぶきが明るく飛び広がる様が見える。鴨にしてみれば、着いた~、というところだろうか。ふっくらこじんまりして見える鴨だが、羽根を支える胸筋もさることながら、地上を歩く時左右に振れてユーモラスな尻は確かに立派だ。太き尻、ざぶん、降りにけり、単純だけれど勢いのある言葉が、渡り鳥のたくましさとそれを迎える作者の喜びを表していて気持ちの良い句である。先月、渡ってきたばかりと思われる鴨の一群に遭遇した。そのうちの何羽かは、等間隔に並ぶ細い杭の上に一羽ずつ器用に乗って眠っていたが、その眠りは、冬日向で見かける浮寝鳥のそれとは明らかに違ってびくともしない深さに見えた。初鴨だ、というこちらの思い入れだったかもしれないけれど。『鳥獣虫魚歳時記 秋冬』(2000・朝日新聞社)所載。(今井肖子)
百の鴨集まる何も決まらざる
大島雄作
小春日の池のほとりでぼんやりしているのは気持ちがよい。しかしただの日向ぼこりに終わってしまってはやはりいけないか、と鴨の陣に近づいてしばらく見ていると、時々仲間から離れてすねているように見えるのがいたり、大勢で一羽をいじめているように見えたりする。しかしもう少し寒くなると、凩の道を避けた日溜りに、みんなで上手に陣を張って浮き寝している鴨。あのふっくらした姿からは想像もつかないほどの過酷な旅をして生き抜いてきた彼等に、特にリーダーはいないという。鴨の池がありありと見える掲出句だが、すねるのも、いじめるのも、群れれば序列ができて集まっても何も決まらないのも、愚かなヒトの次元の話なのだろう。『大島雄作集』(2012)所収。(今井肖子)
海暮れて鴨のこゑほのかに白し
松尾芭蕉
貞享元年(1684)旧十二月中旬。『野ざらし紀行』の旅中、尾張熱田の門人たちと冬の海を見ようと舟を出した時の句です。この句の評釈をいくつか読んできた中に、『「鴨の声が白い」と、音を色彩で表現しているところに新しさがある』という考察があります。現在注目されている視覚と聴覚の共感覚を援用する考え方もあり、ナルホド、と一応理解はできるのですが腑に落ちません。まず、「鴨の声が白い」ということがわかりませんし、そう解釈するなら、中句と下句が主語と述語の関係になり、五・五・七の破格が凡庸になります。むしろ、五・五・七には必然性があり、舟を出して詠んでいるその実情に即して読みたいです。「海暮れてほのかに白し鴨のこゑ」ではなく、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」にした理由は、時系列の必然性にあるのではないでしょうか。港から舟をこぎ出すほどにだんだん海は暮れてきて、遠方は闇の中に沈んでゆく。すると、沖の方から鴨の声が聞こえてきた。その声の主の方を凝視していると、暗闇に目が慣れてきて、「ほのかに」白いものが見える。あれは、翼か雲か幽かな光か。「こゑ」を聞いたあとに、しばらく目が慣れるための時間が必要であり、目で音源を探っている、その、時の経過を形容動詞「ほのかに」で示しているように思います。このように読むと、嘱目の句であり、五・五・七の破格にも必然性が出てくると思うのですがいかがでしょうか。なお、世阿弥は『花鏡』の中で、「幽玄」とは、藤原定家の「駒止めて袖打ち払ふ陰も無し佐野の渡の雪の夕暮」にあると説いています。この歌には「幽玄」の三要素が描かれているように思われます。それは、輪郭が曖昧で、奥行きのある、白黒の世界ということです。雪が降っている夕暮れなので色彩は白黒で輪郭が曖昧になり、川の渡しですから奥行きもあります。掲句の芭蕉は、幽玄という中世の美意識を念頭に置いていたかどうか、定かではありません。それでも、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」は、奥行きのある輪郭が曖昧な白黒の世界を、鴨の声が気づかせてくれています。『芭蕉全句集』(講談社)所収。(小笠原高志)
世の中は夕飯時や石蕗の花
篠原嬉々
ふと「時分どき」という言葉を懐かしく思い出した。お隣に回覧板を回すのも、友人に電話をするのも「時分どきだから失礼になる」などと使っていた。広辞苑では「ころあいの時。特に食事の時刻についていう」とあるが、現在ではあまり使われていないようだ。時分は朝昼夕の区別がないが、掲句は夕飯時とある以上、午後6時~8時くらいの間だろうか。冬の日はすっかり落ち、それぞれの家の夕飯の匂いやにぎわいを漂わせている頃である。気ままな一人者を気取っていた時代には、なんとなく疎外感を覚え世間様にほんの少し拗ねてみたくなる時間帯だった。掲句は「世の中」と大げさに切り取ったことで、自身の嘆きをまたさらに眺めているような距離感が生まれ、深刻さを遠ざけた。それでも、路地に咲く石蕗の黄色が今日はやけに目にしみる。〈しばらくは流るる顔になりて鴨〉〈年の市より鳥籠を提げ来たる〉『踊子』(2012)所収。(土肥あき子)
後ろ手に歩むは鴨の気持ちかな
こしのゆみこ
からりと晴れあがった気持ちのよい道を何も持たずに、手を後ろに回してぶらぶら歩いているのだろう。陸に上がった鴨は羽を後ろに揃え、水かきをつけたオレンジの足でよたよた歩く姿がユーモラスで可愛い。「気持ちかな」だから手を使わずに足だけを推進力に進むその動き、おしりが自然と左右にふれる動作に鴨の気持ちを味わっている。直喩や見立てだと対象に距離感があるが、自分の気持ちにぐっと引きつけて詠んだことで後ろ手に歩く人の姿とよたよた歩く鴨が自然に重なる。なんだか私も後ろ手で歩くたびに鴨の気持ちになって歩けそうな気がする。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)
http://sogyusha.org/ruidai/04_winter/kamo.html 【鴨、鴨の池、鴨鳴く】 より
鴨はカモ目、カモ科の鳥のうち全長35センチから60センチほどの水鳥。オスは雌より大型で、青、黒など美しい色をしている。マガモ、コガモ、ヨシガモ、トモエガモ、スズガモなどは秋から冬にかけて北の地から日本に飛来する渡り鳥で、このため冬の季語になっている。しかしカルガモ(軽鴨)は留鳥(季節的な渡りをしない鳥)なので、俳句の季語にはならない。カモ目の大型種のガン(雁)は秋の季語。
海暮(くれ)て鴨の声ほのかに白し 松尾芭蕉
鴨啼(なく)や弓矢を捨てて十余年 向井去来
(注)去来は武士であった。俳句にのめり込んで十余年、という感慨。
萍(うきくさ)に何を食ふやらいけのかも 服部嵐雪
鈴鴨の声ふり渡る月寒し 服部嵐雪
明けがたや城を取り巻く鴨の声 森川許六
水凝(こ)りて鴨鳴く星の林かな 椎本才麿 (注)凝りては、凍りて。
うねうねと船に筋違(すじか)ふ鴨の声 上島鬼貫
遠干潟沖はしら浪鴨の声 上島鬼貫
うち入りて先ず遊ぶなり池の鴨 立花北枝
水底を見て来た顔の小鴨かな 内藤丈草
鴨の毛を捨てるも元の流れかな 炭太祇
佐保川に鴨の毛捨てるゆうべ哉 与謝蕪村
鴨遠く鍬洗ふ水のうねりかな 与謝蕪村
ただ一羽離別れて行くか鴨の声 大島蓼太
鴨なくやはつかに小田の忘れ水 勝見二柳(注)はつかには、僅かに。
遠浅や鴨のすり飛ぶ夕明り 吉川五明
毛を立てて驚く鴨の眠りかな 黒柳召波
日に鴨の白沙をあゆむ尾ぶりかな 加舎白雄
鴨啼くや浦淋しくもたつ楸(ひさぎ) 加舎白雄
(注)楸はアカメガシワのこととされる。
湖を鴨で埋めたる夜あけかな 井上士朗
鈴鴨やころころ落ちる草の上 栗田樗堂
鴨の中よけてあちこち小鴨かな 栗田樗堂
月の夜をきたなくするな鴨の声 岩間乙二
鈴鴨の虚空に消る日和かな 成田蒼虬
汲む水の波をよけ行く小鴨かな 成田蒼虬
何処からか出て来て遊ぶ小鴨かな 成田蒼虬
朝々にかぞへる池の小鴨哉 成田蒼虬
朝川にひたして赤し鴨の足 成田蒼虬
夕雲のてるや藪根のひとつ鴨 成田蒼虬
我門に来て痩鴨と成りにけり 小林一茶
鴨よかもどつこの水にさう肥えた 小林一茶
古利根や鴨の鳴く夜の酒の味 小林一茶
鴨なくや汐さす堀の行き溜り 桜井梅室
風呂に居て鴨の料理の指図かな 桜井梅室
なく千鳥帆にくるまつて寝る夜かな 井上井月
竹薮の裏は鴨鳴く入江かな 正岡子規
一つ家に鴨の毛むしる夕(べ)かな 正岡子規
内濠に小鴨のたまる日向かな 正岡子規
夜更けたり何にさわたつ鴨の声 正岡子規
鴨啼くや上野は闇に横(た)はる 正岡子規
鴨提(げ)て雪間出で来し丹波人 松瀬青々
石垣に鴨吹きよせる嵐かな 河東碧梧桐
鴨の浮くあたり日ざして霧深し 臼田亜浪
枯蓮を離れて遠し鴨二つ 原抱琴
鴨うてばとみに匂ひぬ水辺草 芝不器男
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