https://hashira.exblog.jp/18961704/ 【人生を解決する・その26・固定観念から脱出する!】 より
前回のブログで”眠らなければならない”というのも思い込みですよ・・・と書きましたが、
人間というのはこういう思い込みでがんじがらめに縛られているんですね。
それは自分だけでが・・・なく、他人や自分の家族や子供に対してもその思い込みで縛ろうとするからまあ、時にたちが悪いです。
いわゆる常識とか、ひとりよがりの倫理観や道徳観や正義感なども時にとてもうざいし、困ります。
そもそも猿から人間になり言葉を発明したあたりから人間の無意識の上に意識がのっかりそれを脳が統括するという、いわゆる人間の脳と体との共同作業ができてきたあたりから人間はその自然な行動に脳(頭)が口を挟むようになりましたね。
そして、共同のオキテ(掟)や共同の規範が生まれそれに基づいた社会の秩序なるものを脳のそれらが統括し始めたあたりから人間はおかしくなったかもしれませんね。
最初は極めて単純なフレームだったものがどんどん強い拘束力をもちどんどんいかめしくなりさらに”意識と体”とを脳が管理しようとする。
しかし、ほんとうは体が自立しているから脳との確執が起きストレスになるのですね。
でももう現代人は思い込みにがんじがらめに縛りあげられていますよ。
あれもこれも脳(頭の考え)が口をはさみ体の自然性や本能に基づく欲求までも脳的説明(言い訳)をつけなければいけない自分になっちまった・・・・と言うことですね。
ホントはね人間の無意識には説明がつかないけど・・という変数XYZやポテンシャルがもう、たくさん散らばっているのにそれを意識の言葉という狭いフレームの中で取り扱おうとすることそのものがもう可能性を潰しているのですがね~!
このブログを読んでくださる方は一度ご自分の固定観念や既成観念を精査してみてください。
つまり”こうであらねばならない”ということをなるべく洗い出して、ほんとうにそうか、よーく考えてみてください。
おそらくいろんな思い込みに捉われていきていると思いますよ。それが外れてくるとなんと楽で楽しい事か!!
思い込み、つまり意識がこうであらねばならないと私たちに指令することは、逆に指令しなければならないことでもあります。
しかしそれはもともとの私たちの体の自然性に反するものだから・・・こそ指令しなければならないのですね。
もともとの私たちの人間性と自然性に反するものは、当然のごとくそこに”ストレス”を産みますから私たちはなんと多くのストレスを抱え込んでしまっているのでしょうか・・?
なになにするべきであるとか なになにであらねばならないとか みんな取っ払っちゃいましょう。
例えば子供の頃の”食べ物を好き嫌いしてはいけない!”というのも固定観念ですよ。
”友達と仲良くしなければならない”というのも固定観念ですね。
健康神話もオーガニック信仰も・・。私たちのあいだで一番早く認知症状態になった友人は
純粋なるオーガニック信者で無農薬と玄米食を猛信していた人です。
彼女は潔癖ですべてに対して不信のかたまりの人です。きっと頭で食べていたんだね・・・。
医療への依存と盲信も 男どもの女性に対する幻想も 母性信仰は、もうマザコン男の大量生産で、現代社会の”経済信仰”も 安い、とかお得というのも固定観念のマジックですね。
あれもこれも・・・etc・・・!!!もうすべてが思い込みですね~・・・トホホ!
数えだしたら限りないね~!つまり現代の人間は自分の体で確かめ 自分の頭で考える…ということを失ってしまった結果ですね。
子供は自分の味覚を好き嫌いしながら磨いているのに親がそのチャンスを奪うのです。
友達ともその時々の感情を交換すればいいだけであり 仲良くてもいいし 喧嘩する時もあるし むしろ 人間の脳には瞬間的に、反射的に相手を警戒し攻撃する本能が内蔵されていますから、喧嘩をしながら喧嘩をしてこそ、その相手がほんとうに自分に友好的かどうかが
わかるのであり、喧嘩をしてこそ 相手の本質が見えてくるのですよ。
仲良くすることを優先させる教育こそ有害だと思いますよ。
そうではなく子供は子供どうし奔放でよろしい!
まあ一事が万事、こういうことというかそういう思い込みの地獄に放り投げられているから
私たちは生きづらいのであります。
眠らなければならない・・と言う固定観念からぬけでたら思いがけない時間が手に入ります。
私もあと10年くらいしか活動できないとして365x24x10=87600時間しかない!
そのうち一日6時間寝るとして21900時間をひいた65700時間しかない・・・!!
だったら眠れない時間も貴重な時間として有効利用しよう・・・っと!
今日は固定観念について書きましたけど人間は、それぞれ自分で考える力があることと同時に自分で判断し決断する力もあります。
このところきになっていた人たち~してもいいですか・・?といちいち許可をとろうとする人たちですが、それももうやめましょう!
この世の中はすべて自分が良しとしたことはそれでいいんです。
いちいち許可なくしては動けない自分から脱出してください!
https://hashira.exblog.jp/18965374/ 【人生を解決する・その27・固定観念から脱出する!その2】 より
人間は、集団で生きるという事と自分という”個”を生きるという事とを”止揚”するということでこれまで生き延びてきました。
止揚・・ということは,二つの矛盾するもの、或いは相対するものを◎高次元で統合する・・ということです。
実はこの”高次元で”と言うことこそがとても重要なのですが、社会の実体は往々にして
・低次元で縛り合う・・・という事が横行した、人間社会となっています。
◎高次元で統合する・・・ということは双方が、解放された次元であり双方が成長する解決の次元でもあるのですが、それには、感情に捉われず高い知力や知性の考察が必要で、その時、自分の自我の在り様を見つめる必要があります。
しかし、自分を突き離し客観的にみるという、厄介なことを放棄した人間は縛り合い、貶めあい、ブレーキをかけるということのほうへと走ります。
その原因となっていることについてちょっと飛躍するのですが私は、そのひとつが
・人間が創造性を失いつつあるからではないかな~と思っています。
そしてもう一つの原因は
集団と個を止揚できないために個々の人間の内面に内在する・不安と恐れが個々に局地化しておりそれが個人の中で進行しているのが現代ではないかとおもっています。
つまり、テレビの出現以来社会が・情報社会へと移行する中、これまで以上に多量の情報が飛び交い入手できることが逆にこれまでの、個々人が◎体で収取したなま情報で生きるのではなく、観念的な人間、頭でっかちの人間を創出してゆき人間の生きた関係がどんどん疎外されていっているように思えます。
その人間たちの内部で、観念化されている恐怖や不安が実体験をしながら克服されていくのではなく、観念の中で処理されてゆくためにその観念があたかも社会の実態のように勘違いされてその人間の内部で蓄積されていく。
そういうことが個々の人間の内部において進行している・・・・のではないかと私は思っています。
また、人間が創造性を失いつつあるというのは便利で清潔な社会では、当然のごとく人間の創造性は退行していくからです。
日々自分が知恵使い、工夫をして生きるということが必要なくなるからです。
与えられたもので十分まかなえる日常はもしかしたら、人間の心理的荒廃の温床になる可能性があると私は思っています。
人間は常に、ワタクシとワタクシ以外の人間とを止揚しながらしか生きれません。
その時◎高次において統合するためには自分と相手との客観的関係を検証し知恵を使い
考察して解決してゆく・・・という創造的作業が必要ですね。
その創造的作業を放棄していませんか・・・と私は思うのです。
人間そのものも、常に変化していますし、その人間がつくる社会も常に変化しています。
そういう変化の中でそれを高次に統合していくには創造力がとても大切です。
しかしその創造力を放棄した人間たちがその安直さで行き着く先は疑心暗鬼にみちた自己防衛の砦の中に自分を潜ませていきることです。
自分の殻に閉じこもり、自分の感情にしがみつき自分を高次元へとジャンプさせることを放棄した人間は自分のおもいこんだ事(固定観念)にしがみつき疑心暗鬼に囲まれながらも
◎その自分の疑心を疑わない・・・というピエロになってゆきます。
おかしいねぇ~!
でも、その根本的な原因は遊ばなくなった子供達
子供から自由な遊びをうばった社会だと私は思っています。
管理され見張られて育った子供達が 自由を創造性を奪われてしまっからだと思います。
生きることは創造の遊びのフィールドに自分がいるということで、つまり日常のすべてのことの中に創造的遊びをみつけることこそが家事をするにも、ご飯をつくるにも遊びや工夫をする仕事をするにも、書類一枚つくるにも、売るための方法を考えるにもいつも、創造的な遊びをしながら日々新しくオモロく生きる極意ですね。
頭を柔らかく、柔らかくするために既成観念や固定観念から抜け出して自由、自在になりましょう。
ほんとに自由で奔放でいいんですよ!!
自由自在に生きているそういう人たちと出遭え 遊べたらホントに面白かろうと思いますよ!
https://tabi-labo.com/222767/freedom-individual-sensibility 【感性が豊かな人に共通する「8つの特徴」】 より
1.物事を色々な角度から見る事ができる
自由
「感性豊かな人」は物事を一つの方向から見るのではなく、横からも後ろからも斜めからも見ようとします。
そしてさらに、表面的な固定観念にはとらわれることなく、自分なりの目で物事を見て自分の心で深く考えようとする特徴があるようです。
2.想像力が無限に広がっている
感性豊かな人は、物事を見て得た情報だけではなく、そこから広がっていく想像の力が人一倍に強いのが特徴です。白いものを見ても赤だったらどうだろう、違う形だったらどうだろう、違うストーリーだったらどうだろうと、どんどんイメージが湧き上がり広がっていくようです。
人が思いつかない事を考える事ができ、想像するだけで感性が豊かな人は常にワクワクして楽しそうでしょう。
3.人とは一歩違う創造力がある
人が思いつかないような事を思い浮かべられる感性の持ち主は、その思いついた事を形に創造する力を持っています。決まった形のものを決まった使い方をするのではなく、違う形にして他の使い方にしてしまえたり、新たに考えて創り出してしまえたりするのです。しかも楽しんで。
自分で思いついたものを形にする事ができるのも感性豊かな人の特徴です。
4.その人オリジナルの表現ができる
感性豊かな人は頭で考えた事だけを表現するのではなく、心に浮かんだ事を素直に感じとり自分なりの感覚で表現することに長けているようです。
それは斬新な色使いの絵であったり、個性的なファッションだったり、人を引き付ける言葉や文章だったりと人様々ですが、人とは違って感心したくなるような表現ができるのです。
5.自分の心に浮かんだ事に正直である
感性豊かな人は「理屈」で物事をとらえるということはあまりないようです。頭で考えるのではなく、もっと深く心に沸き上がった思いを敏感に感じとり、正直に受け止めます。
思った事に対して理由をつける事はなく、自分の直感を信じることができるのが感性豊かな人の特徴でしょう。
6.子供のような純粋な心を持っている
感性豊かな人は純粋の心を持っている事が多いようです。綺麗なものを見ては綺麗と感じ、悲しい時には子供のように泣き、嬉しい時には心から喜び、楽しい時には思い切り笑います。心と体が一つになって、心で受け止めた事が体中から溢れてきます。
純粋なので、汚れた事や汚い言葉、汚い考えには近付こうとしないでしょう。感性豊かな人は子供のように純粋です。
7.五感をフルに稼動させている
感性が豊かな人は自分の五感を全て使って、対象からの情報を受け止める力が強いようです。逆にいえば五感を全て使うからこそ感性が豊かなのかもしれません。
自分の目で見て、香りを感じ、音を聞いて、触れた感触を感じ、味わう。人から受けた情報ではなく自分自身で感じ取りイメージを広げていきます。
8.目には見えないものをも感じ取る
人の心や思いは、五感では感じる事は出来ませんよね。しかし、感性豊かな人は目には見えない人の心の動きや感情の流れを敏感に感じ取ります。
もちろん表情が暗かったり、声のトーンが低いなどすれば誰にでも「あの人、落ち込んでいるのかな」と分かる事はできます。感性が豊かな人は、相手が表さない隠された感情を鋭く読むまたは読もうとする力があるようです。
相手が何を求めているかをわかってあげられるので感性が豊かな人は、優しい心を持っているでしょう。
感性豊かな人は、情報や社会にはあまり染まらずに綺麗な心を持っているという特徴が共通して見られるようですね。日常の生活において意識を変えるだけでも感性は磨かれていけそうです。
『感性』という能力 http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2012/03/post-234.html より
「あの人は鋭い感性を持っている」
と
「あの人は豊かな感性を持っている」
の違いはなんだと思いますか?
ほとんど似たような意味?
ではなぜ「鋭い」と「豊か」という形容詞を使い分けるのでしょう?
ということで、またもや言葉にこだわって考えてみましょう。
『感性』を辞書で調べると、
-----------------------------
1. 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。
2. 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。
-----------------------------
(デジタル大辞泉より)
と載っています。
『感受性』も類義語ですが、こちらは「感受性が強くて傷つきやすい」のように、ネガティブな意味も含む、より広い概念のようです。
ここでは「能力としての感性」について考えますから、基本ポジティブ表現である『感性』を使うこととします。
さて、上記の辞書的定義にもあるように、感性は能力のひとつと言えます。
しかしその能力の高さを表現する際に「鋭い」と「豊か」という2種類の形容詞がある。
これは何を意味し、どう使い分けるべきか。そしてこのふたつの形容詞によって表現される能力をどう活かし、伸ばすべきか。
これが今回のテーマです。
まず、定義と使い分けについてヒトコトで表すと、前者が感性の質(の高さ)、後者が量(の多さ)を表していると考えられます。
無線機のメタファーで表現すれば、「感性が鋭い」とはアンテナの感度が高い(鋭敏)ということ、そして「感性が豊か」とはアンテナの種類が多いということです。
アンテナの感度が高いから、微弱な電波を拾うことができる。
アンテナの種類が多いから、様々な帯域の電波を拾うことができる。
これを人間に戻して考えると、「人が気づかないような些細なことに気づく」のが「感性が鋭い」ということであり、「たくさんの刺激に反応する」のが「感性が豊か」ということ。
能力という視点で言えば、「感性が鋭い」とは『他人が面白いと思わないようなことを面白いと思える力』が、そして「感性が豊か」とは『様々なモノゴトを面白いと思える力』が備わっている、と言えるでしょう。
少し脱線しますが、「豊か」とはそもそも『量』の多さを表現する形容詞です。
『豊作』という言葉からもそれは明らかです。
ですから(これは以前にも書いたような気がしますが)「発想が豊か」とは『たくさんのアイデアを考えることができる』状態を表します。
これまた「発想が鋭い」という質の問題と混同する人が多いのでご注意のほど。
さて「感性が鋭い」と「感性が豊か」、これはどちらも私たちにとって重要な能力です。
他人が面白いと思わないようなことを面白いと思える力は、『ひとつのことを深く探求する力』とも言い換えられます(オタク気質とも言えるかも(笑))し、様々なモノゴトを面白いと思える力は『広い視野で様々な情報に関心を持つ力』(これまた悪い表現をすれば浮気性?(笑))でもあります。
まさに現代のビジネスパーソンに求められる、『イノベーションを起こすための情報リテラシーのインフラ』と言ってもいいかもしれません。
しかし、これには個人差があります。
人によって「感性の鋭さと豊かさ、どちらがより強いか」が異なるのです。
オタク気質と浮気性、あえて言うとあなたはどちらでしょうか。
私はオタク気質です(笑)
ただ、通常のオタクよりオタクのジャンルは多いため、浮気性の側面も否定できませんが。
こうして自分自身の感性を質と量の側面で比較すれば、強みを活かす分野は何か、また弱みを克服するために意識すべきことは何かが見えてくるはずです
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