追いやられた神

「奈良七重七堂伽藍八重ざくら」から連想するのは

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6913061/   【スサノオ】


Facebook・清水 友邦さん 投稿記事 「追いやられた神」

アラハバキ神は大和朝廷の文献である『記紀』および『風土記』などにはまったく登場しない出所が不明な謎の神とされています。

アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)の名前がついた神社が東北にいくつかあります。

宮城県大崎市岩出山の荒脛巾神社(アラハバキ神社)の地名は荒脛巾でバス停の名前も荒屋敷です。

武蔵一宮氷川神社でアラハバキ神は客人神(まろうどがみ)としてまつられています。

客人神とは神社の建つ前の地主神、つまり土着の神です。

アラハバキが現在のトルコのアナトリア半島の古代ヒッタイトの先住民ハッティ人(紀元前3千年-紀元前2千年)のハッティ語の鉄を意味するハパルキから来ているという説があります。

アラハバキ神を祀る津軽半島の洗磯崎神社は以前に荒覇吐(アラハバキ)神社と呼ばれていましたがそのご神体が鉄鉱石だといわれています。

荒覇吐の「荒(アラ)」は、山伏やタタラでは「鉄」を意味し、蛇はハハ、ハバとも呼ぶのでアラハバキ神は鉄の蛇ということになります。

大和朝廷と戦った蝦夷たちの刀は蕨手刀(わらびてとう)と呼ばれ都に負けない優れた製鉄技術がエミシにありました。

蕨手刀は日本刀の元型と言われています。

『古事記』に製鉄を行った鍛冶の神として天津麻羅(あまつまら)が出て来ますが、神や命(カミ・ミコト)の尊称がもちいられずに呼び捨てにされています。

天津麻良はニギハヤヒが天磐船に乗って降下する時、お供した五人の中の一人であり、物部系氏族の祖神となっています。

また天津麻羅(あまつまら)は天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同神とされています。

鍛治をあつかう氏族は天目一箇神を祖霊神として信仰しています。

宮城県多賀城市のアラハバキ神社(荒脛巾神社)の隣では鍛冶・製鉄の神天目一神を祀っていました。

「海部氏勘注系図」によると天目一箇神は滋賀県野洲の御上山に祀られている天之御影神(あめのみかげのみこと)と同一神で海部氏(アマべ)の祖先に当たります。

『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条には天目一箇神が女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)と天目一神との間の子と記されています。

道主日女命(みちぬしひめのみこと)は「海部氏勘注系図」で天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト=アメノホアカリとニギハヤヒが合体した神名)の妻とされています。

伊勢神宮の荒祭宮は伊勢の地主神でアラハバキ神の姫神を祀っていると言われています。

別な文献では伊勢神宮の荒祭宮は瀬織津姫です。

ニギハヤヒと瀬織津姫は物部氏の祖神です。

整理すると、アラハバキ神は神武以前の蛇を象徴とする大物主=ニギハヤヒを祖先とする製鉄の技術を持っていた物部氏と関係が深い神だということがわかります。

神武天皇はたたら製鉄のタタラの名前を持っている大物主の娘と結婚しています。

製鉄集団は鉄を神として祀る風習がありました。東北には物部氏とたたら製鉄に関する痕跡が残されています。

製鉄技術を持っていた物部氏と縄文の末裔が混血したのが蝦夷です。

その末裔がアラハバキ神を氏神とした安倍氏です。

丹内山神社の神は滝ノ沢神社の敷地内にある滝に顕現したという文献があり丹内神社には早池峰山拝石が置かれています。

丹内山大神とは早池峰大神である瀬織津姫のことで丹内山神社は瀬織津姫を祀っていたのです。

丹内山大神を崇敬した藤原清衡の母は登美の長髄彦の兄アビヒコを先祖とする安倍氏の血を受け継いでいました。

アラハバキ神を祀る神社の多くに磐座があり、おそらく古代では岩の上で巫女が祭祀をおこなっていたと思います。

沖ノ島の岩上祭祀の最古の時代に鉄製品が祭祀品として使われていました。

鉄が入ってくると人々はその輝きに神の神聖さを感じたと思います。

アラハバキ神とは蛇を信仰していた縄文の人々と大陸から製鉄技術をもっていた人々と混血した神なのです。

岩手県北上市に藤原秀衡が先祖の霊を久那斗権現として祀った伝えられているクナト神を祀る久那斗神社があります。

茨城県の古社息栖神社(いきすじんじゃ)も岐の神(くなどのかみ)を祀っています。

岐の神(くなどのかみ)は辻の神(つじのかみ)塞の神(さいのかみ)道祖神の原型とされています。

諏訪地方では男性器と女性器を象徴していた縄文時代の石器が道祖神でした。

婚姻史研究の高群逸枝によるとクナドのクナは婚交の義でドは所、つまりクナドは女系集落の境のヒロバでの族外婚の場所を意味すると述べています。

クナドとは交通の要所で他の集落との交易や異性が出会い結びつく場所でもあったのです。

『日本書紀』で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って黄泉津平坂(よもつひらさか)で、投げた杖(古事記では禊をしたイザナギのふんどし)から来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が生まれたとしています。黄泉津平坂(よもつひらさか)はあの世とこの世の境界でした。

縄文時代の精霊信仰は弥生に移行するとクナト神やアラハバキ神となり古墳時代になると日本神話に登場する神へと置き換えられていったのです。

宮城県多賀城の荒脛巾(アラハバキ)神社(阿良波々岐明神社)は布の脛巾(はばき)の名前から足の神様として信仰されていますがここは大和朝廷の蝦夷征伐の拠点として造営された城柵があった場所です。

アラハバキ神の神社は全国に150社以上ありますがたいていは摂社、末社として小さな祠に祀られています。

東北の地は、大和朝廷以前の縄文時代にさかのぼるアニミズムの信仰の地でした。

蝦夷と呼ばれた東北の民は文化と神話を奪われ大和朝廷に同化して姿を消しました。

明治政府は天皇家の祖霊を最高神とする神社を頂点にした神道の中央集権を進めました。

名もなき氏神を祀(まつ)る小さな神社や祠や道祖神などは真っ先に廃止の対象となり姿を消しました。

アラハバキ神は神社の社格では最下層に置かれていました。

クナト神やアラハバキ神は大和朝廷以前の縄文から継続してきた土着の最高神だったので排除されず東北で延々と継続して残ったのです。

クナト神やアラハバキ神は大和朝廷の天孫神話の神に追いやられた先住民の神でした。


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