この世から少し離れて厳島  神も仏もまどろみにけり 五島高資

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=113394 【世界遺産登録25年 原爆ドーム/厳島神社】より

 広島の二つの世界文化遺産、原爆ドーム(広島市中区)と厳島神社(廿日市市宮島町)が7日、登録から25年を迎える。登録を機に、世界平和や自然と調和した歴史の重みを訴える力は強まり、国内外の人を引き寄せてきた。

原爆ドーム 被爆の実態 伝える証人 核兵器廃絶訴え続け

 「多くの人の遺体が焼かれた。この辺りは、いわばお墓です」。胎内被爆者の三登浩成さん(75)=広島県府中町=が観光客に語り掛けた。15年前からほぼ毎日、世界遺産となったドーム前でボランティアガイドを続ける。案内したのは約180カ国の約25万人に上る。「ドームは被爆の物言わぬ証人。世界の人たちが訪れるこの建物の前で、最も若い被爆者の責務を果たしたい」

 原爆ドームは1915年、広島市中心部に広島県物産陳列館として完成。33年、県産業奨励館と改称した。45年8月6日、米軍が投下した原爆の爆心地から約160メートルで被爆。爆風と熱線で大破し、中にいた人は全員が即死したとされるが、外側の壁などが残った。

 世界遺産登録までの道のりは平たんではなかった。92年に世界遺産条約を締結した日本政府に対し、広島市や市議会が推薦を要望したが、文化庁は当初、「文化財としては年代が新しすぎる」と渋った。

 翌93年、連合広島や県被団協、広島弁護士会などが「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」を結成。165万人余りの署名を集めた。「戦争は民間人の命を奪う。二度と繰り返してはならないとの全国の人たちの思いを結集できた」。結成時の代表の一人で連合広島元会長の被爆者森川武志さん(81)=東区=は振り返る。

 市民の声は国会や政府を動かし、原爆ドームは国史跡の指定と政府の推薦を経て96年12月7日、世界遺産に登録された。

 「人類の負の遺産である原爆ドームは、人々に悲劇を思い起こさせてくれる。平和への意思を研ぎ澄ます遺産だ」。登録に尽力した当時の広島市長、平岡敬さん(93)=西区=はその世界的な価値を強調する。

 世界遺産となり、より多くの人が訪れるようになった。一方で「思い出したくない」と避ける被爆者もいる。三登さんの母親(103)もその一人。原爆で父親を亡くし、被爆後にドームを訪れたのは2回だけだ。「被爆者の苦しみに終わりはない。だからこそ被爆の実態を伝え続けたい」と三登さん。被爆者が高齢化する中、ドームを訪れる世界の人々に核兵器廃絶を訴え続ける。(小林可奈)

厳島神社 来島者1.5倍 観光けん引

人口減と高齢化進む

 「世界に認められ、教科書にも載った。神社への関心は高まった」。2014年に73代目の宮司に就いた野坂元明宮司(50)は、世界遺産に登録された効果を肌で感じている。

 登録された1996年、宮島への来島者数は約298万人だった。以降は外国人観光客も増え、新型コロナウイルス感染拡大前の19年には約465万人を記録。1・5倍に増えて過去最多となった。来島者の6割は厳島神社を訪れるという。

 野坂宮司は「私自身も宮島の生まれ。神社としては信仰が原点だが、観光で成り立つ宮島の町とは共存共栄の関係。神社を後進に引き継ぐことが宮島の繁栄につながる」と話す。

 この四半世紀、宮島では11年に宮島水族館の大規模改装があり、瀬戸内海を一望する弥山展望台も14年に建て替わった。21年には厳島神社の門前町が国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定され、来島者の増加を後押しした。

 一方で、25年前に2573人いた宮島の人口は今年4月1日時点で、6割弱の1482人に減少。65歳以上の割合が47・8%に上り、高齢化が進む。住民組織の宮島町総代会会長の正木文雄さん(72)は「今後も島の人口は減る。世界遺産という知名度があるからといって、このままではいけない」と将来を見据える。

 厳島神社は593年創建と伝わり、12世紀に平清盛が海上社殿の原型を築いたとされる。本社本殿や東西の回廊など6棟が国宝、大鳥居や能舞台など11棟3基が国重要文化財。国天然記念物の弥山原始林を含む背後の森林区域なども含めて世界文化遺産に登録された。その歴史と自然が島外から人を引き寄せ、島を支える力になっている。

 環境保全活動に取り組む「宮島地区パークボランティアの会」もその一つ。00年の発足以降、春と秋の年2回、散策ウオーキング会などを開く。11月には広島市などから28人が参加し、島内の古道を歩いた。島内の清掃活動も続ける。末原義秋会長(68)は「世界遺産の島を守ることに貢献したい」と話している。(永井友浩)

世界遺産

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産条約に基づき、人類共通の財産として保護する建造物や遺跡、自然。7月時点で、文化遺産は897件、自然遺産は218件、両方の要素を持つ複合遺産は39件ある。このうち、日本からは原爆ドームや厳島神社などの文化遺産20件、屋久島(鹿児島県)などの自然遺産5件が登録されている。

(2021年12月4日朝刊掲載)


https://www.coal-sack.com/syosekis/view/3025/ 【アンソロジー 『広島・長崎・沖縄からの永遠平和詩歌集 ―報復の連鎖からカントの「永遠平和」、賢治の「ほんとうの幸福」へ(日本語版)』】より

原民喜の詩「水ヲ下サイ/アア 水ヲ下サイ/ノマシテ下サイ」

永井隆の短歌「新しき朝の光のさしそむる荒野に響け長崎の鐘」

西東三鬼の俳句「広島や卵食ふ時口ひらく」 269 名の詩人・歌人・俳人が世界に贈る希望の書(帯文より)

目次

序文に代えて

一章 被爆者の声

  (1)詩

峠三吉 『原爆詩集』の序/仮綳帯所にて/微笑   栗原貞子 生ましめん哉―原子爆弾秘話―/ヒロシマという時  原民喜 原爆小景  大原三八雄 茶わん  深川宗俊 冴えた眼から  福田須磨子 忌まわしき思い出の日に/原爆のうた  大平数子 慟哭

小倉豊文 紙の墓 ―亡き妻に―  御庄博実 原子の歌「盲目の秋」より

山田かん ロスアラモス/地点通過  米田栄作 八月六日の砂  橋爪文 校庭/原爆忌

天瀬裕康 「永遠平和」夢でなく

  (2)短歌

永井隆 長崎の鐘  正田篠枝 太き骨  栗原貞子 悪夢 ―負傷者収容所へ死体を引き取りに行きて  山隅衛 劫火  竹山広 とこしへの川  陣内馬三郎 血を吐く

山本紀代子 原爆に死にし子  越智もん うぶ声

  (3)俳句

原民喜 「原子爆弾」より  松尾あつゆき 爆死証明  伊達みえ子 被爆の十六歳

『句集 広島』より 

二章 広島を語り継ぐ

  (1)詩

浜田知章 太陽を射たもの  長津功三良 広島にて  小野十三郎 原爆十周年に

堀場清子 花の季節  趙南哲 座布団 65  江口節 八月/その街の夏

藤田博 失われた磁力 佐々木禎子さんに  淺山泰美 ヒロシマの雨

古道正夫 H市にて  のろくこ どういうこと?  近野十志夫 平和の端っこと戦争の端っこ  植松晃一 地獄の破片  鈴木比佐雄 広島・鶴見橋のしだれ柳

萩尾滋 命を抱きしめて  田中茂二郎 ヒロシマの影  小山修一 観光旅行

  (2)短歌

馬場あき子 質問  近藤芳美 白き虚空―広島のために―

中島雅子 被爆者のこゑ  影山美智子 被爆ピアノ  福田淑子 燃ゆる少女

奥山恵 胡乱の大地  よしのけい 戦争と写真

  (3)俳句

西東三鬼 有名なる街  三橋敏雄 被爆者忌  渡邊白泉 廊下の奥

黒田杏子 語り継ぐ  長谷川櫂 原爆涅槃  安西篤 廃炉詩篇  堀田季何 左手

飯野幸雄 広島忌  中原道夫 ドームの骨  森貘郎 カラッポの空  東國人 原爆忌の西日  広瀬邦弘 終末時計  小橋啓生 原爆忌  鍋島くに枝 なんど来てなんど見る空

小沢真弓 ハングル文字

三章 長崎を語り継ぐ

  (1)詩

デイヴィッド・クリーガー(水崎野里子訳) 死と化す/空に響け/長崎の鐘

日高のぼる 稜曄さんの舟  橘まゆ 銀のおにぎり

若松丈太郎 死んでしまったおれに ジョー・オダネル撮影「焼き場にて、長崎」のために

上野都 立つ  狭間孝 ドンが聞こえなかった  池田祥子 エッセイ 原爆、と小倉

船橋秀彦 長崎からの証言―原爆を見た聞こえない人々/●

永山絹枝 世界のどこかで(その一)

弟子丸博道 長崎の夏は~被曝マリア像に寄せて~  日野百草 太陽の顔

  (2)俳句・短歌

宇多喜代子 石一片  前川弘明 不戦の心  田中陽 日本の青空

坂田正晴 核の花  瀬戸正洋 閉塞感  園田昭夫 長崎の伯母

四章 沖縄を語り継ぐ

  (1)詩

八重洋一郎 歴史の授業/日毒  新川明 慟哭 134  神谷毅 邂逅 キャンプシュワーブ前  中里友豪 沈黙の渚  ローゼル川田 橋のある川  新垣汎子 シュガーローフ

大崎二郎 点景  波平幸有 渇いた涙が再び芽吹くよう

与那覇けい子 島/沖縄の空  玉木一兵 目覚めよ眠れる島よ  高柴三聞 白い鳥

伊良波盛男 夜の川  うえざとりえこ 泥の骨 ―七十九年目の慰霊の日に―

いむらようこ 朗読劇「きくさんの沖縄戦」

藤田博 サンクチュアリー/ガジュマル 与那国島ティンダハナの入り口で

福冨健二 ふたりの少女  坂田トヨ子 光の道  櫻井美鈴 座間味にて  志田道子 蛇よ  佐々木淑子 花は見ていた  木川幸子 小さな新聞記事  小田切敬子 じゅごんのにちようび  伊藤眞司 摩文仁の丘  根本昌幸 沖縄の空

  (2)短歌

新城貞夫 平和祭  大城静子 サンゴの啜り泣く声  平山良明 あけもどろの島

名嘉真恵美子 夏雨よ  謝花秀子 親子の笑み  玉城洋子 平和来る日を

玉城寛子 春雷  大田美和 晴りん雨てぃあ無 辺野古を詠む

  (3)俳句

野ざらし延男 地球のあえぎ  おおしろ建 燎原の火  平敷武蕉 父の手指

山城発子 窓が哭いている  翁長園子 いのち  伊志嶺佳子 反戦の狼煙

普久原佳子 戦争の蜃気楼  柴田康子 踏み石の蝶  上江洲園枝 魂迎え

有村いっき じぐざぐの道  島袋時子 礎の義父  川名つぎお 立ち泳ぎの沖縄

大井恒行 琉歌の夏  仲宗根ひろみ 平和の願い  たいら淳子 ガジュマル

鈴木光影 暴風雨の摩文仁

五章 空爆・破壊の記憶

  (1)詩

浅見洋子 知り、学び、模索を/平和をまもる

佐々木久春 あの日―土崎 日本最大級の空襲(聞き書きにて)  鴨井錦代 霞ヶ浦

風守 廃墟に立つ少女  なかむらみつこ お父さんを買って  森三紗 疎開―予備役―空襲警報  志田静枝 特攻花の咲く丘  北畑光男 背の川  比留間美代子 仏前の二つの写真  秋田芳子 スポットライト  村上佳子 「回想の蟬しぐれ」に寄せて

宮武孝吉 昭和の記録/祖母の手紙  あゆかわのぼる 航空機  うめだけんさく 破壊の記憶  犬童かつ代 赤い指  國安暁 一枚の写真

  (2)俳句・短歌

林翔 幻想 ―核戦争後風景より  宮坂静生 長い八月  マブソン青眼 灰色の孤児

関悦史 凍雲  鈴木香穂里 海桐の実  久保井理緒 地上  大関博美 ソ連に生き延びた父  鈴木美紀子 殺させない  加部洋祐 十三月三十二日

六章 アフガニスタン・ウクライナ・ガザ・世界は今

  (1)詩

ソマイアラミシュ(岡和田晃訳) (私はまだ生きている、)

岡和田晃 病院に爆弾を落とすな!   川口千恵子 催花雨

やまもとさいみ 透明な翠色の瓶に沈む液体  米村晋 赤い森/ひまわりの畑

東梅洋子 大地  こやまきお 赤いひまわり  石川樹林 シェフチェンコの「遺言」/ヒマワリ  大林美智子 虹  悠木一政 ウクライナの青年教師

藤谷恵一郎 ひまわりの種を播こう  原圭治 悲しみの涙は水のように

後藤光治 向日葵畑  富田和夫 再生への祈り  うおずみ千尋 忘れはしない

高橋博子 希求  宮澤新樹 色  鈴木俊夫 紫金草の少女

呉屋比呂志 あなたはそのボタン押すというのでしょうか  内川美徳 ガザは今

草倉哲夫 氷色  大土由美 満州挽歌/この星で  こまつかん KOREDEMOKA

西山正一郎 死んだこども  ヨクト 戦間期の戦傷外科医

さなみよしこ 響けパンドゥーラ あなたの故郷へ

  (2)短歌・俳句

河田育子 侵攻をめぐつて  水崎野里子 瓦礫の街  秋野沙夜子 平和観音

望月孝一 五文字浮き立つウクライナ  神野紗希 ひかりを待つ

向瀬美音 蓮の花  宮内泰次 地は炎ゆる

七章 戦争に駆り立てるもの

(1)詩

石川逸子 森に雨が  かわかみまさと タブレット~祈りなき貧しき時代の~

菅野眞砂 八月、何をお話ししましょうか  嵯峨京子 ヴァルデミール

坂本梧朗 「戦前」を押し返せ  金子以左生 ふるえている  小木克己 沈黙は

栗幅佳代子 若人に  堀田京子 武器はいらない/お願い/いまウクライナで

山﨑夏代 祖国/オリーブの葉を  山野なつみ 母の反戦歌

やまぐちみずえ 世界の事情  武藤ゆかり 恐ろしい夏/羊と狼

ひおきとしこ いのちをつなぐ 想いははるか大陸へ

中山直子 背負われて 父の戦地の日を思う  築山多門 鳥の歌

田中眞由美 踏み外す  勝嶋啓太 ミサイルが飛んできた日

井上和之 みんな空を飛びたがる  立石百代子 石運びの子どもたち

斎藤久夫 クロニクルズ変奏曲(1~6)  松本高直 ハートのエース

  (2)俳句・短歌

渡辺誠一郎 戦争にいかなる家路   吉川宏志 銃床  座馬寛彦 前線

八章 喪失・鎮魂・反戦

  (1)詩

高細玄一 もぎ取られた言葉―マリア・コレスニコワは去らなかった/子供を殺すな

白神直生子 たたかわない生き方  前田新 母方の祖父  村田千代子 時代の表現

牧野美佳 ねがい  武順子 諦めない  見上司 わたしをうて/もしも戦争がおわったら

出雲筑三 いのち  佐藤誠二 戦う兵士がかわいそう  森田和美 若い日

渡辺穎子 朝になったら  結城文 山際に渦捲く雲塊  米田かずみ 歳月

日野笙子 螢燭―相沢良の碑に寄せて/トォーマンナョ(またね)

みもとけいこ 戦場の足  長谷川節子 ふたりの叔父さん  星乃真呂夢 千年哀歌

方良里 祈りの日  東山かつこ 出口  小川道子 私のおばあちゃん

鈴木悦子 延期と猶予  岡田忠昭 呼びかけ~殺さないで~  羽島貝 私が読んだ戦争は

  (2)俳句

池田澄子 蝶よ  対馬康子 国の忌  梶原安之 蜩の忌  安村和義 青田風

関根道豊 田草引く  大山賢太 姫百合

九章 永遠平和

  (1)詩

宮沢賢治 雨ニモマケズ  谷川俊太郎 平和  小松弘愛 花農家

彼末れい子 地球教室  杉谷昭人 道理はひとつ/落ちたおにぎり

坂井一則 あなめあなめ  齋藤貢 偽りのことばに  府川きよし 大きな夢

梅津弘子 第二の基地県に住んで  近藤八重子 戦争回避への道

牧野新 作詞 科学者の過ち  春山房子 戦争と平和  木村雅子 月夜

青木善保 地球人の決意  みうらひろこ 千年桜  丸田一美 やがて 誰もいなくなる

藍原ゆみ 理想に向かって  髙橋宗司 春の庭  田尻文子 金魚草

清水康久 キリスト生誕日  大崎眞佐美 八月  金野清人 ユートピアを求めて

村上久江 時を 注視せよ  鈴木正一 ことば

  (2)俳句・短歌

飯田龍太 どの子にも  高野ムツオ 辺境  永瀬十悟 アサギマダラ

赤野四羽 重力の底  松田ひろむ なぜ十五歳  加治道子 帰燕

河野秀子 転調の磁力  谷光順晏 平和の味  高橋公子 兵無き国

  解説 鈴木比佐雄

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/92147.pdf 【4 武士の成長とひろしま ~~~~厳島神社と平清平清】より

 1 世界文化遺産である厳島神社とはどのようなものでしょうか? 厳島神社がある宮島は, 「日本三景」の一つに挙げ られ,日本を代表する観光 地として多くの人が訪れて います。 1996(平成8)年,厳島神 社はユネスコの世界文化遺 産に登録されました。厳島 神社の登録理由について, 日本ユネスコ協会連盟ホー ムページには,「自然とあ り続ける朱しゅ丹たんの神殿しんでん」とい う見出しで,「海上にそび えたつ朱塗ぬりの大鳥居が印 象的な厳島神社は,その美しい建物群だけではなく前景には瀬戸内海,背景には神の山とされる瀰山みせんを配し,見事な自然と文化の調和を表現しています。世界遺産としてもその価値を評価されて,周辺の自然地域も含めて登録されました。」と述べられています。 厳島神社の社殿しゃでん(国宝)と大鳥居(重要文化財)(撮影:新谷孝一)この厳島神社を厚く信仰しんこうし,現在のように海上に浮うかぶような形に大改修を行ったのは,平清盛です。 なぜ,平清盛は厳島神社を厚く信仰し,大改修を行ったのでしょうか? 2 厳島神社はどのような歴史があるのでしょうか? 「厳島(いつくしま)」は,元々「伊都岐 (伊都伎)島」と書かれ,「いつきしま」と 呼ばれていました。 「いつき」とは,「斎き」と書き,「身を 清めて神様にお仕えすること」という意 味です。つまり,厳島は「神様をお祀まつり する島」なのです。そして,「いつきし ま」の発音が次第に「いつくしま」と発 音されるようになったものと考えられて います。 大鳥居の扁額へんがく □沖側(写真右)と神社側(写真左) とで表記が違います。 - 18 - 年 593 1151 1160 1164 1167 1174 1278 1389 1555 1561 1571 1587 1602 1643 1923 1952 1954 1996 おもなできごと 厳島神社が創建される 平清盛が安芸守となる ※この頃に厳島神社の大改修を行う 平清盛が厳島神社に参詣さんけいする 「平家へいけ納経のうきょう」が奉納ほうのうされる 平清盛が太政大臣となる 後白河法皇らが厳島神社に参詣する 一遍(時宗の開祖)が厳島神社を訪れる 足利義満が厳島神社を訪れる 毛利元就が厳島で陶晴賢を滅ぼす(厳島合戦) 毛利元就と隆元が大鳥居を再建する 毛利元就によって本殿が改築される 豊臣秀吉が千畳閣を建立する 福島正則が平家納経を修復する 林春斎が『日本国事跡考』を著あらわし,松島,天橋立とともに「為三処奇観」と書き記す ※「日本三景」と呼ばれるはじまり 厳島全島が史跡・名勝に指定される 厳島全島が特別史跡・特別名勝に指定される 平家納経が国宝に指定される 厳島神社が世界文化遺産に登録される 厳島神社は何度か建て替えられていますが,最初に建立こんりゅうされたのは593年で地元の豪族ごうぞくである佐伯さえきの鞍くら職もとによるものと伝えられています。 1151(仁平元)年に平清盛が安芸守になった頃から平氏と厳島神社のかかわりは密接になり,やがて清盛は厳島神社の大改修を行いました。社殿は,寝殿造しんでんづくり の 美しさに加え,海上に浮かぶような神秘的なたたずまいで「極楽ごくらく浄土じょうど をあらわした」と言われています。 1555(弘治元)年には,毛利元就もうりもとなり(→ P26)と陶すえ晴はる賢かたによる厳島合戦の舞台となり,その後には毛利家ともかかわりを強めていきました。現在の本殿は,1571(元亀2)年に毛利元就によって改築されたものです。 この他に,1389(元中6・康応元)年 に足利あしかが義よし 満みつ が訪れたり,1587(天正15)年に豊臣とよとみ秀ひで吉よしが千畳閣せんじょうかく を建立したりするなど政権を握にぎった歴史上の人物とも深い関係がありました。 厳島神社に関するおもなできごと 1643(寛永20)年には,全国を旅した儒学じゅがく者の林 春しゅん 斎さいの『日本国事跡考にほんこくじせきこう』がきっかけとなり,松島(宮城県)や天あまの橋立はしだて(京都府)とともに「日本三景」と呼ばれるようになりました。 3 平清盛とはどのような人物だったのでしょうか? 平清盛は,1118(元永元)年に 平たいらの 忠ただ盛もりの長男として生まれました。海賊かいぞくを取り締まり,日にっ宋そう貿易ぼうえきにもかかわった忠盛の跡あとを継ついだ清盛は,対立する武士を打ち破るとともに,天皇家や藤原氏との関係 を深めて勢力を強めます。特に1156(保元元) 年の保元ほうげんの乱,1159(平治元)年の平治へいじの乱に 勝利し,源氏の勢力を弱めたことで最も強い 力を持つ武士になりました。 1167(仁安2)年には,武士では初めて朝廷 の最高職である太政だいじょう大臣だいじんになりました。また, 領地や荘園しょうえんなどを各地に広げるとともに日宋 貿易にも力を入れます。清盛は,武力や朝廷 での地位,領地や荘園,貿易から得られる財 力などを背景に強大な権力を手に入れたので す。 『平家物語』などでは,強大な権力を背景 に強引に物事を押し進めた人物として描えがかれ 『天子てんし 摂関せっかん 御 影みえい 』の平清盛肖像 (陽明文庫蔵) - 19 - る清盛ですが,『愚ぐ管かん 抄しょう 』という本には「ヨクヨク謹ツツシ ミテ,イミジク計ハカラヒテ,彼方此方アナタコナタ シケル」という記述もみられます。この文からは,清盛がいろいろな方面に気を配りながら,複雑で不安定な政界を生き抜く力をもっていた人物として捉とらえられていることが分かります。 4 なぜ,平清盛は厳島神社の大改修を行ったのでしょうか? 清盛は,父に続いて 日宋貿易にも力を入れ ました。この当時,貿 易の窓口となっていた のは九州の博多でした。 中国などからの貿易 船は,博多の港へ着き, そこから各地へ貿易品 が広まっていきました。 清盛は,博多を平家 の勢力下に置き続ける とともに博多と都をつ なぐ瀬戸内海の航路を 整備していきます。現在の神戸港にあ たる大おお輪わ田だの 泊とまり の整備も行いました。 呉市の音戸の瀬戸を平清盛が切り開 いたという伝説もこのような事業を進 める中で生まれたと考えられています。 厳島神社を改修し,都から参拝さんぱいする ための航路を整備することは,九州と 都とをつなぐ航路を整備することとも 重なります。 平安時代後期の日本と中国との貿易ルート 平安時代頃の船の模型 (広島県立歴史博物館蔵) 1164(長寛2)年,清盛は一族の者と ともに,きらびやかな装飾そうしょくをほどこし た経典きょうてん (平家へいけ 納 経のうきょう )を 厳島神社に納めます。これは,平家一門の繁栄はんえいと極楽ごくらく往生おうじょう を願ってのことでした。 海の神として信仰されていた厳島神社でしたが,清盛が再建するまでは,社殿も小規模なものでした。しかし,清盛が大改修を行うと,貴族や天皇の一族も参拝し,厳島神社の権威けんいは高まりました。そして,清盛をはじめとする平家一門は,朝廷の高い位を独占するなど,おおいに繁栄しました。 厳島神社と平清盛の関係について,調べたことや考えたことを もとに自分の言葉でまとめてみましょう! 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000