http://ootutuki.koiyk.com/kodainihon.html 【『竹取物語』から古代日本の歴史を探る
-作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、を解く-】より
著 者 小泉 芳孝 発行者 竹取翁博物館 (国際かぐや姫学会) 発行所 大筒木出版
はじめにより
紀元前230年頃に、秦の始皇帝の命を受けて徐福が不老不死の薬がある日本(徳之島)へ最初にやってきた。そこは「蓬莱の島」であり、その四百年後に『魏志倭人伝』に記す卑弥呼の邪馬台国が出来たと判明した。また、これらが『竹取物語』の研究と深く繋がっていることも判明した。
そこで、竹取翁博物館の開館3周年を記念して『竹取物語』から古代日本の歴史を探ると題したテーマで「第3回かぐや姫サミット」を開催することになった。
具体的には、「作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、を解く」というサブタイトルで、聖書や神武、それに物部氏、徐福と邪馬台国の分野から考察することにした。
私は、日本最古の物語であり小説でもある『竹取物語』の翁の家が京田辺市の山本だと数十年前に解明した。その後も研究を続けている内に、かぐや姫を迎えに来た月の使者から、かぐや姫は月で「罪を犯した」ので地上界に降ろされ、竹の中から誕生し復活したとわかった。
そして、最初の誕生シーンは、イエスキリストの「復活」をあらわしていると判明した。そのキリストの生まれたイスラエルへ出向き、イエスの生まれたベツレヘムや布教した聖地を巡遊し、日本人と深い関わりの有る事を知り驚いた。
それと共に『竹取物語』に登場する「天女の羽衣」が「大嘗祭の麁服(あらたえ)」と一致し、さらに「菊の御紋」「不老不死の薬」朱智神社の「牛頭天王(スサノオノ命)」が、ペルシャと深く関係し繋がっていることまで解明できた。
このように『竹取物語』には、奥深い内容が含まれていることに大変驚いた次第である。『竹取物語』の作者「弘法大師・空海」は、中国へ遣唐使として行き、大秦寺の景浄(ペルシャ人)からイエスの復活を学んだ。さらに、青龍寺の恵果和尚(インド人)から密教の中にある「宇宙の神仙思想」を取り入れ物語に不老不死の世界を描き出した。
この様に弘法大師・空海は、物語に月の世界と地上の世界の時間差の違いを描いて、月の世界が不老不死の理想郷である事を表現したのである。
江戸時代から続く邪馬台国論争は、新井白石と判信友が鍵の賭け間違えをした事から今だ論争が続いている。現在に至っても六千人余りの論者により激しい論争が繰り返されている。
その中には作家と言われる方達の大変面白い説も見られる。それだけに国民の関心も高く、邪馬台国論争を知らない人はいないと言えよう。
私は常に、古い歴史現象は新しい発見により「書き変えられていくべき…」であると思っている。それが歴史学の運命である。それにより科学つまり真実に近づくと理解している。
目次
『竹取物語』から古代日本の歴史を探る -作者空海、天女の羽衣、邪馬台国、を解く-
はじめに
第1章 人類史上最大の謎を解き明かす
第1節 日本とシュメール
1.類似性について 2.天皇家に伝わる「三種の神器」 3.国名に符合する不思議
4.ウル遺跡の「ジッグラト」聖塔 5.日本人の起源説論者 6.日ユ同祖論
7.ペトログラフ発見のニュース
第2章 メソポタミア文明 (Mesopotamia)
1.シュメール人(Sumerian) 2.ヘブライ人Hebrew
3.シュメールは、世界最古の文明 4.粘土板「ギルガメッシュ叙事詩」
第3章 聖 書
第1節 旧約聖書
天地創造 / アダムとイヴ /ノアの箱舟 /イスラエルの祖(アブラハム)/出エジプトと十戒
/イスラエル王国が誕生/ユダヤ人の離散
第2節 新約聖書
イエスの生誕物語/ガリラヤ地方へ伝道/エルサレム入城/最後の晩餐/受難と処刑 苦
悩するイエス/ヴィア・ドロローサ/復活そして昇天
第4章 日本史の定説を覆す「ユダヤ」と「徐福(物部氏)」
第1節 古代の日本民族
1.西域から日本へ渡来
徐福と卑弥呼・物部、神武/徳之島は「邪馬台国」/日本神道は古代イスラエルから/
饒速日命は物部氏
2.封印されていた物部氏
磐船神社/交野は物部氏の根拠地/石舟神社と朱智神社/天璽瑞宝/十種神寶/大嘗祭
の麁服/鳥見の白庭山/藤原氏と天皇家は同族/旧約の物部と新約の神武
第5章 邪馬台国は、奄美諸島の徳之島だった
第1節 卑弥呼時代の歴史と邪馬台国の位置
第2節 『魏志倭人伝』から見た邪馬台国
第3節 徳之島説の方位・距離・古地図から見た根拠
1. 徳之島説「クロス線式」(九州説「放射線式」と大和説「連続線式」)
九州説「放射線式」/大和説「連続線式」/徳之島説「クロス線式」
2. 距離の計算「帯方郡から女王国まで東南に12000里」
連続距離/直線距離
3. 古地図から見た邪馬台国の位置
混一彊理歴代国都之図/中国で描かれた地図
第4節 邪馬台国の女王・卑弥呼の人物像
1.倭王
2.記紀・中国歴史書から
3.女王卑弥呼の特色
シャーマン(ノロ)/一生独身/世界情勢把握/女王は長寿/
卑弥呼の鏡/卑弥呼の使い/卑弥呼の死/墓の形体と規模/
金印など/死後の後継ぎ
4.卑弥呼は「コンギョク」「ヒメミコ」
第5節 伊仙町「上面縄」は女王卑弥呼の宮殿
1.墓は「巳葬」で棺あり外箱無し
2.卑弥呼の墓
3.上面縄は女王の宮殿
第6節 邪馬台国「徳之島説」の証拠
1.京田辺市の小泉氏説
卑弥呼の宮殿は上面縄/石組みの古代遺跡/
ノロ(シャーマン)/山島で7万戸可能な長寿島/
徐福から卑弥呼・物部氏へ/邪馬台国の徳之島を封印/
律令国家実現と大住隼人の移住/
地名・人名・地形に記す証拠/
洞窟はノロの祭祀場/按司の御嶽はノロ祭祀場/
母間のノロ祭祀「線刻画石群」/
戸森線刻画に鯨漁と「山」文字/持衰は「水先案内人」
2.伊仙町の勝(伊)氏 卑弥呼説
24弁の菊御紋/ダビデ王家「万世一系の天皇(皇族)」/
女王の都は上面縄/面縄貝塚「巳葬」遺骨は卑弥呼/
卑弥呼の後継者「とよ(豊)」/伊仙町は邪馬台国
あとがき
【参考文献】
・古地図提供、「日本国際古地図学会」 松井 淳 会長
・挿入した『竹取物語』画、染色作家 玉井芳泉 画伯
・挿入画イラスト、
奈良徐福研究会 益田宗児 会長
徳之島 伊仙町観光協会 伊 信貴 会長
『聖書辞典』527 頁(いのちのことば社)
伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書
<竹取翁博物館の記念写真>
【参考文献】
『月刊 歴史と旅 特集 邪馬台国代論争』㈱秋田書店 1975年
『臨時増刊⑫ 歴史と旅 東アジアから見た邪馬台国』㈱秋田書店 1984年
『歴史読本 臨時増刊 特集 古代天皇家と宗教の謎』
野村敏晴編 ㈱新人物往来社 1988年
『歴史読本特集 邪馬台国110の知識』㈱新人物往来社 1977年
『邪馬台国論争』原田大八著 ㈱三一書房 1969年
『季刊⑭邪馬台国』安本美典編 ㈱梓書院 1982年
『最新邪馬台国への道』安本美典著 徳間文庫 1992年
『歴史と人物44 特集さまざまなる邪馬台国』
横山恵一編 中央公論社 1975年
『黒潮の文化誌』日高 旺 ㈱南方新社 2005年
『伊仙町誌』伊仙町誌編纂委員会編 1978年
『倭人伝』松崎寿和著 ㈱学生社 1970年
『伊仙町埋文調査(3)面縄貝塚群』伊仙町教育委員会 1985年
『東シナ海文化圏の民俗』下野便見著 ㈱未来社 1991年
『ペルセポリスから飛鳥へ』松本清張著 日本放送出版協会 1979年
『夢に見た邪馬台国は徳之島』益田宗児著 徳之島興産(株) 2000年
『シンポジウム邪馬台国』石井良助・井上光貞編 ㈱創文社 1970年
『徐福物語: 弥生の使者』益田宗児・三好 誠著
奈良徐福研究所 南島文化研究所 2008年
『徳之島にあった古代王国 -邪馬台国の実像-』中武久著 ㈱文芸社2002年
『弥生の使者 徐福さん』益田宗児著
南島文化研究所・奈良徐福研究会 2008年
『新生日本の夜明けin徳之島伊仙町』伊信貴著
万世一系のダビデ王家. 邪馬台国女王 2014年
『しまぬゆⅠ 奄美・琉球侵略』「しまぬゆ」刊行委員会編
㈱南方新社 1609年
『奄美の歴史入門』麓 純雄著 ㈱南方新社 2011年
『徳之島の民俗文化』松山光秀著 ㈱南方新社 2009年
『中国の英傑① 秦の始皇帝』吉川忠夫著 ㈱集英社 1986年
『邪馬台国の旅』邦光史郎著 ㈱光文社 1976年
『倭国 ?東アジア世界の中で-』岡田英弘著 中央公論新社 1999年
『古代日本への探検』黒岩重吾著 PHP研究所 1994年
『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き』
小泉芳孝著 大筒木出版 2012年
『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』小泉芳孝著 大筒木出版 2012年
『京都の地名検証』京都地名研究会編 勉誠出版 2003年
『京都の地名検証2』京都地名研究会編 勉誠出版 2003年
『古代ユダヤは日本に封印された』宇野正美著 ㈱日本文芸社
『隠された十字架-法隆寺論-』㈱新潮社 梅原 猛著 1973年
『聖書 新改訳 訳』日本聖書刊行会 1970年
『神女誕生 -徳之島に生まれた祝女-』松堂玖邇著
フォレスト出版㈱ 2007年
『秘められた南山城の地名を探る』小泉芳孝編集 京都地名研究会 2003年
『筒城』京田辺市郷土史会 1968年
『京都府田辺町史』村田太平編 田辺町役場 1968年
『隼人と大和政権』井上辰雄著 学生社 1974年
他多数。
〈著者紹介〉
小泉芳孝(こいずみ・よしたか)
1947年 京都府生まれ
現在:竹取翁博物館 館長 博物館学芸員 大筒木出版代表
国際かぐや姫学会会長 城南郷土史研究会員
職歴:近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部史学科卒業。
㈱京都放送勤務
専攻:日本民俗学・郷土史・古代史・法律学
略歴:京都民俗学談話会会員 京田辺市郷土史会理事
京都地名研究会常任理事歴任
著書:『稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』文理閣
『竹取物語 現代考-原文・注釈・現代語訳・解説付き-』
大筒木出版
『京田辺の史跡探訪-歴史散歩コース-』大筒木出版
『マスコミ一代記 -昭和・平成-』大筒木出版
共著:『京都の地名検証』勉誠出版
『京都の地名検証2』勉誠出版
『京都民俗』京都民俗学会
『筒城』京田辺市郷土史会 他多数
竹取翁博物館 JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分、近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
http://markpine.blog95.fc2.com/blog-entry-307.html 【かぐや姫~竹取物語】より
映画「かぐや姫の物語」が公開中です。監督が高畑さんで、俳優の故地井武雄さんが出演していたり、また声優の声に合わせて作画する手法を採用していたりと話題になっています。予告編を映画館で見ただけですが、走り回っているシーンが印象的で、今までの“かぐや姫とは少し(大部?)イメージが違っているようです。
ところで、この「かぐや姫」の物語ですが、作者をご存じでしょうか?実は、作者不詳とされているのです。あまりにも有名な物語ですが、その割に誰が作ったか分からないという不思議なお話しです。同じように、誰でも知っている“アリババと41人の盗賊”や“シンドバッドの冒険”で有名な「アラビアンナイト」も作者不詳なのだとか・・。作者不詳のお話ほど面白いのでしょうか?まあ、著作権がありませんので誰でも尾ひれをつけられるので話しが広がるのかもしれませんがね・・。
実は、「かぐや姫」の物語については異説がありまして、かの弘法大師空海がその作者では・・という話があります。正式にはかぐや姫の物語は「竹取物語」ですが、この竹取物語は、最初“漢文体”で書かれたといわれています。これが和文に改められ、その後に和歌を詠み込んだ現在の「竹取物語」が成立したのだそうです。この最初の漢文体の竹取物語の作者が空海である、というのがこの異説です。この時代、漢文体を使いこなせるのは相当の文化人だったはずですね。
さて、空海説のその根拠は以下のような概要になっています。
①竹取の翁やかぐや姫の名付け親の名前が讃岐と関係がある名前である事
ちなみに讃岐は空海の実家の佐伯氏の地元です。
②かぐや姫の“かぐ”は香りと関係していますが、密教では護摩壇で色々な香りが使われている
③丹後の国に竹野神社があるが、この神社に使える巫女(代代海部氏が勤めていた)は竹野
の姫神と呼ばれていたが31代の海部氏の娘「厳子」は空海に書を学び、空海に恋をしていたといわれます。
このような事から、空海と厳子の秘められた恋い物語りが「かぐや姫」の物語の下地になったというのです。ちなみに空海が入寂する前日に厳子は高野山に向かって合掌しながら亡くなったのだとか・・。
なお、古事記の垂仁天皇の妃に「迦具夜比売(かぐやひめ)」が登場するのですが、この叔父がやはり讃岐に関係した名前で、曾祖母は竹野媛という名前なのだとか・・。時代が大分違いますが、讃岐と竹、かぐやは何やら関係があるのかもしれません。こんな所から空海説が出てくるのでしょうが、有名人になるといろいろ尾ひれがつくものですね・・。
ちなみに、空海の一族の一部が香料に関係し、また捕虜となった蝦夷をまとめる役割もし、言霊として言語をとらえる事ができるとされていた事などもこのような説が出て来る素地になっているようです。
竹、月それに恋となればなんとなくそれだけでロマンチックですね。多芸な空海ですから本当に書いたのであれば面白いのですが、さてどうでしょうか・・・? あ、この他に菅原道真なども作者候補としている説もあるようですので興味のある方はお調べください。
https://www.youtube.com/watch?v=auue7gjxk2g
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