神話の意味

facebook斉藤 一治さん投稿記事

大国主命直系の子孫である富當雄氏が公開した出雲口伝【出雲神族の渡来】

この世界が、一夜にして氷の山になった。大祖先であるクナトノ大神は、その難を避けるため一族を引き連れて移動を始めた。東の彼方から氷の山を越え、海沿いに歩いた。

そうして何代もかかってようやくたどり着いたのが出雲の地であった。今から4000年も前のことである。

クナトノ大神は色々な知識を持ち、前からこの土地に住んでいた人々に鉄の取り方や布の織り方、農耕の方法などを教えた。

糸は麻、綿、はたの木から作り、それをクリやシイの実で染めた。出雲人に戦いの歴史はなかった。

人々は生活をよくしてあげることで、自然についてきた。クナトノ大神は王に推された。

【習俗と祭祀】

首長は「カミ」と呼ばれた。毎年10月に各国(各地)のカミが出雲に集まって、その年の収穫物の分配について話し合った。多い国は少ない国に分け与えた。

この時、我々は祖国をしのんで竜蛇りゅうじゃ(セグロウミヘビ)を祀るのが習わしであった。我々は祖国を高天原と呼ぶが、これは遠い海の彼方だと伝えている。

王が死にそうになると後継者は会ってはならないものとされていた。

死体は穢れたものとして忌み嫌い、これを見たり触れたりすると相続権が奪われた。 

墓も屋敷内に造ってはならないとされてきた。王が他界すると家人はツタで篭を編み、これに死体を入れて山の頂点の高いヒノキに吊るした。3年が過ぎるとカゴから下ろし、白骨を洗って山の大きな岩の近くに埋めた。山は我々の祖先の霊が眠るところである。

高貴な人の婦人や子供が死ぬと、石棺に入れ、再生を願って宍道湖に沈めた。我々は東西南北がわかり、数字があった。ヒーフーミーヨー、と数えた。

「初めに言葉ありき」と言われるように言葉を大切にした。

勾玉は祖先の幸魂(さちみたま)、和魂(にぎみたま)、奇魂(くしみたま)、荒魂(あらみたま)を表し、王家のみがつけることを許された。

【スサノオの侵略】

スサノオが砂鉄を奪うために朝鮮から馬を連れてスサの港へやってきた。

ヒイ川の古志人(こしびと)が暴れ、テナヅチ、アシナヅチが助けを求めたのでスサノオがこれを制圧した。

スサノオは次第に増長し、出雲を我がもの顔で歩いた。スサノオはテナヅチの娘と結婚した。

【ホヒ族の裏切り】

天孫族が九州から船で攻めてきた。その前にやってきて、王の娘と結婚していたホヒが手引きしたのである。稲佐浜で戦ったが一敗地にまみれた。

※一敗地にまみれる=再び立ち上がれないほどに徹底的に打ち負かされること。

オオクニヌシはコトシロヌシに「これ以上、出雲人が殺されるのを見るのはしのびない。国(王位)を天孫族に譲ろうと思うがどうだろうか」と相談した。

「私は反対ですが、お父さんがそう仰るのなら従いましょう」コトシロヌシはこう答えると、天孫族への呪いの言葉を残し、敵将の前で海に飛び込み自殺した。

オオクニヌシはウサギ峠のほら穴に閉じ込められて殺された。

ミナカタノトミノ命はゲリラ戦を展開しながら越に後退し、のちに信濃を平定して第二出雲王朝を築いた。

【神武の侵略】

天孫族の侵略を手引きしたホヒ族とは、次第にうまくいくようになったが、今度は神武が九州から攻めてきた。

勢力を回復していた我々は穴門(長門国)(※穴門は関門海峡の古名)で迎え撃った。

神武は防府(※現在の山口県)、河内、熊野などで6人死んだ。

7人目の神武は強かった、その上、我々が「カラの子」と呼んでいた朝鮮からの渡来人ヤタガラスが神武の味方についた。

彼らは和解すると見せかけては、次々と出雲人を殺していった。誠に陰険であり、残酷であった。王のトミノナガスネ彦は傷つきヤマトを神武に譲って出雲へしりぞいた。

王は出雲で亡くなった。神武は橿原で即位し、ヤマトの王となった。出雲人は、ヤマト・出雲・北陸・関東・東北などに分散させられた。神武から数代の王は出雲王家の娘を妻に迎えた。我々の反乱を防ぐためでもあった。縄文時代も終わりの頃のことである。

【ヒボコ族の渡来】

ヒボコ族が朝鮮から渡来し、出雲に入ろうとしたが、これを撃退した。彼らは但馬に逃げ、首長のヒボコは豪族の娘と結婚した。

やがて彼らは若狭、近江を経て、ヤマトにいき、やはり朝鮮からやってきた人々(倭漢氏)と結んで安定した。

ヒボコ族は鉄が欲しいため、今度は吉備を目指した。

出雲人は播磨国の八千軍(やちぐさ)に防衛線をしいたが、突破された。

伊予や淡路の百済人がヒボコ族に加勢したからである。彼らは吉備王国を築き久米川から鉄を取り、陶器も焼いた。

もう弥生時代に入っていた。

力をつけたヒボコ族は天孫族と手を結び、物部を将として吉備から攻めてきた。

彼らは逃げ惑う女や子供までも殺した。出雲人が絶滅するのではないか、と思われるほどであった。

天孫族はクナト大社(熊野大社)に安置する宝、勾玉を奪っていった。我々は祭祀を停止した。人々は働かず各地で反乱が起こった。

困り果てた天孫族はヒボコ族を動かし「祭祀を復活して欲しい」と頼みに来た。

我々が言うことを聞かないのでホヒ族が代行することになった。しかし国々は乱れに乱れ、天孫族の間でも内乱が起きた。天孫族は伊勢にも攻め込み王のイセツ彦はミナカタノトミノ命が勢力を張った信濃へと逃れた。

ヒボコ族から天孫族の王の后が出た。名をオキナガタラシ姫といった。彼らはこれを無上の誇りとした。ヒボコ族の王は天孫族から「天」の称号をもらった。数百年が過ぎ、天孫族の間では、また内乱が起きた。王や皇子もいなくなった。

朝鮮から渡来した人々は困り果て、我々の首長に天皇となるよう懇願した。

【出雲大社の創始】

杵築大社(出雲大社)は716年に建てられたもので、それまでは熊野にあった。

祭神のオオクニヌシは出雲人の祖神ではなく、重要な存在でもなかった。

ホヒ族がオオクニヌシの祟りを恐れ、封じ込めただけである。その上、後世になると自分たちの祖神のように言っている。全くおかしな話だ。

杵築大社は平安末期に一時、鰐渕寺(がくえんじ)によって領有された。

この時、本地垂迹説からオオクニヌシが大国様に、コトシロヌシがえびす様になった。

以上

これらの口伝は富家の「財筋」の中で一番優秀な青年を選んで本家に養子として迎え、語り継いだといいます。

富當雄氏も16歳の時に生まれ育った家を離れて、本家の富饒若(にぎわか)氏の養子になりました。

同年の冬、富氏は養父に命じられて身体を清めた後、古代服の正装に着替えて出雲井神社まで裸足で歩いたと言います。そして社殿へ入り養父から出雲王朝4千年の歴史を聞かされます。

口誦伝承されてきた祖先の生き様は神と人とが対話する形式で語られ、質問は許さません。

これを10年間にわたって連続反復し、一語も洩らさず丸暗記をします。

この口伝は次の伝承者に伝えるまで命にかけて死守し、たとえ兄弟や妻であっても他言無用です。さらにこの伝承者に選ばれた者は獣肉を口に出来なくなります。

また、自分の後継ぎ以外は肉親であろうと敵だと思わなければなりません。

いつの世でも親類縁者が最も危険な敵となるからです。富氏によると出雲神族は神代文字を用いていました。パピルス状のものに縦書きにされていたそうですが、大正15年に国立博物館(旧帝室博物館)に貸し出したところ行方不明になりました。

筆写した物はたくさん出回っていますが現物は現在も不明のままです。

富氏は自身の民族について「我々は竜蛇族である、出雲人はみんなそれを自覚しているが口に出して言わないだけだ」と言います。

オオクニヌシはスサノオの子孫とされていますが、スサノオは牛をトーテムとする牛族(ウル人)で、オオクニヌシは竜蛇をトーテムとする竜蛇族、蛇族(シュメール人の黒黄色人)であり、両者は民族が違います。

古代のオリエントは竜蛇族が牛族に追い出される形で各地に散らばりました。

富氏の口伝でも「出雲人に戦いの歴史はなかった。」とあるので、戦わずに住み着いていた土地を離れたことが推測できます。

蛇族の代表家紋は「亀甲紋」「州浜紋」「巴紋」でバビロニアや古代インドの竜神にもこの紋章が確認できます。

「亀甲紋」は海神のシンボルマークでもあり、出雲神族もやはりこれらの紋章を持っています。

地球の北半球諸国において、動物の「牛」の原音にはウル(uru)が多く、メソポタミア南部のシュメールの都市ウルクのウルも牛に由来した地名です。

ウルはトーテムから部族名となり、さらに王朝、都市の命名由来となりました。

これらの牛と蛇のトーテムは古代の日本にも神話、神名、石碑、地名などに残っています。


https://bashar8698.livedoor.blog/archives/15604158.html 【神話における牛と蛇の意味】より

ここでバッハオーフェンは注目していないが大変重要だと思われるテーマ、「神話における牛と蛇の役割」について考えてみたい。

「太陽と月」「光と火と水」「父権と母権」の関係についての妥当性はバッハオーフェンとユング派心理学をもっと熟読するまで課題として残しておく事にする。

まずいくつかの例を挙げて、そこからメタファーを探るところから始めよう。

ギリシャや小アジア、エジプトなどの東地中海からイラン、メソポタミアにかけての広い地域で神話の中に「牛と蛇の確執」と表現できる普遍的なテーマが見られると言われる。

また中国や日本の神話では牛はあまり登場しないが、龍や蛇が非常に大きな役割を演じている。

これを太陽族(鳥、牡牛)と太陰族(龍、蛇)の二大トーテムとまで考える人もいるようだ

そこまで行かなくてもこれが世界の神話の中で多く現れるモチーフである事は否定できない。

<バビロニア>

「原初の海」の女神ティアマトは淡水の象徴アプスーに対し海の塩水を象徴する。ティアマトはカオスの海である。

夫婦になったティアマトとアプスーから生まれた若い神々は二つに分かれて争う事になる。

ティアマトは七俣の大蛇や龍や狂犬を作り、マルドゥクは嵐と雷を武器に戦うが、マルドゥク側の勝利で終わり、ティアマトを殺して二つに裂くとそれが海と大地となった。マルドゥクは「太陽神ウトゥの仔牛」の意味を持ち牡牛とされる。

ティアマトは後に龍神と見なされるようになるが、下の古い絵の表現を見ると龍ではないようだ。しかしティアマトが作り出した蛇や龍が、牡牛であるマルドゥクと戦ったという事が重要で、その後の地中海世界の神話のパターンの源基となる。

ティアマト・・・・海水、カオス、龍、蛇や蠍の毒

マルドゥク・・・・太陽、雷、牡牛

蛇神は世界に秩序が現れる以前のカオスであり海である。それに対し牡牛は太陽、雷と関係付けられる。実は(バッハオーフェンが鋭く指摘している様に)牡牛神は月と見なされる場合と太陽と見なされる場合が有り、エジプトのアピス神話はその遷移を表している。

<エジプト>

エジプトではかなり古くから蛇信仰と牡牛信仰が見られた。

メンフィスの古い伝説では牡牛神アピスは月の神であり、さかりのついた雌牛に月の光が射した時に生まれたという。

しかし後には太陽信仰とも結び付けられ角の間に太陽円盤をつけた形で表される様になった。

牡牛神アピス

アピスは特徴が定められ、全体は黒色、額には白い斑点、脇腹に白い三日月模様、などの基準でエジプトで探され、神の化身として崇められた。

ヘレニズム期にはディオニュソス神とも結びついてセラピス信仰となった。

一方エジプトの蛇信仰は王家を守護するコブラの女神ウラエウスと邪悪な蛇アポピスに代表される。アポピスは「原初の水」から誕生した邪悪と混沌の化身である。世界を混沌に戻そうとし、太陽神ラーを飲み込んで日食を引き起こすのもアポピスの仕業である。ラーは航路を邪魔するアポピスをナイフで切り刻んで戦う。

    猫の姿をした太陽神ラーにナイフで切り刻まれる大蛇アポピス

アピス・・・・月、牡牛

アポピス・・・原初の水、邪悪、混沌

ラー・・・・・太陽、アポピスを切り刻む

<ペルシャ>

ペルシャのゾロアスター教では善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの闘いの中で牡牛と月の神秘的な関係が語られる。

アフラ・マズダが世界の創造を始めると悪神アーリマンは嫉妬して闇の世界を造り善なる世界を滅ぼそうとした。水を塩水に、植物の生い茂る大地を荒野に変え、原初の牛と原初の人間を殺した。ここから世界に善と悪が混在する事になった。

原牛の死体から再び植物が生じ、牛の精子は月光で清められて動物が生じた。

原人の死体からは金属が生じ、その精子は太陽光で清められ大黄が生じ、それが今の人間の祖先マシュヤーとマシュヤーナグになった。

ゾロアスター教ではこれ以外でも牛と月は深い関係にある。

原初の牡牛は「月のように白く輝く」と言われている。

別伝では原初の牛の霊魂は月神マーから創造されたとも言われる。

太陽神ミスラは馬車で牽引され月神マーは牛車で牽引される。

(ローマの月神ルナ、ギリシャの月神セレーネーも牡牛が引く戦車に乗る。)

死体から動植物が生じたとするのは古事記のオオゲツヒメと同じであり、月光が牛の精子の代替物である、或いは等価であるという関係はエジプトのアピスと似ている。

<カナン>

カナンの神バアルは若い牡牛であると同時に雷神、嵐の神でもあった。

彼は海神で七頭の龍でもある兄のヤムと闘い斧で殺すが、その後、戦争と不毛の神モートに敗れて死ぬと大地は乾燥し荒廃する。バアルの妹にして妻アナトは復讐しモトの身体を切り刻んで野に捨てるとバアルは牡牛となってよみがえりアナトと交わると大地に緑がよみがえる。こうして豊作と旱魃の周期が生まれた。バアルは洪水と旱魃、二つの天災と戦う豊饒の神である。

バアル・・・牡牛、雷神・・・豊饒

ヤム・・・・龍、海神・・・・洪水

牛と雷、龍と海の組み合わせがバビロン神話と一緒である。バアルはフェニキア人に伝わりカルタゴでバアル・ハモン神として信仰された。

カルタゴの神バアル・ハモン

神話によって牡牛が雷である場合(バビロン、カナン)と龍、蛇が雷である場合(中国、プエブロ族)がある。しかしほとんどの神話で一致しているのは蛇、龍がカオスであり水神であり、太陽と対立するという事だ。太陽光が水を蒸発させる様に、蛇神が闇に隠していた秘密の宝を太陽神は表に曝露する。

デルポイの女神ガイアを守る大蛇ピュトンが太陽神アポロンに殺される神話は「アポロン的父権制」の記事で書いた。http

これはバビロンのティアマトとマルドゥク、エジプトのアポピスとラーと同じモチーフだと考えられる。 

この様に見ると本当に対立しているのは牡牛と蛇ではなく、太陽と蛇なのではないかという疑問が生じる。

牛と蛇は常に闘争しているとは限らない。クレタ島では蛇信仰と牡牛信仰が両立していたらしいし、オルペウス教の中ではディオニュソス神が牡牛と蛇に交互に生まれ変わると教えられる。

インドのシヴァ神は牡牛ナンディに乗り、首には蛇を巻いている。

しかしシヴァ神は牡牛ナンディに、ヴィシュヌ神は大蛇シェーシャに乗るといった牛と蛇の間の何らかの確執、勢力争いといったものは感じられる。

(1)牛と蛇の確執はまずもって牧畜と水田農業の確執と考えるべきだろう。牛肉を食べる習慣の無かった日本には牡牛神話が存在しない。その点から考えると牡牛神話とは「食と殺と性の間のタブーの領域」を示しているのであり、古事記のオオゲツヒメや日本書記の保食神(ウケモチ)などハイヌウェレ神話と近い問題を孕んでいる。

<ギリシャ>

ギリシャ神話には特に牛と蛇が多く登場する。

ゼウスは牡牛に化けてエウロペを誘拐し蛇に化けてペルセポネーと交わる。

ザグレウスは牡牛に化けた時にティターンに捕まり解体される。

カドモスは腹に月印のある牡牛をアテナ女神に捧げるが、泉の番をしている龍を石で叩き殺す。カドモス神話は最後にカドモスと妻のハルモニアが蛇になって終わる。

他にもゼウスと格闘した龍のテュポーン、ジブラルタルで黄金の林檎を守りヘラクレスに弓で殺される龍のラドン、金羊毛を守るコルキスの百目の龍、これらはギリシャの先住民族が龍信仰、蛇信仰を持ち、それが後から来たヘラス民族に征服されたと仮定するとうまく説明できると考える学者が多い。

それを証明するかのようにギリシャ文明の古層であるミノア文明のクレタ島からは蛇を持った女神像が発見されている。(下写真)

しかしクレタ神話のミノスとパシパエに見られる様にクレタでは牡牛信仰も盛んだった。そして蛇と牛の両方が性的なイメージと繋がっている。

地母神は牛と交わる場合と蛇と交わる場合があるのだ。

その違いはどこにあるのだろうか?

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ここからの推測はかなり直感に頼る事になる。

「地母神」という観念はまず生産と生殖の相似象が根本に有ると思われる。

大地は子宮であり雨は精子であり雷は男性器である。

農作物の収穫すなわち生産は太陽のリズムと、女性の生理や魚類の産卵は月のリズムと共振する。そして生産と生殖が相似象をなす事によってこれらは一連の相似象の系となる。

蛇が水神である事は世界共通のようだ。それはまず泥水であり原初のカオスである。そして次にはクネクネとうねった川でありその氾濫、洪水である。洪水は嵐によって起こされる。となると嵐と同時に来る雷もやはり蛇だ。しかし同時にそれは男根の象徴でもある。これらのメタファー、男根~雷~嵐~雨~水~洪水は雨が精子と見なされる事でやはり一連の閉じた系となる。

アステカ神話における蛇神コアトリクエとワニの女神テスカトリポカへの信仰と若い女性の生贄は日本の八岐大蛇神話と同じモチーフ「洪水を司る蛇神への生贄」であると考えられる。

縄文中期(約6000年前ころ)は現代より1~2℃ 気温が高かったそうだ。そうだとすれば台風は今より巨大だったに違いない。日本と同様、メキシコもカリブ海の巨大なハリケーンが襲っただろう。治水工事も無い時代、毎年の川の氾濫は破滅的だった事が想像される。

(2)蛇信仰、龍神信仰が強力に生き残った地域とは大雨による川の氾濫が破滅的な様相を呈した地域ではないだろうか?

黄河や長江の氾濫は川の形が全く変わってしまう程のものだった。1998年の長江の氾濫では中流域の田畑が全部水没し水深10mにも達したのは記憶に新しいところだ。これと中国の龍神信仰は関係あるのではないか。

(3)ユダヤ教、キリスト教などの「砂漠型宗教」は神の怒りが強調される「火の宗教」であり正義が悪を断罪する「父性的宗教」である。その下では龍や蛇は一貫して悪役である。

旧約聖書では世界秩序の創造の時レヴィアタン(リヴァイアサン)という龍が退治され、イヴを原罪へとそそのかすサタンも蛇の姿で描かれる。

ヨハネの黙示録では七俣の龍が大天使ミカエルと闘い地下に封印される。

逆に火を「燃える業火」と見、怒りを人間の最も悪い感情とみなし

「水の宗教」「母性的宗教」と言われる仏教ではナーガ(蛇)は仏陀を守る存在である。

仏陀を守るナーガ

インドでも「火の宗教」の性格を持つバラモン教では蛇は悪魔として描かれ、悪龍ヴリトラは雷神インドラと激しい闘いを繰り返し、一度はインドラを恐怖で敗走させるが最後にはヴァジュラで殺される。

また中国の龍神信仰も道教の「母性的性格」「水の宗教」としての性格と無関係ではないだろう。老子は「上善は水の如し」と言い、究極のものを「玄牝」(神秘な母性の働き)と呼ぶ。

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蛇神は洪水を止めるために犠牲を要求する。その犠牲とは

(1)人身御供として川に人を沈める

(2)子供を大蛇の餌として与える

(3)若い女性と交尾する

邪悪なやり口だ。蛇神はその後、多くの場合英雄に殺され切り刻まれる。

蛇が邪悪なイメージで見られるのはある意味では自然な事だと思われる。その残忍さを思わせる目と不気味なシルエット。蛇と牛が人間に与えるイメージの決定的な差は目だ。蛇の目が恐怖を引き起こすのは人間の目とまるで構造が違うからであり、それは昆虫の気味悪さと似ている。

そして「角」を武器にして正面から突進する牡牛に対し「毒」という武器を使う蛇。

(4)ここからは「蛇が神と見なされる社会」とは「畏怖と恐怖が分離していない社会」宗教社会学のいわゆる「両極の聖性」が未分化な倫理体系の社会ではないか?という仮説が立てられる。

蛇の邪悪なイメージとは反対に牡牛は善良なイメージを持たれやすい存在だ。穏やかな体型と優しそうな目。牛は草食動物であり自分から他の動物を襲う事は無い。しかしアフリカ水牛は怒るとライオンをも殺す事がある。

ちなみに古代の牛は「オーロックス」という今のアフリカ水牛と同じくらい大型の絶滅種で体重は1t にもなったという。そして今の牛よりずっと大きな角は前を向いていた。角が後ろを向いているのと前を向いているのでは武器としての威力が全く違う。オーロックスには虎やライオンも適わなかっただろう。古代牛は恐らく「百獣の王」だったのだ。(下の写真はオーロックスに近い種をかけあわせて復元されたもの)

(5)牛と交わったパシパエ、ゼウスと交わった後牝牛にされたイオー、これらの神話は性的対象としての牛を示しており、それは多くの場合タブーを犯す事であり、交わった牛は長い間苦難を受ける事となる。しかしニーチェやバタイユが洞察した通り、タブーを犯す事は聖なるものに近づく事でもある。カマキリの交尾の後メスがオスを食べてしまう事、多くの魚が産卵、授精の後力尽きて死んでしまう事が連想される。

性は生の最終目標であり性の終わりは生の終わりである事、この生命の最も原初的な形を牡牛の犠牲は示す。牛は豊饒の象徴なのであり、牛の解体が牛への崇拝と裏表である事はミトラ教に最も良く現れている。インドでも牛は生贄にされ解体されるが、それは牛が神聖な動物と見られているからである。

グレイヴスやブリフォールトは「聖なる牛と神女の結婚または交わり」が実際にオリエントの古代密儀にあったと考えている。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/minos.html

それに対して蛇神も「性と死」と関係するが、その意味は牡牛と全く異なっている。蛇神も英雄によって殺され引き裂かれる。しかし蛇神は(生贄にされる牡牛とは逆に)生贄を要求する側であり、その報いとして(復讐の為に)引き裂かれるのだ。バビロンのティアマト、エジプトのアポピス、カナンのバアルの兄ヤム、日本の八岐大蛇、皆そうである。

これは川の氾濫のメタファーとしての蛇神である。蛇神の退治は英雄的行為となり場合によっては征服民族の英雄叙事詩のテーマとなる。それがたまたま牧畜民族による農耕民族の征服だった場合は「牛と蛇の闘い」となるわけだ。

征服する側から見れば龍を仕留める事は成人儀礼の様になり、英雄になるための条件と見なされる。北欧神話でもファフニールを殺すジークフリート、ヨルムンガルドと闘い相打ちになって絶命する雷神トール、インドでは悪龍ヴリトラと戦うインドラなど枚挙にいとまがない。

(6)しかし蛇神の「性と死」は単なる復讐ではなくもっと神秘的な意味も持っている。何故なら蛇神は川の氾濫を司るだけでなく、水田を荒らす蛙やネズミを食べる益獣でもあり、子宮としての大地に雨を降らせ妊娠させる「豊饒の神」でもあるからだ。川の氾濫さえエジプトにおけるナイルの氾濫の様に大地を肥沃にする役割を担う事もある。蛇神は地母神にとって荒廃と豊饒という全く正反対の意味を持ち得るという事である。

ユング派の神話学者カール・ケレーニイはディオニュソス信仰が一貫して「蛇との性的交わり」というモチーフを持ち続けた事を強調している。

「われわれがゼウスとかディオニューソスというギリシャ名を放棄するならば、そのあとには巨大な蛇の姿をした無名の神格が残り・・・」「神は洞窟に隠された自分の娘のもとを訪れ、娘は神と交わり、この神自身を神の息子として生んだのである。」

ケレーニイはここで単純に神女が蛇と交わったと主張しているのではない。そこでは転生の中で子が親として生まれ替わり時間が逆転するのであり、それは自分の尾を飲み込む蛇、ウロボロスで表される。今の僕には詳細は分からないが、「牛の精子と月光の関係」そして「蛇と循環する時間の関係」という二つの秘儀がそこに読み取れるように思われる。

以上、牛と蛇の神話の意味に6つの観点を考えてみた。

(1)水田農耕の蛇と牧畜の牛

(2)河の氾濫と蛇

(3)父性的宗教、火の宗教と母性的、水の宗教における蛇の違い

(4)畏怖と恐怖の未分離、ルドルフ・オットーやバタイユの「両極の聖性」

(5)供儀における性と死の役割が牛と蛇ではまるで違う事

聖なる犠牲となる牛、復讐の対象として引き裂かれる蛇

(6)もっと神秘的な何か・・・まだ良く分かっていない

最後に(5)と(6)を河の氾濫による破壊と豊穣に結びつけたのは強引過ぎたかもしれない。今後考えが変わる可能性がある。

参考資料としてはフェルナン・コントの「ラルース世界の神々・神話百科」の他、次の資料を大いに参考にさせてもらった。「龍 vs 牡牛」http

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