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「全国自治体病院協議会雑誌に掲載されました」
全国自治体病院協議会雑誌9月号に、今年度受賞いたしました全国自治立優良病院表彰総務大臣表彰について紹介され、島田病院長が当院の取り組みについて寄稿いたしました。また受賞病院を代表して当院が表紙に掲載されました。
島田病院長の寄稿文は下記からご覧いただけます。
【和5年度自治体立優良病院総務大臣表彰を受賞して新小山市民病院小山市長浅野 正富理事長島田 和幸理事長 島田 和】より
1 経営方針 当院が地方独立行政法人化(以下、地独法化)する際に、市が市民に対してアンケート調査した「市民が求める病院像」は、つまるところ“日常頼れる標準的な一般病院”であった。小山市は16万7千人の県内第2の都市であるが、市内・近郊の急性期総合病院は二つの大学病院(各々1200床)以外に本院のみである。「病気や怪我をしたらまずは市民病院に」と思える医療サービスを提供できるようになることが、市民に選ばれる病院になる条件と考えられた。経営改善はその結果である。そのために、あらゆる場面で患者の皆様が納得し、満足することを追求すること、医療・ケアの質、レベルと安全性を限りなく向上させること、地域と病院が一体になるまで連携を深めること、病院運営・経営のエキスパートになること、等々が本院の主要な行動方針である。地方独立行政法人における経営とは、「経営は民間的、心は公的」であることと理解し、「経営とは成果である」というドラッカーの言葉を座右の銘とした。
2 地域医療への貢献(1)救急医療 市民に頼られる病院として、当院に課せられた地域の一番のニーズは救急であると認識し、「断らない救急」を掲げ、内科外科系、「小山市の脳と心臓を守る」脳卒中&循環器チーム、小児科による4人当直、24時間365日救急体制を確立しており、救急車搬送台数は平成29年度以降、年間4,000台を超え、二つの大学病院を抑え、栃木全自病協雑誌第62巻2023年第9号県内で2番目に多い件数を記録している。 当初は、救急医療確保への信念を持った一部の献身的な医師のブラック労働に支えられていた面もあり、そのような環境の中で、他病院から移籍してきた若手医師との間で、「ここまでやらなければいけなのか?」と意見の衝突もあったが、委員会等で医師同士が対話(白熱した議論)を重ねたことで、自然と共創への意識が芽生えたと考える。その後は、体制の変更等を経て、対応患者数を減少させることなく、宿直許可も取得し、医師の負担軽減を図ることに成功し、救急の高水準での安定維持を図っている。(2)高度医療 平成27年度の新病院移転新築に合わせ、重症者対象となるHCU 13(1441)(ハイケアユニット)を増床、栃木県初となるSCU(脳卒中ケアケアユニット)病棟を開設し、高度急性期医療に対応した。特にSCUは、脳卒中センターとして、24時間の脳卒中ホットライン体制と連動し、地域の脳卒中医療の中核として役割を果たしており、令和4年度の脳卒中入院患者数は482件で県内随一の診療件数となっている。 心臓については、循環器専門医による急性期の診断及び治療に力を入れており、心臓カテーテル検査、経皮的冠動脈形成術等を、24時間ホットライン体制で確立している。心臓カテーテル検査、検査後の治療であるPCI(経皮的冠動脈形成術・ステント留置術)は、年々拡大し、令和4年度は、心臓カテーテル検査637件、PCI 324件と、栃木県内でも屈指の実績を誇り、地域の急性心疾患の要の役割を果たしている。 高度で専門性を必要とする疾患領域への対応を徐々に拡充した結果、手術件数は、平成24年度(地独法化前年度)の1,223件から、令和4年度3,095件と、約2.5倍となった。(3)地域の医療機関(病院、診療所)との連携地域との連携強化に力を注ぎ、地域の医療機関との密接な関係により、積極的に紹介率の向上、そして、紹介された患者を元の「かかりつけ医」に戻す逆紹介率の向上を図った。また、当院がホストとなり、小山市内外15病院による「小山市近郊地域医療連携協議会」の発足など、地域全体で医療のネットワークを形成しながら、地域の急性期病院の役割を果たしており、その結果、紹介率・逆紹介率ともに、安定的に80%程度を維持している。 地域医療機関と当院の連携による症例検討会『地域完結型医療・連携の会』や、『ポットラックカンファレンス』を毎月開催し(新型コロナ感染拡大後は、WEB(ZOOM)を利用した手法に変更)、地域医療機関との信頼関係の継続、地域全体での医療水準の維持及び向上に努めた。(4)総合病院としての標準装備への取り組み 地独法化後の10年間で、一般的な地域中核病院の標準的な機能として考えられる「地域医療支援病院」「基幹型臨床研修病院」「地域災害拠点病院」を順次取得した。これらは、制度創設の黎明期であれば、一定の規模がある病院では比較的簡単に取得できたものと思われるが、当時の当院にはそのような知見も余裕もなく、後回しとなってしまっていた。地独法化後、医療の質向上の一環として取得を目指したが、その時点では当院が所属する医療圏において、すでに基準の設置数が充足され、所謂、追加の考え方であったため、ことは簡単には進まなかった。当院としては、地道な実績を示す必要があると考え、紹介率逆紹介率の向上や独自の地域連携の仕組みづくり、DMAT隊の設置や地域防災連携の強化、大学病院との連携による協力型臨床研修の実施等、コツコツと実績を積み重ねることにより、行政の担当者の理解や協力を得ることができ、取得に至ったものである。職員にとってはそれなりの苦労を伴ったものであったが、その努力の過程が、自発的、創造的、協働的組織力のアップに繋がっていると考える。3 経営改善への取組み(1)組織 当病院は、その前身である地方公営企業法一部適用病院時代、慢性的に赤字経営が続き、市からの赤字補填に頼りながらも、なお多額の累積欠損金を抱え、医師の撤退による診療科の閉鎖等により、地域医療崩壊とまで評されていた。その抜本的な改善策として、地域医療再生計画による地独法化と新病院への移転新築を実施した。地独法化の最大の目的として、経営基盤の強化が急務であり、目的達成のために、全職員が一丸となって取り組んだ。 理事長を中心とした全セクションの幹部職員による経営改革推進会議を毎週開催し、医療コンサルタントの協力のもと、収入増加策、コスト削減策、サービス向上を含む業務改善策等を協議し、実践計画の策定とその実践責任者を選定し、目標と実績管理のPDCAサイクルを取り入れた経営改善活動を行った。経営改革推進会議は、現在までに約400回を数え、会議翌日には、会議内容を理事長(院長)自らが執筆する「院内広報」により、全職員に周知し、組織としての一体的な取り組みとなるよ14全自病協雑誌第62巻2023年第9号(1442)う推進した。 平成28年度より、組織開発、人材育成の柱として、「コーチング」プログラムの活用を始めた。コーチングとは、目標を達成するために必要となる能力や行動をコミュニケーションによって引き出す手法である。医療業界のように、別々に動く専門職集団が、他職種との横の繋がりによりチームを結成し、コミュニケーションによって患者の治療にあたる近年のチーム医療の推進に適している人材開発手法と考えられている。職員が「対話と実践」を通じどんな外的環境の変化にも“生き残る”、職員が“つながり・主体的に行動する”病院としたい。コーチングをとおし、組織と個人のアカウンタビリティ(主体的に自ら進んで仕事や事業の責任を引き受けていく意思)が高まり、内から“人的資源の質”が高い「組織」への変革を目指しており、その成果が、経営状況の改善に繋がっていると考える。 また、平成27年度(地独法化3年後)で、市からの派遣職員を廃止し、事務職を含めた全職員の完全プロパー化を図ったことも、職員の主体的行動の強化等、心理面を含め、経営改善に大きな影響を及ぼしたと考える。(2)収入面の取り組み 当院が地独法化後にすぐに取り組んだのが、診療報酬の取り洩れを防ぐ「落ち穂拾い」作戦である。その後、平成26年度に急性期病院として診療の質が的確に反映できるDPC対象病院へ移行し、診療発生したことから、各種費用負担は増加傾向となったが、このことにより当院の医療体制はさらに強化され、より高度な医療の提供や病床稼働率向上によるその後の医業収益伸長につなげることができた。一方で、医薬品仕入業者の絞り込みとベンチマーク交渉による値引き率引上げ(全自病ベンチマークでトップクラス)、ジェネリック薬品採用率の強化や医療材料共同購買事業参加の取り組み、院内での医療材料委員会でのコスト面を中心とした購入材料の随時検討等、費用の削減に向けた各種取組みを積極的に実践した。 その結果、地独法化前の平成24年度から令和4年度までの10年間で、材料費と相関関係にある、入院診療単価は78%増加したにもかかわらず、材料費対医業収益比率は、H24の22.9%からR4は24.1%と微増に留まり、相関的には大幅な減少と考えられ、入院診療単価との相関分析では、全国の地方独立行政法人病院でトップクラスの少ない比率となっている。報酬改定等の医療環境の変化や動向等を迅速かつ的確に把握し、先に記載した経営改革推進会議等での議論を経て、急性期病院として効率的な経営戦略立案を繰り返した。その結果、急性期病院の機能充実の指標となるDPC機能評価係数Ⅱについては年々向上し、平成26年度(地独法化2年後)の参入時点では、県内のDPC標準病院15病院の中で最下位であったが、その後は毎年着実に上昇し、令和2年度は4位/15病院にランクされ、診療報酬の増加に繋がった。 入院診療単価は、平成24年度(地独法化前年度)37,797円/日から、令和4年度は、67,224円/日まで、78%上昇し、同規模同機能の類似病院の中では、高水準となっている。地独法化後、経営状況は年々改善し、純医業収益は、平成24年度(地独法化前年度)46.9億円から令和4年度は100.4億円と地独法化後の10年間で2倍以上となり、10期連続純損益黒字化も達成した。その結果として、市が不採算医療に負担する運営費負担金についても、総務省の定める操出基準以下に年々抑制され、純医業収益に占める比率は、令和3年度で約3.9%と、全国の地方独立行政法100病院の中で、最低水準まで低下し、市との良好な連携の中で、財務面の安定が地域医療の安定に繋がっていると考える。(3)支出面の取り組み 地独法化後の診療の質の向上により付加価値の高い医療材料や薬品等の使用機会の増加等が新たに4 今後の展望と対応 当院は、地独法化後、10年をかけて、名実ともに地域の中核病院と認知されるようになった。今後の方向性は、この延長線上にあるが、今までと同じままではない。当地域は新幹線沿線にあり、2040年頃までは患者数増加が見込まれている。現在でも、既に新たな救急の受け入れを止めざるを得ないほど急性期疾患に対する需要が多い地域である。(1443)全自病協雑誌第62巻2023年第9号15 超高齢化社会における急性期~慢性期医療に対して、市民病院が果たすべき役割は何か。新小山市民病院は、大学病院と地域の小規模病院や診療所の間に位置している。当院がしなければならないことと本院職員ができることやしたいことを擦り合わせながら、当院の進むべき道を探っていくことになる。 急性期医療を強化するという観点からは、がん診療の拡充や産婦人科診療の再開などが課題である。当院の全病床を急性期病棟にするという地域医療構想の選択肢もあり得る。地域包括ケアという観点からは、当院と他医療機関とのさらなる連携強化が必須である。組織としての充実という観点からは、働き方改革の徹底やDX(デジタル革命)、AIやロボットの導入などが目標となる。 今後、社会状況がどのように変化しても、市民病院自体は、主体化した職員同士が、「対話」を通じて「オンリーワンホスピタル」を「共創」する、そういった組織風土が醸成され、定着することを追求し続ける。5 沿革昭和21年小山町国民健康保険直営診療所として開設(24床)昭和25年小山町国民健康保険病院に改称(38床)昭和43年小山市立病院に改称(99床)昭和55年下都賀郡市医師会病院と合併、小山市民病院と改称(356床)昭和58年分院休止(昭和63年廃止)(220床)昭和60年総合病院となる(252床)昭和63年新病棟の増築(病棟、ICU、心臓カテーテル検査室)(352床)平成16年地域医療連携室を開設健診センター(日帰り人間ドック)設置(342床)平成17年より良い小山市民病院をめざすあり方懇談会より、健全経営と建て替えの必要性の報告書が提出される平成19年小山市民病院運営委員会より、移転新築の方向性が市長へ答申される平成23年新小山市民病院建設基本計画策定(経営形態を地方独立行政法人とし、新病院移転新築を決定)平成24年市民病院建設準備室を市民病院建設室に改編平成25年経営形態を地方独立行政法人へ移行新小山市民病院に改称(新たに生まれ変わるの意味)平成26年DPC対象病院指定、地域包括ケア病棟を設置(一般294床【うち稼働256床】、地域包括ケア48床総計342床【うち稼働305床】〕平成27年地域医療支援病院の名称使用承認公益財団法人日本医療機能評価機構病院機能評価認定平成28年新病院移転開院(一般241床【うち稼働212床】HCU12床 SCU3床地域包括ケア44床 総計300床【うち稼働271床】)脳卒中センターを設置当院がホストとなり小山市近郊地域医療連携協議会を発足(発足時14病院)平成30年看護師の確保に成功し、2A病棟(29床)開棟し、300床フルオープン(一般241床 HCU12床 SCU3床 地域包括ケア44床総計300床】)人間ドック健診施設機能評価(公益社団法人日本人間ドック学会)施設認定平成31年BCP策定全自病協雑誌第62巻2023年第9号16(1444)令和2年令和3年令和4年栃木県DMAT指定病院に指定公益財団法人日本医療機能評価機構病院機能評価認定更新基幹型臨床研修病院に指定地域災害拠点病院に指定自治体立優良病院両協議会会長賞受賞17(1445)全自病協雑誌第
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