生存実践としての共通感覚

https://note.com/sonson01/n/n61d930cd99f8 【異常とは常識の欠落ではなく「共通感覚」の喪失である——木村敏『異常の構造』を読む】より

共通感覚が個々の感覚に含まれていながら、それらの感覚に固有のものではなく、他の種類の感覚にも移し変えることのできるような、ある種の感触ないしは気分であるという場合、これはこの共通感覚が個人の有機体の内部に生じる感覚生理学的なプロセスではなく、すでに個人内部の領域をはみ出した、自己と世界との関係の仕方にかかわるものだという意味を持っている。(中略)

私たちは、完全に有機体の内部に生じている生理学的プロセスを、けっして他人との間で比較しあうことができない。私が「赤い」と感じとっている感覚内容と、他の人が「赤い」と感じとっている感覚内容とが同一であるかどうかは、けっして判らない。同じ砂糖をなめた場合、私と他人とが同じ味覚を感じとっているかどうかを比較してみることはできない。しかし、私が「甘い」といい、他の人が「甘い」といった場合、この「甘い」という意味内容については、私たちは相互了解を持つことができる。それは、この「甘い」がもはや有機体内部の出来事ではなくて、各人の世界へのかかわりかたであるからである。(中略)

しかし、このように各人がそれぞれ別の世界を有しているというのは、私たちがこの世界に対して単に認識的な関係のみをもつ場合にだけいえることである。私たちが認識的な態度をやめて実践的な態度で世界とのかかわりをもつようになるとき、私たちはそれぞれの自己自身の世界から共通の世界へと歩みよることになる。

木村敏『異常の構造』講談社学術文庫, 2022. p.44-45.(傍点を太字に変換)

木村敏(きむら びん、1931 - 2021)は、 日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。河合文化教育研究所所長。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授。元日本精神病理学会理事長。人間存在を探究し、「あいだ」を基軸とする独自の人間学を構築して、国内外に影響を与える。著書に『自己・あいだ・時間』(1981年)、『関係としての自己』(2005年)などがある。

本書『異常の構造』は1973年初刊、木村42歳時の著作であり、木村の「あいだ」論の時期に属する初期の作品といえる。木村の「あいだ」の存在論とは、「人間はもともと人と人との『あいだ』に生き、『あいだ』を生きている、『あいだ』を生きることによって自己を形成する」という思想である。その背景には、この地球上には、生命一般の根拠とでも言うべきものがあって、我々ひとり一人が生きているということは、我々の存在が行為的および感覚的にこの生命一般の根拠とのつながりを維持している、そして私たちが持つある種の感覚(共通感覚)は、この根拠との繋がりを直感的にとらえるための感覚である、という考えがある。本書『異常の構造』においても、この「共通感覚」に焦点が当てられている。

精神科医である木村は、精神分裂病(統合失調症)者の言動から発散される「おかしさ」、すなわち理解できない「異常・非常識」の分析からはじめる。この「非常識」は、常識の反対語ではない。つまり、常識というある種の「知識」が欠落したものではない。常識とは、人が実践し生存するために必須の「感覚」に近いと木村はいう。木村は、アリストテレスが言った「共通感覚(コイネー・アイステーシス)」を根拠にする。「常識」は英語でコモン・センスだが、これはラテン語の「センスス・コムーニス」の直訳である。このラテン語はさらに、ギリシア語の「コイネー・アイステーシス」の訳語である。このギリシア語は、もともと「常識」の意味ではなく、むしろ視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つの「特殊感覚」に対して、それらのすべてに共通する感覚という意味で用いられていた(アリストテレス『デ・アニマ』)。つまり、そこにはまだ、世間的・日常的な意味での「一般感覚(コモン・センス)」、つまり規範的な意味は込められていない。アリストテレスのいう「共通感覚」とは、諸感覚に共通にそなわっている何らかの「感触」、あるいは何らかの「気分」のようなものである。

そして、この共通感覚が、ある種の感覚から他の種類の感覚にも移し変えることのできるようなものであるなら、この共通感覚には、個人内部の領域をはみ出した「自己と世界との関係の仕方にかかわるもの」という意味が含まれているという。というのも木村によれば、共通感覚をもっているというのは、世界に対する「認識的」なあり方ではなく、世界に対する「実践的」なあり方だからである。すなわち、「私たちが認識的な態度をやめて実践的な態度で世界とのかかわりをもつようになるとき、私たちはそれぞれの自己自身の世界から共通の世界へと歩みよることになる」。共通感覚をもつことで、私たちは自己の有機体内部の感覚から抜け出して、世界へのかかわりをもつ。つまり、共通感覚とは、すぐれて実践的な感覚である。アリストテレスの「コイネー・アイステーシス(共通感覚)」に再び戻って考えるならば、「常識」は元来が、五感と言われる特殊感覚のはるかな深部にある「生存実践としての共通感覚」に根ざすものである。つまり「認識」のためのものではなく「生存・行為」し続けるための必須の「感覚」こそが「共通感覚」である。

このように考えるならば、「共通感覚」の喪失としての「異常・非常識」は、単に知識や認識の欠落なのではなく、この世界において自己と他者を橋渡しするものとしての、生存・実践するための「共通感覚」を失っている状態であると言うことができるだろう。それは知識というものではなく、ある種の感覚・感触・気分のようなものなのである。とすれば、治療としての精神医学は、こうした「共通感覚」を取り戻すように患者に働きかけるという実践の学と捉えることができるだろう。木村の「あいだ」論による自己と他者の存在分析は、哲学的思索におわるものではなく、こうした積極的な「実践」につながるものとしての学でもあったと言えるのではないだろうか。


facebook相田 公弘さん投稿記事

「人間の成長の法則」というお話です。

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私は、人間の成長の法則を、誰にでもわかりやすい言葉を使って「3つの心」という形で示しています。

どんな人も、赤子の時代は、誰かに支えてもらい、助けてもらい、与えてもらって、初めて生きてゆくことができます。

私たちは皆、その段階から人生を始めています。

もらうことによって生きる。このときの心は、「もらう心」と表すことができます。

赤子は「もらう」ことが何よりの喜びです。

その心を持つ私たちは、何かを与えてもらい、支えてもらい、助けてもらうことを当然とするでしょう。

しかし、成長するにしたがって、人は、何かをしてもらうだけではなく、自分で「できる」ことを求めるようになってゆきます。

歩くことができるようになり、文字が書けるようになり、話ができるようになり、算数ができるようになり、仕事ができるようになり・・・といった具合に、「できる」ことを増やしてゆくのです。

「できる」ことを喜びとし、それを増やしてゆこうとする心を「できる心」と呼びます。

「できる心」は、今日、もっとも多くの人々が抱いている心と言えるかもしれません。それは様々な自己実現を求める段階です。

しかし、私たちの魂の成長は、そこで終わるわけではありません。さらに、その先があるのです。

それは、自分のことを超えて、誰かに、出会う人々に、関わる方々に、何かをしてさしあげることを何よりもの喜びとする「あげる心」です。

この「あげる心」こそ、私たちが本来抱いている「魂の力」を引き出すものです。

自己の完成をめざすだけではなく、共に生きる人たちの力になる。周囲の人たちを励まし、支える力になる。同じ時代を生きる人たちを押し出す力になること。

「もらう心」「できる心」「あげる心」

単純な言葉ですが、これは、与えられる自分から、自分の力を育む段階を経て、さらに自分を超えて、広がるつながりに応えてゆく私たちの魂の成長の法則を表しているのです。

運命の逆転 高橋佳子 著 三宝出版

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興味深い記事がありましたのでご紹介させて頂きます。

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受ける喜びより与える喜び。

この事実は幼児にもあてはまることが、カナダのブリティッシュコロンビア大学の3人の心理学者による新しい研究で判明した。

パブリック・ライブラリー・オブ・サイエンス(PLoS One)に掲載された研究論文によると、2歳未満の幼児は、お菓子をもらうことより与えることの方に喜びを感じるという。

さらに、単にお菓子を与えるより、自分の持ち物を分けるときの方が、喜びが高いという結論も出している。大人が人を助けるときに満足感を得ることを測定した最近の研究結果を裏付けるものであり、自腹を切っても社会のために貢献しようとする心理の解明にもつながる。

今回の研究は、幼児が人に与えることに喜びを感じることを示す初めてのものだ。

「幼児は本来、自分本位と思われがちですが、実際は、与えることの方に強い幸せを感じるということが観察されました」。

共同研究論文の筆頭執筆者ラーラ・アクニン(Lara Aknin)博士は語る。

研究では、金魚の形のビスケットなどのお菓子を幼児に与え、数分後、ひとつをぬいぐるみに与えるよう促した。

さらに、追加のお菓子を幼児に手渡し、ぬいぐるみに与えるよう促した。幼児の反応は録画され、録画をもとに幼児の幸福度を7段階で評価した。

アクニン博士は次のように述べる。

「幼児が自分のお菓子を分け与えることに最大の喜びを感じているということが、最も興味深い結果でした。

自分にとって何でもないものを手渡すときより、自分の大切なものを人の利益のために譲るときの方が、幸せを感じるのです」

(大紀元日本の記事より)

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心理学者マズローさんの“欲求5段階説”はあまりにも有名です。

生理的欲求 → 安全の欲求 → 所属と愛の欲求 → 承認の欲求 → 自己実現の欲求

さらにその上に「自己超越」の段階があると言っています。「与える」「貢献する」という段階です。そしてこのマズローさんは「人間の可能性を阻害する6つの要因」というものを教えてくれています。

(1)いたずらに安定を求める気持ち  (2)つらいことを避けようとする態度

(3)現状維持の気持ち  (4)勇気の欠如  (5)本能的欲求の抑制

(6)成長への意欲の欠如

つまり、この逆のことを積極的にやっていけば良いのです。人間の可能性は無限にあります。

そして、その可能性を奪ってしまう要因を知っておくことは、可能性を引き出すためにも、大切なことかもしれませんね♪最後に、マズローさんの言葉をご紹介して終わります。

「人びとを成長させる一つの方法は、責任を与え、期待していることを知らせ、苦労をさせ、汗を流させることだと思う。彼らを過保護にし、甘やかせ、代わりにやってやるよりも、自分自身でやらせることである」※魂が震える話より

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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