https://weekly-haiku.blogspot.com/2015/10/15.html 【名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫 (15)】より 今井 聖 「街」109号より転載
雪圍出でゆくほどの醉なりし 田中裕明(たなか・ひろあき) 『櫻姫譚』(1992)
なんだこりゃ。ユキガコイイデユクホドノヨイナリシ
この句、どこと言って「なんだこりゃ」の内容は見当たらないように見える。
問題はこの句が句集製作の年代から言うと作者が二十六歳から三十歳の間に作られたこと。
雪国で家の周りにさまざまの豪雪対策が取られている。
雪への準備という段階ではなく既に雪は降り積っているという解釈の方が「雪圍」という季語にはふさわしいだろう。
家の中で晩酌などしているうちにほろ酔いとなりその力を借りてついつい雪の中へ出て行ってしまった。この句、「ほどの」がポイント。
普通の神経なら出て行かないのに、その日は酒が入っていたのでその力を借りて囲いの外に出て行った。もう少し酒量が進んでいればやっぱり出ては行かない。
ちょうど雪圍を出て行きたくなるくらいの「蛮勇」を酒が与えたのだ。これ、どうみても老人の感慨ではないのか。
句はその一句から感得しうる内容で鑑賞すべきであって作者の境涯だの年齢だの性別だのの「知識」を添付しないで読むというのは大前提だと僕は思っているので、ここで裕明さんの作句時の年齢を持ち出すのは自己の信条に矛盾するかもしれぬとちらと思う。
作者名を外してこの句を鑑賞するとやはりかなりの高齢の人の所作、感慨を想像する。
僕は裕明さんの嗜好を分析したいのだ。どうして三十前後の若者がこんな感慨を持つのか。
友人にそんなことを言ったら「それは個々の考え方の問題。どんな感慨を持とうと勝手だろ」とぴしゃりと言われた。
また別の場で小川軽舟さんの「死ぬときは箸置くやうに草の花」についてこんな感慨は世俗的な老人の感慨で俺ならドブにはまって倒れても死ぬときは前向いて死ねっていう坂本龍馬の言葉の方に惹かれるなと書いたら、「それ嗜好の問題だから誰がどう願おうと勝手だろ」と同じ友人に同じことを言われた。
ウ~ン、嗜好の問題。そうかなあ。納得がいかないなあ。
裕明さんと軽舟さんの作品には共通する狙いが見える。それは「俳」もしくは「俳諧」。
連歌の成り立ちから考察して「俳諧」が俳句の本義。それに照らせば「諧」すなわち滑稽や遊戯性が俳句形式の存在理由であって、自分はそこを狙うのだと。
そういうことではないのか。「俳諧」という言葉はこのところよく耳にする。
このところというのは僕が「寒雷」に居た三十年間はとんと耳にしなかった言葉だ。楸邨は芭蕉研究でも知られ多くの著書があるが句会などで句を評するとき「俳諧」という言葉を発した記憶がない。
ナマの感動、素の対象から直接受け取る感受。自分と対象が一枚になるように。
自分の中に溜め込んだ言い回しの技術で作らない。歳時記から出来あいの季語を持ってきて嵌めこまない。そこにかけがえない自分が存在するように。先入観に捕らわれないこと。
評の中ではこれらのフレーズが繰り返し強調された。
「自分」「己れ」「かけがえのない自己」「私」。しかもそれを「もの」を通して表現すること。僕らはそう教えられてきたのだった。
寺山修司は「探すべき自分などそもそもないのだ」と言い、アイデンティティを作品に求めること自体が古い文学観だと笑った。しかし寺山は設定した「虚構」の中で「自己」からどれほど逃れ得たのだろうか。
要するに僕はこの句に裕明さんの「自分」を感じ得ないのだ。裕明さんでなくてもいい所作と感慨。つまり通俗の中にいわゆる「俳諧」らしさを設定していないか。
裕明さんは時代的、作風的括りとしては長谷川櫂さん、岸本尚毅さんとともに語られることが多い。
墓石に映つてゐるは夏蜜柑 岸本尚毅
根釣してふるき世のことはなさんか 田中裕明
桔梗や死に一言の暇なし 長谷川櫂
三人に共通するのは「己れ」を消し去るところに見る「俳諧」。個人より、より大きなもの、普遍なるものへの希求ということなのだろうか。
ふと石田波郷のことを思った。波郷もまた「俳諧」の名で語られることが多い。
女来と帯纒き出づる百日紅 初蝶やわが三十の袖袂
波郷作品の「俳諧」味として引用されるこれらには、しかし、「女来と」の異性に対する「いきがり」や「わが」の自己主張に他者と識別されたい意識が明瞭に見える。
この「私」こそが波郷の大きな魅力ではないのか。それを「俳諧」と呼ぶなら納得できる。
どこに書いてあったか、藤田湘子さんがお弟子さんに言ったらしい。
「男は日本酒を飲むときは杯を持った側の肘を上げて飲むんだ」こういう「俳諧」が嫌だなあ。こんなダンディズム、薄っぺらだなあ。
「声」をかならず「こゑ」って書く人嫌だなあ。ここにも「俳諧」ふうへの意識を感じる。
俳諧ふう演出の臭さ、ダサさ。
波郷の、元日の日があたりをり土不踏 梅の香や吸ふ前に息は深く吐け
こういうのでしょ、本当の俳諧って。命が迸るような瞬間をさらりと言うこと。気張らず、気取らず。
では、この句に学ぶべきところはないのか。ある。
二十年も前は、若手が「写生」なんて言うと、盲目的虚子信奉者か、権威主義の権化か、芸事志望者のごとく言われたものだ。
裕明さんの出現は「写生」という選択が、今日的で先鋭的であるということを広く提起してくれた。そこからもう一度子規の「写生」の本義を考えることができる。
なんだこりゃこそ学びの宝庫。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2016/10/27.html 【名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫 (27)】より 今井 聖 「街」121号より転載
人参を並べておけば分かるなり 鴇田智哉 『凧と円柱』(2014)
なんだこりゃ。ニンジンヲナラベテオケバワカルナリ
この句は鴇田さんの第二句集『凧と円柱』の帯に記されている八句から採った。
八句の前に「自選句」などと銘打っては無いが、本人抽出の意図を背負った作品であることは確かである。
僕はカルチャースクールでの授業の二時間の半分を過去の実力俳人についての解説に当てている。
虚子やら波郷やら草田男やら楸邨やらを読んでいたら、あるとき若い俳人もやってくださいという数人の要望があった。その人たちの挙げた「候補」の中に共通して鴇田智哉の名前があった。鴇田さんは人気作家なのだ。鴇田智哉さんの句はこれまでの誰にも似ていない。
そして彼オリジナルの書き方が確立されているようにも見える。
また、それを中原道夫さんの言った「石田郷子ライン」に倣って言えば鴇田ふう書き方を憧憬する人たちによってその「ライン」が出来上がりつつあるようにも見える。
少なくとも僕の目にはそう映る。僕は鴇田作品を不思議な感じで見ている。
おそらくこういう感覚というのは誓子や楸邨や兜太が登場したときと似通った印象ではないかと思う。そう思うと言うことは僕は鴇田さんを評価しているのだなと自覚する。
句の構造を分析する前口上として、僕は鴇田さんの句は諷詠だということを感じる。
見えたもの聞こえた音等、人間の五感から直接受け取る印象を表現している。鴇田さんは「書く」人ではなく「詠む」人である。
これはまずもっての僕の印象。彼の師が今井杏太郎だという先入観が僕の中にあるせいだろうか、呟きとか平明とか、言葉が次の言葉を呼ぶ滑らかさを「意味」に優先して感じるのだ。師を自分の骨にしてそこにオリジナルな肉付けをしてゆく。師系とはそういうものだ。
具体例を示しながら鴇田さんの句の構造を僕なりに考えてみる。
一、主語の省略、目的語の省略。
通常これまでの俳句は主語が省略されるときは「私」または「私たち」がそこに隠れている場合に限るとされてきた。例外はある。述語部分から明らかに主語を類推し得る場合は主語を省けるだろう。目的語の省略はまずないと言っていい。
こちらも例外はあるだろう。海中で矢を放つと言えば間接目的語は「魚」に決まっているというような。鴇田さんはこれらの通念に踏み込む。
冒頭の句。人参を並べておけば何が分かるのかが書かれていない。「何が」は「何を」。つまり目的語。書かれていないとどうなるか、読者はハナッからなんのこっちゃ、わかりまへんで放り投げるか、「忍耐強い読み手」なら目的語を自分なりに補って鑑賞する。
人参を並べておけば、私がここに置いたことが分かる。人参を並べることで私が意味しようとしたことが分かる。謎かけのようだと思ったとたんに作者の作戦にはまる。
謎かけ自体が意味を持つからだ。僕はこの方法は金子兜太さんの「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」と似ていると思う。
「湾曲し」と「火傷し」の主語はそれぞれ異なるはずなのに両者とも示されない。示されなくても読者は異なる二つを補って鑑賞する。過去の二者を想起させることで、現在の「爆心地のマラソン」が起点となっていることに気づかせる。
ただ、主語が無くても湾曲するのは鉄のように曲がる物質であるし、火傷するのは生き物であると類推できる。鴇田さんのはもっと類推から遠い省略である。
二、接続の言葉の「はずし」方。
ひあたりの枯れて車をあやつる手
これなど、まず、車は手であやつるものだから「車をあやつる手」は実に普通。問題は「ひあたりの枯れて」。枯れたところに日が当たっているなら凡庸な伝統句になる。「枯葉のひあたり」でも普通だし、枯れ色のひあたりでも普通。枯れたひあたりで、少し変になるが、それをひっくり返して「の」と「て」で結んだ。
こほろぎの声と写真にをさまりぬ 上着着てゐても木の葉のあふれ出す
も同様。前者は「こほろぎや」とおけば既にこほろぎは鳴いているので、
こほろぎや皆で写真にをさまりぬ
とでもすれば実につまらない凡句になる。
「木の葉のあふれ出す」は動的でこの部分だけでもまずまず面白いが、上着はすでに季節感があるので木の葉と重複感が否めない。その「凡庸」を「と」と「ゐても」でひっくり返し敢えて違和感をぶつける。
杏太郎師直伝の和食に多国籍スパイスをえいやっと振りかける。
下地にきちんと「師」が生きているのだ。
三、形容詞と名詞の関係。
名詞と動詞の関係で成立する構造の句が多いがその関係のそれぞれを互い違いに交換する方法。次の作品は帯の句ではなく「凧と円柱」の中。
あいてゐる花のとびらは息をする
「あいてゐるとびら」と「花は息をする」ならば普通の関係。植物は呼吸するからね。
その二種類をそれぞれ交換する。あいてゐるを花にかけ、とびらに息をさせる。
帯の、うすぐらいバスは鯨を食べにゆくもそんな感じ。
うすぐらい鯨ならちょっとした機知の範囲。この程度なら従来の俳句でもやる。ピノキオが入った鯨の腹の中の感じ。「うすぐらい」。バスで食べにゆくはむしろ日常性だ。
うすぐらいをバスにくっつけ、「バスで」を「バスは」として助詞をいじることでヘンテコな世界が現出する。相互交換手法。
四、反通念、常識を裏返す。
これはまあいろんな俳人がやっている。 便所より青空見えて啄木忌 寺山修司
莨火を樹で消し母校よりはなる 同
啄木の美化、無頼を通念として嫌い、便所をぶつける。母校愛や郷愁の概念を裏切って莨を樹に押し付ける。
そもそも、頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋がそうだな。
「写生」「写生」って、見えるものばかりが「詩」じゃない。そもそも文字で写すなんて道理に合わない。ほら、新興俳句系が大好きな「啓蒙」だ。
鴇田作品で言えば 尾の抜けてしまへば雪に眠るのみ 水にゐるごとくに風邪を保ちゐる
こんなのかな。
冬眠のためには毛を厚く被る必要があるから冬に動物の毛は伸びる。冬眠しない犬も猫も。
天の川犬後脚を抱き眠る 楸邨 かじかみて脚抱き寝るか毛もの等も 多佳子
こんな動物たちの毛は長い。
鴇田さんの獣は冬眠の前に尾が抜けてしまう。通念を逆転させる。
もっとも主語が無いし冬眠とも言っていないのだからそこに僕の読みの限界を言われれば肯うしかない。
「水にゐるごとくに風邪」はまあ、気の利いた伝統俳人なら常套。感覚的ですねなんて褒められたりして。通常風邪の句はその「状態」を言うのだ。
鴇田さんは「保ちゐる」。
保つは他動詞だから主語の意志を述べる。風邪を保ちたい奴などいるか。そこが通念の破壊。
以上四点あげてみたが、鴇田さんはこれらの要素のあれこれをいろいろな組み合わせで出しているように思える。
そして、これらの四点のうちの、特に最初の三点はまさに鴇田オリジナル。四点目はこれまで誰彼がやってきたことだ。
主語がないとき「私」や「私たち」で無くても鴇田智哉は読ませる。修飾語と被修飾語が「はす向かい」でも読ませる。それは作者の力であって「諷詠」の恩寵だ。
この三点の技法に於いて誰かの句に鴇田ふうを感じたら、それはただの亜流だ。
つまらない。なんだこりゃこそ学びの宝庫。
https://blog.goo.ne.jp/19310601/e/10f7beffcafea3566b56a5e7dffa4ccf 【「なんだこりゃ俳句」再々録 愚足】より
出席者は、主宰が金子兜太、司会役兼選者いとうせいこう。
選者が、 假屋崎省吾、高橋源一郎、冨士眞奈美、吉行和子、明川哲也、
大宮エリー、なぎら健壱、南海キャンディーズ、箭内道彦。
番組で取り上げられた二十句と批評を記憶の断片から紹介します。なにしろ二時間の深夜番組面白さと眠さだけが残って言葉にはなりませんでした。
福助のお辞儀は永遠に雪が降る 鳥居真理子 ・・京都にお福とかいうお菓子があり店頭でずーとお辞儀をしている。永久の都の雪中も健気に(ぐ)
唇は黒いマスクの下に惜しげもなくなくふる雪で必死の暮しも阻む冬はなほ更に思う 橋本夢道・・長すぎると無残にも定型に刈り込まれました
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子 ・・勝ったらどうなるの突っ込み
足のうら洗へば白くなる 尾崎放哉・・死ぬ間際の句とかで納得
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介・・「も」が効いている
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す 西東三鬼・・終戦直後白眼視されていたロシア人の苛立ち体験句
性格が八百屋お七でシクラメン 京極杞陽・・シクラメンは篝火花でお七
粉屋が哭く山を駆けおりてきた俺に 金子兜太・・体験句であるが空想句
法医學・櫻・暗黒・父・自瀆 寺山修司・・寺山が嫌いなもの
とととととととととと脈アマリリス 中岡敏雄・・生命・脈動・血のイメージとアマリリスの拍子
ワタナベのジュースの素です雲の峰 三宅やよい・・本歌取りの遊び句
噴水や戦後の男指やさし 寺田京子・・戦後のイカシタ女と男の姿と心意気
戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡辺白泉・・最高に不気味で怖い名句
春は曙そろそろ帰ってくれないか 櫂美千子・・倦怠の男女、分かるの声多
まっすぐな道でさみしい 種田山頭火・・山頭火では下の句
夜のダ・カポ ダ・カポのダ・カポ 噴火のダ・カポ 高柳 重信・・抽象画的とか、人生の繰り返しの苛立ちとか
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女(鞦韆:ブランコの意)・・取り合わせの妙、不安定感や断定的決意、かっこいい女に拍手
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり 阿部完市・・埼玉でも群馬でもなく栃木が語感的に正解
魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも 正木ゆう子・・蛍の句の同類、居直りの良さあり
夏みかん酸っぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子・・戦後女性のキッパリした生きざまに拍手
★なお作者は基地の女として生き黒人兵士を愛人として看取り忽然と失踪した伝説の女性俳人です
https://note.com/shigobi/n/n731e58162365 【NHK「日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!」2009年1月27日】より
おはようございます。自称「感服した女」神垣です。先週、金曜日の深夜に・・・
NHKで「日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!」を見ました。面白かったです〜、この番組!「型破りな、あるいは奇想天外な古今の作品を各界著名人が持ち寄って句会を開き、俳句の魅力を再発見していく」という主旨の番組で、句会に集まったメンバーは
司会のいとうせいこうはじめ 假屋崎省吾センセイや南海キャンディーズの2人、
クリエイターの大宮エリーなど、異色な面々に俳句会の重鎮、金子兜太というラインナップ。
メンバーがそれぞれ選んだ、ナンダコリャな俳句を解説をはさんで採点していくという方式なんですが「え、これも俳句?」という斬新な句もあり俳句の奥深さ、魅力を思い知りました。
肝心なところで、プロの金子兜太が 句の背景や作者について解説を入れると
すご〜く納得。理解が深まるんです。
俳句に限らず、絵画とか書とかもその道のプロと一緒に鑑賞し、解説してもらうと
観るポイントが分かり、興味がぐっと高まります。
この番組で強く印象に残った句が三橋鷹女の 「鞦韆は漕ぐべし 愛は奪ふべし」
鞦韆は「しゅうせん」と読み、ブランコのことです。明治生まれの作者が、こういう句を詠んでいるところが とってもカッコイイ! と思ったのでした。
こういう句会みたいな飲み会したら 面白いだろうな〜。誰かしません?
(VOL.979 2009年1月27日 メールマガジンあとがきより)
▼2020年10月22日 追記
NHKで「日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!」の記事を夏井いつきさんのブログで見つけた。
夏井いつきの100年俳句日記 2008.09.13
この記事を読むと具体的方法が分かり、ますますメルマガの読者イベントとして企画したくなった。オンラインでできそう。
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