乾坤の澄める鏡や観世音 五島高資
乾坤の梁に浮かぶや秋燈 五島高資
Facebook近藤裕子さん投稿記事
☘️立春に思うこと☘️
「人心新歳月 春意旧乾坤」じんしんしんさいげつ しゅんいきゅうけんこん
人の心は新年を迎えてあらたまり、春の気は天地をもとのように戻す
これは 南宋の詩人、山民の詩〈新春〉からの一節です。
余凍雪纔乾 初晴日驟喧 人心新歳月 春意旧乾坤
余寒の中雪纔(わず)かに乾き 晴れた初空は 日驟(にわ)かにあたたかくなり 人は歳月と共に心を新らしくし 春の気配は、昔ながらの乾坤(天地)にみちみちる。
人の心は不思議なものです。春を迎えると 今年も頑張ろうという思いになります。
蝋梅の爽やかな香りは 早春のよろこびそのものです。
☘️人生を明るく☘️
「喜色動乾坤」 きしょくけんこんをうごかす
喜色 → 喜びに満ちた笑顔 動 → 動かす 乾坤 → 天地
「喜びに満ち溢れた人は、天地を動かすほどの力を持っている」という意味です。
笑顔は人を幸せな気持ちにさせます。人はお互いに支え合いながら生きています。
楽しそうな顔をしている人のところには、自然と人が集まり、「希望」が生まれます。
希望は明日を生きる力になります。不安な気持ちは笑顔を失わせ、希望を遠ざけます。
春です。外に出かけましょう。花が咲く。鳥がさえずる。
♡♡♡♡♡
笑顔から明日は生まれます。
☘️私の好きな言葉☘️
「宇宙無双日 乾坤只一人 うちゅうそうじつなく けんこんただいちにん
これは『五燈会元』という中国・南宋代(1252年)に成立した禅宗の歴史書に出てくる言葉です。宇宙に太陽は二つと無いように、乾坤(天地)に、あなたという人間はただひとりである。
宇宙に太陽が二つ無いように 一人一人が大切な唯一無二の存在です。
お釈迦様は、「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」と示されたと伝えられます。この世のたった一つのかけがえの無い 一人ひとり、自己の存在の大切さを示された言葉です。何かに躓いたり 自信を無くした時この言葉を思い出してください。
宇宙の中に只一人の掛け替えの無い自分の大切さを理解し今日も丁寧に過ごしたく思います。
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12645767234.html 【乾坤の変は風雅のたね也 松尾芭蕉『三冊子』の言葉】より
(神奈川県横須賀市長沢)
乾坤(けんこん)の変(へん)は風雅(ふうが)のたね也(なり) 松尾芭蕉(『三冊子』)
「乾坤」とは「自然」のことである。自然の変化は俳句の根本である、と芭蕉は言っている。
ここで重要なのは、自然が俳句の根本ではなく、自然の変化が俳句の根本である、ということだ。
誰から聞いたが忘れてしまったが、日本人は自然を愛しているわけではない。
ドイツ人やカナダ人のほうが自然を愛している。日本人は自然ではなく、季節を愛している。
と言っていた。
そのことは以前書いたことがある。
(埼玉県所沢市)ゆるむことなき秋晴の一日かな 深見けん二(ゆるむことなき あきばれの ひとひかな)今日は埼玉県…
乾坤の変は風雅のたね也。 静(しずか)なるものは不変の姿也。 動(うごけ)るものは変也。時としてとめざればとどまらず。 止(とむ)るといふ見とめ聞(きき)とむる也。
飛花落葉(ひからくよう)の散乱(ちりみだる)るも、その中にして見とめ聞とめざれば、おさまるとその活(いき)たる物だに消えて跡なし。
ー『三冊子』―
天地自然の変化は、すべて風雅としての俳諧の動機であり、素材である。
多くの天地自然の変化の中でも、静かな物は不変の姿となるが、それもまた変化の一様相である。動いている物はもちろん変化の姿となる。
その変化の姿は、その時に応じて積極的にとどめようとしなければ、心にとどまることはない。
それがとどまるということは、見とめ、聞きとめることである。
花びらや落葉が散り乱れるのも、そのただ中にあってそれを見とめ、聞きとめなければ、その動きがおさまってしまうと、そのいきいきとした変化、消えうせてしまって、跡形もなくなるのである。(山下一海『芭蕉百名言』より)
これを読むと、俳句というのは、自然の一瞬の変化を言い留めるということであり、
一瞬の風景を俳句で詠み、その風景を永遠にする。ということであろう。
そう思う時、これは俳句に限ったことではなく、日本の伝統芸術全てに言えることに思えた。
明治時代のイギリスの外交官で詩人であったポール・クローデルが、日本の絵画について、こう述べている。
私たちにはあの親密な共感の能力がないのです。
(略)
それがあってこそ、たましいは、息づきはじめる若芽の伸びや、泥の闇のなかから水面の明るみへと浮かびあがる魚のあの力づよい尾鰭のひと打ち、などに情愛こまやかに合一してゆくこともできるのでしょう。
(略)
それは要するに生命そのものではないか。
それはもう芸術などではない。
(略)
こうしてこのあわれな生存のはしくれも、謙虚で敬虔な芸術家のおかげで、とこしえにいきいきと生きるものとなったのです。
(略)
あの偉大な芸術家たちは、永遠なるものを表現しようとして、さまざまの象徴や神々を描いたばかりでなく、まさにこの世のもっともかよわい、もっともはかないものを、
(略)
一羽の小鳥を、散りかけている木の葉一枚をえがいたのです。
そういったものみなを、かれらは魔法の筆のただひと打ちで、いつまでも生きながらえるようにさせたのです。
―『朝日の中の黒い鳥』「日本の心を訪ねる眼ざし」-
俳句とは「一瞬の風景、つまり命を、永遠にしてあげること」と考えていい。
とどめなければその風景は、すぐに消えてなくなってしまうのである。
そう考えると、俳句というものが実にいじらしく、美しいものに思えて来る。
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