あらたまる年のいろはや片瀬波 高資
潮風に年あらたまるいろはかな 高資
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6409453/ 【いろは歌】
山門は海に開きて初御空 高資
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7535404/ 【初御空】
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だいほうじ(にほんいさん)
空海が布教をした西の高野山(日本遺産追加認定)
大宝寺は、701年(大宝元年)に三論宗の道融和尚が創建したと伝えられる五島最古の寺であり、第41代持統天皇の勅願寺です。
その後、806年(大同元年)に、遣唐使に随行していた空海が唐から帰国の際に大宝寺の付近に漂着し、国内初となる真言密教の講釈を行ったとされています。このことから、三論宗を真言宗に改宗させたといわれ、真言宗総本山の高野山に対し、大宝寺を西の高野山と呼ぶようになりました。
また、五島八十八ヶ所巡拝の八十八番札所でもあり、境内には「弘法大師霊場 祈願お砂奉安 四国八十八ヶ所巡拝御砂踏處」と書かれた大師堂があるほか、長崎県指定有形文化財の梵鐘もあります。本殿には、最澄が寄進した十一面観音や左甚五郎作の猿の彫刻があり、2022年には日本遺産の構成文化財として追加認定されました。
https://www.youtube.com/watch?v=K1ckoZi6XJQ
https://ritoful.com/archives/19736 【長崎【福江島の大宝寺】空海が訪れた五島列島の“西の高野山”と称される寺院】より
世界文化遺産があり、教会や椿、五島うどんなどの魅力が有名な長崎県五島列島のうち五島市の離島「福江島(ふくえじま)」。大宝元年(701年)震旦の国(現在の中国)より三論宗の祖師 道融和尚が来朝し「弥勒山観音院大宝寺」を開創しました。第41代持統天皇の勅願寺でもある五島列島福江島の「大宝寺(だいほうじ)」についてご紹介します。
#五島市 離島 #福江島 観光 #観光スポット
文章・画像提供:五島市文化観光課 編集:りとふる編集部
【見どころ】
「大宝寺(だいほうじ)」は、約1300年前の大宝1年(701年)に建設されました。もともとは三論宗の道融という人が開基しましたが、その後大同1年(806年)に弘法大師 空海が唐から帰国の際に大宝に立ち寄り、大宝寺において真言宗最初の道場として布教活動をしたことから、三論宗を真言宗に改宗しました。
その後、「西の高野山」と言われるようになり、ぼけ封じ観音や奥の院の小高い丘の上には「へそ神様」と呼ばれる五重の石塔があり、子供が生まれると島の人たちは健やかな成長を願って、へその緒を紙に包み、石塔の下の方にある穴に納めたといいます。今ではその穴はふさがれています。
その他に、室町時代の涅槃図、我が国最古の大般若経、県文化財の梵鐘、日本三大秘仏の聖観音像、左甚五郎作と伝えられる猿の彫刻があります。
https://drive-nikki.com/daihouji_temple.html 【弥勒山観音院大寶寺(五島市)】
弥勒山観音院大寶寺は高野山真言宗の寺院で、西天竺のマガタ国より不須仙人がやって来て、エンダゴンという金属で鋳造されて「聖観世音菩薩」を奉持し玉之浦笹海の小高い丘に祀って「観音院」と称したことが伝わっており、この聖観音像は信濃の善光寺・東京浅草の観音と共に「日本三大秘仏」の一つと言われています。
701年に震旦の国(現在の中国)より三論宗の祖師・道融和尚が来朝し弥勒山観音院大宝寺を開創したのが始まりとされています。また第41代持統天皇の勅願寺でもあります。開創後の806年には唐から帰朝の途中に大宝の浜に漂着した弘法大師(空海)が真言密教の講演をこの寺で行い、三論宗から真言宗に改宗したとされ「西高野山」と称されるようになりました。室町時代の涅槃図や我が国最古の大般若経・1375年に播磨国多賀郡西林寺の僧増進が渡唐に際して、航海安全を祈願して寄進した梵鐘があります。
現在では五島八十八カ所の第87番・第88番札所として結願の寺として参拝者が訪れており、境内には大師堂の回りを歩く四国八十八箇所霊場お砂踏みや弁財天堂・奥の院・大日如来堂等見所満載です。
御本尊:聖観世音菩薩
https://nyanmite.jugem.jp/?eid=39 【西の高野山~大宝寺~】より
ドライブ中、夫が思い立ち方向転換。「西の高野山」と言われる【大宝寺】を訪ねました。
国道384号線と県道50号線が重なる交差点に、「弘法大師ゆかりの地 西高野山大寶寺」という石碑があります。その石碑の右側の道へ進みます。この先案内板などがないので不安になりますが、気にせず進みます。
グラウンドの先に右折する道、グラウンド沿いに左へ行く道、その間の左斜め前へ進む道が2本と、4つに分かれます。斜め前へ進む道はどちらからでも大宝寺へ着きます。
左側からだと距離は近いですが、若干道幅が狭いです。突き当たりに海が見えたら(左側は民宿)右折すると大宝寺です。
右側からだとカーブや横道が多く距離が少し長くなりますが道なりにひたすら進みます。突き当たりに海が見えたら左折すると大宝寺です。
右側の道を進むと突き当たりで視界が開け、海が見えます。
高野山真言宗 大宝寺。
元々は701年に来朝した中国の三輪宗の僧・道融が、住民により祀られていた観音様を移して創建したと言われて、五島で最も古い歴史を持っています。
806年、遣唐使として中国へ渡っていた空海が帰国の際に立ち寄り滞在している間に、真言宗へ改宗しました。
五島八十八ヶ所巡拝の最後、八十八番目となっています。
奥のほうから歩いてきたおばあちゃんに、「お参りするなら、あっちに行きなさい」と言われたのがこちら。
「弘法大師霊場 祈願お砂奉安 四国八十八ヶ所巡拝御砂踏處」と書かれた大師堂。
中へは自由に入っていいそうで、出会ったおばあちゃんは足が痛くて大変だったのが、ここへ毎日お祈りに来ていたら普通に歩けるようになったと言っていました。
確かに、数カ月前に捻挫した足を放置したせいでいまだに痛い私より、よっぽど足元がしっかりしています。
「あっち(大きいほう)より、こっちのほうが効くから(笑)」
本気か冗談かはさておき、足を痛めている私が出会ったという偶然には何か縁があると思い、お堂の中へ。
夫と二人、お線香をあげていた時のこと。
シャラン。
真ん中あたりから音が。
一瞬、ロウソクや線香を触っていたせいで何か倒れたのかと思いましたが、何も倒れた様子はなく。
よくよく考えれば、音がした方向は手が届かない辺りだったし、倒れた音というより金属が擦れたような音。
音の出所はわかりませんでしたが、確かに夫も同じ音を聞いたので、何だったんだろうと首を傾げつつ座ってお祈りをしました。
お堂を囲む通路には四国八十八ヶ所巡拝の札所の名前が並んでいます。
「お砂踏み」とは、四国八十八ヶ所霊場の「お砂」を集めそれを札所と考えて「お砂」を踏みながらお参りすることで、実際にお遍路をしたのと同じ御利益を得られるというもの。
数多くの寺院で「お砂踏み」が行われており、身体的事情や経済的・時間的な理由により四国遍路を出来ない人が、身近に感じることが出来るように生まれたものだそう。
大宝寺を訪ねた時にはそんなことは知らなかったため、ただ通り過ぎただけで勿体ないことをしました。
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