https://www.umashi-bito.or.jp/column/573/ 【うつし世】より
うつし世とは、生きている世界、現世のことです。周知の通り「現」とは「うつつ」、夢と現実を対比した「ゆめかうつつか」という表現はよく知られています。
有名なのは『古今和歌集』にある歌、「世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ」でしょうか。この世は現実なのか夢なのかわからないと、古人も現代人と変わらない感覚をおぼえていたようです。
うつつを「うつし世」と捉えれば、さらに現実が幻のようにも思えませんか。明智小五郎や怪人二十面相を生み出した推理小説の名手、江戸川乱歩も、
―― うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと
と言い遺しています。もしかすると彼は架空の世界に現実を見ていたのかもしれませんね。
ところで、うつし世の反対は夢ではなく「隠り世」、あの世(黄泉の国)のことです。
この世がうつし世(現世)で、あの世が「隠り世」ということは、なにが現れ、なにが隠れているのか。身分の高い人が亡くなったときの「お隠れになる」という言葉が、それを表しています。
そう、霊魂です。隠り世は霊魂が隠れる、うつし世は現れる場所。つまり、肉体は滅んでも霊魂は不滅であり、あの世とこの世を行ったり来たりしているということでしょう。
だとすれば、うつし世であるこの世界は、やっぱり魂たちが夢に描いた世界なのでしょうか。なんとも摩訶不思議な世界です。
(201225 第81回 画:池大雅「Fishing in Springtime」)
著者:神谷真理子
Facebook斉藤 一治さん投稿記事
言靈はすべてに意味があります。霊は本來「靈」と書きます。
【れ】禮、成り立ち、神に供え物をして行う祭礼を表します
【い】息吹き、息吹く、生命の根本原理を表します
日本語は50音訓すべてに母音(あ行)が含まれており、母音は唯一宇宙と繋がる言靈になります。日本語が世界で一番周波数の高い言語の秘密は母音にあるのです。
あ段・・感情、感受性を表す。直観力、宗教や芸術、思想、哲学など。
い段・・生命、超然、創造力を表す。意思、宇宙、エネルギーなど。
う段・・感覚、欲望を表す。また、産業や経済活動とも関わりが深い。
え段・・選択、叡智、実践、実行力、慈悲を表す。道徳心、政治的発想なども司る。
お段・・経験、知性、好奇心を表わす。思考、科学やその他学問なども含む。
“れい”自体が言靈で意味のある言葉になりますが、漢字の意味では巫女が口を開いて雨を受け取っている圖が象徴化されています。
シャーマンである巫女が農耕に大切な雨期などの自然現象を知るため、天のメッセージや自然の聖靈のメッセージをエネルギーとして受け取っていることを現しているのが靈という漢字なのです。日本民族は元々がシャーマン的な素養を全員が供えています。
本來、巫女とは、天と地をつなげる存在でした。見えない天のメッセージやエネルギーを受け取る器です。
巫女自身は、そのメッセージを受け取るだけで、解釈は出来ません。
そこで、そのメッセージが人民にとって有効かどうか、論理的、思考的に判断解釈する存在が必要です。
これが審神者(サニワ)と言います。
巫女 =女性的、直感的、右脳的、陰性
審神者=男性的、論理的、左脳的、陽性
つまり、巫女である女性が天や自然の声(メッセージ)を捉え、サニワという男性が、その声を一般の人民にも理解できるような言葉に翻訳し、人々に伝えます。
これが本來の「マツリゴト(政)」=天の声を祭ることでした。
宇宙や大自然と調和した女性原理文明です。
ところが、現代社会はサニワである男性が力を持ってきます。
男性は、マツリゴトの根源である巫女のメッセージを切り離し、論理性を中心とした政治を行うようになります。
それにより築き上げられる文明は、徐々にエスカレートして宇宙や自然との調和を欠いた文明へと進んでいきます。
これが現在の人類の文明。つまり男性原理文明です。
今でも祭祀王(巫女) は瀬織津姫です。審神者(男性) 🟰統治王も残念ながら隠されています。
近いうちに統治王が復活します。祭祀王も蘇ってきます。#日本人と古神道
https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/baionnsyoumyou.htm 【倍音声明】
http://blog.livedoor.jp/natusunao17/archives/45005157.html 【栗の花】より
久し振りに見た栗の花。折角なので栗の花で今日はアップする。
以前はバス停に行くまでに、道に栗の花が覆いかぶさっていた。そこへ行くまでに香で咲いているのがわかった。雨の日の翌日は、蚯蚓のような栗の花が溝に落ちていた。
台風で折れてしまった。季節を感じるものが減って寂しい。
栗の花匂ふ丹波路なつかしく 稲畑汀子
想像を超えて匂ふや栗の花 はしもと風里
栗の花手相見られてをりにけり 太田悦子
今はもう少し花が咲いているかな。そして匂っているだろう。
栗の花は香と言ってもらえないのだな。仕方ないか。丹波の栗林の中はどんなに匂うのだろう。そういえば栗の蜂蜜ってあるのかな。
今日の一句 栗の花蝶を宿しているような SUNAO
https://atukuri.com/?p=3800 【栗の花ってどんな感じ?見た目や時期、においなど書いてみます。2020年6月山口県美祢市厚保「いなだ栗農園」】より
みなさんこんばんは^^今日の山口市は曇りの天気から時折大雨が降ってくる天気でした。
梅雨時期とはいえ雨がこんなに強いとちょっと不安になってきます。
梅雨入りに入る前に栗の花が咲き始めてきてました。
早生の栗、中生の栗、晩生の栗とあるのですがやはり咲くのが早いのは早生の栗ですね。
とはいえ晩生の木を植えているエリアに「あれここは早生なんか植えてないのになぜ花が咲いているだろう?」というところもあります。
人間にも性格や成長のスピードがあるように栗の木にも性格や成長のスピードもあるだろうと思っています。
今回は栗の花ってどんな感じ?ということで見た目や開花時期などを書いてみたいと思います。
栗の花の開花時期
栗の花が開花する時期は、5月中盤~6月の間です。
比較的過ごしやすい気候の時期に開花が始まり梅雨時期にかけて、2週間前後、花が咲きます。とても特徴的な花なので一回見たらインパクトがあるので印象に残るのではないかと思います。
栗の花には雌花と雄花があり実は写真に写っているのは雄花になります。
白いクリーム色の花がたくさん咲いていまして遠くから見るとそれが一つの枝のように見えてきます。
また更に遠くからみても緑の中に白いクリーム色の花がさいているのでとても目立ちます。
雌花はこの穂花(雄花)の根元あたりにあってこちらが受粉して実がついていきます。
栗の雌花
わかりますかね? 栗の根元に一つほど栗の実がなっています。
栗の花のにおい
栗の花の匂いはよく言われますが、いい香りとは言えないのではないかと思います。
とても独特なにおいでどう表現をしたらいいのか難しいですね。
私が思う匂いに近いのは筍の皮をむいた時の匂いと似ていると思います。
余計にわかりにくくなりましたねw
栗の木が近くにあるという人は独特な匂いなので敏感な人は不快なにおいと感じるかもしれません。私からすればそこまできついにおいがしてるわけではないと思うのですが単純に慣れているだけかもしれません。
雄花はどうなるの
2週間程度咲き誇った栗の花ですが、役目がおわった雄花はどうなるかといいますと長い穂がそのままぽたりと地面に落ちてそのまま栗の木の肥やしになっていきます。
受粉し雌花が実をつけて大きくなって栗の実をつけていきます。
このように枯れて最後にはポトリと地面に落ちてしまいます。
栗の実
栗の実がついています。これが少しずつ大きくなっていきます。
穂花の根元にあった雌花が受粉して実をつけます。
そして早いのは8月下旬から収穫できるようになりまして10月いっぱいぐらいまで収穫が続きます。
収穫時期が約2ヶ月。この時期が栗農家にとっては大忙しの2か月間になります。
立派な栗になって皆さんの食卓に運ばれて行きます。
https://business-textbooks.com/nioi-kaori-difference/ 【臭い・匂い・香り・薫り・馨りの違い】より
臭い・匂い・香り・薫り・馨りの違いについて
「におい」には「臭い」といった漢字と「匂い」といった漢字があります。
また、似た言葉に「かおり」がありますがかおりにも「香り」「薫り」「馨り」といった漢字があります。
それぞれは似たような意味を持ちますが違いがあります。
ここでは臭いと匂いの違い、そして香り・薫り・馨りの違いについてもご紹介していきます。
臭いとは
「臭い(におい)」は、嗅覚に訴えかける刺激、またはその元となる空気中の物質を言います。
「匂い」との違いで言うと、臭いの場合は主に、不快な臭気に対して使われるようになっています。臭いは「くさい」とも読むことから、嗅いで心地よくなるようなものに対しては、あまり使われません。口臭や体臭など、好ましくないものに対して使用する場合がほとんどです。
例えば、「汗の臭い」という書き方はされますが、「お花畑の臭い」という書き方はされないといった具合です。
また、臭いは比喩としても使われます。具体的には、「犯罪の臭い」「危険の臭い」といった言い方で、好ましくない事態の予兆を、刺激臭に見立てて表現するようになっています。
匂いとは
「匂い(におい)」は、臭いと同様、臭覚への刺激やその原因である物質を指します。
臭いが上記のように、主に不快な臭気に対して使われるのに対し、匂いの場合は逆に、好ましいにおいに対して使われます。例えば、「花の匂い」「果物の匂い」などといった具合で、心地よい気分になるにおいを、「匂」という漢字で表現することが多くなっています。「下水の匂い」といった使い方も間違いではありませんが、あまり多くは見られません。こうした点は、臭いとの大きな違いになっています。
ちなみに「匂」の字は、平安時代に日本で作られた国字にあたります。「整える」という意味の象形文字に、「ニホヒ(におい)」のヒの字を入れ、「におい」の意味を持たせたものです。
香りとは
「香り(かおり)」もまた、臭覚への刺激を指す言葉です。意味としては、「におい」と変わりません。
香りという言葉でにおいを表現する場合は、心地よい感覚のものを指して言うことがほとんどです。ですので、「汚泥の香り」などという使い方はされません。
この点は匂いと同じですが、香りの場合は、においの中でもより好ましいものに対して使われるという違いがあります。具体的には、香水や花などの、強い香気を持ち、なおかつ品のあるにおいです。みずみずしく爽やかな気分になるようなものに対し、香りという言葉で表現するようになっています。
ですので、感覚の心地よさの順で言うと、香りの次に匂いがくるという言い方ができます。
薫りとは
「薫り(かおり)」も、香りや匂いと同様、良いにおいに対して使われます。
薫りは、一般的には香りとほとんど同じ意味として使われています。匂いよりも高級で、豪奢な香気に対して使われることが多くなっています。例えば、「薔薇の薫り」「ラベンダーの薫り」といった具合です。
このように、一見香りとの違いがわかりづらいところですが、両者は使い分けることができます。香りが主に、嗅覚への心地よい刺激のみを指すのに対し、薫りはそれ以外の場合にも使うことが可能です。具体的には、「文化の薫り高い」「初夏の薫りがする」「ロマンの薫りあふれる」など、嗅覚以外の比喩的な表現としても使えるようになっています。
馨りとは
「馨り(かおり)」もまた、香りや薫りと同様に、「好ましいにおい」という意味があります。
やはり香りや薫りとの使い分けに迷うところですが、馨りのニュアンスは、これらとは少々違いがあります。「馨」という漢字は、「香」の字に楽器を表す部分を加えて作られたものです。香は黍(きび)を焼く甘い匂いを表しており、それに楽器を示す部分を加えることで、「匂いを遠くまで行きわたらせる」といった意味を持たせてあります。
つまり、馨りは香りや薫りとは違い、遠くまで行きわたるような心地よい匂いというニュアンスがあるわけです。さらにこうした意味から転じて、「良い影響が周囲に派生する」といった意味も持つようになっています。
まとめ
以上のように、同じ「におい」でも、「臭い」と「匂い」は表現するところが異なります。
臭いが主に不快な臭気を指すのに対し、匂いは好ましい香気を指すようになっています。
また、「香り」「薫り」「馨り」にも、それぞれニュアンスの違いがあります。香りが単に良い匂い自体を指すのに対し、薫りはそれと共に、心地よい雰囲気や文化、ロマンなどの抽象的な事象に対しても使えるようになっています。また、馨りは良い匂いが周囲に満ちるという意味合いを持ち、それから転じて、好ましい影響が周囲へ行きわたるといったニュアンスも持つようになっています。
このように、においを表す言葉にはさまざまな種類があり、それぞれにニュアンスの違いがあります。それらを知っておくことで、細かい使い分けに迷わずに済むようになります。ここで紹介した意味合いを意識して、それぞれを適切に使い分けて下さい。
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