Facebook須藤 義人さん投稿記事
テーラワーダ仏教・マハーヤナ仏教・エンゲイジド仏教の統合曼陀羅的なインストールによって、心身内が三つ巴の拒絶反応を起こしていた。
ふと気がつくと、沖縄のミルク神信仰と大乗的な弥勒菩薩信仰を往来する瞑想世界に浸っている魔境的な自己があった。
大衆と道巡りをするミルク神と、孤高に半跏思惟する弥勒菩薩が拒絶反応を起こしつつ、しかし人々の希望によって融合しようとしている原風景を見たような気がする。
沖縄の人々が「ミルク世」を望む未来への道標を、「戦世」を煽る過去への道標に引き戻す囁きによって、現在地の歩みを違えてはなるまい…。
過去・現在・未来は三位一体であり、時間と空間は交錯し、地中の戦死者からの無声と雄弁な為政者からの有声に苛まれつつ、それを優しく包み込むはずの森と海の濫壊が混沌として眼の前にある。
こんな悪夢を繰り返し観る、最近の自分があった…。しばらく瞑想・祈りを省エネモードにして、目の前の平和教育や反戦活動に集中する時期に来ているのかもしれない。
祈らなければ平和は訪れない…しかし、祈りだけでは平和は守れない…
Facebook福田純子さん投稿記事 ー平和を送ろうの巻ー
12月8日は毎年大きな分かれ目の日❣️仏陀が成道した日(悟った日)といわれる一方、
昭和10年12月8日出口王仁三郎が島根県の松江市の宍道湖で逮捕されました。
その6年後、昭和16年12月8日に日本はハワイの真珠湾攻撃をして太平洋戦争が始まりました。さらに昭和55年12月8日ジョンレノンが殺されました このように、12月8日は、
戦争にいくのか.......平和の世が来るのかのシーソーゲームの分かれ道❣️
そんな新月も重なった日に柳田ご夫妻のお招きで京都で笑顔講演をさせて頂きました〜♫
笑顔と言えば京都広隆寺の微笑み仏の弥勒菩薩!56億7千万の時を経て未来を救う存在としてお釈迦様に成り代わって下生されると伝えられる弥勒菩薩さま!
弥勒にまつわる56億7千万は五臓六腑と7つのチャクラを開いた未来人類の集合意識と
解いて....みんなで弥勒意識へ向かって笑顔で未来に向かおうと心1つ
に平和意識を高めた京都初日講演会なのでした〜
Facebook福田純子さん投稿記事 ーサムライはミロクの巻ー
鬼滅の刃の大ヒットもあり去年は「鬼」がテーマでした 鬼滅隊の剣士 サムライは
ヤマトごころの復活かと見ていましたがお正月にお友達のフロウライト加藤賢二さんから
のお電話でサムライはミロクとのお話しにビックリ!
皆さんも「えっ?どこが?」と思われたでしょ〜なんと!サムライは「3 6 来」で3.6.9
ミロクなのです
鬼滅の刃は更に申の年に始まり申、酉、戌とまるで鬼退治の様に連載され亥年からアニメ化!
そして子年のブレークを予知した様に「禰󠄀豆子=ネズコ」の存在!
そして今年丑年は易学でも極寒で夜明け前は最も暗いと言われる様な年!つまり一人一人のこころの中の最後の鬼退治の年なのです
どんなに強い鬼も、太陽が登れば何もかもが終わります💕
炭治郎の心の底にある太陽は鬼をも目覚めさせる愛の力なのです💕
更に56億7千万年の時を経て釈迦如来に成り代わって下生すると言われる未来仏ー弥勒!
コロナも5 6 7でもう一つのミロクでありコロナはミロクの切り札でそれを超えてこそ新しい世の始まりなのです!私は19才で広隆寺の弥勒菩薩を通して弥勒意識に出会い
以来ひたすらミロクの微笑みを目指して今年で丁度50年になります💕
いよいよ弥勒意識が大和ごころと共に発動し日本が世界に影響を与える時が来ました!
日本の使命のスイッチがONになる時空!その証は一人一人の心の目覚めによる笑顔から生まれるのです(鬼滅の刃のストーリーやミロクについてご存知ない方にはチンプンカンプンかと思います!お許し下さい)
美しい日本の仏像@j_butsuzo
【京都・広隆寺/弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)(飛鳥)】昭和35年に拝観した大学生が像に触れ、右手薬指破損。断片をつないで修復済み。肉眼では破損の判別不可。ドイツの哲学者、ヤスパースに「人類が作り上げた最高の美」と絶賛された像。
ひかりの輪の京都聖地巡りに参加しました。いつもメッセージを受け取るのが広隆寺の弥勒菩薩。上祐さんにかかわるメッセージ「後ろを向いて夜叉になる」でした。
Facebook若林俊彦さん投稿記事
コロナ567の次は8 9 10 ハクト 白兎とは白うさぎのこと 今年は何どし?そう卯年です
これは瀬織津姫ミステリーツアーに同行された方から聞いた話です
白うさぎは良い世界に導くという暗示や象徴であり駆け回り飛び跳ねる様は跳躍、飛躍につながり新たな素晴らしい世界へと導きます
弥勒経に隠された暗号
弥勒経とは仏教のお経ですがその中に弥勒菩薩は釈迦入滅後の5670000000年後に現れて
世を救うといいます この数字コロナを意味します つまりコロナ後に世の中は変わる
さまざまなことが起きるでしょう
でもただ言えること素晴らしい未来、希望があります 全てを打ち消し良い世の中を作る
この世界が愛に包まれる そのことを祈ってください 今の世界を作ったのは 他ならぬわたしたちです 素晴らしい世界を作るのも わたしたちです それは皆が望めば実現します
また他の星からも応援があります 既に地球も動物も植物 森羅万象はそう動いています
最後がわたしたち人間です
https://note.com/yawarakamegane/n/n771534686ba3 【人生最高のメンター「弥勒菩薩」との出会い アルカイック・スマイルの魅力とは】より
「こんなにも穏やかな気持ちになれたのは初めてかも…」
先日、GW中にサイクリングで大阪-京都を往復100km走りました。アクティビティとしては「ロードバイクに乗る」ですが、目的は別にあります。
それは「弥勒菩薩(みろくぼさつ)に会いに行く」こと。
noteにも先日、その時のことを書きました。140文字では書ききれなかったので、改めてその魅力を整理したいと思います。
弥勒菩薩とは
菩薩像自体は写真で過去何度か見たことがあり、その存在は知っていました。その「表情が素晴らしい」という話を改めて耳にし、一度実物を見てみたいと思っていました。
弥勒菩薩像は広隆寺に収蔵されています。境内にある霊宝殿には国宝や重要文化財に指定された仏像が数多く収蔵されています。その中の一つが弥勒菩薩像。
1951年に彫刻の部門で国宝の第1号に指定されたものです。正式には「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)」、通称『宝冠弥勒(ほうかんみろく)』とも言うそうです。秦氏が聖徳太子から譲り受けた仏像だそうです。
56億7千万年後の救世主を表現している?
弥勒菩薩は“釈迦の死後、56億7千万年後の世に降りてきて、釈迦に代わって人々を救う未来仏”と言われています。これは後から調べて知りましたが、とんでもない設定ですね…。
そんな途方も無い未来に人類が生きているのか、そもそも地球は今のままの形をなしているのか、想像もつきませんが、ひとまず弥勒菩薩はそんな未来に現れる救世主を表現した像だそう。
実物を観て、まず目をひいたのはその仏像の姿というか、姿勢ですね。台座に座り、右足を左足の太ももの上に乗せ、右手を軽くそっと頬に寄せている姿。これは56億7千万年後に現れた弥勒菩薩が「どうすれば人々を救済できるか」と、その方法を思案している様子を表現しているそうです。
なるほど、少しうつむき加減の姿勢はそのように見えますね。
ただ、私は正面からこの仏像と向き合い数分間無音の館内の中で感じたのは「頷いてくれている」という感じでした。対話し話を聞いてくれている。そんな気持ちになりました。
これはあくまで私の感想ですし、作られた方の意図とは違うかもしれません。でも、私にはそう感じることができました。
そして、後から知った「人々の救済を思案」ということは、私が向き合った時間は「私の救済」を思案してくれていたのかもしれません…。そう捉えると、とても有り難いことです…。
アルカイック・スマイル
弥勒菩薩といえばやはり最大の魅力はその微笑みですね。女性的とも思える華奢な体つきをしていますが、そのお顔には口元に優しい微笑みを携えています。
これはアルカイックスマイルとも言われていますね。もともと古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情なのでこのような呼ばれています。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っているのが特徴です。これは生命感と幸福感を演出するためのものと見られています。
弥勒菩薩は正に「生命感と幸福感」を感じる表情をされています。この表情は世界的にも絶賛されていますね。
この優しく穏やかな表情は、実際に目にすると吸い込まれるような感覚さえ覚えます。思わず我を忘れてしまうほどの魅力があります。偶然、館内には私一人でしたので、時間を忘れてただただ向き合って魅入ってしまいました。
ちなみに、アルカイックスマイルは英語で「archaic smile」と書きます。「archaic」は古代ギリシア語の「古い」という意味の「arche」から派生した語だそうです。つまり日本語で表現するなら「古風なほほえみ」といったところでしょうか。
アルカイックスマイルの特徴は、全体的には無表情でありながら、わずかに口元の両端が上に上がり、微笑んでいるように見えるというミステリアスな微笑です。
この言葉は、赤ちゃんの自然な微笑や、モナ・リザの微笑みに対しても使われることがある言葉ですね。
心の中の波が穏やかになる
詩人で有名な相田みつさんが弥勒菩薩のことを詠んだ詩がいくつか残されているそうです。その中の一つがこれ。
「あなたの顔を見ていると こころの中の 波がしずまる」
本当にその通りです。館内には他にも多くの仏像が並べて配置されており、弥勒菩薩像はその中心に鎮座しています。他の仏像を鑑賞している時はいろんな事が気になっていたのですが、弥勒菩薩像の前に立った瞬間に雑念がシンと消えてなくなる感覚がありました。
私はそこまでではなかったですが、人によっては自然と涙が溢れ出てくる人もいるとか。それは良い意味で、見る人の心を映し出してくれているのだと思います。私は「肯定される」感覚、「共感」し、「背中を押される」感覚を感じました。その感情の度合いが高いと、場合によっては涙が出てしまうことも頷けます。
この弥勒菩薩像は、専門家の間では「仏像鑑賞第一課」と言われているそうです。それほど魅力的で、一度この仏像の魅力を知ってしまうと、他の仏像を鑑賞した後にまたこの仏像を観たくなり、帰ってくる人が多いそうです。
魅力菩薩
この仏像の評価としてドイツの精神科医であり、哲学者でもあるカール・ヤスパース氏はこんな言葉を残しているそうです。
「人間の存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の美の象徴。これは弥勒菩薩ではなく、魅力菩薩だ」
弥勒ではなく魅力というのは日本語の言葉遊びのように思いますが、言わんとしていることはよくわかります。
そして「最も円満」という言葉にとても納得します。円満という言葉は「夫婦円満」くらいしか普段使わない言葉ですが、人生も円満に満ち足りたものにしたいですね。そのためにはやはり「笑み」が必要なのだと思います。
人生のメンターは自由に持てる
私は今回、弥勒菩薩を実際にこの目で見たいと思った背景には、人生におけるちょっとした悩みがあったからです。友人などにも相談しその悩みには自分なりに答えを出しかけていました。
そんな時に出会った弥勒菩薩は、最後のひと押しを軽く背中を叩いてくれたように思います。
これまで、人生で悩んだとき、たくさんの方にお話を聞いてもらい、そのご縁を感じながら人生の舵取りをしてきました。そういう意味では人生にメンターは欠かせないと思っています。
そして今回は弥勒菩薩像も私のメンターになってくれたように思います。この感覚は、過去に屋久島の縄文杉を観た時にも似たような感覚を覚えました。こうした、神がかった何かと向き合った時、自分の中のものを飾らずに打ち明け、その上で自分の行く道を選ぶということができるのかもしれません。
そう考えると、メンターは「人」だけではないなと改めて気付かされました。
まとめ
今回は京都で出会った素敵な仏像、弥勒菩薩の魅力を綴りました。このGW、密を避けながらの毎日はなかなか刺激も少なかったのですが、この体験は私にとってキラリと光る魅力的な体験でした。
長い時間をかけても変わらない、廃れないものには、神がかった魅力が宿ります。そうしたものを鏡のように捉え、自分の内面を打ち明けるメンターとして向き合うこともできるのだと学びました。
生きていると誰しも多かれ少なかれ悩みはありますよね。そんな時は一人で悩まず、近くの人に相談するのも良いですし、時には人ではないメンターに相談するのも、より良く生きる一つの工夫かもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Facebook西尾仁さん投稿記事【人は死んだら…どこへ行くの?】
1)初七日。
裁判官は秦広王。不動明王が死者の弁護人です。
①不殺生戒(生き物を故意に殺してはならない。)
②不偸盗戒(他人のものを故意に盗んではいけない。)
③不邪淫戒(不道徳な性行為を行ってはならない。)
④不妄語戒(嘘をついてはいけない。)
⓹不飲酒戒( 酒などを飲んではいけない。)の五戒について調べられます。
そしてこのあと三途の河を渡ります。
2)二七日(14日目)
裁判官は初江王。弁護人は釈迦如来。
殺生(無益に生物の生命を奪った罪)について裁かれます。
初七日の審判の加減や衣領樹の枝のしなりぐあいがどうだったも、審理の対象となるそうです。
3)三七日(21日目)
裁判官は宋帝王。弁護人は文殊菩薩。ここでの審判は十戒の中の不邪淫(じゃいん)の罪です。
4)四七日(28日目)
五官王が裁判官。弁護人、普賢菩薩。娑婆にいた頃の言葉や行動が裁かれます。
ここでは言葉や行動の悪を量る秤があり、拒否することもできず乗せられて、六道のその来世にいくのか行く先が決まります。
5)五七日(35日目)
閻魔王が裁判官。弁護は地蔵菩薩。閻魔大王はどのような嘘でも見抜く鏡をもち、
生きていた頃の悪行を微細なものまで映し出し裁くといわれています。
6)六七日(42日目)
裁判官は変成王。弁護人は弥勒菩薩。
四七日の裁判官、五官王や五七日の裁判官閻魔大王の報告などにより、さらに審理が続けられます。
7)七七日(49日目)
裁判官は泰山王。弁護人は薬師如来。六道に転生するための最後の審判です。
七七日、四十九日は死者の魂にとって最後の審判が下されます。極楽行きか、地獄行きか?
しかし、四十九日の裁判官も弁護人も自らが判定を下しません。
そして、仏の慈悲をもって自己の選択、自己責任で、 六つの鳥居の選択をさせるのです。
鳥居は順不同に並んでいます。どの鳥居が①地獄道、②餓鬼道、③畜生道、⓸修羅道、
⓹人道、⑥天道へ繋がっているか分かりません。
きらきらの鳥居もあればぼろぼろの鳥居もある。
生きていた時に娑婆世界で犯した罪は自分で償わなければならない。
誰が保障するものではない。自己責任で償なわなければならないのです。
六つの鳥居を選んでくぐった道が、死者の魂が選んだ生まれ変わりの道となる、といわれてます。たとえ地獄道、餓鬼道、畜生道の入り口の鳥居をくぐったにしても、それは死者の魂が自ら選択した道、本人の選んだのだから諦めるより他ないのです。
死者の魂は、自己の選択で来世に生まれ変わっていくといわれてます。選ぶのは自分。生まれて生きるのも自分。生きる中で考えて行く道を善道へ変えて行く努力をするのも自分。
たとえ、餓鬼・畜生・修羅の生き方であっても、自分に気づいて生きる道のポイントを切り替え、善道を歩く自分になる努力を積んでいけば、極善行を積んだ人は極楽へ直行できるそうです。。。
◆追善供養とは死者が七日ごとに裁かれているのを現世にいる者が、『この人はそうではないのですよ、良いことをしてますよ。善行を積んでますよ。私たちもご供養を一生懸命して応援してますよ。』と、弁護人の仏様たちと一体になって、減刑免罪をお願いする徳積みなのです。
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