https://daihanrei.minorusan.net/l/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E5%A0%BA%E6%94%AF%E9%83%A8%20%E6%98%AD%E5%92%8C%EF%BC%95%EF%BC%95%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%83%AF%EF%BC%89%EF%BC%95%EF%BC%96%EF%BC%94%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA#google_vignette 【大阪地方裁判所堺支部 昭和55年(ワ)564号 判決】より
原告 齋藤直樹 右訴訟代理人 藤田一良
被告 小堺昭三 被告 株式会社 ダイヤモンド社 右代表者 坪内嘉雄
被告ら訴訟代理人 伊藤信男 浜野英夫
主文
一 被告らは、原告に対し、共同して、別紙(一)記載の謝罪広告を、株式会社朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社(東京本社)発行の毎日新聞の各朝刊全国版社会面に、見出し、記名及び宛名は各一四ポイント活字をもつて、その余の部分は各八ポイント活字をもつて、各一回掲載せよ。
二 被告らは、原告に対し、各自三〇万円及びこれに対する昭和五五年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、共同して、故西東三鬼こと齋藤敬直及び原告のために、別紙(二)記載の謝罪広告を、株式会社朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社(東京本社)発行の毎日新聞の各朝刊全国版社会面に見出し、記名及び宛名は各一四ポイント活字をもつて、その余の部分は各八ポイント活字をもつて、二日間継続して掲載せよ。
2 被告らは、原告に対し、各自金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 2項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告は、昭和三七年四月一日に六一歳で死亡した俳人故西東三鬼こと齋藤敬直(以下単に「三鬼」という。)の次男である。
(二) 被告小堺昭三は、著述業を営むものであるところ、「密告」(副題「昭和俳句弾圧事件」)と題する実録小説(以下「密告」という。)を執筆し、被告会社を発行所としてこれを出版することを許諾し、被告会社は、「密告」を昭和五四年一月一一日付で初版刊行し、その後引き続いて現在も広く同書を販売しているものである。
2 西東三鬼
(一) 三鬼は、昭和八年、三三歳の時に同人誌「走馬燈」に投句して俳句界に登場し、昭和一〇年、平畑静塔(以下単に「静塔」という。)らを同人とする「京大俳句」に参加し、以後主として同誌を拠点として、従来の花鳥・風月を詠むことのみに傾倒する俳壇の風潮に飽き足らず、これまでの俳句の方法内容の束縛を打破して、俳句を真の現代詩として蘇生させようとするいわゆる新興俳句運動の代表的俳人の一人として多くの同志とともに積極的に活動した。
(二) ところが、「支那事変」が行き詰まり、連合国に対する全面的戦争が避けられなくなるや、ときの国家権力は、有季・定型を墨守する従来の俳句形式を打破し、俳句の伝統的権威に挑戦する新興俳句は自由主義であり、アカであり、国体の否認につながる危険思想であるとして弾圧にのり出した。昭和一五年二月「京大俳句」の主要な同人たちの逮捕によつてはじまつたいわゆる京大俳句事件は、当局の一連の新興俳句運動に対する弾圧の発端であり、三鬼自身も、同年八月三一日、治安維持法違反容疑で特高警察によつて検挙され、京都松原警察署に連行され、同年一一月五日に釈放されるまで、六七日間にわたつて身柄を拘束され、理不尽な取調を受け、その後敗戦まで句作活動を中止することを余儀なくされた。
(三) 敗戦後三鬼は、再び句作活動を開始し、昭和二三年、山口誓子の主宰する「天狼」の創刊、編集にあたつたのをはじめとして、昭和三七年四月一日に六一歳でその多彩な人生を終わるまで、俳句界の一方の旗頭として活躍を続けた。俳人としての三鬼は、かつての新興俳句運動における代表的俳人の一人として俳句の革新に功績があつたとされるだけではなく、京大俳句事件の受難者であるにもかかわらず、戦前戦後を通じて節を曲げることなく、俳句一筋に生き抜いた俳人として広く知られており、その死後も変ることなく高い評価を受けてきた。
3 「密告」による名誉等の侵害
(一) 被告小堺が執筆し、被告会社が出版した前記「密告」は、京大俳句事件をはじめとする新興俳句に対する特高警察による前記弾圧事件を題材として書かれたものであるが、同書中には、三鬼について次のとおり記述されている(以下この記述を「本件文章」という。)。
(1) 第二次で検挙されて当然の西東三鬼も、特高当局に協力した一人であつた。だから、現在でも旧同人達の「特高スパイ」だつた三鬼に対する感情には複雑なものがある(同書九八頁)。
(2) 三鬼はしかし、自分から特高スパイになつたわけではない(同書九九頁)。
(3) 三鬼は女と酒におぼれ、家庭はおもしろくなく心がすさんでいた。そうしているとき特高からの要請があつた(同書一〇一頁)。
(4) 中西警部が静塔の前でことさら「三鬼はのらりくらりで……」とボヤいてみせたのは、はじめから起訴する意志はなく、共産党リンチ事件の小畑達夫の場合を考慮してのことである。小畑は「特高スパイだ」と宮本顕治らに怪しまれプロパカトウルとして粛清される無惨な結果になつてしまつた。西東三鬼もそういう運命にならないとも限らない……と案じた特高は、一応かれも逮捕して厳重に取調べたことに見せかけたのである(同書一〇二頁)。
(二) 本件文章は被告小堺の無責任な憶測によるものでなんら根拠もなく、真実に反するものであるが、「密告」という題名と相まつて、前記俳句弾圧事件の真相を知らない多くの読者に、著名な俳人であつた三鬼が、実は親交のあつた俳人仲間たちを特高に売渡した、人間として最も卑劣な「特高スパイ」であつたとの強烈な衝撃を与え、三鬼に対して強い侮べつの感情を抱かせるに十分な内容をもつものである。
(三) 「密告」の刊行によつて、死者である三鬼の名誉が広く、著しく傷つけられたことはいうまでもないが、三鬼の次男である原告自身の名誉も「スパイ三鬼の息子」として大きく傷つけられ、更に子として父三鬼に対して抱いていた敬愛追慕の情を著しく侵害された。しかも、右侵害は、将来にわたつて「密告」が出版され、広く社会に流布される限り継続するものである。
4 被告らの責任
(一) 被告小堺は、「密告」の著作者として、本件文章により、故意に事実を曲げてなんら根拠もないのに憶測に基づき三鬼を特高のスパイであると断定し、しかも、実録小説という形式をとつたことにより、読者に右虚偽を真実と思い込ませて、三鬼の名誉と原告の名誉及び原告の父三鬼に対する敬愛追慕の情を侵害したものであるから、民法七〇九条、七二三条により損害賠償と名誉回復の措置をとるべき義務がある。
(二) 被告会社は、「密告」を出版したものであるが、およそ出版事業に携わるものとしては、事前に慎重かつ厳重に記述内容を点検、審査するなどして、その内容が他人の名誉を毀損することのないようにすべき注意義務があるのに、「密告」の出版を担当した被告会社の被用者らは故意又は過失によつて右のような点検、審査を怠り、前記のとおり虚偽の事実を記述した「密告」をそのまま出版し、三鬼の名誉と原告の名誉及び原告の父三鬼に対する敬愛追慕の情を侵害したものであるから、民法七一五条、七二三条により損害賠償と名誉回復の措置をとるべき義務がある。
5 損害
(一) 被告らの前記不法行為によつて三鬼の名誉は毀損されたが、右名誉に対する侵害は今後も継続する性質のものであるから、被告らは、被害者である三鬼のために、その名誉を回復するに適当な措置をとるべき義務があるところ、その方法としては三鬼のために、連名で、別紙(二)記載の謝罪広告を、見出し、記名及び宛名は各一四ポイント活字をもつて、その余の部分は八ポイント活字をもつて、株式会社朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社(東京本社)発行の毎日新聞の各朝刊全国版社会面に二日間継続して掲載するのが適切である。
なお、死者の名誉ないし人格権については直接民法に規定はないが、そのために民事上死者の名誉ないし人格権を保護することが認められていないということはできない。人間の尊厳や生存中における人格の自由な発展は、人間の生活像がその死後も少くとも粗野な名誉毀損的歪曲から保護されることを信頼し、その期待の中で生存し続ける場合にのみ、十分保護されるものである。刑法二三〇条二項及び著作権法六〇条は、死者の名誉ないし人格権の保護の必要を認めるものであるが、これを民事上別異に解すべき理由はない。もちろん、死者の名誉を保護するといつても、権利主体は生存しないのであるから、その保護の内容は生存する者に比して一定の制約があるのは当然であるから、本件においては、三鬼の実子である原告が三鬼に代行して、名誉を回復するに適当な措置を求めるのである。
(二) 原告は、昭和二二年以降、母と共に父三鬼と生活をし、三鬼によつて直接養育薫陶を受けたものであるが、被告らの前記不法行為によつて自己の名誉を毀損されると共に、父三鬼に対する敬愛追慕の情を侵害され、耐え難い精神的苦痛を被つた。しかも、右侵害は今後も継続する性質のものであるから、被告らは、原告に対し、名誉回復のための措置として、前記謝罪広告を、前記各新聞に二日間継続して掲載するのが適切である。そして、右精神的苦痛は極めて大きいので、右謝罪広告を得たとしても償いきれるものではなく、二〇〇万円をもつてようやく慰謝されるものである。
6 結論
よつて原告は、被告らに対し、前記謝罪広告の掲載と慰謝料金二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年八月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1請求原因1について
(一)の事実は知らない。(二)の事実は認める。
2同2について
(一)の事実は認める。(二)の事実中、三鬼が特高警察に検挙されたことは認めるが、その余の事実は知らない。(三)の事実中、三鬼が戦後再び句作活動を開始し、昭和二三年、山口誓子の主宰する「天狼」の創刊編集にあたつたのをはじめとして、昭和三七年四月一日に六一歳で死亡するまで、俳句界の一方の旗頭として活躍を続けたことは認めるが、その余の事実は争う。
3同3について
(一)の事実は認める。(二)、(三)の事実は否認する。
4同4について
(一)、(二)の事実は争う。
5同5について
(一)は争う。(二)の事実中、原告が精神的苦痛を被つたことは知らない。その余の点は争う。
三 被告らの主張
1被告小堺は、昭和史の知られざる部分を発掘することに情熱を燃している社会派作家であるが、たまたま、昭和十五、六年にかけての俳句弾圧事件を知り、このような重大事件が、一般には全く知られていないことに驚き、自らその真相を明らかにしてこれを広く世に問うべく資料の収集にとりかかり、その結果、執筆されたものが「密告」である。同書は、右の俳句弾圧事件の背後にいた陰謀者小野蕪子に焦点を定めながら、この事件を全体的にとり上げたものであつて、特別に三鬼だけを扱つたものではない。また、三鬼に関する記述も、彼の名声を貶しめる意図で書いたのではなく、逆に、特高当局に協力させられた特異な犠牲者として描いたものであり、その悲劇を世間に知らしめることが、事件の真相を後世に伝えるうえで必要であるとの考えに基づくものである。
被告小堺が、三鬼が特高のスパイであるとの説をとつたのは、当時の俳句界全般の事情に詳しい嶋田洋一から三鬼が特高のスパイであつたと聞き、更に当時の事情を知つている仁智栄坊、三谷昭、藤田初巳、平畑静塔らから取材をするにつれて三鬼スパイ説を確信するに至つたもので、このような確信に達するについては相当の根拠があるのであるから、被告らには責任はない。
2死者といえども、倫理的、感情的意義における評価としての名誉を有することは否定できないが、これを法律上の権利ないし法益として保護すべきかについては、これは困難であると考える。すなわち、死者の名誉権については、死者に代つてこれを行使すべき者が法律に定められている場合に初めてこれが認められるものであつて、一般人格権としての名誉権については、民法その他の法律に何ら定められていないのであるから、権利として機能させることはできない。したがつて、本訴請求中三鬼のために名誉の回復を求める部分は失当である。
3原告は、遺族としての原告固有の被侵害利益として亡父に対する敬愛追慕の情を侵害されたと主張するが、これは生のままの主観的な感情にすぎないもので、そのままでは、不法行為の保護法益となるものではない。たとえ、原告において、何らかの心情が害されたとしても、侵害行為の違法性が著しく、そのため遺族である原告の心情の毀損が明白化されている場合にはじめて保護の対象とすべきものである。ある行為が違法であるか否かは、被侵害利益と、侵害手段たる行為の態様を比較考量すべきであるが、本件において被侵害利益と比較考量されるべき価値は表現の自由にほかならない。歴史的真実を明らかにすることは、公益に属することがらであり、乏しい資料の中からある事実を探り出し、論考を重ねて一つの結論に達することは、歴史的考証の常であつて、その際、見解の表明を含め広い範囲において言論、表現の自由が保証されなければならない。この自由は、憲法二一条の表現の自由、同法二三条の学問の自由に属するもので、広く保障されなければならない。右の表現の自由と比較考量すれば、被告らの行為は、原告の法的利益を何ら侵害するに足る違法な行為ということはできない。
第三 証拠〈省略〉
理由
一 当事者
〈証拠〉によれば、請求原因1の(一)の事実が認められ、同(二)の事実は当事者に争いがない。
二 西東三鬼
請求原因2の(一)の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、請求原因2の(二)、(三)の事実が認められ(ただし、三鬼が特高警察に検挙されたこと及び三鬼が戦後再び句作活動を開始し、昭和二三年山口誓子の主宰する「天狼」の創刊、編集にあたつたのをはじめとして、昭和三七年四月一日に六一歳で死亡するまで、俳句界の一方の旗頭として活躍を続けたことは当事者間に争いがない。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 「密告」による名誉等の侵害について
1請求原因3の(一)の事実は当事者間に争いがない。
2〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) いわゆる京大俳句事件が発生した昭和一五年当時、俳句の雑誌は出版される都度警察の特高課へ提出されており、公表されたこと以外に新興俳句界の活動には秘密がなく、スパイ活動や密告を必要とする部分はなかつた。
(二) 同年二月一四日、静塔ら「京大俳句」同人に対する第一次の逮捕が行われる前に、警察当局は、新興俳句界の実情について調査研究をしており、静塔が担当警察官より聞いたところでは、右事前の調査に協力したのは京都在住の俳人であり、右警察官はその者の名前は言わなかつたが、警察官の発言内容から静塔には当時相当尖鋭な意見を発表していた某(その者は戦後俳句界に復帰しなかつた。)であると推定され、このことは俳句界においては公知のことである。
(三) 右第一次の逮捕に続き、同年五月三日、三鬼が「京大俳句」への加入をすすめた三谷昭ら東京在住の俳人多数が逮捕されたが、三鬼だけは一向に逮捕されず、しかも、右事件については当時全く報道されなかつたため、三鬼は、右友人らに済まないという気持と不安から心中大いに苦しみ、同年夏ころ、弁護士で俳人の久々湊与一郎(俳名湊楊一郎)に依頼して、同人と共に京都まで赴き事件の内容を調査して、はじめて右逮捕が治安維持法違反の罪名によつてなされたことを知るに至つた。
(四) 三鬼は、同年八月三一日、ようやく特高警察に逮捕されたが、右逮捕が遅れた理由について静塔が質問したところ、担当警察官は、東京方面の新興俳句関係者の交流状況を把握するため泳がせておいたこと及び三鬼の健康状態(同人には重症の結核の病歴があつた。)を配慮したためであると説明し、逮捕後三鬼に対しても同趣旨の説明が警察官よりなされた。
(五) もともと三鬼は、俳句以外に文章を雑誌に発表したことがなかつたので、同人を逮捕した後警察官は、同人の書いた文章を根拠に追及することができず、もつぱら俳句について説明を求めたが、同人がぬらりくらりとした応答に終始したため、当初捜査は難航したが、やがて同人も、長期間勾留されている静塔や三谷昭ら友人のことをおもんばかり、自ら手記を書く旨申し出て、警察官がモデルとして示した三谷昭の手記を見て適当に手記を書いたので、その捜査は比較的早く終つた。
(六) 三鬼は、歯医者としての職業をなげうつて俳句にのめり込んだ者で、芸術家にありがちな風狂な面はあつたが、文学や芸術を厳粛に考える純粋な人で、友情に厚く他人に尽す人柄であり、自己の利益のために俳句の友人を権力に売り渡すような性格の持主ではなかつた。
(七) 「密告」が発行されるまで、三鬼が新興俳句弾圧事件のスパイであると述べた者はなく、同書発行後の昭和五四年八月一日に発行された雑誌「俳句研究」(乙第一一号証)中の一五名の俳人に対するアンケートにおいても、嶋田洋一を除いては(ただし、古家榧夫は「疑わしきは罰せず」と答えている。)、三鬼スパイ説を支持する者はなく、右嶋田の回答も後記認定のとおり具体的根拠を欠く意見又は推測にすぎないものである。
(八) 三鬼は、戦後再び句作活動を開始した後も俳句界の一方の旗頭として活躍を続け、多くの友人たちに惜しまれながらこの世を去つたが、その告別式は現在まで例のない俳壇葬をもつて、俳句界各流派の多数の人びとの参列のもとに営まれ、死後二〇年を経た今日においてもなお、俳句界において高い評価を受け続けている。
以上の事実を総合すれば、三鬼が特高のスパイであつたというような事実はなく、また、警察がいわゆる共産党リンチ殺人事件の場合を配慮して見せかけ的に三鬼を逮捕したというような事実もなかつたと認めるのが相当である。したがつて、本件文章は、根拠のない虚偽のものであるといわざるを得ない。
被告らは、被告小堺が本件文章を書いたのは、当時の俳句界の事情に詳しい嶋田洋一から三鬼が特高のスパイであつたと聞き、更に仁智栄坊、三谷昭、藤田初巳、平畑静塔らの俳人から取材をするにつれて三鬼スパイ説を確信するに至つたもので、この確信には相当な根拠があると主張する。〈証拠〉によれば、被告小堺の取材を受けた嶋田洋一が、三鬼は特高の要請を受けたスパイであつた旨及び当局は特高のスパイである三鬼がいわゆる共産党リンチ殺人事件における小畑達夫のようになるのをおそれて三鬼を逮捕した旨述べたことが認められるけれども、〈証拠〉によれば、嶋田洋一は右取材の際、三鬼スパイ説についてはなんら裏付となる資料又は証拠はないと述べており、更に嶋田洋一が執筆、公刊した「新興俳句弾圧事件体験記」(甲第二六号証)、「俳句弾圧事件余録」(乙第二号証)及び前記アンケート等の記述中にも裏付となる具体的根拠又は証拠についてはなんら言及しておらず、むしろ、右各記述内容によれば、嶋田洋一は、父である俳人嶋田青峰が新興俳句弾圧事件によつて事実上殺されたことに対する恨みと青峰が逮捕された当時三鬼が嶋田洋一に対してとつた言動に対する個人的反感及び三鬼が右弾圧事件において他の俳人たちよりも比較的短期間の勾留ですまされたことを短絡させて、憶測に基づき前記のように述べたものであると認めるのが相当である。そして、〈証拠〉によれば、被告小堺の取材に応じたその余の俳人たちのなかで、三鬼が特高のスパイであると述べた者はなかつたことが認められ、〈証拠〉によつても、右俳人たちが、前記取材の際、被告小堺に対し三鬼スパイ説を確信させるような言動をとつたものとは到底考えられない。しかるに、〈証拠〉によれば、被告小堺は、右取材以外には格別三鬼スパイ説の根拠について調査もせず、従来三鬼が特高のスパイであると記述した資料もなかつたのに、安易に嶋田洋一の右説明を信用して「密告」を執筆し、本件文章を記述したものであることが認められるから、本件文章は同被告の憶測による根拠のないものであるといわざるをえない。したがつて、右主張は採用することができない。
3以上のとおり本件文章は根拠のない記述であり虚偽のものであるが、「密告」という題名と相まつて、しかもそれが実録小説という形式をとつたことによつて、俳句弾圧事件の真相を知らない多くの読者に、著名な俳人であつた三鬼が、親交のあつた俳人仲間を特高に売り渡した、人間として卑劣な「特高のスパイ」であつたと信じ込ませ、侮べつの感情を抱かせるに十分な内容をもつものであると認めるのが相当である。したがつて、「密告」の刊行によつて、死者である三鬼の名誉が著しく傷つけられたことは明らかであるが、更に三鬼の次男である原告自身の名誉も、「スパイ三鬼の息子」とされたことによつて傷つけられ、また、原告が父三鬼に対して抱いていた敬愛追慕の情も違法に侵害されたものというべく、しかも、右侵害は、将来にわたつて「密告」が出版され、広く社会に流布される限り継続するものであると認められる。
被告らは、「密告」の執筆、刊行は憲法二一条の表現の自由及び同法二三条の学問の自由に属するものであり、原告の法的利益を侵害する違法のものではないと主張するが、憲法の定める表現の自由及び学問の自由といえども虚偽の事実をもつて他人の権利、名誉を侵害する自由までも保障するものではないから、右主張は採用することができない。
四 被告らの責任について
1前項で認定した事実によれば、被告小堺は「密告」の著作者として、本件文章により、なんら根拠のない憶測に基づき三鬼を特高のスパイであると断定し、しかも、実録小説という形式をとつたことにより、読者に右虚偽の事実を真実と思い込ませて、三鬼の名誉とその子である原告の名誉及び原告の父三鬼に対する敬愛追慕の情を侵害したものであるが、本件文章を記述し出版するにあたり、同被告には少くとも過失があつたことは明らかであるから、同被告は、原告に対し、民法七〇九条、七二三条により損害賠償と名誉回復のために適当な措置をとるべき義務がある。
2被告会社は「密告」を刊行し販売したものであるが、およそ出版事業に携るものとしては、事前に慎重かつ厳重に記述内容を点検、審査するなどして、その内容が他人の名誉を毀損することのないようにすべき注意義務があるというべきところ、被告小堺の執筆した「密告」の原稿中には内容虚偽の本件文章が含まれており、それが三鬼の名誉とその子である原告の名誉及び原告の父三鬼に対する敬愛追慕の情を侵害するものであるのに、〈証拠〉によれば、被告会社の被用者で「密告」出版の担当責任者の山下麿は、本件文章における虚偽を看過し、被告小堺の説明を信用して、そのままこれを出版したものであることが認められる。したがつて、右山下には右出版につき過失があつたものというべく、被告会社は、原告に対し、民法七一五条、七二三条により損害賠償と名誉回復のために適当な措置をとるべき義務がある。
五 損害について
1原告は、三鬼の実子である原告が三鬼に代行して被告らに対し三鬼の名誉の回復措置を請求することができる旨主張する。「密告」の刊行によつて著名な俳人である三鬼の名誉が著しく傷つけられたことは前記認定のとおりであるところ、死者の名誉ないし人格権の侵害行為についても不法行為の成立する可能性がないわけではないが(東京高裁昭和五四年三月一四日判決・高裁民集三二巻一号三三頁参照)、この点について、刑法二三〇条二項及び著作権法六〇条に規定はあるものの、一般私法に関しては直接の規定はなく、何人が民事上の請求権を行使しうるかについては定めがないから、結局その権利の行使につき実定法上の根拠を欠くものといわざるを得ない。したがつて、三鬼の名誉回復のために謝罪広告を求める原告の請求は理由がない。
2〈証拠〉によれば、原告は昭和二二年以降母キクエと共に父三鬼と生活し、三鬼によつて直接養育薫陶を受け、三鬼を尊敬していたところ、「密告」の刊行によつて原告自身の名誉を毀損されると共に、同書の刊行後、「三鬼はスパイだつたのか。見損なつた。」などといういやがらせの電話を約一〇回受け、同書を読むことによつて母キクエはショックで寝込んでしまい、原告もまた強い衝撃を受け、精神的に著しい苦痛を受けたことが認められる。
ところで、「密告」の刊行による原告の名誉等に対する侵害は今後も継続する性質のものであることは前記認定のとおりであるから、被告らは、原告の名誉を回復するための適当な措置として、原告に対し、共同して、別紙(一)記載の謝罪広告を株式会社朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社(東京本社)発行の毎日新聞の各朝刊全国版社会面に、見出し、記名及び宛名は各一四ポイント活字をもつて、その余の部分は各八ポイント活字をもつて、各一回掲載するのが相当であると認める。そして、原告が被つた前記精神的苦痛は、右謝罪広告によつても償い切れるものではなく、本件文章の内容、三鬼の死亡後「密告」が刊行されるまでの時間の経過、その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛は三〇万円をもつて慰謝されるものであると認めるのが相当である。
六 結論
以上によれば、原告の被告らに対する本訴請求は、主文第一項記載の謝罪広告の掲載と慰謝料金三〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五五年八月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言は相当でないのでその申立を却下する。
(大須賀欣一 倉谷宗明 辻次郎)
別紙(一)、(二)〈省略〉
0コメント