『維摩経 不思議のさとり』

https://japanknowledge.com/articles/blogtoyo/entry.html?3&entryid=240 【『維摩経 不思議のさとり』(石田瑞麿訳)】より

大乗仏教の経典にまなぶ

 宗教が争いの引き金となる時代になった。

 日本人は自分たちを無宗教だと思っているが、神社に初詣に行き、仏式で葬式をあげる習慣そのものは、極めて宗教的だ。他宗教のあれこれを言う前に、私たちは仏教や神道についてもっと知ったほうがいいのでは?

 というわけで、『維摩経(ゆいまきょう)』です。あの聖徳太子が撰述して『維摩経義疏(ゆいまきょうぎしょう)』という注釈書がつくられたと言われていますが、早くに日本に入ってきた、〈大乗仏教の般若・空の思想を基本に、大乗菩薩の実践道を挙揚した代表的経典〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」)です。

 経典といっても、『ソクラテスの弁明』のように対話で進みます。主人公は維摩。インドの大富豪で、在家の徒です。ある時、病にふせてしまい、心配した仏が、弟子や菩薩を見舞いに行かせようとします。ところが、皆、維摩に論破された経験を持っていて、尻込みして行こうとしない。そこで文殊菩薩が任命され、維摩の元に乗り込みます。で、対話を始めるわけですが、これが実にスリリング! お互い、相手に切り込んでいきます。

 クライマックスは、「不二法門」(ふにほうもん;生と死、有と無など、相反する2つをこえた、絶対平等の境地)についての討論。「面白そうだ」とゾロゾロついてきていた他の菩薩がそれぞれ「不二法門」論を展開します。トリは文殊。

 〈すべてのものにおいて、言葉もなく、説くことも示すことも認知することもなく、一切の問いと答えを離れることが、絶対平等の境地にはいることだと思います〉

 文殊は維摩に「次はあなただ」と促しますが……。

 〈維摩はただ黙然として、一言もいわない〉

 それを見た文殊はすぐに感じ取ります。

 〈素晴らしい。本当に素晴らしい。ほんの僅かな、文字〔一つ〕言葉〔一つ〕もない、これこそ、絶対平等の境地にはいることです〉

 禅問答のようなオチですが、いわゆるこれが、『般若心経』の「色即是空 空即是色」の“空”なのでしょう。

 維摩は妻子ありの成功した商人です。何かを犠牲にし、修業に励んだわけではありません。しかし、菩薩も敵わない境地に達した。つまり、どの立場でも悟りに達することができるし、その逆も真……。難しいですね。

 仏教がキリスト教やイスラム教ほど広がらなかったのは、仏教が救済の宗教ではなく、本質的に思考する宗教だからかもしれません。


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-173.html 【『維摩経』の話 その二 】 より       

 経典の解説は、どうしても堅くなりがちで申し訳ありませんが、しばらくお付き合いをお願いいたします。

 この『維摩経』は、三幕十四場のドラマのように展開されています。

 第一幕、最初の舞台となるところは、ヴァイシャーリーの郊外にあるアームラパーリー園で、ブッダを囲んでの会座、つまり、この部分はプロローグにあたります。

 第二幕、次の舞台となるのが、同じ都市ヴァイシャーリーにある主人公の維摩の自宅で、この経典での中心部分です。

 第三幕、エピローグは、再びアームラパーリー園で、ブッダを囲んでの会座がその舞台となります。

 では、いよいよドラマの幕開けとまいりましょう。

 経典の一つの形式である「如是我聞」(このように私は聞いています)で始まる第一幕第一場では、まだ維摩は登場いたしません。仏弟子・菩薩・守護神・宝積という長者とその友人たちなど、多彩な顔ぶれが登場してきますが、この場面での主役は宝積で、この経典の骨格をなす重要なテーマが問題提起されます。

 宝積というのは、そこの土地の富豪の子で、五百人もの若者たちを連れて登場します。その登場の仕方が、とても象徴的です。

 金・銀・宝石で飾った傘蓋(かさ)をそれぞれ手に持ち、ブッダのもとにやってくるのです。そして、ブッダに最上の敬意を表した後、おのおのの傘蓋をブッダに捧げます。すると、ブッダは法力によって、それらを一つの巨大な傘蓋とし、宇宙(三千大千世界)のすべてを覆ってしまいます。そして、その傘蓋の中に、あっちの世界、こっちの世界(総数十億もの世界)と、それぞれの世界の山河、太陽・月・星、さらには、他の宇宙で説法をしているそれぞれのブッダ(十方の諸仏)の姿までも現ぜられたのです。

 この不思議な現象に、説法の座にいたものは、感嘆をし、合掌し、ブッダの尊顔を食い入るように見つめます。

 ところで、大乗経典の場合、このような表現に出会ったとき、キリスト教における神が行う奇跡と同じようにとらえてはいけません。比喩としてとらえ、そこにこめられたブッダの心を読みとることが必要です。

 ここの場合、個々の異なった傘が、一つの大きな傘に収まってしまったということは、人間関係、異民族、異宗教、そのような間での対立や抗争のない、すべてが共生できる世界、それが仏の世界、すなわち理想世界であるととらえることが大切です。そう考えると、次の宝積のブッダへの問いが、生きてくるからです。

 宝積は、ブッダの徳を讃えた後、どうしたら菩薩の清浄な仏国土の建設ができるかを問いかけます。これに対してブッダの答えは意外なものでした。

 「菩薩の仏国土というのは、衆生の国土のことである」というのです。すなわち、理想世界はどこか遠くにあるのではなく、私たち生きとし生けるものが住むこの社会がそうだというのです。

 ここでの菩薩というのは、ブッダの慈悲の教えを実践しようという意識を持った者をいいますから、その意識を浄らかにしていくこと、つまりは、私たちの国土を浄らかにしていくことが、清浄な仏国土の建設になるというわけです。

 ブッダが、このように宝積に答えられたところで、仏弟子の舎利弗に、一つの疑問が生まれます。「清浄であるブッダがおられるこの仏国土が、なぜ不浄に見えるのか」という疑問です。

 この疑問に対してブッダは、法力で、即座に数百千のすぐれた宝で飾られた三千大千世界を現ぜられ、「この清浄な世界が不浄に見えるのは、見る者の心が汚れているからだ」と答えられたのです。(以下略)

 「仏土はどこまでも衆生の生きざまにある」というこのテーマは、『維摩経』の基調となる立場であります。なれば、環境汚染、青少年の凶悪犯罪、官僚の汚職事件等、最近、世の中が不浄に見えるのは、私自身の心が不浄だからに違いありません。


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-174.html 【『維摩経』の話 その三】 より         

 娘の通う小学校の卒業記念号の学校新聞を見せてもらいました。あるクラスでは、「もしドラえもんがいたら」ということで、卒業生の一人一人の一言ずつが載せてありました。その言葉のほとんどは、ドラえもんの四次元ポケットから、夢を叶えてくれる「いろいろな道具を出してもらう」に近いものでした。もし、私が同じ質問をされたとしても、おそらく、同じように、どこへでも、開けたところが目的地になるという「どこでもドア」を出して欲しいといっていたに違いありません。

 ところが、一人の女の子だけはちょっと違っていました。「いっしょにドラ焼きを食べたい」とあったのです。これを見て、覚えず笑ってしまったのですが、しばらくして、これは笑ってすますことではないかなと思えてきました。ドラえもんが、自分たちに幸せをもたらせてくれる存在であるとしたら、多くの子は物質的なものにそれを求めようとしているのに対し、この女の子一人、精神的なものにそれを求めようとしており、そこには大きな違いがあるように思えたからです。

 先年、原作者は亡くなられましたが、『ドラえもん』は、現在もテレビで毎週放映されていますし、世界各国語にも翻訳されていて、世界的に見ても非常に人気の高いマンガキャラクターです。人気の秘密は、不思議なポケットから出す道具で、さまざまな夢を実現してくれるのですが、少しドジで、人間と同じように笑い、怒り、悩み、悲しみ、そして泣き、二十二世紀からやってきたロボットという設定にもかかわらず、とても人間臭いところにあるのではないかと思われます。

 本題に戻ります。『維摩経』を読んでおりました。第一幕第二場に相当する「方便品」に、初めて主人公の維摩が登場します。その人物像を、かいつまんで拾い出してみましょう。

 維摩は、裕福な資産家で、在家の仏道者で、すでに悟りを得ている。弁舌が巧みで、神通にも秀でている。その資産は量り知れなく、貧しい人には施し、節制のできない人には節制を教えている。腹を立てている人には辛抱を、怠惰な者には努力精進をすすめている。

 在家者でありながら、出家者と同じ戒律を守り、家族があっても、欲に執着することがない。賭博場、遊技場、遊郭、酒場のようなところにも出入りし、そのたびに人を救っている。

 いかがでしょうか。維摩をよりにもよって、ドラえもんというマンガのキャラクターにたとえては申し訳ありませんが、その生き方には、多くの共通点があるように思えます。共に泣き、共に笑い、いろいろな方便でもって、人々に救いを与えてくれるというところは、まさにドラえもんです。

 ところで、いきなり維摩は、病気の状態で登場します。最近の経済不安、青少年の凶悪犯罪、日銀や大蔵官僚の不祥事、維摩ならずとも、まともに考えていたら病気になりそうですが、実は、これも維摩の方便なのです。自分自身の病気にことよせて、人々を導く手段としているのです。

 第一幕第三場「弟子品」第四場「菩薩品」で、仏弟子の中でも特に優等生のものたちや名だたる菩薩たちが、ブッダから、維摩を見舞うように命じられます。最初に指名を受けたのは、智慧第一といわれた、舎利弗でした。ところが、舎利弗は、「維摩居士のところ行くことだけは許していただきたい」というのです。弁解の理由はこうです。

 あるとき、林の中で坐禅をしていたときです。維摩がやってきて、「坐禅とは、林の中だけでするものではない。日常の振る舞い、世間のつとめを果たしながら、悟りへの道を実践するのが本当の坐禅である」といわれ、返す言葉がなかったというのです。

 つまり、俗世間から離れるのではなく、むしろ、積極的にかかわる中で、より高い宗教的境地を求めよというわけです。


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-175.html 【『維摩経』の話 その四】より          

 覚えていらっしゃいますでしょうか。栃木の中学校の女性教師が、生徒にバタフライナイフで刺殺された事件は、今年の一月二十八日のことでした。教育の現場で起きる事件としては、これほどショッキングな事件はありませんでした。その後も、バタフライナイフによる暴力事件が全国規模で広がりを見せていましたが、文相による命の尊さを訴える異例の緊急アピールがあったりして、三ヶ月ほどたった現在、どうやら沈静化してきているかにみえます。

 しかし、これに類する子供の周辺の病理現象は、二十数年前から見え始めており、昭和五十年代に「落ちこぼれ」「校内暴力」、六十年代には「いじめ」「不登校」などが問題化しておりました。ところが、いずれもが、例えば、平成六年の大河内清輝君事件(いじめによる自殺)とか、今回のような象徴的な事件をピークに表面上は沈静化したと思いきや、しばらくすると、またとんでもない事件が再発するというように、その繰り返しになっています。しかも、すべての問題は、統計的には何一つ解決されることなく、依然として増え続けているというのが現状のようです。

 わたしも、同年代の子供を持つ親として、昭和五十年代の校内暴力まっただ中の時代に教職にあったものとして、子供たちの問題行動に対しては、つい敏感に反応してしまうほうです。それで、もし、維摩であったら、このような問題に、どう対処されるであろうかと、考えてみたわけであります。

 富楼那(プンナ)という仏弟子がいました。彼は、弁舌巧みな布教者でした。あるとき、気性が荒々しく、粗暴だといわれる地方へ布教に行くことになりました。旅立ちにあたり、ブッダが質問しました。

 「富楼那よ、その地の人々にののしられたり、あざけられたりしたらどうするつもりか?」

 「世尊よ、『この国の人たちは、私を手をあげて打ったりしない。とてもよい人たちだ』と思うことでしょう」

 「富楼那よ、手をあげてお前を打ったらどうするつもりか?」

 「世尊よ、『この国の人たちは、私を棒で打ったりしない。とてもよい人たちだ』と思うことでしょう」

 ……鞭と刀の場合は略……

 「富楼那よ、その地の人々がお前を殺したら、どうするつもりか?」

 「世尊よ、『世の中には自ら命を絶つものもあり、誰か自分を殺してくれないかと願うものさえいる。願わなくとも殺してくれた』と思うことでしょう」

 これは、原始仏教聖典である『阿含経』の一部『相応部経典』にある一節です。辺境の地での布教は、これほどの覚悟が必要だったということでしょう。維摩は、この富楼那にも痛烈な批判を加えています。

 「いくら命がけであるからといって、決まり切った伝統的な教えを一方的に説いていても意味がない。説法を聞こうとしている人々、とくに新たに仏門に入った人々には、その心をよく見極めてから教えを説くべきである。

 汝は、人それぞれの個性が見えていない。これから学ぼうとしている人々は、まさに宝の器であり、その器に、穢れた食物、つまり型にはまった陳腐な教えを入れてはならない」というのです。

 話を戻します。被害に遭われた女性教師には申し訳ないのですが、彼女は、まさに維摩が指摘する、加害者である生徒に陳腐な教えを説くのみで、生徒の心が見えていなかったのでしょう。

 家庭内暴力に堪えかねて、金属バットで中学三年長男を殺害した父親に対して、東京地裁は、「悲惨な結末を回避する努力の余地あった」として、懲役三年(求刑五年)の実刑判決を言い渡したと、四月十七日の夕刊が報じておりました。

 この父親にも、維摩であれば、きっと同じように叱責することでしょう。子供の自主性を尊重するというのは、親や教師の手抜きの言い逃れに過ぎません。子供の個性を知る努力、教え導く努力に手抜きがあってはなりません。


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-176.html 【『維摩経』の話 その五 】より         

 インドが五月十一日と十三日と、立て続けに核実験を行いました。対抗してパキスタンも、との情報もあります。核軍縮、核廃絶を望んでいるものにとって、これほど愚かなことはないと思うのですが、問題はそう単純ではないようです。一九九六年に締結された「核実験全面禁止条約」は、すでに核保有している五カ国の優位性を保つための条約で、そんな後ろめたさもあってか、これらの国々の対応には今ひとつ迫力がありません。インドの犯した罪を責めるのは簡単ですが、同じ罪を負っている国は、過去にもあったし、現在もたくさんあるというのが本当のところでありましょう。

 あのオウム真理教が、また不穏な動きをみせているといいます。地下鉄サリン事件から、もう三年が経ちました。その罪に対する裁判が長引いているようです。別件では、オウム信者殺害事件で、殺人罪に問われた教祖の妻の判決公判が五月十四日、東京地裁で開かれ、「夫の暴走を抑止すべき責任があったのに、殺害に明確に賛成した」などとして、懲役七年(求刑懲役十年)が言い渡されました。これらオウムの諸問題も、今後どのように裁かれ、どのように展開していくのか、目が離せません。

 ふつう、社会生活を営む上において、罪を犯すものがあった場合、裁定して相応な刑罰を科し、償わせるという方法が採られます。これは、初期の仏教教団でも同じです。ある時、二人の修行僧が戒律を犯しました。恥ずかしいと思ったので、その罪をブッダには問わず、「持律第一」と称されていた、戒律の第一人者である優婆離(ウパーリ)に「どうか疑いや悔やみを解いて、この罪を免れるように」と頼みました。そこで、優婆離は戒律の定めどおりに、二人の修行者の犯した罪について解説し、大勢の出家僧の前で懺悔するようにと勧めました。

 維摩がやって来たのはそのときです。「優婆離よ、この二人の修行僧の罪を、さらに重くするようなことをしてはならない。今すぐに罪の思いを除いてやりなさい」というのです。

 優婆離は、戒律こそブッダの教えをかたちに表したものであり、戒律を守ることこそ第一であると信じて疑うことがなかったものですから、維摩の真意をはかりかねたに違いありません。つまりそれは、罪というものに、あたかも実体があるかのように思い、懺悔したり、罰を受けることによって、その罪が消滅すると考えていることに対する批判であったわけです。

 維摩は言います。「罪というものは、どこかにあるというものではなく、心にしてもまた同様である。心が汚れるとその人も汚れ、心が浄らかになれば、自ずとその人も浄らかになるのだ。また、もろもろのことがらは相互に依存しているのではないし、ほんの僅かといえども、とどまっているものでもない。もろもろのことがらはみな妄見である。夢のごとく、蜃気楼・水中の月・鏡中の像のごとく、妄想によって生ずるのである。そして、このことわりを知るものこそ、戒律を奉ずる者というのだ」と。

 この維摩の指摘は、中国禅の初祖とされる菩提達磨の『二入四行論』という語録の中にある、慧可(二祖)との問答が、理解する上でよい参考になります。

弟子「私に懺悔させて下さい。」

達磨「君の罪を持ってきなさい。そうすれば、君に懺悔させてあげよう。」

弟子「罪は形あるものとしてとらえられません。何を差し出せばよいのでしょうか。」

達磨「私は、君を懺悔させ終わった。帰りなさい。」

 さて、いかがでしょうか。私どもは、優婆離と同様、規範こそ絶対と信じ、罪があるとなれば、何が何でも償わせようとしがちです。しかし、大切なのは、償わせることではなく、心の汚れを除き、心を浄くさせることであるはずです。罪を負ったものに、石をぶつけることによって、心が浄化されるとは思われません。罪に対して、ただ憤慨している自分を、じっくり見つめ直す必要がありそうです。


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-177.html 【『維摩経』の話 その六】 より         

 お年を召した方から、一年一年、年を追う毎に、時の流れが速く感じられるというような意味のことをよく伺います。一日は二十四時間、一年は三百六十五日、この事実は変わろうはずがないのに、なぜそのように感じられるのでしょうか。

 ある人から聞いた話です。それは、たとえば二十歳の人であれば、その人の全生涯である二十年間分の一、七十歳の人であれば、七十年間分の一が、その人の一年間としてとらえられるからだというのです。たしかに、そうかもしれません。しかし、私自身が、今年五十歳という節目を迎え、これとは逆の今までにはなかった一つの感情が生まれていることに気がつきました。それは、そう早くに時間が、月日が過ぎていって欲しくはないという感情です。

 つい半世紀前までは、人生五十年といわれていました。そのことを思うと、人生のゴールの予測をせねばならないところまで来てしまったということでしょう。マラソンであれば、ゴールに向けて一直線にというところでしょうが、人生の場合はそうはいきません。後は、ブラブラ行きたいと思うのが人情というものです。

 この思いは、おそらく、年を追う毎に強くなると思われます。まして、病にあって、ゴールがもうそこに見えるところまで来ていると自覚した場合、心は千々に乱れ、複雑に交錯するでしょう。自分からは「この病気は死ねば治る」とはいってはみるものの、他人からは間違ってもいって欲しくはないでしょう。そこで、だれもが通過しなくてはならない、人生にとってのこの一大事を迎えたときの智慧を、維摩に聞いてみることにいたします。

 思い出していただきましょう。ブッダは、病気の維摩を見舞うように十大弟子、次いで四菩薩に命じられましたが、それぞれが辞退し、最後に「智慧の文殊」といわれる文殊師利菩薩が、引き受けることになりました。その文殊菩薩が、維摩に「病気にかかっている菩薩を、どのように慰め、どのように励ませばよいか」と問うたときのことです。(ここでの菩薩は、病にある人、あるいは、病にある自分と置き換えて読んでみてください。)

 病気の菩薩(人)に対して、この身が老い、病み、やがて死ぬものであると説いてもよいが、この身を厭い、離れよと説いてはならない。この身は苦であると説いてもよいが、涅槃(死)を願うように説いてはならない。この身が無我であると説いても、衆生(人)を教え導くように説かなければならない。この身は空寂であると説いても、寂滅と説いてはならない。先につくった罪を悔いるようにと説いても、すでに過去のものとなったと説いてはならない。

 自分の病気から推して、他人の病気を思いやり、無限の過去からの苦悩を認識しなければならない。一切衆生に利益を与えようと念じ、これまでつとめた福徳を思い、清らかでいようと念じなくてはならない。病気だからといって、いたずらに憂い悩んではいけない。常に精進努力して、すぐれた医者となって、病んでいる人たちを療治してあげなくてはいけない。

 菩薩は、このように病気の菩薩を慰め励まして、喜ばせなくてはいけない。

 さて、いかがでありましょう。まさに、「目から鱗」の思いがいたします。私なりに解釈さてもらえば、次のようになるのではないでしょうか。

 病気の苦しみから、早く死にたいなど考えてはいけません。自分の病気は、過去の悪業の報いだなどと考えて、いたずらに憂い悩んではなりません。病人然としていてはいけないのです。むしろ、病気なるが故に、同じ苦しみを持つ人たちと共感しあえることを喜ばなくてはなりません。さらには、自らが病気であるからこそ身につけることができた智慧を生かして、同じように病んで苦しんでいる人を治してあげようという意気込みを持つべきです──。

 そう、この心こそ菩薩の「大悲」であります。そして、だれしもが、この菩薩であるとの自覚を持ちえたら、と思うのであります。


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-178.html 【『維摩経』の話 その七 】より        

 デンマークの王子ハムレットは、父王を毒殺した叔父と不倫の母への復讐を父の亡霊に誓いますが、思索的な性格のために悩み、恋人オフィーリアを棄て苦悩の末に復讐を遂げて死にます。その苦悩しているハムレットに、シェークスピアは[To be,or not to be: that is the question.(生きているか、死んでしまうか、そこが問題だ)]といわせています。

 この生きることと死ぬことというのは、相対立するものとして、どちらかを選択するさいに、葛藤があって当然と普通は考えます。この他、悟りと迷い、善と悪、理想と現実、右と左、戦争と平和などというように、相対立すると考えられるものは数多くあります。

 ところが、大乗仏教では、それらを対立するものとしてとらえません。二つの対立観念は、本来二つではないという考え方なのです。それを「不二の法門」といいます。舎利弗が林の中で坐禅をしていたときに、維摩から指摘されたときのことを思い出していただきましょう。悟りというものは、俗世間から離れた別のところにあるのではなく、善も悪も同居する雑多な現実世界にあって見いだすべきだとする立場をとります。よって、この「不二」と、物事は本来実体のないものでそれにとらわれてはいけないとする「空」とは、同義であると考えられます。つまり、「不二の法門」は大乗仏教の根幹をなす教えということができます。

 さて、場面は維摩の自宅です。このドラマは終盤に近づいています。維摩は居並ぶ菩薩たちに、「菩薩が不二の法門に入るとはどういうことか、おのおのの見解を述べてほしい」と要請します。それぞれの菩薩に対して、「証得(悟り)とは何か」、「仏教とは何か」を問うているわけです。これまで学習したことについて、あたかも、口述試験をしているかのような場面です。

 最初に立ち上がって答えたのは、法自在菩薩でした。

 「みなさん。私は、ものの在り方を、生と滅の二つに分けます。ところが、ものはもともと不生であるから、滅することもありません。つまり、ものは不生であるという確信を得ること、これが、不二の法門に入るということです。」

 次いで、垢(汚れ)と浄、善と不善、罪と福、有漏(煩悩があること)と無漏(煩悩がないこと)、生死(迷いの世界)と涅槃(悟りの世界)、我と無我、明(智慧)と無明(無智)など、次々に多くの菩薩がそれぞれの見解を説き終わった後、彼らは文殊菩薩にも同じように見解を求めました。

 文殊は答えます。

 「私の見解では、すべてのことがらは、ことばもなく、説明もできず、指示することも意識することもできず、すべての相互の問答を超えています。これが不二の法門に入ることです」と。

 文殊からすれば、先に述べた菩薩たちの見解は、不二の「二」にこだわり、とらわれているといいたかったのでしょう。そして、そう答えてから文殊は、「私たちはすべて、各自が思うことを述べ終わりました。維摩よ、さあ、あなたがお説きになる番です。不二の法門に入るとはどういうことなのですか」と問いかけます。

 ところが、あれほど雄弁であった維摩が、この質問には、沈黙して口を開きませんでした。まさに、ここがこの経典のハイライトで、文殊は説明できないといい、維摩は沈黙によって、不二の法門の境地を示したわけです。

 シェークスピアは多くの戯曲を残しています。四大悲劇といわれる『ハムレット』、『オセロ』、『リア王』、『マクベス』、そしてあの『ロミオとジュリエット』。悲劇は、舞台で見るのはいいですが、我が身の悲劇は、ただ惨劇です。生きるべきか、死ぬべきかではなく、不二の法門に入る努力をせねばなりません。しかし、われわれ凡人には、文殊や維摩の域はとても無理で、先ずは、不二の「二」にこだわるところから始めることが肝要のようです。

 南無阿弥陀 ほとけの御名と思いしに 唱うる人の姿なりけり (派祖 西山上人御歌)


https://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-179.html 【『維摩経』の話 その八】より          

 以前、私が中学の教員をしていたころのことです。

 校内暴力の真直中でした。あまりに素行の悪い生徒がいて、それに同調する生徒も出てきたりして、その対応に大いに苦慮していました。何度も職員会がもたれ、カウンセラーの専門家を呼び、講習会を開いたりして、いろいろな手段がとられましたが、いっこうに解決のめどが立たず、むしろ悪化の一途をたどっていくばかりでした。そんなとき、職員のだれからともなく出てきたのが、腐ったリンゴの譬えでした。リンゴ箱の中に、ひとつの腐ったリンゴがあると、全部が傷んでしまうというあれです。

 早くにその一個を取り出さないと、取り返しのつかないことになる。つまり、悪の張本人を、早急に何とかしなければならないという論議が、大真面目でなされた経験があります。今は現場から離れ、客観的に第三者の立場で判断できるものですから、生徒とはいえ、一人の人間を腐ったリンゴに譬えることなぞもっての外だと思えるのですが、当時は、本当に真剣でした。教育の現場が、物も心も荒み、さながら戦場のようでしたから。

 これは私自身の体験ですが、このようなことは、長い人生の中で、存外多くあるものではないでしょうか。

 車の窓から、火のついたタバコを平気で投げ捨てていくヤツ。面と向かってはお上手いって、陰ではさんざん悪口をいうヤツ。世の中に、ようもこんな恥知らずで悪いヤツがいたものだ。そんなヤツ、あんなヤツに出会ったとき、私どもの精神状態は、尋常ではなくなります。どうすればよいのでしょう。最後となりますが、維摩の智慧にあずかりましょう。

 いよいよ『維摩経』の終盤にあたって、維摩のふるさとが明かされます。舎利弗の問いに対して、ブッダが答えます。

 「妙喜という仏国土があって、その国土のブッダを無動(阿・アクショービャ)という。この維摩はかの妙喜国で死んで、この娑婆世界に生まれてきたのである。」

 ここで娑婆というのは、サンスクリット語を音写したもので、われわれが住んでいる世界のことをいいます。その語義は「忍耐」です。西方極楽世界や東方浄瑠璃世界などとは違って、娑婆世界は汚辱と苦しみに満ちた穢土であるところから、「忍土」とも漢訳されています。そこで、維摩は、かの浄らかな仏国土を捨てて、選りにも選って、この煩悩や汚れに満ちた娑婆世界に、なぜ生来したのかという疑問が出てきます。

 維摩は、舎利弗に答えます。

 「太陽が、この大陸に現れるのは、暗闇と合するためではなく、明るく照らすことによって、暗闇を除こうとするためである。菩薩もそれと同じである。汚れた仏国土に生まれてくるけれど、それは人々を導くためであって、愚かな迷いの暗闇に合するためではない。ただ人々の煩悩の闇をなくそうとするためだけである。」

 これまでにも、大乗の菩薩が、この世のありとあらゆる人々と同じ姿を現し、人々と同じ立場で考え行動して、ついに人々に悟りを求める心を起こさせる存在であることが、この経典にはしばしば説かれてきました。さすれば、あの恥知らずで私を悩ます不逞の輩こそ、維摩であるかもしれないのです。そう、私が、どのような対応をするのかを試しているのかもしれません。

 私たちは、さまざまな場面で、さまざまな人たちと出会いますが、いろいろな場面々々で、維摩に試されているのだと考えると、嫌なヤツへの思いも、どれほどか変わってくるのではないでしょうか。また、一つ一つの出会いを大切にした生き方ができるようになるのではないでしょうか。

 そして、維摩は、弥勒菩薩にこの経典の教えを未来に向けて広めていくよう委嘱し、壮大なドラマの幕が閉じられます。

 たまたま書店で手にとった『維摩経』に感動をし、皆様と共に学んできましたが、今回をもって最終とさせていただきます。伝達をする側が未熟なもので、十分にはお伝えできなかったかもしれませんが、これからの研究の一助としていただければ幸いです。(おわり)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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