Facebookあまね 泉美さん投稿記事 #自分への手紙を書く
~ひとつの、心の浄化法~
何かに打ち込み始め エンジンがかかって「さて、いざ出発」となった時、
あなたの車は、さっと動いて目的地へ運んでくれるほうですか?
それとも、順調にいきそうになると思わぬアクシデントがあったり、体調不良に見舞われたり
何かいつも起きること、パターンってありますか?
足止め状態になった時、心身ともに満足ならそれも悪くはないのですが
「進みたいのに進めない感覚」や「不安や焦り」があるとしたら「書くこと」をおススメします。
「自分への手紙」を書きすすめていくうちに俯瞰する感覚が生まれ、
やがて自分の中に滞っていた感情や過去の記憶からくる潜在意識の深いところにあったモヤモヤが整理されていきます。
※書くときは、一番身近な人だと思って(実際一番身近です)味方の立場で書いてあげましょう。
※質問って大切です。疑問があれば自分にも問いかけてみましょう。
その奥にいる「純粋な自分の願い」に出会えた時、心のパターンが浄化され胸の真ん中が感じられてきます。(ジーンとしたり温かく感じられたりまた、身体全体に気力がしっかりするような感覚)
モチベーションはムリにあげても下がるもの。
胸の情熱が生き返ると、自然とまたやれる気がしてきたり、止まっていた事柄が難なく動き始めたり良い情報が入ってきたりしてなんだかまたやれそうな気がしてきます★
「自分への手紙」ぜひ、活用してみてくださいね ( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
https://note.com/hibaridadada_id/n/ne103f2e5484f 【【俳句・手紙日記】未来の私へ、私はもがきながら前へ進んでいます】より
作:相見美緒
正月の俳句
・初日の出遠い未来の自分見る ・数の子の願いはごめん他人事
・開け放つ窓から入る初日の出
未来の私へー手紙日記ー
私は元気か。今の私は正直元気じゃない。将来が視えなくて苦しくてたまらない。やらねばならない仕事や授業と向き合って、毎日がしんどい。冬休みでさえ、休みではないのだ。卒論発表会が私を待っている。失敗するかもしれない可能性を孕んで。
なあ、私は2023年の下半期で理解したんだ。嫌だけど向き合わないといけない事。好きなものでも精神的にずたずたになるとやろうとしてもできなくなること。どれもつらかった。つらかったという5文字の言葉にどれだけの痛みが集約されているか、君は知っているだろう。
でもね、私はやればできるんだ。
全然出来なくて先生に「また来年単位を取ることも検討したら?」と言われたバレーボールの授業で、なんとか頑張ってテストに合格した。みんなに祝われたよね。先生にも、チームメイトにも。正直馴染めなかったけどさ、なんとかやってこれたじゃん。最終的に、あの厳しい先生にも応援されたしね。
英検にも合格した。卒論と授業をこなして心身消耗しながら英検にも挑戦してやり遂げたじゃないか。世間的には合格して当たり前かもしれないけど、私には大きな成功だった。高校生の頃より英語力は上がってたんだよ。すごいじゃん。先生曰く大学生になったら英語力は落ちる傾向にあるのに。
あのね、私は人並みに満足した人生は送れないかもしれない。でも、日常に訪れた小さな奇跡と成功は絶対に掴みに行こう。約束。ね。
https://www.n-gaku.jp/life/topics/7692 【【俳句コラム】神野紗希の俳句日記②】より
いち、じゅう、ひゃく、せん
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、一昨年、昨年と、ほぼ投句審査のみで規模を縮小せざるを得なかった俳句甲子園が、今年は愛媛・松山の地で3年ぶりに通常開催できました。彼らにとって3年とは、高校生活のすべてです。みな、はじめての俳句甲子園に目を輝かせ、いきいきと語り合っていました。
俳句甲子園の決勝では、毎年、漢字一字を詠みこむ兼題が出ます。私の参加した第四回の決勝の兼題は「青」でした。字の詠みこみは、まずその漢字が含まれる単語をピックアップします。頼りにしたのは電子辞書。広辞苑には「逆引き機能」があり、単語のおしりから検索できるので、「あお」からはじまる単語だけでなく、「あお」「せい」などで終わる単語を探すこともできます。青空、青銅、緑青といったふつうの単語もあれば、青葡萄、青葉、青木の実など季語の場合も。今ではインターネット上の辞書サイトでも、さまざまな検索が可能ですね。
書き出した単語を見つめて作ったのは、次の句でした。
起立礼着席青葉風過ぎた 紗希
教室のふだんの風景、青葉を吹き渡る風にハッとした瞬間を詠みました。「起立礼着席」のフレーズは、575に乗りそうだなと以前句帳にメモしておいたものです。まだ形にはならなかった言葉たちが、新たな兼題の刺激によって、思いもよらない世界をひらきます。過去の句帳にも、未来の俳句の種は眠っています。
今年の決勝の兼題は「十」。勝敗を決めたのは、次の二句の対決でした。
露草に十年先の来てをりぬ 矢田部慶(開成高校)
花芒凪の十万億土なる 関友之介(海城高校)
十年先というリアルな未来を、露草の醒めた青に引き寄せた矢田部さんの句。一面の芒が揺れ止んだ全景に、浄土のひかりを見出した関さんの句。僅差で前者に軍配が上がりましたが、いずれも、現世の儚さに立ち秋風に吹かれる、堂々たる作品でした。
NHK全国俳句大会の今年の兼題は「千」です。千切り、千両、百千鳥、千代紙、千秋楽、千手観音……。みなさんは、どんな「千」を見つけましたか?
https://haiku-ashita.sakura.ne.jp/zuisou86.html 【俳句随想 髙尾秀四郎 第 86 回 手紙を詠む句】より
ドイツより信書届きしふづきかな 冬男
冒頭の句は宇咲冬男師の第八句集「虹の座」に収められている句で、ドイツの薔薇の町、バート・ナウハイム市で開催された日独連句会の立句として師が詠んだ「薔薇は実に人活き活きと薔薇の町」が日独親善のシンボルとして評価され、同市によって句碑が建立されることを伝える手紙が冬男師の手許に届いたことを詠んだ句です。今回はこの句のように手紙に触れた句について書いてみようと思います。
今どき「メール」と言えば電子メールであり、手書きの手紙を意味しません。しかしかつては離れた場所に住む人に対して自分の思いや用件を伝える手段として手紙が日常的に使われていました。むろん電話と言う手段も大いに役立ってはいましたが、それはあくまでも緊急な場合の手段でした。理由は料金が高かったからです。かつて遠距離のラブコールの際には10円玉が大変なスピードで落ちてゆくので、片手に10円玉や100円玉をもって冷や冷やしながら電話を掛けていたことを覚えています。3人の娘が学校に通っていた頃の電話代は信じがたい金額に上っていて、個人別に上限額を決め、それを下回った場合にはその差額を現金で還元するという秘策まで編み出して電話料金を一定金額以内に収めることもありました。昔は電話料金が距離に比例して高くなっていましたが、今は携帯から掛ける通話は全国一律ですので距離を意識する必要がなくなりました。そのため、離れた場所にいる人とのコミュニケーションはほぼメール、ラインまたは携帯電話で済ませるようになり、手紙を書くことが極端に減ったように思います。しかしかつては日常的に手紙を書いていましたし、手紙を書くという行動にはゆったりとした時間が流れていたように思います。まず出す手紙の文案を練る。それを文章に起こして便せんに書き、間違ったら書き直します。そして宛先と発信元を書いて切手を貼り投函します。それから早ければ1週間少々、遅い場合には1か月ほども待って返信を受け取って読みます。そしてまた返信を書きます。このサイクルを2週間や1か月毎に繰り返していました。その間の多くの時間は「待つ」時間でした。その待つ時間はただ漫然と待つというよりも様々な想像や自分勝手な展開を巡らしていました。見えない相手と心の中で会話をしてもいました。それだけに短い手紙にもその行間には凝縮された感情や思いが詰まっていたように思います。即時即対応の今にはない濃密で悩ましい時間がそこにはありました。無駄と言えば無駄でしょうが、人を思うという感情を高ぶらせ奮い立たせ、ある時は意気消沈する時間は決して無駄な時間ではなかったように思えます。今回はそんな私信として書く手紙について書くこととします。
手紙は一人称の「私」が書いて二人称の「あなた」に送るものであり、冒頭の句のように公的な信書として形式に則って書かれるものもありますが、一般には私信でありお互いに面識があって共通の経験や知識を持ち合わせているために、前提となる事情や背景などが省略できるため、すぐに核心に触れた中身の濃い内容を書いて出すことが出来ます。それだけにその手紙を第三者が目にする時、手紙の内容から二人の関係性を容易に窺い知ることもできます。そのような手紙の力を応用し、手紙だけで構成された小説もあります。本来小説はストーリーテラー(作者)が第三者の言動について述べるというスタイルで文章が綴られます。しかし手紙だけで構成される小説は、例えば三島由紀夫の「レター教室」という小説などは、題名から手紙を書くためのハウツー物のように見えますが、20歳から45歳までの登場人物5人のプロフィールを紹介した後に、その5人がそれぞれの相手に書いた手紙だけで全体のストーリーが展開されます。また井上ひさしの「十二人の手紙」はオムニバス形式の12人の手紙で綴られていて、中には出生届から始まって洗礼証明書、婚姻届、罹火災証明書、家出人捜索願、死亡検案書など24の公的書面を並べて主人公の生きざまを推測させた後、自らを育ててくれた孤児院の院長宛ての本人の手紙で締めくくられた一篇もあり、作家というよりも劇作家や放送作家の面目躍如と言える掌編小説に仕上がっています。
一方、手紙を詠む俳句は手紙を書くあらゆる段階について詠まれています。即ち、文案を考える、下書きをする、清書して封入する、投函する(又は投函しないままで放置する)、返事を待つ、返事を受ける、更に返事を書く。宛先の人が生存している場合も、生存していない場合もあり、架空の人宛てのものなどもあります。手紙の内容に触れたものよりもむしろ客観写生の句の方が大多数を占めているように思われました。読者の想像に任せた方がより膨らみや深みが出るという思慮からでしょうか。手紙に触れた句は思いのほか多く、選ぶのに大変苦労しました。候補句を絞ったのですがかなりの数になりました。そして手紙を詠む俳句が多いのは手紙が俳句に詠み込みたい思い入れを多く含むものであることに起因するのかと思いました。
鞦韆に腰掛けて読む手紙かな 星野立子 蜥蜴出て長き手紙となりにけり 中村明子
詫手紙かいてさうして風呂へゆく 山頭火 落葉中傷つきかへりくる手紙 赤松けい子
来し人に手紙たのむや冬の雨 五十嵐播水 優曇華や父死なば手紙もう書けず 森 澄雄
夜霧濃きことを手紙の冒頭に 成瀬正とし 夜焚火に束ねし手紙焚き加ふ 大木さつき
姪の手紙急におとなび花芙蓉 鍵和田柚子 芙蓉落つ出さぬ手紙に塵すこし 谷口桂子
飯粒で封じる手紙雁帰る 有馬朗人 梅雨冷えのあざみを挿してかく手紙 三橋鷹女
天上の妻への手紙朴の花 大嶽青児 虫の声余白に埋めて書く手紙 安田美樟
雪ぼたる手紙読まれてゐる頃か 内田美紗 春の朝ドアの下から来る手紙 二村典子
春しぐれ遺品の中のわが手紙 内田美紗 死者になほ届く手紙や鳥曇 岡本まち子
笹鳴や母がかたみの仮名手紙 石田あき子 獄中の出さざる手紙秋のこゑ 角川春樹
黒わくの手紙受け取る冬籠 正岡子規 火曜日は手紙のつく日冬籠 高野素十
夏の手紙青いにじみは海の色 大高 翔 春を待つ絵手紙に黄を重ねつつ 板橋美智代
沢山の手紙に触れた句を読みながら、ふと数年後の自分宛てに一句を添えて手紙を書いてみようかと思い始めています。
幸せの意味悟りしや薫風裡 秀四郎
https://tsukinami.exblog.jp/25217233/ 【芭蕉からの手紙(一)】より
芭蕉からの手紙(一)谷木因あて
天和二年(一六八二)二月上旬、美濃国大垣で廻船問屋を営む谷木因にあて、芭蕉は、こんな知的ゲームのような手紙を送った。現代語訳してみる。
当地で、ある人が付句を詠みました。江戸ではこの句を解釈できる人がおらず、私のところへ批評をもとめて来られたのですが、私にもこの付け合いの味わいは説明できません。そこで内々にご相談いたします。読みとくことができましたら、ひそかにお知らせくださいませんか。江戸で広めて、私の手柄にしたいと思います。
付句
蒜の籬に鳶をながめて
鳶のゐる花の賤屋とよみにけり
二月上弦 芭蕉
木因 様
正保元年(一六四四)生まれ、三十九歳の松尾芭蕉に対し、谷木因は同三年(一六四六)生まれの三十七歳。前年秋に深川の庵で初めて会ってから、急速に親交を深めつつあった。ともに歌学者北村季吟の門下で、木因は、蕉門の地方(美濃尾張)進出に大きく貢献した功労者でもある。
この手紙の問いかけは「鳶の評論」として名高い。とはいえ、蒜(ひる)すなわちニンニクのまがき(生け垣)とはずいぶん珍妙で、付合に「鳶」の語を重ねたのも、芭蕉自作の戯れ句だから。木因はこう返書をしたためる。
お手紙拝見。ある人の付句を貴方様でも読みとくことができず、私に論評せよとのことですが、いまだ飲みこめず、残念ながらお答えできそうにありません。
それについては、私も京都におりました折、古人の筆による和歌の軸物を買い求めたことがあります。京都中探しても、この古筆切れを鑑定できる人はおりませんでした。いずれの御代の撰集なのか、もし貴方様のほうでご記憶にありましたら、ひそかにお知らせくださいませんか。京洛に広めて、私の手柄にしたいと存じます。
菜薗集 巻七
春 誹諧歌
蒜のまがきに鳶をながめ侍りて
鳶の居る花の賤屋の朝もよひまきたつ山の煙見ゆらん
二月下弦 木因
芭蕉翁
芭蕉の謎かけに、木因も架空の和歌集をでっち上げ、前句を詞書に仕立て、遊びで応えている。互いの人物や教養を認めあう間柄であったことが伝わってくる往来である。
元禄二年(一六八九)八月、おくのほそ道の旅を終える芭蕉を大垣で出迎えた中心人物も、実は、木因だった。
足高に涼しき蟹のあゆみかな 木因
(参考文献 今榮藏『芭蕉書簡大成』角川学芸出版)
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