Faceboook種田 光一朗さん投稿記事
日本人であること。
京都大学名誉教授で著名な哲学者であった田中美知太郎氏は、著書の中でこう言われています。
「親孝行と愛国心は、人間の概念で最も崇高な概念である。そしてそれは、教育でしか育まれない概念である」と。
日本では、人間教育が社会の最小単位である家庭でしっかりと行われてきました。それは日本の女性が賢く、女性こそが家庭における賢明なる人間教育の担い手であったからです。
日本の男児も女児も学校に上がるはるか前から、家庭で主に母親から「長幼の序、親孝行、藩や天下(つまり社会)国家のお役に立つ人間になること等」を優しく、そして厳しく躾けられました。そもそも「躾(しつけ)」という漢字は和製漢字で日本で生まれた漢字です。
戦後GHQの占領政策では、先ず我が国伝統文化の基盤である家族主義と家庭の崩壊が計られました。それは女性の権利促進や社会進出の美辞麗句の下で、女性にも仕事をさせ女性からも税を取り、核家族化を促進し日本の人間教育の礎であった家庭を崩壊させることが目的でした。また、学校教育では日本の伝統的価値観や歴史教育が間違っているとして、共産主義者の日教組が自虐史観を子供たちに叩き込みました。曰く、日本は文化的なものは全て支那や朝鮮半島から学んで模倣したのだ、と。また、日本国家の基盤は全て朝鮮半島からの帰化人が創ったのだ、と。
しかし、現実には日本の縄文文化は世界でも最も古く青森県の大平山元遺跡で出土した焼成縄文土器は約16,500年前のものである事が科学的に証明されています。また、日本人の主要なDNAのY染色体は、極東アジアの隣国にはない最も古い血統でることがわかっています。つまり歴史的事実は、日本に文明が興ってから1万年ほどは、極東アジア一帯には他に文明らしきものは何も無かったということです。朝鮮半島を最初に開発したのは我が大和民族である、という証拠が半島のあちこちの遺跡から出土しています。韓国は都合の悪いそれらを全て隠蔽しています。
歴史的事実は、大和民族(縄文人)こそが世界一の長老民族であるということです。その証拠は、世界各地で縄文土器や縄文文字(神代文字)が刻まれた出土品が数千年前の地層から発見されている事で明らかです。縄文人が文字を持たなかった、というのも事実ではありません。神代文字がちゃんと解読されています。日本の歴史家はこれを公表すると学会から破門され研究費がもらえない仕組みになっています。こんなバカなことは、もう一挙に終わらせましょう!
かの旧約聖書のイザヤ書等にも、「神は東の島々に契約の地を用意されている」といった内容のことが記されています。「東の島々」という表記はあちこちに出てきます。それは、自分達の先祖の土地だと理解できます。今後、考古学の研究がさらに進めば、日本の歴史の真実が国際的な学会で明らかにされるでしょう。大切な事は、日本人を日本人たらしめている文化、その基盤にある価値観、精神は我々自らが守り次の世代に継承していかねばならない、ということです。
グローバリゼーションの美辞麗句にまどわされて、民族の誇りを捨ててはなりません。人類社会の長老民族には、自覚さえすれば覚醒する「魂の指向性」というものがあります。それは、「志し」ともいえましょう。
1922年11月18日、日本を訪問したアインシュタインは伊勢神宮に参拝して深く感銘を受け、次のように記帳しています。
「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。そのとき人類は真の平和を求めて、世界の盟主を挙げねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力でなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を創っておいてくれたことを…」(署名: アルベルト・アインシュタイン, 1922年11月18日)
“The future of the world will go on as far as it will go, and in the meantime several conflicts will be fought over and over again, until the time comes when the final battle is exhausted. At that time, humanity must seek true peace and raise up a world ally. This world leader must be the oldest and noblest family, not by force of arms or money, but by a lineage that transcends the history of all nations. The world's culture began in Asia and will return to Asia. It must return to Japan, the high peak of Asia. We thank God. We thank God that He has created for us the noble nation of Japan..."(by Albert Einstein, November 18, 1922)
https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=2247【葉隠とその教え】より
葉隠は葉隠聞書ともいう。佐賀藩士山本常朝は2代藩主鍋島光茂が死んだので武士を捨てて髪をおろし金立の黒土原に閑居していたが、同じく光茂に仕えていた御書物役を勤めていた田代陣基も御役御免の身となった。この陣基が常朝を黒土原の草庵に訪ねたのが宝永7年(1710)の3月で、それから享保元年(1716)まで前後7年間にわたり常朝の談話や常朝自筆の「山本神右衛門清明年譜」「山本神右衛門重澄年譜」「愚見集」「常朝書置」等を参考にして全11巻にまとめたものである。この葉隠聞書の内容は佐賀藩の伝統的精神に基づく教訓や藩祖直茂、初代勝茂、勝茂の子忠直、2代光茂、3代綱茂らの言行が前半で述べられ、後半に佐賀藩士達の逸話や史跡・伝説等を集めて述べている。それも名前まであげたのが多いこともあるし、「他見の末にては遺恨悪事にもなるべく候間、堅く火中仕るべき由、かえすがえすも御中候也」と、焼き捨てることを命じている。したがって葉隠11巻は秘本であり、佐賀藩士の間にはこっそり写されて読まれていて、出版されて広く世人に読まれる書でもなく、常朝自身も堅く焼き捨てるように、弟子の陣基に厳命しているのである。そこで藩校の弘道館でもついに教科書として用いられるに至らなかったという。
常朝は湛然和尚、石田一鼎から教えを受けており、この湛然、一鼎、常朝、陣基を「葉隠の四哲」と呼んでいる。この葉隠では武士道を説いたところがよく知られているが、その中心的な考え方は四誓願というもので代表されているといってもよい。四誓願というのは
一、武士道においておくれ取り申すまじき事 一、主君の御用に立つべき事
一、親に孝行仕るべき事 一、大慈悲を起し、人の為になるべき事
というのである。葉隠の第十一に「すべての人の為になるは我が仕事と知られざる様に、主君へは陰の奉公が真なり………陰徳を心がけ陽報を存ずまじきなり」とあるように、陰の奉公隠徳を重んじ、いやしくも自分の功績を現わすことを競うようなことがあってはならないという意味で葉隠という書名を付けたともいわれ、又田代陣基が山本常朝をたずねたこの地方には「葉がくし」という柿が多くあるところから、この柿の葉隠れに語ったためという説もある。更に前述したようにこの葉隠は「追って火中すべし」とあることから、広く世人に読ませる書ではなかったので「葉隠」というともいわれている。
この書は全11巻、1358節から成り、総論として「夜陰の閑談」があり、次に直茂・勝茂の言行が第3巻より第5巻までの大部分を占め、第6巻より第11巻までは藩士の言行を主として取り上げている。葉隠の根本精神は総論に述べている四誓願であるが、これは石田一鼎の「武士道要鑑抄」の三誓願にならったものと考えられ、この三誓願に慈悲の心を加えて一つのまとまりを付けているものである。
この慈悲の心は恩師湛然和尚の教えによるもので、武士は勇気ばかりでなく、慈悲の心が必要であると説かれていたためと思われる。葉隠の談話はほとんどが四誓願の武勇、忠義、孝行、慈悲であるが、最も強く述べているのは藩主に対する忠義である。
「我が身を主君に奉り、速に死に切って幽霊になりて、二六時中主君の御事を歎き、無理無体に奉行に好き、無二無三に主人を大切に思へば、それにて済むことなり」
「御主人より懇ろに召し使はれ候時、する奉公は奉公にてなし、御情なく無理千万になさる時、する奉公が奉公」 というような献身的忠節であり、
「武士道とは死狂ひなり…………本気にて大業ならず、気違ひになりて死狂ひするまでなり
「刀を打折れば手にて仕合ひ、手を打落さるれば肩節にてほぐり倒し、肩切離さるれば口にて首の十や十五は喰い切り申すべく候」 とあり、烈々たる気魄のある武士道であるということができる。
わが郷土大和町はこの葉隠に関係した史蹟が多く散在しており、又内容的にも郷土に関係したものが見られる。
FaceboookShigeru Mitsudaさん投稿記事
ここしばらく、執行草舟さんの著作を「脱人間論」から始まって「おぉ、ポポイ!」まで読み込んでました。
こんな壮絶な人生を歩んで来られた方がおられるなんて、執行さんの人生そのものが驚嘆事です。
人生に武士道(葉隠れ)の精神を徹底するとは、こういうことなのかと強烈に思い知らされました。
葉隠れの他にも、「モーセの出エジプト」とか「ヨハネの黙示録」「バガヴァッド・ギーター」、内村鑑三先生など、わたしの守備範囲の霊学も縦横に駆使されていて、しびれました。
目の醒めるような強烈な思想があちこちにちりばめられていて、私の霊も感電したかのようです。
Facebook石原 慎一さん投稿記事
『「葉隠」いざと今は常に一つ:準備と覚悟』
私はいつも死を覚悟している。
阪神淡路大震災で住んでいた10階建の社宅の1Fが半分崩れて3Fで寝ていた私は垂直落下と震度7の合わせ技を喰らって、全く何が起こったのかわからない状態でコンクリートのひしゃげた匂いとガス漏れのガスの匂いとガス漏れ警報器のアラーム音と目まし時計のアラーム音が入り混じったこの世の世界とは思えない状況を体験して以来、私はいつも死を覚悟しているのだ。
そしていつでもこの世を去れるように準備をしており、この世への未練は殆ど無い。
当然息子の将来は心配であるが、まあ成人になり二十歳を超えたので基本的には私の役割は終えたと思っている。
時々
「石原さんが何を考えているのかわからない」
と言われる事があるが、現世に未練が無いので、基本私は
「何も考えていない」
のである。
「いざと今は常に一つ」
武士道とは程遠い私の人生ではあるが、何故か江戸中期の山本常朝の葉隠を読んでみたくなった。
「葉隠れに 散りとどまれる
花のみぞ 忍びし人に
逢ふ心地する」
西行
葉隠れにわずかに散り残っている花を見る時は、それこそ心ひそかに思っている人に逢えたような気持ちがするよ
散り残った花が葉に隠れてわずかに見えるのに寄せた恋の歌
西行 1118~1190
出典 山家集
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