古事記と旧約聖書の意外な繋がり

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「イザヤからの手紙」を見て思った事(2)

その後、ダビデ、ソロモンの頃には崇神天皇と垂仁天皇の頃に来日した集団、景行天皇、応神天皇の時代にも弓月王の貴族の集団など多くのユダヤ人が来日したと書かれていています。ヤマトタケルのお話もヘブライ文字で解説され、始皇帝と徐福の時代から秦氏一族など続々とユダヤ人の来日が続き、聖徳太子と秦河勝などにより皇室との濃厚な関係が伝えられ、仏教と神道を習合させて法隆寺、大仏殿など建立され、日本全国に数多くの八幡神社や稲荷神社が建てられたという驚くべき事実が明らかになっています。

ユダヤ人はユダヤの教を捨てて、古神道の神々を聖書で解釈して古事記を作ったのでしょうね。縄文15000年の間に形成された日本文化の根底に高度なカタカムナ文明があり、神武天皇以前の日本は、世界の理想郷として繁栄していた縄文文明が存在していた。そのウガヤフキアエズ王朝末期の紀元前1000年頃にモーセやスサノオが来日し、ユダヤの文化や知識を流入し、皇室制度が整い、日本語の言葉数が増え、神仏習合の下地が整ったのだと思います。

日本の歴史の授業では、中国や韓国から多くを学んだと教えられますが、それは真実でないようです。実際は紀元前のモーセの時代に来日したユダヤ人が定住して、「日本に来たら土地を与えられ幸せな余生を送れる」との評判が伝わり、アシア地域に離散したユダヤ人たちが多大な財産を持って来日するようになったのだと思います。中国や韓国は王朝が交代する度に略奪や攻防を何度も繰り返される酷い地域ですから、財産を持ったユダヤ人貴族、知識人、機織り等の技術者集団が逃げ出すのは当たり前です。

中丸薫さんは「ユダヤ人は日本に来ると里帰りしたような気持になるから、日本人に同化してしまうのだ」と言われています。紀元前6000年前の鬼界カルデラの大噴火で、多くの日本人が逃れて大陸に渡り、シュメール国が生まれたという説もあります。そのシュメール人からユダヤ人が誕生したようですから、もともと日本人だったのです。 歴史家の田中英道さんは関東にユダヤ人の姿をした埴輪が沢山出土していると書かれています。空海の真言宗も景教といわれていますが、弓月国からの移民もネストリウス派キリスト教(景教)を持ってきたのですね。

ユダヤ人は憧れの日本に里帰りしたら、日本語のありがとう、いただきます,おかげ様というお天道様や自然に感謝して神と一体になる言葉を先発隊に教えられ、気づきをえられ、多神教に戻ってしまうのですね。そこに縄文カタカムナのヤタノカガミ、フトマニ、ミクマリは三種の神器の鏡・刀・勾玉の宇宙論が発揮されたのだと思います。ひふみ祝詞のひふみよいむなや~9の空になる9進法の神の数学の色即是空、空想是色の哲学を学び、縄文人の物に執着しない、捕らわれない中今の心で生きる「諸法は空」の哲学から悟りの心を教えられたのです。

ですから古代から東の国には日本というユートピア的、理想郷があると世界の人は憧れ、釈迦も来日して学んで帰り、般若心経などが生まれ、人や動物たちに囲まれて涅槃像のような死を迎えました。しかしキリストが同じことを伝えたのにユダヤ人に理解されず十字架に磔にされました。しかし、そんな無理解なユダヤ人が日本に来たらどうでしょう。簡単にユダヤ教を捨てて日本化してしまうのです。この事実を世界の人が何故なのかと考え、理解すれば世界は変わります。その理解が全世界に広がれば、イスラエルとパレスチナの問題も、世界中の人種差別や宗教対立も解決するでしょうね。それが最近よく言われる日本にたいする期待なのでしょう。

すでに神戸北野町にはジャイナ、ムスリム、カソリック、ユダヤ、関帝廟、シク教、プロテスタント、ロシア正教、バプティスト、北野天満宮が仲良く共存しており、多宗教共存地域としとして世界遺産登録しょうという動きがあるそうです。こんな風に一神教が他宗教の神様をお互い認め合うのが神の戸の使命なのでしょうね。神戸にはサイババの寺院もあり、そのご縁で私は奇跡を見せてもらい、サラ・シャンティという名の道場が生まれ、六甲を創造するという名のビルを建設できたのも、ダビデのご加護だったのでしょうか?

六甲山には法道仙人、役行者、空海、聖徳太子、瀬織津姫、菊理姫が祀られる遺跡が多くあり、そんな環境の中で修験道や滝行を指導されたり、トライアスロンの自転車やランで走り回っていたおかげで、こうした神々が見守ってくれていたのだ思うのです。私の家は八幡神社の森の神域の中にあって、八幡大神(応神天皇)、天照大神、春日大神が祀られていて、清水のご先祖様が清和源氏であることも八幡神と繋がっており、子供の時からそんな環境を遊び場として育ったことも意味があったのでしょう。

毎年のお正月三が日と18,19日の厄除大祭は大変な人がお参りに来て賑わいます。こうして私たち日本人は故郷に住んでいるだけで、歴史的に活躍した存在とご縁のある氏神様やご先祖様をお祭し拝んだりしていることが深い信仰文化を形成してきたわけで、こうした歴史を持つ国であることが和する一体の愛の精神文化の特徴であり、GHQが恐れ破壊しょうとした訳ですが、とても無理なことだったのです。そしてマースさんのご活躍が示すように、世界から日本への注目度が高まり、日本の和の精神が広がっていくのだと思います。

「イザヤからの手紙」


https://ameblo.jp/momopi28/entry-12826327663.html 【古事記と旧約聖書の意外な繋がり】より

最近、ホツマツタエとか出雲口伝などの動画を見てその説明や経緯の自然さにすごく納得ゆくものを感じておりなんか記紀の記述はそれに比べて不自然で無理があるなあと その信憑性にどんどん疑念が湧くようになってきております。

そしたら昨日、オススメにこんな動画が・・・

【さきのよの日本神話】上巻 1300年の時を経て証された古事記の謎

39:54~44:22 訂正 姉がレアで妹がラケル1:00:00 訂正 伊邪那美神は生まれた時にも表記1:24:18 訂正 ナバルの娘ではなくナバルの妻00:00 はじめに 旧約聖書の家系図と古事記の家系図一致01:53 荒御魂 和御魂 ネストリウス派天照大御神荒御魂瀬織津姫 豊受大御神荒御魂気吹戸主 東方教会 ...

https://www.youtube.com/watch?v=0lRwnYJI_KU

これ、後半もあるみたいなんですけどとりあえずこちらの前半だけ見てみました。

なんかもうね旧約聖書と古事記の関わりが強過ぎて実は古事記に登場する神様は

旧約聖書に登場する人物になぞらえてかなり創作・改変されたものなんじゃないのという疑惑がムクムクと湧いてまいりました。

古事記が編纂されたのは8世紀始め(712年)ですからもちろん、旧約聖書の時代からはかなり後。編纂した人(元の口伝の方だとしても)の意識の中では自分が信仰する旧約聖書の神々(人物)との整合性もよく考えた上で物語を書き上げたのだろうと思いますし 都合の悪い情報は切り捨てたり、歪曲したり、別な人とすり替えたりも結構あったのではないかと思われます。

非常に強く感じるのはこれが日本の最初の歴史書という位置付けになるわけなので

これが日本の物語でもあるように見せかけて 実は読む人が読めば、これは実はユダヤの物語なんだよというような そういう仕掛けが施してあるように見えました。

つまり自分たちはルーツがユダヤなんだよ、失われた10氏族なんだよという暗号を潜ませていたのではないでしょうか。

そのために両者が矛盾しないよう、いろいろ苦心したのだろうなと思います。

その結果が、ちょっと意味わからない古事記の記述であったとするならばそれを鵜呑みにするのもちょっと危険だなと感じました。

この古事記はもともと、稗田阿礼が誦習していたものを元明天皇(持統天皇の次の女性天皇)の詔により太安万侶が筆記し編纂したもの。

内容的には天地開闢から推古天皇までの御代の話ということでちょうど聖徳太子と蘇我馬子(崇仏派)が生きた時代です。

聖徳太子は厩戸皇子と呼ばれていたり太秦辺りにダビデ神社(大避神社)があったりするのを見ても彼の周辺には古代キリスト教(景教)の強い影響があったと思われます。

しかし当時は景教は大陸でも弾圧されていたので、それをあからさまにいうことは危険だったのかもしれません。

ただ聖徳太子=イエスキリストとみなして信仰する人々(秦氏)は確かにいたのだろうなと感じます。

聖徳太子はその後、子孫が断絶していることから見ても、実は初期キリスト教は日本においても相当な弾圧を受けたのかもしれません。大陸から仏教が入ってきて崇仏派の勢いは相当強かったと思われますので。

そのため秦氏は、氏神の名前をウカノミタマ(お稲荷さん)というように変えて信仰するようになっていったのかもしれません。

「千と千尋の神隠し」の世界に通じる話でなんか深いですね。

日本にはどれだけの神様が隠されてきたのかなとなんかまたすごく古代史に興味が湧いてきました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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