Facebook佐坂 輝久さん投稿記事【 ユーモアの名句は悲しみから生まれた 】
「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」「やれ打(うつ)な 蠅が手をすり 足をする」
など、総勢2万句にも上るユーモラスな句を残した俳諧の巨匠・小林一茶。
しかし、その苛烈を極めた生涯は、一般にはあまり知られていません。
3歳で母と死別、継母のいじめ、壮絶な遺産相続争い、4人の子の相次ぐ死、妻の死、離婚、母屋の焼失、土蔵暮らしで迎えた最期……。
齋藤孝先生の著書 『心を軽やかにする小林一茶名句百選』では、子供の頃から一茶の俳句を愛してきた齋藤先生が、親しみやすい百句を厳選し、一茶の人生を追体験できるよう、年代順に名句を紹介しています。
五七五という短い音数の中に自らの心境を凝縮し、思わず口ずさんでしまうほどの軽やかさで
表現した一茶。
苦難の連続の中にも小さな幸せを見つけ、したたかに生きようとした一茶の姿=俳句は、現代の生活のさまざまな場面で自分を支え、心軽やかに生きるための知恵を与えてくれることでしょう。
「痩蛙 まけるな一茶 是に有」これまで親しみをもって触れていた俳句が、深い悲しみの中から生み出されたものであることを知る時、人生の悲愁を越え、力いっぱい生きようとした
生身の人間の姿が、胸に迫ってくるに違いありません。
本書の刊行に寄せる齋藤先生の思いが「あとがき」に綴られていますので、
その一部をご紹介いたします。
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あとがき
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俳句の小林一茶は、短歌の石川啄木と並んで、その作品が覚えられやすいという意味で「国民的詩人」と呼んでいいでしょう。
私も小学生の頃には、「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」とか「やれ打な 蠅が手をすり 足をする」という句を知っていました。
おそらく日本中の人たちが同じように、いつ出会ったのかわからないほど幼い頃に、一茶と出会っているのです。そういう俳人はそれほど多くいません。
芭蕉の句も多くの人に親しまれていますが、親しみやすさという点では、一茶はその上を行っているように思います。
一茶は、生涯に二万以上の句を詠みました。本書には、その中から私が覚えやすいと思った句を百句選んでいます。
選んでみてつくづく感じるのは、一茶は現代の私たちに大変貴重な贈り物をしてくれたなということです。それと同時に、私たちは一茶からの贈り物をしっかり受け取っているだろうかと考えました。多くの人が一茶に抱くイメージは、小さな生き物に味方して応援する心優しい句を詠んだ人といった感じでしょうか。
私も最初はそういうイメージで一茶の句に触れました。しかし、一茶の人生はそれほど穏やかなものではありませんでした。
現代は生きづらさを感じる人が増えていると言われますが、一茶の人生をたどると、自分はまだ恵まれているほうだと思うに違いありません。
幼い頃に母親を亡くし、継母と折り合わずに家を追い出され、父の死後に遺産相続でもめて、五十歳を過ぎるまで結婚もできなかった。やっと結婚して穏やかな生活を送れるかと思いきや、四人の子どもを次々に亡くした上に奥さんまで亡くなってしまう。
そして最後は、母屋が焼失して土蔵暮らしになって死んでいくのです。こんな壮絶な人生があるだろうかと思うほどです。
一茶に『おらが春』という句文集があります。そこに「露の世は 露の世ながら さりながら」という句が収められています。
「この世の中は露のように儚いものだとわかってはいる、そうではあるけれど……」と、幼い子どもを喪った悲しみ、やりきれない心境を詠んでいます。
この「さりながら」という五字が私の心に強く残りました。
一茶の人生は苦難の連続でした。でも、その間につくった句には、おかしみ、軽みというものが全く失われていません。
私はここに一茶の心の強さ、胆力といったものを感じます。
また、そこに一種の「芸人魂」のようなものを感じるのです。
芸人さんは、よく自分が貧しかったことを面白いエピソードとして話します。辛いことを笑い話に変えて話す、いわば「逆転の表現力」によって、自分自身の心の不安を笑い飛ばしてしまいます。そんなメンタルの強さを一茶にも感じるのです。
このような軽みのある胆力を一茶は俳諧によって身につけていったように思います。
たとえば、「梅がかや どなたが来ても 欠茶碗」という句があります。
「欠茶椀」は貧しさの象徴ですが、誰が来ても欠茶椀でお茶を出すという情景にはおかしみがあります。
「木つつきの 死ねとて敲(たた)く 柱哉」という句も、それ自体が明るいわけではありませんが、作品として読むと面白味を感じます。
こういう面白味は、一茶が五七五という短い音数に自分の心境を凝縮して、それを軽やかに表現しているところから生まれているように思います。
そして、そのような表現を生むためには、自分の心から一歩距離をとって、自分を客観的に見つめなければなりません。
この心と距離をとるというあり方は、生きづらさを感じるという人にも参考になるでしょう。
(「致知BOOKメルマガ 」より)
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