https://zenzine.jp/read/articles/9493/ 【いつでも此処《ここ》が目的地】より
「是《これ》がまあ つひの栖《すみか》か 雪五尺」
江戸時代後期の俳人・小林一茶の一句です。
漂泊の俳人と呼ばれ、家庭内の事情により、15歳から親元を離れ、流浪の旅を続けた小林一茶。この句は一茶50歳の時、華やかな江戸の町から、長野県の柏原という雪深い故郷に戻ってきたときに詠まれたものです。実に35年間放浪の旅を続けた一茶が、この句を詠んだ時の思いは一体どのようなものだったのでしょうか?
まず、この句を理解するために、一茶の生涯を簡単に紹介したいと思います。
一茶は1763年、長野県柏原という山間《やまあい》の宿場町で、比較的裕福な農家の長男として生まれました。名を弥太郎といいます。しかし、3歳で母を亡くし、8歳のとき継母がやってきます。10歳のとき、継母と父の間に義理の弟が生まれますが、このあたりから継母との関係が悪化し、15歳で少年弥太郎は江戸へ奉公に出されます。
それから25歳までの10年間の消息は、記録に残ってないのですが、おそらくこの間に俳句と出会い、その道を志すことになったと考えられます。そして、25歳のときに初めて一茶と名乗った作品が世に出ます。
俳句の世界は、その一番のトップを宗匠といいます。松尾芭蕉などがそうなのですが、俳句の世界でやっていこうとするなら、やはり何をおいても宗匠を目指すわけです。そして、その次が執筆という二番目のポストになるのですが、一茶は実に25歳の時点で執筆のポストに立っていました。本人もこれはいける、と思っていたと想像しますが、その後、結局一茶は、宗匠にはなれなかった、という悲しみをずっと抱えたまま生きていくことになります。
そうして、江戸に仮住まいを置きながら放浪の旅を続けるのですが、一茶が50歳の時に、亡くなった父の遺産相続問題を解決するために、故郷の柏原に帰ってきます。そんな人生のターニングポイントの時に詠ったのが、冒頭の一句です。
「是がまあ つひの栖か 雪五尺」
実はこの一句は一度書き直されていて、もとの句は、「是がまあ 死所《しにどころ》かよ 雪五尺」となっていました。「つひの栖」に比べて「死所かよ」は、かなりきつい表現だと思います。
「雪五尺」――目の前には五尺にもなる深い雪。五尺とは、1尺=約30cmですから、およそ150cmになります。小柄な人なら全身がすっぽりと収まってしまうほどの高さです。この深雪の地が自分の最後のすみかとなるのかと思うと、「是がまあ」と、深いため息がわいてくるのも無理のないことかもしれません。
少年のころ、独り江戸に出た一茶が35年間の放浪生活に終止符を打って、故郷で骨をうずめようと決意をして、深雪の柏原に帰ってきた……この「死所かよ」には、当時のそんな複雑な感情が入り混じっていたことが窺い知れます。
臨済禅師の言行録『臨済録』に、「途中に在って家舎《かしゃ》を離れず」という言葉があります。
この言葉は、本来は悟りや修行のことを言っているのですが、ここでは単純に「道中(=途中)にあっても、本来いるべき場所(=家舎)を離れない」と考えてみてください。旅の途中は自分の家にはいない、と考えるのが当然ですが、自分が本来いるべきところとは、たとえどこにいたとしても、一時《ひととき》も離れることはないのです。
それでは、この「自分が本来いるべきところ」とは一体どこでしょうか?
人生においてどこかに到達する目的地がある、と考えると、自然とそこへはまだ到っていないという状態が生まれてきます。これがすなわち、迷いの原因となります。反対に、どこへゆこうとも、ここが自分のいるべき場所だと知っていれば、道に迷うことはありません。自分の家にいるのだから当然です。これが「家舎」ということです。
今の自分にできることは何なのか?ただ、今のこと、与えられていること、一つ一つにしっかりと向き合う、そうすることで「自分を生かせる場所がここにすでにあるんだ!」と知ることができます。いつでもどこでも、今いるここを目的地として、本来の自分から離れることはない。それでいて、常に人生という旅路についているのです。
この心は、この時の一茶の心にも通じるものがないでしょうか?
継母との確執から一人、15歳で江戸へ奉公に行き、俳句でも宗匠になれず、この年までは天涯孤独の身でした。そうして実家に帰ってきて、そこは文字の上では「途中」ではなく「家舎」であったわけですが、ここにおいて「死所かよ」を「つひの栖」に改めたところに、人生という「途中」にも、「家舎」を見出したのだと知ることができます。
ここが私のあるべき場所……「雪五尺」という人生の困難や悩みや苦しみのまま、あそこでもなく、そこでもなく、ここをそのままわが家とする、そんな前向きな覚悟の一句とは見えないでしょうか。
「是がまあ つひの栖か 雪五尺」
この句は私たちに、いつでもどこでも何をしていても、本来の場所に身を置いているということ、場所や環境を選ばずに目の前の一つ一つにしっかり向き合っていくことの大切さを教えてくれています。
https://ameblo.jp/geneva-77/entry-12677209328.html 【俳句なのだ! 角川照子さんに出会う】より
■本日のあるブロガーさんの記事です。
夫あらば 子あらばこその おでん種 角川照子(つまあらば こあらばこその おでんだね)
意味・・大根、こんにゃく、ちくわ、卵・・夕食の おでんの種をあれやこれやと作っている。 大きな鍋から溢(あふ)れそうな具たくさんのおでんは、日常の幸せの象徴。子をそし
て夫を亡くした後の一人で食べるおでんは、逆に寂しさの象徴のように感じられる。
鍋を共に囲む人がいる幸せを、私たちはつい忘れがちですが、この句を詠めばはっと
させられます。
出典・・黛まどか著「あなたへの一句」。
作者・・角川照子=かどかわてるこ。1928~2004。 角川原義と結婚。一男一女がいたがいずれも成人前に死亡した。
* * *
おでんは冬の季語ですから、一読して「なぜ今の時期に?」と思いました。
さらに、私は角川照子さんを知りませんでしたが、この句にはどこか深掘りしたくなる魅力がありました。
そこで、角川照子さん、ウイキペディアでチェックすると…東京府渋谷町(現東京都渋谷区)出身の俳人。1949年、角川源義と結婚する(源義は再婚)。
のち一男一女をもうけるが、いずれも成人前に亡くなっている。
1979年、源義創刊の「河」主宰に就任。
1987年、『花行脚』により第11回現代俳句女流賞を受賞した。格調と叙情を兼ね備えた句風である。
2004年8月9日、荻窪の自宅にて死去した。75歳。
「河」主宰は源義と先妻の息子である角川春樹が継いだ。
代表句にさいはての句碑に掛け置く春ショールとあります。
*
夫亡きあと、俳誌を引き継いで主宰するのは大変なご苦労があったことでしょう。
ほかには照子さん、このような俳句を詠まれています。
土用鰻食して明日は山へ行く 枇杷の種こつんころりと独りかな
盆燈籠ともす一事に生き残る 炊きあげてかすもの如しぬかご飯
大利根の曲れば曲る泡立草 白息をかけて遺愛の眼鏡拭く
雑貨屋のまだ点しをり一葉忌 どれもこれも目出度く曲るごまめかな
伊勢海老のどことは言はず菫いろ
なぜ自分は生きているのだろうか、どんなふうに生きようとしているのだろうかじんわりと伝わってくるようです。
* * *
しかし、まだもの足りません。もう少し調べてみました。
「俳句アトラス」のページに見つかりました。※以下はこのページのコピーです。
もう一度茅花流しに立ちたしよ 角川 照子
「茅花流し(つばなながし)」は初夏の季語。茅花が絮状(わたじょう)になる頃に吹く風のことである。
しかし、私は、「茅花」の群れを吹き抜ける風、そしてそれにたなびく「茅花」の群れと鑑賞したい。
歳時記には、「雨気を含んだ南風を指す」ともあるが、夏の爽やかな風をも私は感じる。
掲句は「河」主宰、角川照子先生の絶唱。句意は字の通り。
照子先生の句はどれも素直で、正直である。自分の死を間近に意識した時、先生が思い出した風景は茅花流しに佇む風景だった。
*
このあと筆者は、夫・角川源義の句にも触れておられますがそれは割愛いたしました。
* * *
私はこの句で「茅花流し」という季語を初めて知りました。しかし高原や土手などで一斉に風にゆれている茅花、それは見たことありますよ。淋しけれど、豊かなかんじもします。
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…この一句で思い出すのは河野裕子さんの歌、病床詠です。
生涯にもはや行くことかなはざる 正福寺の土手のすみれの花よ
人が末期(まつご)に思うのは、こういうシーンなのか…深く納得するのですよ。
ブロガーさんが「おでん」の句を今の時期に掲げたのは別の意味があったのかもしれません。
それは分かりませんが、角川照子さんという俳人に出会えたこと、
そこに導いてくださったブロガーさんたちに感謝いたします。
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お付き合いいただき ありがとうございました💛
Facebook西田普さん投稿記事
本日20時から光田秀先生をゲストにお迎えし、YouTubeライブをお届け致します。
【20世紀最大の霊能者エドガー・ケイシー】
私たちは「霊的成長」のためにこの地球にやってきた!
ゲスト:光田秀先生(日本エドガー・ケイシーセンター会長)全13回シリーズの第一回となります。(今週金曜日にはオンラインセミナーも予定しています)
私たちは例外なく、「生まれてきた目的」があると古今東西の賢者たちは言います。
それは、本来の自分を知ること。
この自分として生まれた意味を知って、魂を磨き上げ、「霊的な成長」を果たしていくこと。
霊的な成長とは、私たちがこの世にやってきた目的そのもの、とも言えるでしょう。
「その道」に入ると、不思議なことに、その人にとって必要な全てのご縁、豊かさ、活力がもたらされ、才能や魅力が花開いて行くばかりか日々が静かで深い喜びに満ちたものとなります。
生きていると、様々なしんどい出来事に出会うこともありますが、、、霊的成長を意識して生きると、途端に、それまで困難や試練としか感じられなかったことが、つまづきの石ではなく、踏み石に変わります。
自由と、魂が躍動する毎日が与えられて、自分だけではなく、身の回りに、幸せがさざなみのように広がっていき、この世界に貢献できるようなのです。
秘訣を光田先生ならではの、楽しくわかりやすい解説でお話しいただきます。
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ちなみに昨日は
「戦時下のリーディングから生き方を見直す」という講座に参加してきました。
これがまた素晴らしい内容でして、、、私たちが連帯して「祈る」こと、また、祈るだけでなく、祈りの内容を生きることで、、、戦争が速やかに終結へ向かったり、亡くなったかたが魂上がりされていく、といったことが実感されるような「リーディング」をいくつも、光田先生からご紹介いただきました。
ちなみに、ケイシー先生は、リーディングの中で「第二次大戦の終結のタイミングを1945年、とズバリ言い当てておられた」ようです。
そのほか、初めて知る驚愕の内容がいくつもあり、これから予定されている講座やYouTubeなどでも光田先生からみなさまにお話いただけると思うとわくわくがとまりません。
このシリーズを通じて、ケイシー先生の福音がますます広まりますように。みなさまのお役に立てますように。
https://www.youtube.com/watch?v=nEVJIcE1Pn0
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