Facebook斎藤一人さん投稿記事
忘れていました。空がこんなに大きいなんて。忘れていました。星がこんなにきれいだなんて。忘れていました。道の隅に咲くタンポポがこんなにかわいいなんて。忘れていました。神の愛にいつも包まれていることを。
ひとり
越智啓子bot@ochikeikobot
八百万の神の笑いの力が、天照大御神を天の岩戸から引き出したのです。このように、「笑い」と「興味」は、自分の内なる神を引き出す力になるのです。神様が笑いを好まれるのは本当です。
(「笑い」の秘密)
マノマノ稲穂@manomano_farm
言葉には自己暗示の効果があります。
落ち込んでる日に「こんなんじゃダメだ」と自分を責めるより「こんな日もあるよ」と自分を肯定する言葉を使った方が楽になるのは自分自身に許可を出してるからです。人生の一番のパートナーであるあなた自身を許してあげよう。いい言葉で満たしてあげましょう。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
1月7日は井筒俊彦の命日です。
井筒俊彦は30か国もの言葉を自在に話し、 コーランを翻訳してイスラム世界から敬愛されました。
イスラムだけでなく「多様性」や「他者との共生」を訴える井筒俊彦の思想は世界中で高く評価されています。
西洋哲学からイスラム哲学、老荘思想や禅、東洋哲学を縦横無尽に繰り出す井筒俊彦を司馬遼太郎は「20人ぐらいの天才が1人になってる」と評していました。
井筒俊彦を知ったのは拙著「覚醒の真実」の執筆で密儀宗教から、プラトン、ピュタゴラス、プロティヌス、ディオニシオス、十字架の聖ヨハネまでの神秘主義の道程をまとめようとして調べていた時でした。
井筒俊彦は結核を病み血を吐きながら1949年に神秘哲学を執筆していたのです。
私も若い時に結核を患って入院したことがあったので親近感を感じました。
神秘哲学は三部作の予定だったようですが、第二部の神秘主義のギリシア哲学の部で終わっています。
神秘哲学で井筒俊彦は神秘体験を、知性の極限に於いて、知性が知性自らをも越えた絶対的超越者の自覚、といっています。
つまり、人間が神を見ることではなく、神が神を自覚することなのです。
人間には知性を超えた智慧(プラジュナー)を持っているということなのでしょう。
出版社が倒産してキリスト教神秘主義の第三巻は、とうとう出る事はなかったようです。
井筒俊彦も他界し原稿は見つかっていないようです。
井筒俊彦によると旧約聖書やキリスト教よりも、ユダヤ神秘主義やインド、中国、イスラムの神秘思想の方が面白くなって、東洋哲学全般を見渡すような哲学を作りたいと思ったようです。
井筒俊彦の東洋とは、ギリシアから中近東、インド、中国、日本までを含んでいました。
学者の本は大抵面白くないのですが、井筒俊彦は違っていました。
井筒俊彦は第一次世界大戦が勃発した1914年、東京の四谷で生まれました。
在家の禅修行者だった父の指導で子供の頃から禅に関する書籍を読み、徹底的に座禅を叩き込まれていたので、井筒俊彦は宗教体験と哲学が両立した稀有な人だったのです。
1983(昭和55)年に刊行された「意識と本質」では禅からチベット密教、中国思想、ギリシア哲学やイスラム神秘思想からユダヤ教神秘主義、そして日本の松尾芭蕉や本居宣長まで、永遠の哲学ともゆうべき東洋思想の普遍性を縦横無尽に展開しています。
伝統的イスラムはシャリーア(律法)に価値をおきますがスーフィズムと呼ばれているイスラムの神秘主義は神との合一を求めるタリーカ(修行の道)に価値をおいています。
井筒俊彦はスーフィズムの神秘体験にユニオ・ミスティカ(愛の神秘的合一)とディフカチオ(自己神化)の二種類の型があるといっています。
井筒俊彦は、この人格神の神秘主義と非人格神の神秘主義を、どのように統合させるのかの問題を、イスラムの神秘主義の流れを大きく変えた、9世紀の傑出した神秘家バスターミーとジュネイドを例にあげてユダヤ神秘主義(カバラ)のアインソフ(終わりがない・無限)と、現象の境の中間に人格神が存在すると説明しています。
絶対無の究極の神は、現象界に降りてきて人格神があらわれてきます。
この人格神に恋をするのが愛の神秘主義です。
神の愛のとりことなった探求者は神に対する切ない思いに胸を焼かれ、なやみもだえて眠れない夜をすごします。そして、堪え難い愛の苦悩に身を焦がす長い旅路の果てに、ついに思い憧れていた愛する人と結ばれます。
私という自我は恍惚の中で聖なるものの中に消え去ります。
これがユニオ・ミスティカ(愛の神秘的合一)に至る神秘主義の道程です。
インドのラーマーヌジャは人格的な神に溶け込むバクティを最高の段階としました。
11世紀のインドでは、人格的な神はプルショッタマ(至高のプルシャ)としてブラフマンよりも上位に置かれバクティとなって展開したのです。
哲学と神秘主義が結びついているグノーシスと、新プラトン主義が入ってきた13世紀のイスラムでイヴンアラビー(イスラム哲学を統合したスペイン生まれの神秘家)やスフラワルディー(別名照明哲学の師・イスラム神秘主義タリーカ創設者)は、宗教体験と理性的な思惟を結びつけたイスラム哲学を展開しました。
西洋でグノーシスは異端とされ弾圧されるのですが、イスラムでは正統となったのです。
哲学のない神秘家はただの酔っ払いのようなもので、神秘体験のない哲学は概念的にしか考えない合理主義であって、存在の真実なんかわかりっこない、ということです。
修行の道と理性的な思惟の働きを合わせ両立させたものがイシュラーク(照明)哲学でした。
神秘主義の実践と、哲学が結びついた13世紀の伝統を受け継いだイランの哲学を、井筒俊彦は高く評価しています。
子供の頃から教えられた「神秘体験の知的詮索は邪であり思惟すべからず」を覆したギリシア哲学に触れた井筒俊彦の新鮮な驚きと重なります。
日常意識では捉えられないイスラムのヒクマット(叡智)とインドのプラジュナー(智慧)を哲学で再構築する試みは、井筒俊彦のライフワークとなったようです。
井筒俊彦は神秘の道を本来の自己に還る道と言っています。
2019年、NHKドキュメンタリー/BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人~知の巨人井筒俊彦~」
2018年イランで映画化された井筒俊彦のドキュメンタリー映画The Eastern(シャルギー)
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