Faceboojk詩人 木村浩欣さん投稿記事
もう一度問いたい。百人の群れの中に居て自分以外の99人が「奴らを殺そう」と言ったら、
アナタはどうしますか、殺すんですか???。
殺さなかったら自分が殺されるとしたらどうしますか???。
アナタは天与の名誉を行えますか??。ご自身に問いかけて下さい。考えなければなりません。そして覚悟を決めなければなりません。
自分以外の99人がロボットに成ることを望む社会の中に生きてアナタは人間であり続けることが出来ますか?????。
ご自身に問いかけて下さい。此処をシッカリと考える事が人類全員の明るい精神文明の
鍵になります。合掌・感謝・浩欣。
https://www.compass-point.jp/kakugen/10138/ 【百人(ももたり)のわれにそしりの火はふるも ひとりの人の涙にぞ足る】より
九条武子
明治の歌人、大正三美人としても知られる九条武子の歌だ。西本願寺法主の次女として生まれ、のちに男爵九条良致に嫁いだ武子は、すでに心の離れた渡英中の夫の帰国を慈善活動に精を出しながら10年も待ち続けたそうだ。その後は愛の形は変わったものの、生涯のパートナーとして良き夫婦関係が続いたという。
地球と月の関係を紐解いてみると、生き物がツインとなる片割れを求める理由がなんとなくわかるような気がする。
月が引力によって地球のまわりを回っているのも、月と地球がもともとひとつだったからだ。
繰り返される惑星の衝突によって離れ離れになった2つの惑星は、もう一度ひとつになろうとするかのように、付かず離れずの距離を保ちながら仲睦まじく果てしない時を過ごしている。
残念ながら武子と良致は地球と月のように定められた二人ではなかったと見えるが、互いに大切な人であったのは確かだったのだろう。どんな状況であっても、二人にしかわからない相手への思いはあるものだ。
「たとえ百人の人からそしられようとも、たったひとりの涙さえあれば十分です」
友達が100人いようが1000人いようが関係ない。たった一人でも信じられる人がいればいい。一人でも自分を心配してくれる人がいればいい。 何があっても守ろうとしてくれる人が一人いるだけで、生きていける。
自分がいなくなったら、あの人は悲しむだろう。あの子たちは大丈夫だろうか。
残されるもののことを考えれば、自分の命は自分だけのものではないと気づく。
悲しい時や辛く苦しい時に、心の支えとなるものがひとつでもあれば救いになる。
あなたが今手にしている大切なものはなんだろう?たくさんじゃなくていい。
たったひとつの大切な人やものがあれば、その「ひとつ」に思いを馳せてみてください。
きっと涙とともに生きる力も出てくるはずです。
神谷真理子(本コラム執筆者)公式サイト「ma」
https://oki-park.jp/sp/shurijo/about/3798/3833 【百人御物参(ももそおものまいり)】より
「百人(ももそ)」とは、「たくさんの人」を表す言葉で、16~17世紀に成立した『おもろさうし』や古謡、琉歌、17世紀に編纂された辞典『混効験集(こんこうけんしゅう)』にも見ることができます。「御物参(おものまいり)」は、聞得大君(きこえおおぎみ)御殿(うどぅん)や首里殿内(しゅんどぅんち)等へ神女や役人達がお参りをする儀礼のことです。
この行事は、首里城においては正月と四月に行われていました。1713年に首里王府によって編纂された『琉球国由来記』に、祈願の内容や拝む場所について記録されています。正月には、国王の健康祈願や子孫繁栄、航海安全、五穀豊穣を祈願し、四月には、国王の健康祈願のほか、夏の穀物の成熟を祈願したといいます。前夜の戌の時(19~21時)には、神への祈願の言葉、「オタカベ」が唱えられていました。琉球王国を支えるため、多くの人々が祈りを捧げていたことが資料からもうかがえます。(久場 まゆみ)
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