Facebook宮良 直充さん投稿記事
生命の 生は 気(音)であり、 命は 理(言)である。
つまり、 音の エネルギーが 言として 体系化された モノが 生命
なのである。 〔あまち・なお〕
Facebook能村 聡さん投稿記事 『病氣を治すために大事なこと』
生老病死からこの三次元の肉体は逃れることができません。
病氣は、心身全体の調和やバランスからのブレ(これを”あやまち”と言っています)に気づくチャンスです。
心と体は一つの心身一如。穢れ(氣枯れ)を払い、”元氣”な心と”元氣”体を取り戻してください。
魂の神殿である肉体を大切にする気持ちをしっかり抱いてください。
自分を信じて、病気を魂を成長させるよき機会にしてください。
一番のmedicine(薬)は、meditation(内観)、自分の心の内をしっかり観つめなおすこと。
病気を治すのは、医者でも薬でもなく、あなた自身です。
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1、自分の身体をいたわる (愛する)
2、治したいという意志をしっかり持つ
3、奇跡を信じる(自分を守ってくれている崇高な存在信じる)
4、自分が良かれと思うことは何でもやること
5、悩まない(全ては原因と結果なのでいちいち悩まないこと)
6、治そうとする努力のないところに結果は生まれない
7、成り行きに任せる(「果報は寝て待て」最大限の努力をして後は任せる)
8、ここぞと言うときに迷わないこと(開き直ること)
9、今まで良くならなかったら別の方法を試みること(医師や病院を替える)
10、一人の意見に惑わされないこと(多くの意見を聞き判断すること)
by megumin
Facebook武島 綾子さん投稿記事 ·
みんな神社に行くのに多くの人が知らない神道の根幹 鎮魂禊とは 氣枯れ(けがれ)や氣掛かり(きがかり)を 毎日毎日禊いで祓いもとの神体である身体に魂をもどしていこうというもの 氣枯れ(けがれ)や氣掛かり(きがかり)ができることが 悪いことでもない 自然のこと ただ、いつも部屋を掃除するみたいに 日々祓い清めていきましょうということ
覚醒や悟りを目指すわけでもない 問題を解決するでもない いい悪いも 優劣 そんな二元的なものではない 懐の大きな宇宙の真理 その中に 言霊や形霊 陰と陽 縦と横
正と反 様々な奥義が詰まっていることに ただただ感動するのです。
それは、先人たちがわたし達に残してくれた宝だなーーーと
なぜ、呼吸というのか なぜ、出入り口というのか なぜ日本語は必ず出す事が先なのか
そのことも 体感し、腑に落とすことができる 本当に豊かな時間でございました。
矢加部 幸彦先生ありがとうございました。
次回、矢加部先生の沖縄講座は1月27日に開催予定です。1月28日は『古事記』講座
次回の講座まで日々を大切に丁寧に生きていこうと ただ、それだけなんだなと
改めて肚に落とすことができました。
Facebo0k西田 拓司さん投稿記事 【風の谷のナウシカが教えてくれるもの】
ジブリ映画の代表作、風の谷のナウシカ。昨日テレビで再放送があり、視聴された方もいるのではないでしょうか?この中で腐海というカビに覆われた世界がでてきます。映画の中では腐海は大地を浄化する作用があるというように描かれています。
顕微鏡を知って、人間の体も実はよく似てることがわかりました。
というのも、病気が進行すると真菌(カビ)が血中に見られ始め、本当に危ない状態の少し前は血中は菌糸だらけで赤血球が、がんじがらめになっている像が見られることもしばしば。
重病の人の排毒した汗がついた衣服を放置するとそこから高率にカビが生えてくるということがわかっています。病院で働いている時も、状態が悪い患者さんはよく臓器の真菌(カビ)感染症から死に至ることが多いことを経験していました。
顕微鏡を覗くようになってから、この、真菌(カビ)考え方が変わりました。以前は単に免疫が落ちたから、カビが生えたくらいにしか考えてませんでした。
今は、体が弱りカビが生える、つまり、自然は人を土に返そうとしているのではないかと思うようになりました。そう浄化作用です。
風の谷のナウシカで描かれる腐海(カビの世界)も浄化、人間の最期もカビが生えて浄化。宮崎駿監督は医学的知識は深くはないでしょうが、カビ=浄化と考えられていたところは、素晴らしい洞察力で本質をついているのだと思います。
まあ、病気の方は真菌(カビ)が発育するまで病気を放置せず、早めに対処しましょうね😅
Facebook清水 友邦さん投稿記事
日本の神道は禊祓(みそぎはらえ)につきます。
辞典に禊は海や川や滝の水で体を清め、罪や穢けがれを洗い流すこととあります。
あるいは、神主が祝詞を奏上して大麻・ 大幣(おおぬさ)を振る所作で穢(けがれ)を払ったり、人形(ひとがた)を川や海に流したり茅(ち)の輪(わ)をくぐったりする神社の儀式と思っている人が多いようです。
通俗的には水垢離(みずごり)をすればケガレが清められると思っています。
ヒンドゥー教やイスラム教も神道と同じように沐浴して身を清めてから礼拝します。
ヒンドゥー教とイスラム教の信者両方から尊敬されたカビール(1440~1518)というインドの聖者がいました。
カビールは神聖なる沐浴所で沐浴をしても心に何の効果もなかったので無用であるといいいました。
そして沐浴しても凡庸なままのバラモンを皮肉って次のようにいいました。
「バラモンは他の人に触れられるとけがれをはらう為に沐浴するが、君ら自身よりももっと堕落したものがいるなら教えてくれ」
カビールは宗教者の祭儀、儀式の形式主義を手厳しく指摘しました。
毎日お風呂に入ったからと言って心まできれいになっているわけでありません。
物と心は異なるカテゴリー(範疇)なので、それを一緒にしてしまうことはエラー(錯誤)なのです。
昔から、「ハレ(晴れ)」と「ケガレ(穢れ)」という考え方がありました。
ケとキ(気)は異語同義語で、キ(気)は目に見えない潜象エネルギーをあらわしています。
生命エネルギー(ケ)が枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」です。
そこで神を迎える「まつり」を行い生命エネルギーを回復させるのです。
神を迎える前のイミ(斎・忌)の期間コモリ(籠もり)ます。
そうしてミソギ(禊)やハライ(祓い)を通じてエネルギーを回復させます。
こもっている期間中の最後に神が現れてハレとなります。
そうして魂(タマ)が蘇る(ヨミガエリ)のです。
罪(ツミ)のツは包むのツで、ミは自己の本質のことです。
ですから本来の自己が思い込み(ツミ)で覆い包まれてしまうと、エネルギーが流れなくなり、気が枯れて、「ケガレ」てしまいます。
そこで、エネルギーを回復するためにコモリ(籠もり)「ミソギ」で罪(ツミ)を削ぎ(ソギ)はらうのです。
魂を覆っている偽りの自我から自由になるのが本当の禊祓いなのです。
あらゆる精神的な道は偽りの自我(エゴ)と本当の自己(セルフ)の統合を教えています。
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