Facebook諸富 祥彦さん投稿記事
いじめに道徳の授業は有効か
ネットニュースや新聞記事など、さまざまな報道を見るとメディアの大半は、道徳の授業に対して、批判的である。とりわけ、いじめへの対応として道徳の授業は無意味であるばかりか、有害である、といった論調のものが多い。
そしてそのほとんとすべてが、現在、学校でおこなわれている良質な道徳授業のことを知らず、また調べようともせず、勝手な憶測と印象で断定的にものを語っているものばかりである。
まことに、残念である。自分が知らないことについて断定的にものを言うのは控えて、ちゃんと勉強してほしい。
いじめへの対応として道徳授業が有害無益であるという論の前提には「道徳の授業は、道徳を教え込む時間である」「いじめはいけない、と道徳で教えたところでいじめはなくなりはしない」という考えがある。
そんな修身の真似事のような道徳授業を現場ではおこなっていない。少なくとも優秀な教師ならばおこなっていないはずである。
いじめは、してはいけないと何度教え込んでもいじめはなくならない。反発されてかえって、いじめは増えるかもしれない。
いじめ対応に、道徳の授業は有効か?
私の答えは、もちろん、イエスである。
ただし、良質な道徳の授業がおこなわれている学校や学級でならば。
では良質な道徳授業とは何か。
「主体的」で「対話的」な、という二つの要件が「深く」満たされている授業である。
「自分で考える(自己との対話)」「他者と対話する(他者との対話)」が徹底的におこなわれている道徳授業である。
すぐれた道徳授業では、さまざまな人の視点や立場に立ち、多視点的に、多角的に、ものごとをいろいろな視点や角度から考える、という作業を徹底させる。
自分一人で考える時も、ほかの生徒と対話する時も、思考が深化していくポイントは、どこまで徹底的にさまざまな視点、さまざまな多様な角度から、考えることができるか、ということである。
多数派の視点、少数派の視点、どちらでもない視点、ほかにもさまざまな視点に立ち、その上でものごとを考えていく習慣をつける。しかも、ひとりでのみならず他の生徒や教師との「対話」のなかで、自分では思いもつかなかった新たな立場、新たな視点からも、ものを考えていく。そうした「思考」と「対話」、またそれによる「思考の深化」を習慣づけること。それが、今の道徳の授業の本来の眼目である。
いじめを直接のテーマ(主題)としなくともよい。
主題は、何でもよいのだ。
さまざまなテーマについて、毎週1回、さまざまな道徳問題(いろいろな人の利害や思惑が複合的に絡み合って簡単に答えが出ない問題)について、「多様な視点」「多様な角度」「多様な立場」に立って、ものを考えていく。
そうした「徹底的に多様な視点にたっての、思考と対話の習慣」をつけていくのが、本来の道徳授業の眼目である。
いじめの本質は、同調圧力と排他性である。多くは多数派の同調による少数派の排除である。
しかし、上記のような「徹底的に多様な視点にたっての、思考と対話の習慣」が個人に中に身についていくならば、つまり「どの立場(everyone)に立てる人間」、さらには「そこにはいない人の立場や誰でもない人の立場(nobody)にも立てる人間」になることができるならば、そしてそうした習慣が学級の一人一人の中に育っていくならば、そうした排他的な発想そのものが消える。排他的な発想が、否定され、打ち負かされるのではなく、浮かんでこなくなることで、自然と消えるのである。
そしてそうした「徹底的に多様な視点に立つ」思考と対話が、多くの学級で、多くの学校でおこなわれるようになるならば、そしてそんな授業で育った子どもたちが世に出るようになるならば、社会が変わり、世界が変わる。
日本人の質は、間違いなく、各段と良質になるだろう。
夢目がちなことを言っているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。
道徳に限らない。今、この国の多くの学校でおこなわれている主体的で対話的な授業は、徹底されるならば、そのような良質な社会変革をもたらす可能性を確実に秘めている。
https://www.learningagency.co.jp/column_report/column/developing-human-resources/hrd_column_96.html 【リーダー必見 ! 4つの行動で変わる、 多様な視点で物事を捉える「多眼的認知」の身につけ方】より
ビジネスを取り巻く環境が猛スピードで変化する今の時代。働き方も大きく変わる中で、リーダーがリーダーとしての成果を出し続けるためには、多様な視点を持ってメンバーを牽引し、業務を推進していくことが求められます。今回のコラムでは、今の時代のリーダーに多様な視点が求められる理由を明らかにしながら、「多様な視点で物事を捉える力」=「多眼的認知」を身につける方法をご紹介します。
今の時代のリーダーに「多様な視点」が欠かせない理由
日々の業務の中で、「お客さまへの提案がなかなか刺さらない」「メンバーが意欲的に行動してくれない」と感じることはないでしょうか。また、「市場を読み違えたのか、新しい事業で成果が全く出なかった」、そんな苦い経験を持っている方もいらっしゃるでしょう。
実は、これらは全て「自分の視点でしか物事を見られない」ことに関係しています。企業やビジネスを取り巻く環境が大きく変化する中、自分の視点、自社の視点だけで物事を見ていては、顧客のニーズを取り違えたり、状況が変わっているのに同じアプローチばかり繰り返してしまったり...、その結果として、事業をうまく回せなくなることは容易に想像できます。
また、従業員の多様化が進む今の時代。メンバー一人ひとりの価値観を理解せずに、自身の価値観だけでメンバーを見てしまうと、指示を出しても動いてくれない、指示に対する認識がずれてしまうなど、チームとして機能しない事態に陥ってしまうかもしれません。
これは裏を返せば、今の時代のリーダーには、「多様な視点」を持って事業を運営する、業務を推進する、メンバーを束ねる、という姿勢が求められるということです。そして当社では、「多様な視点で物事を捉える力」のことを「多眼的認知」と呼び、リーダーとして力を発揮していくために必須の力と位置づけています。
ここから、この多眼的認知を獲得するための"4つの行動"をご紹介しますので、「多様な視点を持ったリーダーを育てたい!」「リーダーとしてチームを変えていきたい!」、そう考えている人事担当者やリーダーの皆さま、そしてこれからリーダーになるという方は、ぜひ参考にしてください。
「多眼的認知」の獲得に必要な4つの行動
多様な視点を持つための取り組みとして、ぱっと思いつくのが、同業他社や他業種の人と話してみることではないでしょうか。また、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングなどの研修を活用し、自身の物の見方や考え方の癖、傾向を知るという方法も考えられます。
こういった多眼的認知の獲得に向けた取り組みの根底にあるのが、次の4つの行動です。
1.不寛容から脱却する
2.自分に対する相手からの見られ方を認識する
3.様々な立場の視点に切り替える
4.知識・教養を広げる
これら4つが意味することは何なのか、そしてこれら4つの要素を身につけるにはどうしたらよいのか。
1つずつ詳しく見ていきます。
1.不寛容から脱却する
(1)なぜ「寛容さ」が必要なのか
本コラムで言う「不寛容」とは、自分の価値観を優先し、人の言動を受け入れないことを指します。対して「寛容」とは、
自分とは異なる意見や価値観を拒絶せずに受け入れること。決して、他人の意見に従う、振り回されるということではなく、「こんな物の見方もあるんだな」などと、他の意見や価値観を理解するプロセスを踏むということです。言い換えれば、寛容さがあれば多様な視点で物事を捉えることができるということ。そのため、不寛容から脱却することが、多眼的認知の獲得に欠かせない要素と言えるのです。
(2)「寛容さ」の身につけ方
寛容さが大切だと理解していても、人間には「確証バイアス」と呼ばれる「自身の経験や思考に沿った事象をより重要だと捉える心理的な傾向」があるため、意識的に取り組まないとなかなか寛容さはつくれません。また、「自分の経験則は正しいはず」「自分と異なる意見を受け入れること=自分が否定されること」といった潜在意識が働いてしまうことから、自分一人で「こんな見方があるのか」などと気づき、意識を変えていくことは困難です。
そこで重要となるのが、周囲からの継続的な働きかけです。単眼的な言動が見られたら声を掛ける、「こんな見方もあるよね」と別の視点を具体的に伝えるといったアプローチを通じて、意識変容を促すとよいでしょう。
2.自分に対する相手からの見られ方を認識する
(1)なぜ「相手からの見られ方」が重要なのか
「リーダーシップを発揮する」というのは、いわば「メンバーに対して影響を与える」行為です。
例えば、メンバーに難易度の高い仕事を任せようとしたとき、「面倒くさいことを振ってくる人」と思われているか、「自分にとってためになる仕事を振ってくる人」と思われているかで、反応は大きく変わってきます。その反応こそが、リーダーの影響力の表れであり、相手からの見られ方の表れ。それを正しく認識することが、メンバーの多様な価値観の理解につながり、多様な視点の獲得につながるのです。
(2)「相手からの見られ方」を正しく認識する方法
自身の見られ方を正しく把握するための方法は2つ。1つ目が、「相手の反応を観察し、仮説検証する」ことです。
先ほどの例で言うと、メンバーに仕事をお願いしたときに、「面倒くさいことを振ってくる人」と見られていれば、返答に警戒心が表れることがあるでしょう。一方、「自分にとってためになる仕事を振ってくる人」と思われていれば、乗り気で前向きな言葉が出てくるがというように、同じことを同じようにお願いしても、様々な反応が返ってきます。
このような反応をよく観察して振り返り、検証しながら相手と認識を合わせていくことが、自身の見られ方を正しく知る第一歩。ただし、"面従腹背"という言葉があるように、声掛けのような短い時間では判断できないこともありますので、1on1ミーティングなど、しっかり時間を取って対話する場を設けることが必須です。
もう1つの効果的な方法が、「リーダーが他者からのフィードバックを受けられる機会をつくる」ことです。
チームリーダー、さらに管理職というように立場が上がっていくにつれ、他者からフィードバックを受ける機会は減っていくもの。加えて、自分の意見がそのまま通ってしまうことも多くなり、反対意見をもらうことも減っていきます。そうなると、どうしても他の意見を受け入れる習慣が薄まり、多様な視点をはじきたくなってしまいます。
そのため、リーダーが自身の見られ方を正しく把握できるよう、リーダー層への1on1ミーティングを実施したり360度評価を実施したりと、意図的にフィードバックの場をつくることも大切です。
3.様々な立場の視点に切り替える
(1)なぜ「視点の切り替え」が重要なのか
ビジネスを進めるには当然、様々な立場・環境の人との関わりが出てきます。また、個人個人で物事の捉え方や価値観は異なり、たとえ年代や育った環境が同じだったとしても、これまでの経験によって見方は変わってきます。そのため、様々な立場の人の視点に立って物事を考えてみることも、多眼的認知の獲得に不可欠な要素と言えます。
(2)「相手からの見られ方」を正しく認識する方法
まず取り組みたいのが、普段接する機会のない人との会話・対話です。先ほど、同業他社や他業種の人との交流を挙げましたが、社内だったら他部署の先輩・後輩でもいいでしょう。当たり前のことかもしれませんが、いつもと違う考えや価値観に触れることで、別の視点に気づくことができます。
また、自社の顧客や事業領域だけでなく、他の領域に目を向けることも大切です。例えば「自社の商品を使っている人」がなぜ自社を選んでくれたのかを考えることはよくあると思いますが、それにとどまらず、「競合他社の商品を使っている人」とは何が違うのか、また何を重要視して他社を選んだのかなどと考えを広げていくことで、少しずつ多様な視点が備わり、
視点を切り替えられるようになっていきます。
先に紹介した「不寛容から脱却する」「自分に対する相手からの見られ方を認識する」を通じて多様な意見や価値観を受け入れる"土壌"をつくる、そのうえで「様々な立場の視点に切り替える」ための行動を実践する。これも大事なポイントです。
4.知識・教養を広げる
(1)なぜ幅広い「知識・教養」が必要なのか
世の中には、デジタルトランスフォーメーション(DX)やSDGs、またコロナ禍の今であればWithコロナやニューノーマルなど、新しい言葉がどんどん生まれています。これは、単に新しい単語が登場しているだけでなく、例えばDXという言葉ひとつを取っても、10年前であれば単純に「システム化」のことを指していたかもしれない、またCSRからの流れでSDGsが出てきたかもしれないというように、同じような性質・系譜の言葉でも別の捉え方が発生し、その結果として新しい言葉へと進化しているということです。
言葉の数だけ物の捉え方があるということは、言葉をたくさん知っている、つまり語彙力があればあるほど物事の捉え方が広がるということ。そう考えると、知識・教養を広げることは、多眼的認知を獲得するために必要不可欠な行動であり、また"前提"であると言えるのかもしれません。
(2)「知識・教養」を広げる方法
知識・教養を広げる手段として、本を読む、先人の教えを乞うといった方法のほか、動画やSNSの活用、研修やセミナーへの参加で見聞を広げるなど、様々な方法が考えられます。もちろん、仕事の経験から得られる知識もたくさんあります。
目的に応じて様々な方法を組み合わせる、また、自身の興味がある分野以外にも視野を広げて知識をインプットすることが大切ですが、ここでのポイントは、知識を「入れ続ける」「得続ける」ことです。
当社が実施した調査で、仕事で成果を出すための基礎的な知識・スキルである"ビジネス基礎力"のスコアが最も高い年代は「20代後半」。そこをピークに、年齢とともにスコアが下がる傾向があることが判明しています。つまり、年齢を重ねて仕事の経験を積んだからといって、それに応じて知識も増え続けるとは限らないということです。
ぜひ、知識を「入れ続ける」「得続ける」ことまでを意識し、日々の仕事に取り組んでみてください。
「情報を得る≠知識を得る」を前提とした知識インプットを
今回のコラムでは、現在のビジネス環境で求められる理想のリーダー像や、リーダーシップを発揮するために必要な「多眼的認知」とその身につけ方をご紹介しました。
最後の章で、知識インプットを継続することの重要性をお伝えしましたが、必ず頭に入れておいていただきたいのが、「情報を得る=知識を得る」ではないということです。インターネットやスマートフォンの普及により、簡単に「情報」を得られる今の時代。たくさんの情報に触れることで「知識が増えた」と感じてしまいがちですが、情報に触れて"知っているつもり"になっているケースは実に多いのです。
ここから言えるのは、情報を得て終わりではなく、情報に触れた後の「解釈→思考→理解」というプロセスを踏んで、"知っているつもり"を"知識"に変える必要があるということ。この視点を忘れずに知識インプットを継続し、"真の"知識を広げて多眼的認知の獲得に努める。そしてその先にある、「今の時代のリーダーシップ」の発揮につなげていきましょう。
Facebook能村 聡さん投稿記事
「空」と般若心経ー量子論とスピリチュアルサイエンスの観点から
「空」はご存知の通り般若心経にある概念です。僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれています。プチ仏教ブームで写経の修行をされる方も大抵は「般若心経」です。
「空」(くう、梵: サンスクリット語: शून्य, śūnya(シューニヤ)は、śū 😊 śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられている言葉です。(ウィキペディアより)
仏教では、「空」とは「我」を超えた、悟りの境地です。
「空」が繁栄?ちょっと飛躍しているかもしれませんが、ちょっと説明します。
私とあなたは、三次元世界では、分離した別々のモノとして認識されますね。その間には何があるでしょう。それが「空」(空間)です。よく誤解されていますが、空間(真空)は何もない虚空や虚無ではありません。でも私たちはモノとモノの間の空間が空っぽだと思っています。
「空」とはすべての根源の「宇宙意識」です。宇宙で起こったすべての出来事や体験の記憶(情報)の貯蔵庫(アカシックレコード)です。すべての豊かさの源なのです。だから「空」は繁栄という意味なのです。人間が「空」に覚醒すれば、豊かさを得ることが出来ると思います。
では、般若心経が説く「色即是空・空即是色」とは、どういう意味でしょうか?「色」とは目に見える物質や現象のことです。これは誰でも理解できますね。
それは、「空」とは、分離した存在(色)の間にあって,「色」の間を繋ぎ合わせている目に見えない愛の宇宙エネルギーフィールドのことです。
そのことに目覚めれば「分離感」がなくなってきます。
形ある見えるもの(色)の背後には、必ずその形をつくっている本質があります。その本質は五感の目では見えないんです。それが「空」です。
すべての物質や現象(色)は「空」から現れ,「空」に返っていくのです。
「色即是空・空即是色」とは、「全ての形あるものや現象(色)はそれ自体では存在せず、互いに繋がり合う関係の上に成り立っている」ということなのです。宇宙の創造の原理は「縁起(他との関係が縁となって生起すること)」です。
もっと噛み砕いて言うと、「この世のすべてのものは(人も動物も虫も草も)お互いにつながりを持っているからこの世に在る」ということです。
最近のスピリチュアル分野でよく使われる「ワンネス」の考え方と共通しています。このことに気づけば、一体感、すべてのものとの繋がりを感じ始められるのです。それが究極の体験である悟りです。
空=シューニヤはインドの数学における「 0 (ゼロ)」の名称でもあります。
量子物理学(quantum mechanics)や量子論の領域でよく知られる用語で、「ゼロポイント・フィールド」や「ゼロポイント・エネルギー」という概念があります。
この「場の量子論」では、真空とはなにもないところではなく、常にモノが生まれては消えているダイナミックな空間だと考えられてます。
真空のエネルギーから物質と反物質(例えば陽電子と電子)が対になって生まれ、また出会って対になって消滅することを繰り返してます。
量子論の根幹であるハイゼンベルクの「不確定性原理」では、時間の不確定な幅と、エネルギーの不確定の幅の掛け合わせ(積)は、プランク定数h=6.626070040(81)×10-34 J s より小さくは決してならないのです。極めて短い時間幅なら、巨大なエネルギーを、空間から借りて生み出すこともできるんです。
アインシュタインの相対性理論では、質量とエネルギーは等価(E = mc2)ですから、エネルギーが生まれるということは、質量を持つ微細な素粒子が生成することです。
このように真空にはほとんど無尽蔵のエネルギーが存在するといわれています。
著名な物理学者であるリチャード・ファインマン氏がそのエネルギーの量を例えて、 「一立方メートルの空間に含まれるエネルギーが、世界のすべての海の水を沸騰させるに足る」 と主張するほど、莫大な量のエネルギーが潜在的に存在すると考えられているのです。「ゼロポイントエネルギー」と呼びます。
これから開示されるフリーエネルギーは、この「ゼロポイントエネルギー」を真空から無尽蔵に取り出せる究極の無尽蔵のエコエネルギーだと考えられています。
結論を言えば、「色即是空・空即是色」は宇宙の叡智であり、高次元のサイエンスなんです。
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「般若心経」の現代語訳を紹介いたします。
色即是空、空即是色で有名な短いお経です。写経などでは般若心経を用いることが多いようです。しかし、ちゃんとした意味を理解している人は少ないでしょう。
私たちが実在すると信じ込んでいる三次元物質世界は、「空」です。今風に言い換えれば、私たちの想念がつくりだす「マトリックス」なのでしょう。
心は恐怖からも不安からも解き放たれて自由になれます。心をわずらわせるあらゆるものから遠く離れて、永遠の安らぎを得られます。これが「悟り」です。
アセンション後の完全覚醒した意識とは「空」なのだと思います。
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御仏、摩可(言辺に可)般若波羅蜜多心経を説きたもう。観自在菩薩は、深遠なる波羅蜜多を行じた時に、存在するものの五要素はみな空であると見極めたもう。
舎利子よ、この世の形あるすべて「色」は実体なきものであり、空はすなわち色である。
感知、認知、表象、知識(受想行識)もまた同じく実体はない。
舎利子よ、この世はすべて実体のない「空」であり、生まれず、滅せず、汚れず、増えず(この世は空であり、始まりもなく終わりもなく、汚れるという認識もなく、欠けることも満ちることもない)。
それゆえ、空であるこの世には色もなく、受想行識もなく、眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もない。見える領域から意識の領域にいたるまであらゆるものは無い。
迷いの闇もなく、したがって迷いが尽きることもない。老いも死もなく、したがって老いと死が尽きることもない。
苦しみも苦しみの因もなく、したがって苦しみを克服する道もない。智もなく、得もなく、これ得るところをもたず。
菩提薩垂(土辺に垂)は、覚りを得てこの境地にあるがゆえに心にかかるものがない。心が解き放たれて自由であるがゆえに、恐怖がない。(心は恐怖からも不安からも解き放たれて自由なり)。心をわずらわせるあらゆるものから遠く離れて、永遠の安らぎにあるなり。
過去、現在、未来の覚りに至った諸々の仏たちも般若波羅蜜多を実践し、彼岸に至りたもうたなり。
この般若心経は大いなる神しゅ(真言)なり。無上にして無比なる真言にして、すべての苦しみを除く。実体なきものではない。真実のものである。ゆえに、般若波羅蜜多の真言を曰く。
ぎゃ諦、ぎゃ諦、波羅僧ぎゃ諦、菩提薩婆可(言辺に可)般若心経。 池口恵観著、般若心経より
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