哲学者ヤスパースへの傾倒

https://fragie.exblog.jp/16078233/  【カレー屋さんの上】より

蜜柑の花。土曜日の仕事場の誰もいな部屋でブログを書きはじめた。午前中はあることで悪戦苦闘した。その結果、わたしは精魂使い果たしたあげく喉の奥をいためた。

こう書いたからと言ったって、なにもカラオケボックスに入り浸って熱唱しまくったというわけではない。

言っちゃなんだけど、わたしは生れてからこの方カラオケというものをやったことがないのだ。理由は簡単である。まず音痴であるということ。そして極度の恥ずかしがり屋であるということ。すぐに思いつくのはこの二つだ。

カラオケをしない理由に、この二つがあればもう十分というものであろう。

シェイクスピアのセリフではないが、自分の歌う姿をもって男心をとらえるにはもうトウが立ち過ぎている。いやトウがたっていなくても所詮無理な話しだ。

なんだか話しが脱線してしまったが、いまだ喉の奥がものを呑みこむと痛い。

悪戦苦闘の理由は悲しく笑える話なのでここには書かない。すべてはわたしの側に起因することだと書いておこう。いま「ふらんす堂文庫 精選句集シリーズ」の一環として「水原秋桜子精選句集」と「中村草田男精選句集」をすすめている。

その中村草田男精選句集『熱熱』のゲラを持って、俳人の横澤放川さんがご来社くださった。

横澤さんはこの句集の編者である。解説も書かれていてなかなか読みごたえのある解説だ。

中村草田男を深く理解した同時代の俳人に平畑静塔がいる。

という一文でこの句集の解説が始まるのであるが、その平畑静塔のことに今日は話が及んだ。

「俳句史を語る時、平畑静塔を語ることなくして俳句史は語れない、とぼくは思うのです」

平畑静塔の孤独、哲学者ヤスパースへの傾倒、そしてカトリックよりの離脱などについて横澤さんはあるシンパシーを持って語ったのだった。

たまたま日本経済新聞に書いた「平畑静塔」についての記事を持っていてそれを読ませて貰った。

 鳩踏む地かたくすこやか聖五月   平畑静塔

明治38年(1900年)生まれといえばもう一世紀を優にこえる昔となる。この作家が亡くなられてからでも十数年が経とうとしている。しかしこの俳句作家の苦渋をかさねた精神の軌跡は、人間の自由ということに思い至るとき、いまでも深い思慮をさそわないではいられないのである。

軍医として中国に渡った静塔は、傷ついた兵士たちをみとりながら、「わたしの自由は、中国の星をいただきながら読みつづけたヤスパースの横文字の世界にふけることだけに存在していた」と回顧している。

自由はあるかなきかのように、身の幅のままにそこに存在するものでなければならない。静塔はそう考えている。しかしその身の幅を超えたあれこれを至上とするうちに、かたくすこやかな自由大地はいつしか再び蹂躙されてゆくもののようだ。自由の平安を破るものは、かえって肥大化した自由そのものでもありうるのである。

と横澤さんは書いている。

この平畑静塔と草田男についての俳句における関わりをこの度の句集『炎熱』の解説で横澤さんは俳句史の文脈で活き活きと語ってみせる。

初秋に刊行予定のこの中村草田男精選句集『炎熱』は、草田男という俳人のその天才性があますことなく網羅された一冊となったのではないか。

「ぼくは草田男の作品は全部好きです。文芸と言うのは、西行を芭蕉が慕ったように憧れ敬服する偉大な詩人を慕いながら自分のことばをさがしていく精神世界のことだと想うのです。」

わたしが思わず書きとめた横澤さんの今日のことばだ。

そしてとうとう出来上がりました!!これです。

組み合わせにちょっと笑っちゃいますね。

どこまでもお上品なものでございますの……。

https://ameblo.jp/shobar/entry-12803767169.html 【静塔文之進百物語 俳句と精神医学】より

石川文之進 1999 近代文芸社

平畑静塔という俳人、精神科医(宇都宮病院関係者)の俳句に関しての解説、随筆である。

 石川文之進氏は宇都宮病院事件当時の院長として有名である。平畑静塔氏は石川院長の前の院長石川院長を事件で院長を辞した後再就任し、名誉院長になりずいぶん時がたって亡くなっている。俳人としてはその世界でそれなりの功績がある人らしい。文之進氏自体はまだ宇都宮病院関係者としてご健在らしい。

 俳句の解説のほかに事件について、病院内の診療、患者についても書かれている。その内容、文体がいわゆる中動態のようで淡々としている。いわゆる中動態というのは、國分功一郎氏が問題提起した冒頭での依存症患者の「話している言葉が違うのよね」といったエピソードの感覚がぴったりくる。その場その時を生きている人のようだ。

精神医学の基礎にヤスパースがあるようだ。

俳句のことはわからない。文之進氏が平畑静塔氏を俳人として、精神医学の先輩として大変尊敬していることは伝わってくる。そして、病人を了解不能の病状がある人として対峙し、親切に対処し保護しお世話している感覚もみえる。

掲載されている静塔氏の句からいくつか引用する。

狂いても母乳は白し蜂光る           精神科運動会天あけひろげ

踊りたる狂女と生きて二十年

途中健康な社会のこととして引用がある誓子の俳句は  運動会庭の平を天に向け

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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