和の精神について

Facebook池内 秀暢さん投稿記事

私たちは同じ趣味を持っている方や価値観の共有できる方と、コミュニケーションが密になり、そうでない方とは、遠ざける・・・・という傾向が時々あるように思います。

また価値観が異なる方の場合には、ついついバトルが生じてしまいがちですね。

今回のコロナ騒動を側面から見てみましても、SNSにてワクチン肯定派と否定派の論調も、このようなことが見受けられます。

過去投稿で、日本人独特の「和の精神について」大切だと感じる投稿をコピーさせていただきます。   ・・・・以下

■「和」の意味するもの・・・違いを認める

和の意味するもの  「異なりを認めつつ一つを生きる」「異なりを認める」 という事について・・・・・

人間は、それぞれ人種も違えば顔も違う。  性格や大切にしているもの・価値観や境遇  一人として同じ人間は存在しない。

異なりを認めつつ・・・・というのは、人間それぞれ考え方も違う 大切にするものも違う。

それは人それぞれの個性であり特徴であるわけです。

自分と意見が違うからといって、相手の言動を否定してしまえば

これは  「異なりを認めない」 と、いう事になります。

私はこういう考えだ  あなたの考えはそういう考えなのですか。

私が大切にしたい価値観はこれです。あなたが大切にしている

価値観はそれですか。

なるほど・・・

と、言葉で言えば このようなことが  「異なりを認める」  という事になるわけです。

しかし、異なりを認めたならば、それだけではいけません。

もしそれで終わってしまうと、あなたはあなた・私は私  とそっけない関係になって、個々の生き方・生活の仕方 になってしまいます。

もし家庭の中で、このような人間関係になってしまうとするならば自由にできる 干渉され とやかく言われずにすむ・・・・

という利便性は得ることができます。

自分は自分・パートナーはパートナー・子どもは子ども・・・・・と、それぞれが別々の人間になってしまい、そこには共感・共生・創造・愛  といった、人間には欠かすことのできない幸福感を享受することが出来なくなります。

そこに必要なものが、「一つを共に生きる」  という関係です。

一つ・・・というのは、自分が身を置いている人的組織という事が言えます。

家庭・地域・学校・会社・・・社会   という事です。

この自分が、その時々で身を置いているグループの中で、「共に生きる」という発想です。

個人の誕生のプロセスを見ると、この通りの「和」の精神にのっとり私たちが生まれてきたことがわかります。

精子と卵子が結び付く。受精卵が誕生するわけです。

ここに異なりを認めなければ、受精することはないでしょう。そしてともに一つを生きるために、お互いがお互いの個性を合わせて、すなわちそれぞれの染色体が融合し遺伝子が誕生する。

この遺伝子の設計図にのっとって細胞分裂が始まってゆく。

一つの受精卵が二つになる。ここに創造が始まってくるわけです。

精子と卵子が異なりをお互いが認めて一つを生きようとすることから創造が始まったわけです。

受精卵の細胞分裂がある程度進み、みな同じ細胞なんだけど、ここにも見事な和の精神が働きます。

この時の細胞は、なんにでもなれる細胞であるのに、全体を創造していくために 、分業・専門が始まります。

心臓になる細胞・腸になる細胞・骨になる細胞・脳になる細胞・皮膚になる細胞・・・・・・と、異なりをわざわざ作っていくのです。

すなわち異なりがなければ、小さな全体も大きな全体もできてこないわけです。

そして、それぞれの臓器などができてきて、生まれてくるころには、すべての内臓諸機関や人体が形成されて誕生してくるのです。

それぞれの異なりを認めた臓器 自分の個性を生かしながら、しかし他の臓器と関係性を保って、私たちの内なる自然はあなたという全体を生かすために、24時間働いてくれているのです。

ここに私たちの身体は、「異なりを認めつつ一つを共に生きる」という「和」の精神により生み出されたことが理解できると思います。

誠に自然の人体というのは素晴らしいものです。

自然の摂理からすれば、「あなた」は、自分を取り囲んでいる人的環境のために、他人と異なりを認めつつ、一つを生きなければならないのではないでしょうか?

そして自分を包括している集団のために、一つを共に生きることがよりよく 「あなた」 が、生きる賢明な選択になるのではないでしょうか?

現代医学の盲点は、この和の精神があって誕生してきた生きた人体を部分部分に分けて、治療するところに問題があります。

そこに現代医学が抱えている未来への課題を見るようです。

心臓専門・皮膚専門・脳神経専門・内分泌専門・・・・・などと大きな病院にいけばいくほど、専門化しています。

ガンをはじめアレルギーやストレス障害・糖尿病などの生活習慣病。

これらは人間全体を診察・洞察しなければ治らないのではないでしょうか?

医学もそれぞれの専門は専門で、それは個性であり特徴であるのでいいことなのですが、閉鎖的にならず他の専門の分野と協力して一つ  すなわち 健康 を実現するために取り掛かっていただくことを期待してやみません。


Facebookごとう 孝二さん投稿記事「日本の心、それは大和の心」

私たち日本人は戦後、自分たちの心を見失ってしまいました。

それが今日のさまざまな、本当にさまざまな、個人から社会レベルに至るまでの問題を生んできました。

それでは一体、私たち日本人の心とは何だったのでしょうか。

和洋折衷、和式、和風といわれるように、「和」は日本そのものを指していう言葉です。

しかし、それと同時に「和」は日本の心を表していたのです。

つまり和の精神です。平和の和、調和の和。「和を以て貴しとなす」の和。

しかし、多くの人はここで一つの誤解をしています。和とはまるで自分の個性を抑えて、控えめにすることで、全体を丸く収めて、互いに関わり合うことだと考えていることです。

しかし、これは消極的な和であって、和の本義ではありません。

大きく和すること。つまり「大和」(やまと)。これこそが和の神髄なのです。

大きく和するとは、一人一人がまず自らの個性を最大限に発揮して、自立することです。

つまり一人一人が大きな存在となること、その上でそうした者達が互いに和すること、それが大和です。

決して自分の個性を抑えて、歯車のように自らの存在を小さく押し殺すものではありません。

しかし、自らを最大限に発揮するということは、同時に自己主張をして、我を張ることにも通じます。

そして世界の民族紛争、宗教戦争などは、この互いの我の張り合いによるものです。

それではどうすれば、大きく和することが出来るのかといえば、それが「愛」の力なのです。

しかし、それぞれに違った個性の者同士が和するためには、生半可な愛では到底叶いません。

強い愛、つまり強い精神力に裏打ちされた愛が必要です。

つまり、大和とは、強い精神力に裏打ちされた愛によって、大きく和するという、極めて積極的で前向きな力強い精神のことなのです。

それが日本人の本来の心、「大和魂」の真意です。

そして大和とは大自然そのもの、宇宙そのもののことです。

なぜなら「あの栄光栄華を極めたソロモンでさえ、この野に咲く一輪の花ほどにも着飾っていなかった」という、イエス・キリストの言葉にもあるように、この自然界のすべての存在は、自らの個性を最大限にアピールしているにも関わらず、見事に調和しているからです。

そしてこのことが成されるために、この宇宙は目に見えない、強く大きな愛の力で貫かれているのです。

だから、私たちの先祖たちはこの自然や宇宙から、大和の精神を学ぼうとしてきたのです。

それが、神ながらの道、即ち、神道です。そして、これが日本の心そのものであり、大和魂なのです。

そして、数学のゼロを発見したのがインド人ではあっても、それがインド人のためだけの発見ではなかったように、またイエスの尊い教えがクリスチャンたちのためだけではなく、全人類にとっての尊い教えであるように、日本が生んだこの大和の精神は一つの民族や宗教のためだけのものではなく、これからの時代の指針として、世界に指し示すべき普遍性を持った思想なのです。

しかし、それを私たち日本人自身が失ってしまいました。

しかし、震災後の日本人の行動に世界は大和の心を見ました。世界は感動し魂が震えました。

日本の心、それは大和。

もう一度そのことを思い出さなければいけない時期に、私たちは来ているのではないでしょうか おおらかに おおらかに 全てのものを受け入れる心 それが大和 おおらかに おおらかに 大きく和する心 それが大和 それが世界に示すべき日本の心 大和の心

宮本 辰彦ブログより。


Facebook竹元 久了さん投稿記事  🌷稲作が育んだ「和」の精神

我国は皆さんご存知のように、稲作文化の国です。🍚

 🌿日本人は、米を作り、米を主食としてきました。日本人の生き方、また日本文化は、稲作なしではありえません。

日本人の民族性、祭祀、生活様式、伝統芸能等の多くが、米と関係があります。稲作文化は、各地の民話、民謡から絵画や詩歌、工芸品そして建造物や衣服、日用品に至るまで、日本人の生活のすみずみにまで浸透しているのです。

ですから稲作を語るということは、日本人の心を語ることであり、日本文化の土台と特徴を語り知ることにも繋がるのです。

稲作を通じて日本人の心、日本の文化を知ることができ、健康な生き方をし、自然と調和した文明をめざす「こころ」が得られるのです。

 日本の心は、よく「和」の精神といわれます。この「和」の精神の発達において、米作りは大きな役割を果たしてきました。

 欧米の白人種と違い、日本人は農耕民族です。そして米を主食としてきました。稲は連作が可能な作物です。

一定の土地で、何代にもわたって水田を続けることができ、一つの土地に先祖代々にわたって生活すると、その土地にたいする強い愛着が生じ、同じ土地に住む村の人々は、先祖以来の知り合いであり、血縁・地縁による強い結びつきをもつことになります。そして、社会全体が、村を単位とした共同体の集まりとなっています。こうした日本社会を特徴づけているものが、稲作なのです。

 日本の稲作は、集約的灌漑水田稲作です。灌漑水田稲作は、個人労働ではは賄えません。開墾や灌漑、そして水の管理等、すべて協同労働で行なわなければ、不可能なのです。

田植えから稲刈りまで、労働は集団的・組織的に行います。水田の所有権は各戸別であっても、営みは共同的な営みで行なわれます。こうした協同労働を通じて、団結心が育まれました。

また、米作りは、家同士が争っていては、大切な協同労働ができません。そこで、相手との協調性が発達しました。

 灌漑水田稲作で、一番重要なのは水です。水は共有のものであり、共同の営みの中で全体で管理します。水を田に、いつ、どれくらいの量や割合で入れるか、は勝手に決められません。同じ水系の上・中・下流の人たちが、何度も話し合いながら全体を調整しました。そこから話し合いによる合議が重んじられることになります。

 日本の水田は海外の水田とは違い、狭く、また水田と水田が互いに接しています。ある田で病虫害が発生したり、雑草が生えたまま放置すると、その影響はすぐ周りに及びます。昔は、今日のように食糧が豊かではありません。乏しい食糧を家族みなで分け合って生きてきました。

もし稲が病虫害でやられると、多くのの生命に関わり、自分の家だけでなく、村の他の家にも及びます。自分の田を荒らすことは、よそ様に申し訳ないことになります。自分勝手なことをして、人に迷惑をかけてはいけのです。

まさに命懸けで、他人に気配りをすることや、相手の立場を考える思いやりの大切さを、日本人は稲作を通じ学んできたのです。

 このように、日本人は米作りを通じて、勤勉性、団結心、協調性、合議、迷惑を掛けない意識、気配り、思いやりなどを、身につけてきました。それゆえ、米作りによって、日本人は「和」の精神を発達させてきたということが言えるでしょう。

🔵皇居

天皇陛下が田植え、皇后さまが「給桑」 皇居内で

天皇、皇后両陛下は5月22日、田植えと、蚕に桑の葉を与える「給桑(きゅうそう)」の作業をそれぞれ皇居内で行われます。いずれもこの時期の恒例。

五穀豊穣を祈り自ら「お手植え」を行い、稲刈りもされます。

4月に自ら種もみをまいて育てたうるち米ともち米の苗を植えられます。

このように、天皇陛下は自ら稲作をすることによって、人間と自然との調和のために、本来の日本人があるべき姿、あるべき精神をお示しなられているのです。

また、皇后さまは紅葉山御養蚕所で、日本古来種「小石丸」などに桑の葉を与えた。その後、蚕がまゆづくりをする場所になる「蔟(まぶし)」を、慣れた手つきでわらを使って網状に編みあげられます。

今一度、祖先がもっていた精神、「生かされていることへの感謝と和」の精神に立ち返ってみることが重要ではないでしょうか?

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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