facebookJudy Kishimotoさん投稿記事 龍神。·
霊格が、高い龍は、角などなくて、つるんとしてると教えて頂きました。
大宮八幡宮で小林芙蓉先生が揮毫されている時に、つるんとしてる龍が写りました。
小林芙蓉先生の揮毫の時はいつも龍が現れます
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/7d8aaffd503b9af96317aff8ef76b101【内在する龍を「太」らせること】より
来日された若きブータン国王の発言:
「皆さんは龍を見たことがありますか?私は、見たことがあります。
一人ひとりの人間の中には、龍の人格がいて、 龍はその人物の生活経験をエサにして、その人の中で大きく育っていきます。だから生きる私たちは、自分の中に内在する龍を大きくして、強い龍になるようにコントロールして生きなければならない。」
これは、とても深くて良い真理を仰っています。
まさに、内在神=視える形象では龍、です。しかし、人類がもう一段、霊性が上昇すれば、
内在神=視える形象では鳳凰(ほうおう:飛翔する火の鳥)と成る予定です。
1.内在する龍(内在神)は、その人物の「経験」をエサにして育つ。
私たちは、日々どんなエサを龍に「与えている」のでしょうか?
怨(うら)む気持ちと復讐する行為、悲しみの気持ちばかりをエサにして与えていれば、どんな龍に成るのでしょうか?きっと悪い龍に変身することでしょう。悪い龍は、本来の内在神とは合いませんので、独立して分離します。これが人格障害として表れます。
やはり、愛情の気持ち、思いやりの心と行為、感謝をする気持ち(お餅)を内在する龍に食べさせ続ければ、慈悲深い観世音菩薩へと龍は変身します。どんな人間に内在する龍でも、観音様に変身する可能性があります。
昭和時代の磁場ですと、勢いのある人物を視ますと、背中から首の後ろに張り付いた龍が、その人物の頭上にアゴを乗せてくつろいでいる姿を視たものです。
おそらく古代の人間が作成した王冠とは、王様の頭上に乗った「龍の頭」を表現したのだと思います。だから王冠には、いろんな突起が宝石で表現されるのです。
ただ、本人が自分の良心(内在神)を悲しませるような行為をしていますと、すぐに龍は隠れたものです。
龍が隠れた人物は、社会的にも落ちぶれるのが早かったです。
2.私たちは、内在する龍(内在神)を育てながら、その龍が良い龍に成るようにコントロールしなければならない。
心に預かる内在神を、良くするのも悪くするのも、私たちの気持ち次第なのです。
この場合、内在神と言いましても、龍と表現する形象の次元の内在神ですから、この世の次元に近い内在神での話です。
神と一言で表現しますが、神にも11段階(次元)あります。
すべては連動して繋がりますから、全体で一神であり、多数の神々でもあります。
とにかく、明日は白紙であり、今の自分の気持ちが明日を決める主役だと言うことです。
内在する龍を育てる気持ち、コントロールする気持ち、つまり「自制」と努力が必要であり、受け身ではダメなのです。
自分が良き事をするのも、悪い事をするのも、自分で選択が出来るのです。この自由を本当の自分(魂)が「試しに」来ています。
自由とは、責任と厳しさが伴うのです。
このような話を読める人は、内在する龍に気持ちを向けられる人でもあります。
内在する龍という視点を持つだけで、その人の生き方は変わり、魂が喜ぶ方向に向かいます。
龍は内在するエネルギーそのものと言えます
Facebook清水 友邦さん投稿記事
神話の蛇には二つの象徴があります。一つは脱皮して再生する不死の象徴です。
二つ目は対立するものをすべて超える究極の超越のイメージです。
尽きることのない太陽の光の中で、蛇はすべて焼き尽くされて浄化し、永遠に光り輝くものとなります。
古代のエルサレムの神殿には、青銅のヘビと、その妻の像が祀られていました。
妻は、偉大なる女神アシェラ(asherah)で、青銅のヘビの名はネフシュタン(Nehushtan)です。紀元前13世紀頃のユダヤは蛇を信仰していました。
エジプトを離れたイスラエルの人々が荒野で飢え 、モーセとその神に不平をこぼしたとき時のことです。
『主はモーセに仰せられた。「貴方は燃える蛇を作り、それを旗竿の上につけよ。 すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗竿の上につけた。 もし、蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎみると、生きた。』(「民数記」21.5-21.9)
毒蛇にかまれてもモーセの青銅の蛇を仰ぎ見ることでユダヤの民は死なずに済みました。
ギリシアの医療の神アスクレピオスが持っていたのは不死の象徴である蛇が巻き付いた杖です。 欧米の医療機関で用いられているヘルメスの杖(ケリュケイオン)は杖に2匹の蛇が絡みついています。
聖書創世記に蛇が智慧の象徴として出てきます。
『神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。実を食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」』創世記
女神アシェラにはギリシア語で樹木の意味もあり神聖な木の柱として崇拝されました。
木の柱はエデンの園の中央に植えられた知恵の樹(ちえのき)でもありました。
古代世界で宇宙樹と蛇と知恵は偉大な女神の象徴でした。
フェニキア人が前15世紀に築いたシリア北西部の都市国家ウガリットの遺跡からはエル神の配偶神である女神アシェラト(Asherato)の碑文が発掘されています。
セム語系(アッカド語、バビロニア語、アッシリア語、アラム語、フェニキア語、ヘブライ語、アラビア語)で神を指す言葉はエル(el)で複数形はエロヒム (Elohim) です。
エルとアシェラ(アシェラト)からバアル・ヤム・モトといった神々が生まれています。 エルシャダイ(EL SHADDAI)は全能なる神として創世記に出て来ます。
エルの神格は取り込まれて 古代イスラエルでヤハウェとなりました。
1970 年代に入って 紀元前9世紀と8世紀の複数の遺跡からヤハウェの妻としてアシェラの名が書かれた碑文が発見されました。
古代イスラエルではアシェラというヤハウェの妻がいたのです。
アシェラは古代イラン語のashaからきている大地母神アシェラトのヘブル語読みです。
アシェラ は二頭の山羊の間に挟まれた木の枝で、その下にライオンがいる絵で表されています。
アシェラは木と関係し 木は知恵(ホクマー )と関係しています。
古代オリエント世界で大地母神は神々の頂点に立つ最高神でした。
鉄器時代になると女神アシェラの名は旧約聖書に「切り倒す」「壊す」の動詞とともに40回ほど登場します。 「アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。」(列王下18:4-5)
ヒゼキア王(紀元前719-691年)の時代になると蛇とアシェラの像は打ち砕かれてしまいました。 紀元前1250年頃から鉄器時代が始まると荒ぶる男神を崇拝する戦士の部族が大地母神の肥沃な土地に侵入してきました。
最高神だった女神の神格は降格になり侵略者の神の妻にされました。
青銅器から鉄器時代にかけての神話の男性神は大母地神の夫にして息子です。
紀元前7000年頃、古ヨーロッパ文明では母系社会を築き小麦や大麦を栽培し羊・牛・豚の家畜化が始まっていました
メソポタミアでは男性原理が優位になったシュメール、アッカド、バビロニア、ヒッタイト、アッシリアと文明の興亡が繰り返されました。
女性原理は包み込み融合し、男性原理は分離敵対します。
男性原理の遊牧民が女性原理の民族を征服すると、女神を悪魔と呼び地母神の神話的格下げを行いました。
統治の正当性を示すために、父なる神の正義と壮麗さをたたえ、女神の神格を移し替えた男神を宇宙の主宰者に格上げしました。
最も古い神話で万物を創造したのは女神でした。
母なる神は単独で混沌とした世界から天地を創造して多くの神々を産みました。
シュメールのナンム女神は原初の海を意味していました。
女神は処女生殖によって天と地を生んだのです。
やがて、神話の息子は母と争い、男神と女神、神々の戦いが始まりました。
戦いが始まると女神イナンナ=イシュタールは愛の神と同時に戦いの神の神格を持つようになりました。
女神イナンナは羊飼いドゥムジと結婚し羊飼いは女神の権威によって古代都市ウルクの支配者となりました。
青銅器時代になって男神による戦いが繰り広げられと女神の力は衰えました。
女性原理の社会は思いやりにあふれ、創意に富み、支配や服従の関係を作らず平等で平和でした。
男性原理の社会は競争、戦争、性差別、人種差別、階層構造をもたらしました。
女性原理の社会は父系社会の侵略から身を守ることができず、奴隷にされ、女神は偉大な創造主ではなく単に母か配偶者にしかすぎなくなりました。
神話の女神は冥界に追放され男神が新たな世界の支配者となりました。
女神は蛇や竜の化身とされ忌み嫌われました。
シュメール神話では女神が天地創造をしましたがアッカドの神話になると女神ティアマトは男神マルドゥクに滅ぼされてしまいます。
聖書の時代になると父なる神が女性と交わることなく世界を創造しました。
子供を産み育てる女性の力はもっとも偉大な力でしたが聖書の神は女に向かって子供を産むことの呪いの言葉を吐きます。
「わたしは、おまえの産みの苦しみを大いに増す。
おまえは苦しんで子を産む。それでもおまえは夫を慕い、夫はお前を治めるだろう」
この言葉は男性が母親に呑み込まれることの恐怖、支配的な母親に対する男性の否定的な感情を表しています。
男性原理が優位になるとヤハウェ以外の神は全て粛清されてしまいました。
ヤハウェは妻アシェラと離婚しさらに結婚自体をないことにしたのです。
キリスト教の教義、父と聖霊と子の中に女性は含まれていません。
武力で他国を征服した男性の支配階級は自分達に都合の良い女神と男神のイメージをつくりました。
ギリシャの女神アテナは母親なしにゼウスの額から武装した姿で生まれています。
ギリシャは共通の文化を持つポリス同士が戦いに明け暮れた男性原理の社会でした。
母権社会から父権社会へ移行する創世神話の段階を分析すると次のようになります。
●夫なしに女神から生まれた世界
●荒ぶる男神によって孕ませられた女神のからだから生まれた世界
●女性なしに男神ひとりによって創造された世界
意識の最初の段階は母子が一体となって自我と無意識が融合して分離していない状態です。
その象徴を蛇が尾を咬んだ円環構造のウロボロスといいます。
そして女性的な世界から生まれた息子は離脱をはじめます。
自我意識が芽生えていくときに母からの分離がうまくいかないと母は自分を飲み込んでしまう恐ろしい怪物として現れます。
そして内なる子供にとってのトラウマは母親から見捨てられ、裏切られ、無視され、幻滅させられたと感じる体験でした。
その痛みを自覚できない時、女性に対する憎悪となってあらわれました。
神を父とみなす信仰は男性原理の条件付けを受けたマインドが生み出したものだったのです。
神話は女性原理から男性原理に移り変わる社会の様子を伝えています。
神話の構造と人間の無意識と社会の構造は相関関係にあります。
現代の私たちは
人類が辿って来た文明の全体を俯瞰する位置にいます。
人類史の意識進化のターニングポイントに立っています。
統合の時代が始まっています。
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