https://ameblo.jp/saitohsei/entry-12728767704.html 【『荒脛巾(アラハバキ)神』水を司る縄文の女神・月神の使いたる蛇神 】より
前回からの続きです。
『『荒脛巾(アラハバキ)神』イザナミの『よみがえり』を乞い願う』
前回からの続きです。『『荒脛巾(アラハバキ)神』死と再生の本義、月の女神の円環の世界』前回からの続きです。『『荒脛巾(アラハバキ)神』「月の眷族」「太陰暦」、…
・縄文人の「死生観(しせいかん)」 死を遠ざけない、『輪廻転生の思想』
・その死生観からみた 『女神・イザナミ』
この二点について、ながめてみました。
『イザナミ・イザナギ』
イザナミが隠れた『黄泉(よみ)』の国とはじつは『夜見(よみ)』の国では、なかったか。
身体が腐敗したイザナミは縄文の「死と再生」の死生観に照らしてみれば輪廻転生によって、よみがえる可能性があったのではないか。
ヨミの国と、この世との境い目 黄泉比良坂(よもつひらさか)を巨石をもって『黄泉比良坂』島根県松江市東出雲町 塞いだのは、イザナミの夫である男神・イザナギです。
縄文人のもつ輪廻転生の思想、循環の輪は断ち切られた。
この「黄泉の国」神話はそのようなことを、伝えているのではないかと考えています。
イザナミの夜見帰(よみがえ)りを願います。
さて、今回のテーマは『月』と『水』の関係についてです。
月は穀物を育む豊穣の女神たり得るのか?この点について、書きたいと思います。
月が豊穣の女神とはあまり聞き慣れない言葉で不思議に思われると思います。
ですが『月』と『水』との関係についてながめてみれば『お月見・団子』と『ススキ』
月は穀物を育む、豊穣の女神『ウカ』たり得るのではないかと考えています。
今回のテーマは、二つです。
・『月』と『水』との関係について・『ウカ』について
ちなみに『ウカ』とは「食(ウケ)」の音韻変化とされ「穀物」や「食物」を意味します。
『粟(あわ)』 古代の日本では、主食であったとみられています。
『ウカ』について
愛知県の在野の歴史家、三浦茂久が主張されるとても興味深い説があります。
『古代日本の月信仰と再生思想』三浦茂久(作品社)インタビュー記事がありました!引用させて頂きます。
氏は、著作『古代日本の月信仰と再生思想』で古くは、月の暦(こよみ)を数える月齢の単位は、『若(ワカ)』ではなかったか?と書かれています。
・「1日(ついたち)」の語源は「月立(つきた)ち」であり(月齢1 『朔(さく)』 暗闇の状態です)
・二日(ふつか)、三日(みっか)、四日(よっか)五日(いつか)、六日(むい(つ)か)、七日(なのか)
八日(ようか)、九日(ここのか)暦(こよみ)の「日」には、『 u + ka 』すべてに、『カの音』があてられています。
氏は、はじめからこの『カ』に「日(ひ=太陽)」の漢字を用いていたのではなくこの『カ』は、もともと『月』を意味し「カ」はかつて、月齢の単位を意味する『若(ワカ)』であり
『ウカ』に転訛(てんか)したと記します。(訛(なま)るということです)はたして、どうでしょうか?
さてまずは今回のブログのテーマの大前提である・『月』と『水』との関係についてながめてみましょう。そもそも月神は、水と深い親和性があります。
日本大百科全書(ニッポニカ)「月神」の解説
『月神(げっしん)』について
月光の青白い色が水を連想させることから、月と雨や露、河川や井泉、海潮などとの結び付きが信じられ~
(略)
アジア・ヨーロッパに広くみられる「月の水汲(みずくみ)人」の俗信は、月神が雨露をもたらすという信仰から由来しており、月の陰影は、ある人物が器を持って水を汲(く)もうとしている姿であるとしている。
月の仄明(ほのあかり)、青白く光る姿が水をたたえると、信じられたのでしょう。
ルーマニア生まれの宗教学者ミルチャ・エリアーデは著書『豊穣と再生』において次のように記します。
「月の神はすべて、水の属性、水の機能を、明瞭にか、漠然とか、ともかく保持している。いくつかのアメリカ・インディアンの種族では、月もしくは月の神は、同時に水の神でもある。これは、メキシコにおいても、イロクォイ族においても同様である。」
また、高良留美子氏は、その著書『見出さされ縄文の母系制と月の文化』(〈縄文の鏡〉が照らす未来社会の像 ) (言叢社)においてさらに、エリアーデ氏の言葉を引用し「ひじょうに古い時代から、月相の変化によって雨が降ることが観察されていた」と記します。
そして、石田英一郎氏の言葉でこう締めくくります。
「月と水との不可分の関係は、遥かな先史時代人の精神生活に遡るものであろう」
月は古代において水を支配し、この世に水をもたらす神と考えられていたのです。
ところで、一般的に水を司る神といえば『龍神』ですよね。
その感覚からすると、月が水を支配するというのは、少し意外な感じがします。
北京『故宮』の九龍壁 (「wikipedia」より)
ですが、龍は大陸から伝わった神です。「龍」以前は、「蛇」であり「蛇」と「月」の強い結びつきは(あくまで個人的な見解となりますが)縄文の蛇神『荒脛巾(アラハバキ)神』月神と生殖の神格を分有する『縄文の蛇神』として、書いてきた通りです。
『『荒脛巾(アラハバキ)神』月と神格を分有する偉大なる祖先神』
・『月』が『水』を支配し(今まで、当ブログで書いてきたとおり)
・『アラハバキ神(蛇・龍)』が『月』と密接な関係をもつ
・『アラハバキ(蛇・龍)』は (『月』を通して)『水』と関わる
(以前に書きましたが、蛇が月のもつ不死の霊薬
『変若水(しじみず)』をもたらす、沖縄県・宮古島の伝承があり、蛇には『水を運ぶ神格』があります)
・『月』・『蛇』は 『水をもたらす神』であるこの関係性は、矛盾しないと私は考えています。というのも、じっさいに湧水地と蛇伝承は、日本各地よくある組み合わせでありとくに水が湧く『白蛇』伝承も多いです。
『蛇窪神社』 湧水・白蛇の伝承があります
・『月』の女神は古代、水を司り
・『蛇神』は、その月と深い関係性をもち 水をもたらす水神(月の使い)である
それが、月の水を司る神格が脆弱になり(事実、月と水との関係は、私たちにとって意外です)
蛇が大陸から伝わった、龍と習合し現在の水神・『龍』となる。
このように、考えられてきたのではないでしょうか。
さて、そして次は今回のもう一つのテーマ・『ウカ』について、みてみましょう。
糸口としては水を司る女神『弁才天』があげられます。七福神の中の紅一点、『弁天(べんてん)』といえば、イメージしやすいでしょうか。
(宗像三女神、「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」と同一視されることもあります)
ヒンドゥー教の女神『サラスヴァティー』が仏教に取り込まれた神ともされます。
『サラスヴァティー』
額に三日月を持ち、水と豊穣の女神とされます。
弁才天は、蛇を使いとしますが時に蛇体として、表現されます。
ちなみに、弁才天は、中世以降蛇の身体に、人頭をもつ『宇賀神(うがしん・うかのかみ)』と習合し『宇賀神』 (『上野不忍池・弁財堂』より)
このお姿はちょっと…『宇賀弁才天』となりました。
(頭部に「宇賀神」が乗っていますフュージョン…とは違いますね)
ところで、ややこしいですが『宇賀神』の『ウカ』は穀物の神、稲に宿る神とされる
『ウカノミタマ』に由来すると一般に考えられています。
お稲荷さんの神さまで、稲荷神として広く信仰されています。
性別の表記は、記紀にありませんが古くから「女神」であり、稲に宿る神秘な神霊とも
考えられています。
神名について
『古事記』~「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」
『日本書紀』~「倉稲魂命(うかのみたまのみこと」
『ウカノミタマ』について(「wikipedia」)
伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。
この2神・『宇賀神(うがしん・うかのかみ)』・『ウカノミタマ』名前の『ウカ』が、共通する以外は両者の関係性は不明です。
・『宇賀神』は蛇体のもともとは民間信仰から派生した出自不明の謎の神とされます。
・弁才天は『蛇』を使いとする。ときに蛇体。中世以降、宇賀神と習合し『宇賀弁才天』となる。
・『宇賀神』の神名にある『ウカ』は穀物の女神『ウカノミタマ』に由来すると一般には、考えられている。
穀物の神『ウカノミタマ』と人頭と蛇体の『宇賀神』一見すると、まったくかけ離れた何の関係性もなさそうな2神がなぜ、『ウカ』という共通のワードを持つのか?
冒頭に書きました、三浦茂久氏の言葉
暦(こよみ)の「日」には、『 u + ka 』すべてに、『カの音』があてられています。
氏は、はじめからこの『カ』に「日(ひ=太陽)」の漢字を用いていたのではなくこの『カ』は、もともと『月』を意味し「カ」はかつて、月齢の単位を意味する『若(ワカ)』であり
『ウカ』に転訛(てんか)したと記します。(訛(なま)るということです)
日本は、明治になるまで月の満ち欠けを基準とした『太陰暦』を用いてきました。
つまり「暦(こよみ)」とはもともと、「月読み」だったのであり暦(こよみ)に当てられた
『こ』は、月と関係がある『ウカ読み』だったのではないでしょうか。
私は『ウカノミタマ』『宇賀神』この2神には・『月』(『水』を司る)・その使いとしての『蛇』 (=荒脛巾(アラハバキ)神)古代の『月』と『水』を基底とした信仰が投影されているように思えてなりません。
ところで『古事記』の上つ巻序文に「日下」の読みについての記述があり「また姓(うぢ)に日下を玖沙訶(くさか)といひ名に帶(帯)の字を多羅斯(たらし)といふ。 かくの如き類は、本(もと)のまにまに改めず。」
・「日下」を「クサカ」と読み・「帯」を「タラシ」と読む昔からそう読んでいるので
慣習を改めずに、そのまま記すとしています。
「飛鳥・藤原時代には、日下の用法がわかっていたはずであるが、古事記の編者には理解しがたくなっていた。」
・『日』の字を 「ク」、もしくは「クサ」と読む理由が(もしくは)・「ク」・「クサ」という発音になぜ、『日』の漢字を当てたのか理由が不明になっていたのです。
三浦氏は、「ク」は本来「月」の意味であり
・「クサカ」とは、「月坂」のことであり・着物の帯(おび)は 神が依ります呪具であり
『タラシ』とは『日本書紀』は、「足」の字『古事記』は、「帯」の字を用いる。
『タラシ』とは、満ち足りた月長生不死を祈念して名づけられた。このように、説かれます。
『タラシ』といえば「息長帯姫大神(おきながたらしひめのみこと)」ですが、思い出して欲しいのは(前回に書いた)月は潮汐力から、潮の満ち引き潮流に影響を与え古代の動力も帆もない時代月相を読むことは海人族(あまぞく)にとって重要だったのではないでしょうか。
海人族と月信仰はとても親和性が高かったと、考えています。
次回、もう少し『月』と『水』の関係について書きたいと思います。
https://ameblo.jp/saitohsei/entry-12733558379.html 【『荒脛巾(アラハバキ)神』自らの生命を恵む『豊穣の女神』】より
「ウカ」とは、穀物・食物を意味します。『粟(あわ)』 少名彦神が去るときの物実です
しかし、古くに『月』の意味はなかったのか?とくに『カ』行の音に、『月』との関連が
なかったか疑問を持っています。(今回は『カ』行の音、これがキーワードです。)
・「月代」を「さかやき」と読み・「暦(こ読み)」とは「月を読む」の意
(明治まで日本は、月の満ち欠けに基づく「太陰暦」を用いていました)
今回、もう少し『月』と『水』との関係についてながめてみたいと思います。
月は穀物を育む豊穣の女神たり得るのか?検討したいと思います。
詩人で女性史研究家でもある高良留美子氏の著書『見出だされた縄文の母系制と月の文化』(言叢社) (<縄文の鏡>が照らす未来社会の像) の中で高良留美子さんは、昨年の12月に
逝去されていました。謹んでお悔やみ申し上げます。
この本は、妻が偶然に書店で見つけ教えてもらい購入しました。
高良氏の長年の研究の集大成といえる本だと思います。とても勉強になります。
松前健氏の『夜露(よつゆ)』の発言にふれ次のように記しています。
「古代人は、早朝の山野に露が、満ちているのを見て、かく大地に水滴をもたらす存在は
夜空の支配者である、月神と考えまた、バビロニヤやエジプトでは月があらゆる植物の育ての親であり豊穣の恵み手であるとされた理由も恐らくそうした夜の雨露の恵み手であると
考えられたからであろう」
また、ルーマニアの宗教学者ミルチャ・エリアーデ氏の言葉を引用され
水はリズムに従い(雨や湖)、また発芽の原動力となるがゆえに水は月に支配されている。
「月は水の中にある」そして「月から雨が降ってくる」と書かれています。
古代の人びとは「夜露」、「霧」、「雨」など生命をうるおす水、植物を発芽させる水は「月からもたらされる」と考えたのでしょう。そしてなにより、「月」自身が年に12回(時に13回)夜空で「満ち欠け」をして「死と再生」を繰り返す神です。
その月がもたらす水乾季で干からびた大地を緑に変える雨は、まさに生命を育む『豊穣の水』だったのではないでしょうか。(私たちがイメージする憂鬱な「雨」~「ただの水」とは決定的に意味が異なっていたでしょう)
この月の『豊穣の水』に関する伝承はいろいろあり・宮古島平良市の伝承 お月様お天道様がもたらす 「変若水(おちみず・をちみづ)」・『万葉集』 月の神・ツクヨミ(月夜見・月読)の持つ「をち水」などそれぞれ、不死・若返りの霊薬とされます。
宮古島の伝承では、蛇がこの水を浴び脱皮する、不死の身体になり(本来その水を浴びるはずだった)人間が死ぬ身体になってしまいそれを哀れんだ神が節祭の前夜に大空から、若返りの水「若水(わかみず)」を送ってくれるようになる。それを黎明に井戸から汲んで 家族全員が水浴びをするという」三浦氏は、記されます。(『古代日本の月信仰と再生思想』三浦茂久)
「おちみず」とは
『(月から)落ちてくる水』という意味でしょう。この月水の伝承に、蛇が絡むのは面白いです。蛇は月の象徴であり月の不死性と強い結びつきがあります。
ちなみに「稲妻(いなずま)」は蛇行し飛行する「天の蛇」です。そして雨を運んできます。
文字通りの「雷雨」ですね。水をもたらす蛇なのです。
加茂(かも)氏の氏神「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」は天に昇りますが、「イカヅチ」であり「蛇」なのです。
古代、「蛇(アラハバキ)神」は「月」と所縁(ゆかり)の深い神であるとはこれまで、当ブログで書いてきた通りですが現代の雨乞い神事は、水神である「龍」天に棲む「龍(蛇)神」にむけて、行われますがかつて「月」が水をたたえると信じられた時代原初の雨乞いとは、そもそもの「水の源」天を渡る「月」にむけて行われたのではないでしょうか。
・月に雨を降らせてくれるよう・月水を運ぶ「蛇(アラハバキ)神」や「雷神」を降臨させ てくれるよう月に祈念するものであったと私は考えています。
京都の太秦(うずまさ)にその「月」と「水」に関連する祭祀の痕跡を残すと思われる神社があります。
「延喜式」に記載された式内社(名神大社)で「雨乞い」に霊験のある、祈雨八十五座の一つに数えられています。
・『木嶋坐天照御魂神社』(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)現在の主祭神は五柱ですが(天之御中主神 大国魂神 穂々出見命 鵜茅葺不合命 瓊々杵尊)『延喜式』神名帳に名神大社と記載され有力な神社であったことが、伺われます。
社名にある「天照御魂神」がどのような神であるか、不明です。(現在の祭神に「アマテラス」はおりません)
『三代実録』に正五位下の神階を授与されている記載があり神階を与えられることのない、アマテラスとは別神であると、推察されます。「アマテルミムスヒ」とされた記録もあり湧水によって、穀物を生成するムスヒの神とする説もあります。
境内には「蚕養神社(こがいじんじゃ)」があり神社の通称「蚕の社(かいこのやしろ)」の由来となっています。蚕を養う~「こ」を飼うということですね。(「蚕(かいこ)」は月と関係性の深い生き物です)蚕の吐き出す糸は、淡い光沢を放ち、繭は淡く光る。満月に見立てられないでしょうか。糸によって編まれた布は、天に昇る羽衣となります。
境内の北西隅には「三本鳥居」(または「三柱鳥居」)という珍しい鳥居があります。
じつは、奈良県の大神神社にも「三ツ鳥居」という、三面の鳥居がありますが、同社ホームページによると「古来一社の神秘なり」と記され本殿にかわるものとして神聖視されつつも「起源不詳」とされています。
『三』の数字は、月文化にとって最も重要な数です。
・月齢三日付近、新月・三日月が夜空に誕生する ・月の暗闇状態「朔(さく)」の籠る日数が「三」「三」は月の暗黒時間、すなわち妊娠状態を表す
・「創造」→「維持」→「破壊」「新月」→「満月」→「旧月」という月の三相一体の象徴
キリストが亡くなって、三日後に甦ったという信仰も、月が朔の三日間の死をへて新月の光として甦る~月文化が背景にあると高良留美子は説かれます。
(「『見出だされた縄文の母系制と月の文化』)(<縄文の鏡>が照らす未来社会の像)
「木嶋坐天照御魂神社」の三本鳥居の真下「元糺(もとただす)の池」から、かつて泉が
湧き出していて、この地を含めて三つの池があり、細い通路でつながっています。
かつては、豊富な湧水を誇り「都名所図会」では、川の流れのようになっています。
(奈良県明日香(あすか)村にある詳細不明の「酒船石(さかふねいし)」を思い出しました)
くぼみに水を流し、祭祀を行ったなどどのように使われたか、諸説あり定まっていません、
同社の社名にある「天照(アマテル)」は現在は、太陽神の一般的な形容詞ですが和歌文化の世界では「あまてる月」と詠われ月の形容詞でした。
「てる」「てらす」は本来月神についての言葉で和歌文学の世界に登場するのは、圧倒的に月
太陽も星もほとんど歌われないアマテルと歌われたのも月アマテルと月とは、一体化し月の尊称のように言い慣わされていた。
天に照るのは月だった。(『見出だされた縄文の母系制と月の文化』)(<縄文の鏡>が照らす未来社会の像) 高良留美子
木嶋(このしま)神社の原始の祈りの起源は月に向けて行われた、雨乞い・祈雨という「月」と「水」に関わる祭祀だったのではないでしょうか。
また、高良留美子氏はスサノオは、月のシャーマン王と書かれます。
(「スサノオ・冬至に日の巫女と交わる月のシャーマン王」)
以前に、『古事記』『日本書紀』に食物起源神話である「ハイヌウェレ型神話」が
月の神である『ツクヨミ』と『スサノオ』に収録されていると書きました。
死体から食物が発生する「死と再生」月の神格に関係する神話と考えています。この神話が、ツクヨミとスサノオに書かれていることは注目すべき事だと思います。
スサノオを祀る、氷川神社にも『月』、『水』、そして『蛇』『蛇巫(へびふ)』の気配があります。(月から降臨した水を持つ蛇を、祀る女性祭祀者です)
女性民俗学者・吉野裕子氏は、著書「蛇」で「日本原始の祭りは、神蛇と、これを斎(いつ)き祀る女性蛇巫を中心に展開する」「蛇を頭に巻く縄文の巫女の土偶はそれを裏書きするものである」(『蛇 日本の蛇信仰』吉野裕子)
かつて『蛇巫』という、女性祭祀者が存在した、という説を唱えられます。
埼玉県にある氷川神社・三社の一つ「氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)」
このめずらしい名前の神社の根本祭祀とまで言われるのが『磐船祭(いわふねまつり)』です。
水神である「龍」を奉祭する祭祀です。祭りでは巫女の神楽「豊栄(とよさか)の舞」が行われ
かつて大宮一帯に存在した巨大な沼「見沼(みぬま)」に棲んでいた龍(蛇)を天よりお迎えして奉祭し、森羅万象の恵みに感謝する行事とされます。
この水神祭祀が、いつから執り行われていたか不明ですが「天より龍神を迎え入れる」という神事です。巫女が神楽を舞い龍神の招来を祈願します。『氷川女體神社磐船祭祭祀遺跡』
現在は、江戸時代に人工的に造成された『島』で祭祀が継続されています。
氷川信仰の発祥地とも言われるのが「大宮・氷川神社」境内にある湧水地「蛇の池」で、見沼の水神祭祀は太古の縄文時代まで遡ると、私は思っているのですが『蛇の池』 氷川信仰の発祥地と神社側が語ります(大宮一帯には、縄文晩期から弥生期の遺跡がたくさんあります)
現在の水神祭祀は、主に「龍」を奉祭するものとなっていますが、その「龍(蛇)」の背後には
そもそもの水をもたらす神「天の月」が想定されていたように思えなりません。
大宮・氷川神社の祭神にはスサノオとともに、妻となるクシナダヒメが祀られていますが
(『古事記』では、「櫛名田比売」『日本書紀』では、「奇稲田姫」と表記)
ヤマタノオロチ退治の説話で登場し蛇の生け贄にされそうなところをスサノオに救われますが
ヒメには『蛇巫』としての要素があると思います。
やがて、『月』の水を司る神格はあいまいになり、『蛇』は嫌悪され水神とは「龍」を意味するようになり『蛇』は表面上からは消えて行きます。
ですが、蛇の痕跡はそこかしこに残っています。
・「注連縄(しめなわ)」 ・「土俵の俵」 ・「各地の湧水にまつわる蛇伝承」
・家紋の「三つ鱗(みつうろこ)」 (北条氏の家紋として有名です)
さらに埼玉県の郷土史家、茂木和平氏は瓦屋根の「隅棟(すみむね)」も蛇の表現と言われます。蛇であるヤマカガシは「山棟蛇」と書きます。
面白いのは『蛇口(じゃぐち)』という言葉です。(妻に、また昭和な蛇口を持ってきたねと笑われました)ある意味、蛇は現在も私たちに水を運び続けているのですね。
ところで、月を「縄文の女神」として書いてきましたが、縄文時代には『ヒメ・ヒコ』という、男女を対にした神が想定されています。
「月の男神」とは、いったい何なのか?それはひょっとしたら(前述した)水を運ぶ「蛇」や「稲妻」なのかもしれません。
私は、スサノオの神格の一つに、「月の蛇」があったのではないかと想像しています。
今後、月の「ヒコ神」について新しい知見を得たら、また書かせて頂きますね。
さて、本題に戻ります。(妻には、せめて文章量、半分にしてと言われました)
月は穀物を育む豊穣の女神たり得るのか?
月はかつて『水』を司り『蛇』を使いとして、地上に再生するための霊薬『おちみず』をもたらす存在でした。『豊穣』の実現のためには・「日の光」が必要ですが ・(同時に)『水』も必要でしょう。「稲」と「太陽神・アマテラス」信仰は不可分の関係ですが、稲を栽培する以前縄文の狩猟採集社会であれば、なおさら水は大切でしょう。
むしろ生存に直結する『水』の方がより重要に思えます。
(そもそも稲作にも相当量の水が必要ですが)
そうであるなら、太陽と同様「月があらゆる生命の豊穣の担い手」という表現も可能ではないでしょうか。
古代の水を司る神、『月神』は十分に穀物を育む豊穣の女神『ウカ』たり得ると思います。
月は、地上のあらゆる生き物に自身の生命(再生力・輪廻する力)『豊穣の水』を与え続けやがて『満月』を頂点にやせ細り『死(暗闇)』を迎えます。そしてふたたび『三日月』として誕生し
このサイクルを永劫的に繰り返すのです。
自身の一部(水)を削りながら私たちに、生命を永遠に与え続けてくれるのです。
まさに、『月』とは『豊穣の女神』ですね。
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