http://nao28.com/japan/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD/ 【アラハバキとは】より
津軽の民が古代から信仰していた神がアラハバキである。
御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、未だに正体は解明されていない。
亀ヶ岡遺跡や大湯ストーンサークルからは、変わった形の壺や笛に用いたとされる菱形の土器がよく出土する。
それらはトルコの辺りにかつて存在したヒッタイト(インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国。
他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服した。最初の鉄器文化を築いたとされる。)の土器と非常に似ている。
ヒッタイトは世界で初めて製鉄を行った古代帝国である。
ヒッタイトのどこで土器が作られていたかを追い求めると、製鉄施設を含むアラジャ・ホユックの遺跡にたどり着く。ヒッタイトでは鉄製品をハバルキと呼んでいた。
アラジャ・ホユックのハバルキが転じてアラハバキになったのではないか?
土器の類似性から相当古い時代に竜を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があると考えている。
幼い頃より馴染みの深い神ではあるが、なぜ拝まなければならないのか、実はよく知らない。
「蝦夷とて拝んでおるじゃろうに」
二風は面白そうに笑ったあと、「須佐之男命の名を存じておるか?」真面目な顔で訊ねた。阿弖流為は首を傾けた。母礼も知らないらしかった。
「陸奥とはあまり縁のなき神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。 草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣と言う」
「ハバリキの剣」
阿弖流為と母礼は顔を見合わせた。
「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」
「するとアラハバキとは?」
「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
「そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。
(「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)
弥生の初期に渡来した部族の最高神アラハバキの信仰も「記紀」の影響や仏教による変容で、すっかり影をひそめ江戸時代には、何神であるかは不明になってしまった。
わずかに古代氏族が王権の抹殺をのがれるために密かに今日までその伝統を守り続けた。
かろうじて文献のみその名をとどめるか、あるいは、末社で密かに生きつづけるのにすぎない。
神社や寺院にはアラハバキの名こそ消えてしまったが弥生文化といえば稲作と同時に製鉄の始まりであるからアラハバキ神は製鉄とも密接な関係があることを無視できない、草鞋、鉄製下駄を供えたり、目の神様になっていたり、習俗から見て元の神が変容していることを示す、例が数多く発見できる。
それから、多くの本殿や本堂ではなく、末社・摂社に追いやられているので注意したい。
【島根県】 出雲大社の境内末社に門神社二社があり、出雲大社資料館の彰古館には寛政8年(1668)作成の古社図が展示してあり、門客人社と記載されている。
八束郡千酌の爾佐神社の境外社・荒神社は、通称「お客さん」とか「まろとさん」と言われ、「アラハバキさん」と呼ばれていました。
https://ameblo.jp/umesakurasaku/entry-12203133975.html 【光射す・・・出雲の国譲りから阿弖流為(アテルイ)】より
新しい世界は始まってる・・・でも、どうしても光をあてなければならない部分もある私も、みないようにしてきた部分・・・それはまつろわぬ民と言われてきた阿弖流為(アテルイ)をはじめとする権力になびかず、日陰を生きてきた存在。
その存在のDNAはたぶんほとんどの日本人には流れているはず・・・なのに、いまだ自分の中に封印している・・残念ながらもれなく私も 霞がかっているようによくわからない・・・
というより、わかろうとしなかった。だってそこを開けてしまえば大きな痛みを思い出すから。でも・・・私は敬遠してはいられないときにきたよう。
ずっと後回しにしてきた体制になびかず反抗し続けた誇りたかき民族に私の血の中にある流れに意識の光をあてること。
まだこれからですが参考になった記事を転載させていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/351f7d1624b8ffc806284e3778015537 より転載します。
「東北・蝦夷の魂」 高橋克彦著から抜粋して一部御紹介します。
古代東北を探っていくと、世界の龍信仰や日本神話とのつながりが見えてくる。天照系の神々に出雲を追われた国つ神たちは東北へ移動した。蝦夷は東北を「ひのもと」と呼び、朝廷は東北を道の奥と呼んだ。すなわち中央政権の支配が及ばぬ地として「陸奥(みちのく)」と名付けたのである。
東北の民は朝廷軍など中央の権力と何度も戦い、全てに敗北した。負けた側は歴史を消されてしまう。勝った側は当然のように自分たちの正当性を主張する。自分たちは正義の戦いをした、あらがった連中は野蛮で文化も無く殺したって構わない奴らだ、と決めつけたのだ。
東北は阿弖流為(アテルイ)、前九年、後三年合戦、平泉滅亡、奥州仕置、戊辰戦争と大きな戦に巻き込まれ、歴史をズタズタに書き換えられ、棄てられてしまったのです。
それでも東北の人々は逞しく生きているのです。
私も勝者による歴史の改ざんや消滅させることについて何度も記事にしてきたが、まぎれもなく色々な歴史が勝者によって書き換えられたのです。
「出雲の国譲り」
遥か昔、出雲には「和」と呼ばれる国の人々が暮らしていた。
やがて大陸から九州に渡ってきた邪馬台国、つまりヤマト族の集団が北上を続け、出雲で「和」の人々と敵対関係になった。
最終的に畿内全域を統一したヤマト族は、出雲王朝である「和」から国を譲られたという神話を広め、大和朝廷を作り上げた。
そもそも何故「大和」と書いて「やまと」と読むのか?
「大」を「や」と読むこともなければ、「和」を「まと」と読むこともない。
私たちは「大和」は「やまと」と読む者と刷り込まれてしまったので、それが当たり前になっている。
日本の古い言葉(原日本語)には文字はなかった。
そのため中国から伝わった漢字の中から、意味の同じ文字を原日本語に当てはめて使った。
例えば「黄泉の国」(死者の住む国)がそうだ。「黄」を「よ」、「泉」を「み」と読む例はない。
原日本語に「よみ」という言葉があり、それに同じ意味の中国語の漢字「こうせん(黄泉)」を当てたのだ。
中国の字典では「黄泉」の意味は「地底湖」となっている。
古い日本(原日本)における「よみ」のイメージも、鍾乳洞や洞窟の中の地底湖のようなものだった。
それで、「よみ」に、漢字の「黄泉」を使ったのだろう。
ヤマト族は「和」の国を邪馬台国に組み入れた。だが、「和」と交流のあった中国は、それをヤマト族の侵略行為だとして、併合を認めなかったのではないか。
その為ヤマト族は出雲王朝の「和」から正式に国を譲ってもらったことにした。
そして邪馬台国と「和」という二つの国が合体して「大きな和の国つまり大和となりました」と宣言したのだろう。但し、読み方は「だいわ」ではなく、「邪馬台=やまと」とした。
「和」の人々は「出雲の国譲り」のあと、畿内から遠い九州あるいは東北方面に逃れた。
東北に安住した者は蝦夷(えみし)と呼ばれ、九州に安住した人は隼人(はやと)と呼ばれるようになった。
だから東北に暮らす我々は、蝦夷の末裔ということになる。
※隼人=古代九州南部の移住民、七~八世紀頃大和朝廷律令支配体制に組み込まれた。
今でこそ単一国家とされているが、少なくとも鎌倉時代の初め頃までは、明らかに日本には国が二つあった。
大和朝廷が支配する国と、出雲王朝の流れを汲む「和」の人たちの国である。その対立構造の中に阿弖流為(アテルイ)や安倍貞任(あべのさだとう)の戦いがあった。
聖武天皇が東大寺の大仏に鍍金(メッキ)する黄金を求めていると、たまたま東北で金が産出した。それまで朝廷にとって東北は戦いをする価値もない土地だった。
多賀城をこしらえたのも、東北を支配するというより、ここまでは我々の領土だぞと蝦夷に示すためだった。
この金について2009年記事にしています。
黄金山産金遺跡:日本で初めての金は、宮城県で採れた
多賀城は蝦夷を滅ぼすための最前線と説明されているが、そうではない。
それまでは利害がぶつからないから協調していた。ところが蝦夷の国に黄金が出現したため、朝廷軍が入り込むようになった。こうして蝦夷と朝廷との長い戦いが始まる。
古代東北の民・蝦夷は、本来穏やかな暮らしを好む「和」の民だった。
東北のストーンサークル
これについても2009年4月に記事にしています。
大湯環状列石(ストーンサークル)と黒又山(クロマンタ)ピラミッド
ここは色々噂され、ピラミッド説、宇宙人の基地、そしてこの辺りでのUFOの目撃談。
私が最初知った頃は野原にストーンサークルが見える程度でしたが、この記事を書いた頃は、資料館ができ、発掘が進み綺麗になっていた。
私も古代史に興味を惹かれる一つになっているが、この本の著者、高橋克彦氏も父親がこの地秋田県鹿角市で病院を始めたことで大学生の頃、休みのたびに帰省していたらしい。
そこでストーンサークルの謎に取り組むことになって行く。
黒又山(クロマンタ)
今は偽書と分かった「東日流外三郡誌」※つがるそとさんぐんし=青森県在住の和田喜八郎が発見したとされる古史古伝の一つ(偽書とされた理由はいずれ記事にします)この本の出現で古代東北への関心が高まったのは事実でしょう。
※記事にしました。長文なのでホームページにまとめています。
偽書 東日流外三郡誌の正体
東北には龍伝説が非常に多い。大湯ストーンサークルに近い黒又山の周辺にも竜を祀る神社が残されている。
また、田沢湖や十和田湖の周辺などにも伝説が多い。まだ記事にしていないが、ここを訪れれば観光バスガイドさんが必ず伝説を話してくれる。そうそう秋田の八郎潟も竜伝説で十和田湖と話が繋がります。
十和田湖
田沢湖
世界中の龍伝説を調べてみると、奇妙なことに気がついた。
世界には龍を神として崇拝する民族と、悪魔として恐れる民族の日辰があった。
キリスト教文化圏では竜を悪魔と呼び嫌悪する。
インドの蛇信仰は竜と結びついているため、仏教では竜を神と見ている。
文明発祥地とされるシュメールには、神様だった竜がある時点から悪魔にすり替わったという伝説がある。
エイリアンの中に対立する二大勢力があったことがこの伝説から読み取れる。
対立するエイリアン同士の戦いがシュメールの地で起きたのでこうした伝説が生まれたのでしょう。
『旧約聖書』によるとモーセ(モーゼ)はシナイ山で十戒を授けられた時、偶像を作るなと神から告げられた。ところがモーセが山から下りると、神の不在に怯えた人々はすでに偶像を作っていた。
その姿は牛の姿をしていた。最初に作られた偶像が牛だったことを考えると、キリスト教に影響を及ぼしたエイリアンは牛に似ており、キリスト教に敵対した宗教と係わったエイリアンは竜の姿をしていたのかも知れない。
因みにエイリアンは宇宙人じゃありませんよ(笑)
ここでいうエイリアンは異国人ですね。まぁ、宇宙人が居たのかも知れませんが・・・・
東北のストーンサークルを造った人たちは竜信仰を持っていたようだ。
日本の竜信仰の始まりは出雲からである。
出雲の斐伊川(ひいかわ)の上流に八岐大蛇伝説(やまたのおろちでんせつ)がある。その地で八岐大蛇は神として崇敬されていた。ところが出雲王朝を滅ぼしたヤマト族=天照系の神話では、八岐大蛇は邪悪とされ須佐之男命(スサノオノミコト)が退治してしまう。
土地を支配する竜を退治することから建国が始まるという構図は、世界各地の神話とも一致する。
天照系の須佐之男命は午頭天王。須佐之男命は、竜と敵対する牛の姿をした神を崇める一派だったのだろう。
竜を追いかけるうちに、津軽が東北の竜信仰の寄り集まっている場所であり、そのルーツはどうやら出雲だとわかってきた。
出雲を追われた国つ神(くにつかみ=天孫族が来る以前から土着していた神)たちが、竜信仰を持ったまま東北に来たのだ。
大社龍舵神札
島根県立古代出雲歴史博物館 江戸末期~明治時代
旧暦の十月は出雲に全国の神々が集まるので、出雲ではご存じのように神在月といいますね。
その時期には出雲大社近くの稲佐浜にウミヘビが漂着することがあります。
このウミヘビは、御祭神のお使いで、全国の神々が出雲に来る時に先導される神だと信じ、龍神様と呼んで信仰してきました。この御札には、龍神様は「水火風難を除く」と記されています。
これは、多賀城の歴史博物館に来た時実物を見ました。
出雲を支配していたのは大国主命たちである。
東北には大国主命を祀る神社が多いのに、本家本元の出雲には大国主命を祀る神社は出雲大社しかない。
もっと奇妙なのは、出雲大社での大国主命の祀られ方だ。
拝殿の中に大国主命がいて、それを取り囲む形で天照の神々が配置されている。まるで大国主命を逃がさぬよう見張っているかのようだ。
神話によれば天孫族たち、つまり天照系の一派が日本にやって来た時、出雲を治めていた大国主命たちは、快く国譲りをしたとされる。
「この国はあなたたちにお任せしましょう。私たちには高い塔を造ってくれれば、そこで国の繁栄を見つめ続けましょう」と国譲りが平和的に行われたかのほとく「古事記」や「日本書紀」には書いている。
だが、出雲大社の成り立ちは、天照一派が大国主命一派を服従させたことを示すものだったのだ。
新しい支配者が古い支配者を塔に幽閉するのは世界共通だ。
古い支配者に国土を眺めさせるためにではない。
かつての支配者が決して救出出来ないところにいるのを、民に見せつけるためだ。
だから大国主命も天孫族によって高い場所に幽閉された。
伝承によれば出雲大社の本殿は130mを超す高さだったとされる。
それは見せしめとして造られたのであって、決して大国主命への尊敬からではなかった。
中世では高さ十六丈(45m)であったという伝承もあり。それを元にこの模型が復元されています。
私も、こんなやさしい国譲りは、あり得ないと思います。
他人が我が家に来て、ここを下さいと言われて、はいどうぞと云う者はいないでしょう。
では、大国主命に従っていた国つ神たち、つまり日本の先住民はの首領たちは、出雲を追われてどこに行ったのか?
長野の諏訪神社の御神体は蛇=竜だ。
諏訪大社に祀られている建御名方神(たけみなかたのかみ)は大国主の子で、国譲りを迫る天照の使者建御雷(たけみかずち)と力競べをして敗れ諏訪へ逃げた。 のちに様々な祟りをなしたので、朝廷は大和に三輪神社{大神神社)を建立する。
主祭神の大物主大神は蛇神である。三輪神社の縁起は、大国主命が自らの幸御魂(さちみたま)・奇御魂(くしみたま)を三輪山に祀ったのがそもそもの始まりという。このことからも日本の国つ神は龍の系列であったと考えられる。
出雲を征服した天照らは、畿内へと攻め込む戦闘準備をして待ち構えていたのが、現在の奈良県一帯を支配する豪族・長髄彦(ながすねひこ)だった。
天照一派の遠征軍を率いる五瀬命は、長髄彦の弓に当たって死ぬ。五瀬命の弟、磐余彦尊(いわれびこのみこと)は一旦退却し、八咫烏(やたがらす)に導かれて熊野から吉野川を遡り奈良へと至る。
『古事記』は、その後の長髄彦と天照軍の攻防に触れていないが、饒速日命(にぎはやひのみこと)の神が磐余彦尊に帰順の意向を示したことで、天照軍は畿内を制圧したことになっている。
饒速日命は長髄彦の妹と結婚していた。
『日本書紀』は天照軍に服従しない長髄彦を饒速日命が殺したとしている。
磐余彦尊とは、後の神武天皇だ。
長髄彦ゆかりの神社が、青森県十三湊(とさみなと)の近くに今もある。
戦前の調査によって二メートル程の身長の人骨が発見され、長髄彦の骨ではないかと騒がれた。
長髄彦神社の周辺には、やはり龍の伝承が残っている。
龍の伝承はシュメールからシルクロードを経てインド、中国、最後には日本へ渡ってきた。
もともと、日本にあった信仰ではなく、シュメールから伝播してきたものだったのだ。
だからインドや中国の伝説と日本の竜伝説はとても似ている。
アラハバキとは何か
津軽の民が古代から信仰していた神がアラハバキがある。
御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、未だに正体は解明されていない。
亀ヶ岡遺跡や大湯ストーンサークルからは、変わった形の壺や笛に用いたとされる菱形の土器がよく出土する。
それらはトルコの辺りにかつて存在したヒッタイトの土器と非常に似ている。
ヒッタイトは世界で初めて製鉄を行った古代帝国である。
ヒッタイトのどこで土器が作られていたかを追い求めると、製鉄施設を含むアラジャ・ホユックの遺跡にたどり着く。
ヒッタイトでは鉄製品をハバルキと呼んでいた。
アラジャ・ホユックのハバルキが転じてアラハバキになったのではないか?
土器の類似性から相当古い時代に竜を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があると考えている。
幼い頃より馴染みの深い神ではあるが、なぜ拝まなければならないのか、実はよく知らない。
「蝦夷とて拝んでおるじゃろうに」
二風は面白そうに笑ったあと、「須佐之男命の名を存じておるか?」
真面目な顔で訊ねた。阿弖流為は首を傾けた。母礼も知らないらしかった。
「陸奥とはあまり縁のなき神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。
出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。
その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。 草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣と言う」
「ハバリキの剣」
阿弖流為と母礼は顔を見合わせた。
「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」
「するとアラハバキとは?」
「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
「そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。
(「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)
津軽を中心に東北のアラハバキ神社を調べて行くと、御神体は殆どが鉄鉱石である。
岩木山神社もアラハバキを祀っているが、御神体は黒い鉄のような石だ。
十三湊に近い洗磯崎神社も鉄鉱石を御神体にしている。
鉄を発掘する者にとって、最初に掘りだした大きな鉄の塊は、そこがどれだけの山かの目安となる大事なものだ。
南部藩のため働いた山師の間でも、最初の鉄塊を神として祀る風習があったらしい。
出雲の八岐大蛇の神話も、鉄鉱石を製錬するタタラから溶けて流れた鉄のから連想されたと考えられる。
八岐大蛇の八つ首は、やっつの鉱山から流れでる炎の象徴ではないかという説である。
大国主命の別名は大穴持命(おおあなもちのみこと)なので、大きなあなを持っている神とも読める。
つまり鉱山の持主だったから付けられた名前ではないのだろうか。
大国主命は相当古い時代に龍の伝承を持って日本にたどり着いた一族の末裔であり、彼らが得意としたのが鉱山開発だったのだろう。
映画化されて有名になった『砂の器』という松本清張の小説がある。
秋田の亀田辺りらしい訛りを話す犯人を刑事たちが追い追いつめていく。捜査の過程で島根県に亀嵩(かめだけ)という場所があり、秋田の亀田そっくりの言葉を使っていることが分かる。
その亀嵩はまさに八岐大蛇伝説のある場所だ。 亀嵩を含む島根の人たちが故郷を追われ、やがて東北に定着したに違いない。
出雲から北へと逃れ、新たな民族を形成していったのが東北人のルーツなのである。
陸奥あるいは奥州という呼び名は、支配する側の呼び方であって、東北の本来の呼びは「ひのもと」だった。
実際、伊達政宗が東北の一大勢力になった時、家康や秀吉は政宗を「ひのもと将軍」と呼んでいる。
「ひのもと」は「日の本」と書く・日本と表記したために元の意味が曖昧になってしまった。
坂上田村麻呂の配下、文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が蝦夷の本拠まで大軍を進めていくと、そこに蝦夷の国の中心地だということを示す「壺の碑」があった。
石碑には「日本中央」と刻まれていた。
これを後世の人たちが「ひのもとちゅうおう」では無く「にっぽんちゅうおう」と読んだため、さらに混乱が生じた。
「壺の碑」は東北を表す歌枕として多くの歌に詠まれているが、これは私が何度か記事にしている多賀城碑で「ひのもとちゅうおう」の「壺の碑」と別なのです。
多賀城 多賀城の記事はこちらに纏めています。
綿麻呂が見つけた「壺の碑」は、あくまで蝦夷による「ひのもと」中央碑ある。
東北はかつて「ひのもと」と呼ばれていた。
そのルーツは亀嵩である。
「ひのもと」とはおそらく八岐大蛇がいた斐伊川の「もと」という意味だ。つまり斐伊川の「もと」という意味だ。
つまり斐伊川の源流の辺りが「ひのもと」だった。
出雲から東北へ追いやられた者達が、我々は「ひのもと」の民だということを忘れないため「日本」の名称を使ったのだろう。
「日本」・・・・
「蝦夷はもともと出雲に暮らしていた。出雲の斐伊川流域が蝦夷の本拠。斐伊を本(もと)とするゆえ斐本の民(ひのもと)と名乗った。
それがいつしか日本と変えられて今に至っておる。宮古や玉山金山の辺りを下閉伊と呼ぶのもその名残」
なるほど、と阿弖流為たちは傾いた。
「大昔の話ゆえ俺もよくは知らぬ。祖父や親父は俺が物部を継ぐからにはと、たびたび聞かせてくれたが、そんなのんびりとした世ではなくなっていた。 昔のことがわかったとて朝廷に勝てるわけではない。それでもそなたより多少知っている。
天鈴は蝦夷と物部の繋がりを話した。 天鈴=この物語では物部一族の大棟梁
「出雲を纏めた大国主命が蝦夷の祖先に当たることは俺の親父から聞いておろう」
阿弖流為は首を縦に動かした。
「その大国主命の子に長髄彦という者がいて大和を纏めていた。一方、我ら物部の先祖はニギハヤヒの神に従って海を渡り、この国にやってきた。ニギハヤヒの神は今の天皇の遠祖と言われるスサノオの命の子であったらしい。本来なら大国主命と敵対関係にある。なのにニギハヤヒの神は長髄彦の妹を妻に娶って大国主命の親族となった」
「なぜにござる」
「強引に国を奪うをよしとさなんだのであろう。どこに今の天皇の祖先たちが乗り込んできた。大国主命を幽閉し、力で国を奪わんとしたが、長髄彦は激しく抗った。結局、長髄彦は敗れてツガルへと逃れた。ニギハヤヒの神は同族であったがためになんとか処刑を免れ、我ら物部も朝廷に従うことになった。しかし、一度は敵対した物部への疑念はいつまでも晴れぬ。冷遇が目立つようになり、ついには都を追われた。ツガルを頼るしかはくなったとき、そなたらの祖先らは我ら物語を喜んで受け入れてくれた。以来、物部と蝦夷はしっかりと手を結んでいる」
「この国のすべてが、もともとは我らすべてのものであったと?」
「そうだ力で奪ったくせして朝廷は出雲の民から継承したものだと言っておる。蝦夷を執拗に憎むのは、己の罪を認めたくない心の表れであろう。獣に近い者ゆえに追いやって当たり前と己に言い聞かせておるのだ」
(「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)
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