三位一体(トリニティー)

https://ilchibrainyoga-hirakata.com/blog/%E5%A4%A9%E7%AC%A6%E7%B5%8C/%E5%A4%A9%E7%AC%A6%E7%B5%8C/ 【天符経(チョンブギョン)】より

九千年の昔から伝えられたチョンブギョン(天符経)として知られるテキストには、知識と理論の智恵が含まれています。わずか81文字の漢字で、天符経はこの現代においても宇宙とそのなかに存在する人間の役割と発展について示しています。

天符経によると、すべての始まりが【一】から発しました。言い換えると、最初は目に見えずカタチもない非物質だけが存在していたということです。その【一】は、万物の起源であるにもかかわらず、その始まりを持っていません。これは、思考停止するようなことかもしれません。たとえ最初はまるで理解できないことであるにしても、もし瞑想に時間をかけていくならば、天符経が理解できる部分が出てくるにしたがって、本当によく描写されていることが感じられるでしょう。

ある時点で、一つが三つの側面に分かれました。天符経のいう、天・地・人、です。この三つはそれぞれ、精神・物質・創造エネルギーを表します。天が原始となって、大地・地球の土台となりました。天と地が合わさり、人間の本質を導きました。また別の意味において、この三位一体(トリニティー)は、現代の私たちが理解している三次元を表しています。

そして、この大初の分割が、再び起きました。

天は、天の天、天の地、天の人、というように三つに分かれました。同じく地は、地の天、地の地、地の人になり、人は、人の天、人の地、人の人、となりました。

このように、その三つに含まれるすべてに、三つの側面があります。それは私たちの一部でもあり、地上の生命体もまた、呼吸中の酸素を通して天を、口に入れる食物を通して地を、取り込んでいるのです。また、それだけではなく、私たちから排出されるものはつまり、元の天地への解放でもあります。もし、私たちがそうやって自分の命のなかで天と地を循環させているだけなら、人間という生命体はただ単に命の維持だけしかできないでしょう。

この最初の分離のあと、天と地と人は無数に個別化されていき、その個別化されたそれぞれが集合し、また組織化され、実体を持ったり高度な存在となったりしていきました。亜原子が原子になり、その原子が複数集まって分子として組み合わさり、細胞をカタチ作り、そしてより複雑な多細胞生物になります。

創造された一つ一つの実体には、天・地・人の性質が残されています。分離したり集合したりしながら、成長し進化していくことは、【一】ワンネスへの復帰という、完成の最終的な段階になります。そしてこのプロセスは、何度も起こるのです。最も小さな物質の一片から最も大きな天体まで、相互作用を通して機能するシステム同様、あらゆるものに見られる誕生と死滅のプロセスが繰り返し起こるのです。

根源のワンネス、全てを包括するなかにあって、区別や分離は存在しません。

そこから個別化し、それぞれはっきりとした特徴を呈してくると、二元性が見られます。陰と陽、昼と夜、陸と海、熱さと冷たさなどです。そしてその端から端まで連なる連続があります。それぞれの実体の特性は常に変化していきますが、それでも各実体の本質は変わりようもない唯一つのものです。

今在るすべての存在は変化し、最終的に私たちの肉体も、物質も、私たちの内にあるエネルギーや精神も終わるにも関わらず、その中心には創造の無限の可能性であること。天符経は、私たち自身の生命を思い出させてくれます。

自分自身の三つの面を繋げていくことで、個の意識と天の意識を、【一つ】にすることができます。そうなったときのとても広い視野からは、どこから離れ、どこに向かうのかという選択も見えることでしょう。この繋がりで個々の命を完成できると、身体的な死は意味がなくなっていきます。

完成していく道は、天符経そのものを通していくなかにあります。天符経は、数字ばかりの漢字81文字、というだけでなく、それ以上に【一つ】の純粋なエネルギーを伝えています。観察し、写経し、唱えてみて、また唱えられているのを聞いてみます。エネルギーが伝わってくるでしょう。

そのエネルギーを受けて自分が開いていくままに任せます。そして、自分の決心や行動と共に、その感覚や気付きを受け入れていきましょう。そうしながら、古代から伝わるテキストが現代の生活のなかに生きる力となります。


Facebookごとう 孝二さん投稿記事「弱みを見せた瞬間から人は輝く」

挫折、そんなとき、ぼくは初めて人に弱みを見せた。どうしようもない姿を見せた。

絶対に人には見せたくない姿を見せた。自分じゃもうどうしようもなかったんだ。

悔しいけど、もうホントにダメだった。でね、そんな自分を見せることがめちゃめちゃ怖かった。相手からどんな反応が来るのかもわからないし、もしかしたら「弱いなぁお前」って言われちゃうかもしれない。人に弱みを見せたことがないから、分からないから怖かったんだ。

でもそこで割り切って全部さらけ出した。僕は弱い人間です。もう自分一人じゃどうにもならないので助けてください。って。それくらい追い込まれていたんだ。

そのとき、変わりたいという気持ちを初めて行動に移した。弱みを全部さらけ出してみてわかったことがある。すごく普通のことなんだけど「人は優しい」ってこと。

僕が弱みを見せたとき、みんなが助けてくれた。親身になって話を聞いてくれて、変わろうとしている僕を受け入れてくれた。罵る人なんてひとりもいなかった。朝になるまで泣いた。

今までずっと一人で戦っていた。辛い日々も苦しい夜も耐えて耐えて弱音も吐けずに自分の成長のためだと踏ん張っていた。ネガティヴな自分を出したら嫌われると思っていたし、楽しくて幸せそうで明るい僕をみんなは好きなんだと思っていた。そんなことはなかった。

僕は全然一人なんかじゃなかった。「嫌われる」とおもっていたのは僕だけで、友人はみんな弱い僕を受け入れてくれた。むしろ弱みを話してほしいと言われた。

オレらを信頼してないのかよ、失礼だな〜って笑いながら。勘違いしていたのは僕のほうだったんだ。なんで今まで一人で頑張ってたんだろう。その日から僕は自分の弱みをさらけ出していくことに決めた。人にとことん頼ることに決めた。助けを求めることにした。

弱みを見せたら嫌われると思い込んでいたのは、弱みを見せたことがなかったからなんだ。

知らないから怖かっただけ。見せたらね、そこには幸せがあった。生きるのがラクになった。

弱さをさらけ出せた人は強いなあと思う。

もちろんプライドをガチガチに保って弱みを見せずに自分に厳しくやっている人もすごいなあと思うけど、そこには肩肘張ったような、偽りの自分で頑張っているような違和感がある。

弱みを見せた人の魅力がなにかって、自然体なところだ。

ぼくの経験上、弱みをさらけ出せる人は柔らかな雰囲気をもった自然体な人が多い。

考えてみれば当然だ。自分の一番弱い部分をさらけ出しているのだ。

もうなにも守るプライドなんてない。人の目を気にする仮面なんてつけている必要もない。

そんな柔らかな人は、人を頼って、人に頼られ、人を助け、人に助けられ、そうやって生きているようにおもう。

今の僕がそうだ。周りの人がいて、僕が成り立っている。プライドなんてものは2年前に捨てた。これって、本当の強さだとおもうんだ。自分の弱さから目を背けずに、自分の弱さを知ることでたくさんのことが見えてくる。

光があるから影があるように、モノゴトは表裏一体で、自分の弱さを理解しているからこそ本当の意味での強さがわかる。

【受け入れるだけ】

つまり結局なにが言いたいのかというと、変わる必要はなくって、受け入れるだけなんだ。

弱い自分も、情けない自分も、プライドの高い自分も全部ひっくるめて、受け入れてあげる。認めてあげる。その受け入れられるようになる過程で弱さをさらけ出すという作業がある。

人に弱みをさらけ出した時点で、自分の弱さを受け入れられるようになる。

だってもうさらけ出しちゃったから。自分で発信しちゃったから。受け入れるほかないのだ。

そして自分を知って、人の優しさを知ったとき本当の意味での強さというものが分かってきて

なんとなく人に優しくなれる。頼り、頼られ、助け、助けられ、そうゆう人間臭い生き方ができるようになってくる。

だんだんと人が好きになってくる。人が好きな自分も好きになってくる。人と生きることの幸せを知る。そんなあなたの姿を周りから見たときに「あの子、変わったね」ってなる。

これは本人の根幹の部分が変わったわけではなくて、自分を受け入れるということをできた証なのだ。

弱みをさらけ出すことによっていま変わろうとしている人、もがいて苦しんで悩んでいる人、

強がってがんばってパンクしそうな人、そんな人たちが救われたりする。ああ、弱みを見せてもいいんだ。って。自分だけじゃないんだ。って。僕にもそんな経験があった。

抵抗なく人に弱みを見せる友人に救われたんだ。人はみんな弱い。弱いくせに変わりたいと思っている。ほんとうは変わるための勇気なんて誰も持ち合わせちゃいないんだ。

だからね、受け入れて、助け合って、支え合って、笑い飛ばして、愛に生きる。

弱いのはあなただけじゃあないんだ。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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