賢治の祈り

https://www.brh.co.jp/publication/journal/070/interaction/ 【第2弾 「いのち」をめぐって ー宮沢賢治を手がかりに】より

美しい絵本を出版していらした末盛千枝子さんと中村館長が表記のテーマで対談しました。末盛さんとは、季刊生命誌59号で弟さんの舟越桂さんと共に「美しさを根っこに横へのつながりを」という話し合いをお願いして以来交流が続いています。昨年末盛さんは、賢治の故郷でありご自身が子供時代を過ごされた岩手に居を定められました。そしてこの3月11日の震災です。人間は生きものであることを基本に置く生き方を考えてきた生命誌は、改めて自然の中で生きることの大切さを思います。そこで自然の物語について語り合いました。賢治は、自然の中に入り、動物や植物はもちろん、石の声も聞いて物語を書きました。そして、「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」と言っています。「ほんたうの賢さ」が必要であり、そこから「ほんたうの幸せ」が得られるとも。被災地の子どもに絵本を届ける末盛さんの活動は「ほんたうの幸せ」につながるものです。


https://ihatov.cc/blog/archives/2023/04/nhk_5.htm 【NHKこころの時代「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる」】より

2023年4月23日 | 内容分類: 賢治情報∮

 今朝からNHK教育の「こころの時代~宗教・人生」という枠で、「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる」という全6回のシリーズが始まりました。

 講師は、日蓮宗の僧侶で仏教学者の北川前肇さんという方です。

 1回目の今日は、「「法華経」との出会い」と題して、賢治を育んだ仏教的な素地や、彼が18歳で『漢和対照 妙法蓮華経』を読んだ時の様子が描かれ、「銀河鉄道の夜」に賢治が込めたのではないかと思われる法華経的なメッセージについても、北川さんがお考えを述べられました。

 映像による岩手の風土の紹介や、作品の朗読も随所に挟まれ、北川さんが穏やかに、時に熱く、賢治について語られる姿も印象的でした。

 番組の内容の一部は、YouTubeでも紹介されています。

 YouTube動画でも番組でも、BGMとしてブラームスの交響曲第3番の3楽章が使われています。賢治はこの曲のSPレコードを持っていて、弟の清六とよく一緒に聴いていたという話が、佐藤泰平さんの『宮沢賢治の音楽』(筑摩書房)p.263に出てきますが、それにちなんだものでしょうか。

 今朝の第1回の再放送は4月29日(土)の午後1時~2時にあり、2回目以降の放送予定は、次のようになっています。

第2回 「春」と「修羅」のはざまで

放送:5月28日(日) 再放送:6月3日(土)

第3回 「ほんたうのたべもの」としての童話

放送:6月25日(日) 再放送:7月1日(土)

第4回 あまねく「いのち」を見つめて

放送:7月23日(日) 再放送:7月29日(土)

第5回 理想郷「イーハトーブ」の創造

放送:8月27日(日) 再放送:9月2日(土)

第6回 「デクノボー」として生きる

放送:9月24日(日) 再放送:9月30日(土)

 また番組の内容は、下記のテキストとして刊行されています。

NHKこころの時代~宗教・人生~ 宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (NHKシリーズ) ムック NHKこころの時代~宗教・人生~ 宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (NHKシリーズ) ムック

北川 前肇 (著)


https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/MP6J4VY8RL/ 【宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (4)あまねく「いのち」を見つめて】より

初回放送日: 2023年7月23日

今年没後90年を迎える宮沢賢治。名作を生む原動力となった知られざる宗教観に迫るシリーズ。第4回は最愛の妹トシとの死別がもたらした賢治の死生観を連作詩から探る。

24歳で逝去した妹トシは賢治にとって「信仰をともにする唯一の道連れ」と呼ぶほどの存在だった。その死の日に作った詩「永訣の朝」「松の針」からうかがえる賢治の慟哭。そして、8か月後に書かれた「青森挽歌」「オホーツク挽歌」の詩から読み取れる賢治の「死」のとらえ方。そこに見える「法華経」「歎異抄」などの影響をあげながら、仏教の視点から読み解く賢治の晩年の死生観とトシの生き方に見られる菩薩道について考える。


https://www.chugainippoh.co.jp/article/kanren/books/20230512-001.html 【宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる…北川前肇著】より

宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる

9月まで毎月1回、半年かけて放映されている「NHKこころの時代」のテキスト。著者の北川前肇氏は立正大名誉教授で、日蓮宗妙揚寺(東京都世田谷区)住職。今年、没後90年を迎える宮沢賢治(1896~1933)の童話や詩を通じ、菩薩道に邁進した賢治の法華経信仰について詳しく紹介する。

宮沢家は真宗大谷派安浄寺の門徒で、質店を営む父・政次郎は、地元・花巻で仏教の夏期講習会を毎年企画し、暁烏敏を講師に呼ぶなど熱心に活動した。賢治も幼少から阿弥陀信仰に親しんだが、18歳の時に島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』の如来寿量品に感激して「太陽昇る」とノートに記して以降は、法華経信仰を貫いた。父と確執を深めたが、賢治は田中智学の国柱会に入信。「法華文学」執筆を勧められ、童話を書き始める。

「銀河鉄道の夜」で主人公ジョバンニが持つ「十ばかりの字」が書かれた切符には、サンスクリット語で妙法蓮華経と書かれていたとする説を紹介。また、賢治は安定した花巻農学校の教員生活には満足せず、職を辞して羅須地人協会を設立。農作業に疲労困憊しながら「本統の百姓」になろうとしたと指摘した上で、地元農民の相談に乗り肥料設計を行うなど、自分よりも周りの幸せを願う「菩薩行」の生活を続けたとしている。


https://michimasa1937.hatenablog.jp/entry/2019/02/20/110235 【賢治の祈り】より

宮澤賢治

 宮沢賢治は、動植物をはじめ、無生物も含めたものたちからなるコミュニティ、社会を考えていた。『なめとこ山の熊』は、動物たちや、人間たちを、同列の参加者とした一種の民主主義、社会の在り方を考えている。辻信一はそう主張していた。

 家にある賢治の本をいろいろ調べると、本の間から毎日新聞の切り抜きが出てきた。少し黄色く変色しているが、見覚えのある切り抜き。そこにボールペンで、1994年と書いてあるから、25年前の切り抜きで、中国の王敏さんの「私見/直言」という記事だった。見出しに「ともに生きる、宮沢賢治の現代性」とある。王敏さんは当時、中国南陽大学客員教授で、日本ペンクラブ会員だった。その記事をここに全文書いておこう。

   ☆      ☆      ☆

 私は、文化大革命後の1979年、中国で初めての日本文学専攻の大学院生募集に応募し、幸運なことに第一期生(十人)の一人になりました。

 院生としての勉強は、毛沢東語録から始まり、小林多喜二のわずかな作品で終わった大学時代とは違い、本格的な日本文学に触れることができました。森鴎外や夏目漱石をむさぼるように読みました。

 ある日、日本から派遣された歌人の石川一成先生(故人)のガリ版刷りの教材に、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」がありました。

 読み終わったとき、今まで味わったことのない感動に包まれました。

 この短い詩の中に、普遍的な人生の知恵が含まれている、と感じたのです。

 この詩に描かれている「東西南北」は、作者の住んでいた岩手県や花巻に限られたものではなく、それも人間社会だけでなく、あらゆる生き物が生きている空間を指していると思います。

 その広い宇宙観は、私が幼いころから抱いていた「小さな島国・日本」のイメージを完全に一掃しました。

 賢治の作品、特に童話の背景に流れるものは、「ともに生きる」という思想、と思います。孔子の「君子」や孟子の「王者」になるための人生道とは違い、万人共通の生き方を教えてくれる人生哲学的な示唆です。

 「ともに生きる」は、賢治が生きた明治、大正、昭和初期の日本で社会的な潮流になっていた、単純な自己犠牲や一方的な献身的奉仕を評価する考えを超えています。当時の価値観から一歩進んで、現代にも通用する「生きるための基準」を示していると考えます。

 「雨ニモ負ケズ」に共鳴して以来、私は宮沢賢治の研究に取り組んでいます。童話集「注文の多い料理店」を中国語に翻訳して出版しましたが、これが中国で紹介された最初の賢治作品になりました。

 また、この十五年ほど、日本の社会を研究室として、比較文化、比較文学の研究を続けています。いくつかの日本の大学で、講義もしていますが、いつも学生たちに語りかけているのは、宮沢賢治の作品を読んでほしい、賢治が描く「ともに生きる」思想を、人間本来の姿を見つめ、生きる知恵として、日本人の誇りとして、現実の社会で培ってほしい、ということです。

        ☆      ☆      ☆

 詩人の宗左近は、1995年、「宮沢賢治の謎」という著作で、こんなことを書いた。

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ひでり、寒さの夏。こういうものを世界中の農民は、そしてまた農民と共にその地域の住民たちは、大昔から何千年となく体験してきました。けれども、ひでりのときに秋のことを思い、寒い夏に秋の実りのことを思う、そして涙を流したりおろおろ歩いたりする、そういうどうしようもない切なさを書いた詩人が一人でもいたかというと、いないのです。世界の歴史の大昔から今に至る、そして地球の南から北に、東から西に至るすべての存在が、存在の芯にもっている呻きを書いた作品。そういうものは他になかったのではないか。 ……

 これは人間を超えたもっと高いものへの、いわば祈りの言葉以外のものではない。絶望の底からの切ない願望と祈り、そういうものこそがほんとうの詩ではないでしょうか。


https://gladxx.jp/review/tv/5677.html 【ETV特集「宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」】より

「銀河鉄道の夜」などで有名な宮沢賢治は、実は生涯をかけて愛した一人の男性がいたということを、史実の丁寧な検証によって明らかにし、美しい映像とともに叙情的に綴った映像詩です。 

ETV特集「宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」

2月9日、Eテレで「宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」という番組が放送されました。「銀河鉄道の夜」などで有名な童話作家・宮沢賢治は独身を貫いて亡くなりましたが、実は生涯をかけて愛した一人の男性がいました。大学時代の後輩、保阪嘉内です。賢治と嘉内がいかにして出会い、交流を深めていき、お互いをどう思っていたか、ということを、残された手紙など資料の丁寧な検証によって明らかにし、美しい映像とともに叙情的に綴った「映像詩」です。二人の想いは、まぎれもなく愛なのですが、二人は別々の人生を歩み、結ばれることはなく…こんな純粋で切ない恋ってある?と滂沱の涙を流す羽目に…。控えめに言って素晴らしい作品でした。(後藤純一)

「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」といった宮沢賢治の作品を読んだことがない、全く知らない、聞いたこともないという方は少ないと思います。国語の教科書で「よだかの星」や「なめとこ山の熊」を読んだ方もいらっしゃることでしょう。「よだかの星」は、見た目の醜さゆえに周囲の差別を受け、生きているのがいやになって空高く飛んで行き、星になった夜鷹の物語でした。「なめとこ山の熊」は、熊撃ちの名人だった小十郎が、生きていくためとはいえ熊を殺すことがほとほと嫌になり…という物語でした(鮮烈なラストシーンに胸を打たれます)。仏教的な自己犠牲の精神が、多くの作品に反映されていると言われています。「雨ニモ負ケズ」の詩などもある種の日本人の生き方の理想のように語られています。

 そんな、日本を代表する童話作家である賢治は、生涯結婚せず、独身を貫いていますが(見合い話がたくさん来たのを全部断ったそうです)、それは仏教的な思想ゆえのことではなく、実は生涯をかけて愛した一人の男性がいたからでした。以前から言われていた話ではありますが、二人の手紙のやり取りなど、様々な資料を繙き、丁寧に二人の恋愛関係を史実として検証し、美しい岩手の映像や、印象的なナレーション、そして、若い二人の役者さんによるドラマのような映像も交えて、叙情的な、胸に迫る映像詩としてまとめたのが、この「宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」です。

後ろ左が保阪嘉内。後ろ右が賢治

 賢治は盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)で、1学年下の後輩である保阪嘉内(かない)と出会います。百姓こそが人生だと考え、山梨から盛岡にやって来た嘉内と、賢治は意気投合し、二人で人生や社会の理想を語り合い、また、嘉内が書いた戯曲で一緒に演劇をやったり、「アザリア」という同人誌を作ったり…理想的な相手とめぐりあい、毎日が本当に充実していました。二人はお互いに、相手のことをかけがえのない存在と感じ、純粋でひたむきな、友情のような恋のような気持ちを抱いていました。

 まるで高校時代の自分を見ているようでした。好きだったクラスメート(同じ吹奏楽部でした)と遅くまで、人生やなんかを語りあったりして、お互いに大切な友人だと思っていて、卒業後も長い手紙のやり取りをしたり…結局、告白することもなく、それっきりになりましたが、彼のことを突然思い出して、胸が締めつけられるような気持ちになりました。

 賢治と嘉内は、それぞれ別の道を進むことになりますが、賢治の嘉内への恋の気持ちは抑えきれず、それを「邪(よこしま)」だと自分を諌める気持ちとの葛藤が激しくなり、それがいかに賢治の詩や童話の原動力となっていたかということを描写するくだりも、身につまされるものがありました。「春と修羅」の修羅とは、そういうことだったのか…。「銀河鉄道の夜」のカンパネルラが、サザンクロス駅でみんなと降りるのではなく、野原の二本の電信柱のところで消えたのは、そういう意味だったのか…。

 賢治が一度たりとも嘉内に思いを伝えることなく、一度たりとも結ばれることなく、純情を貫いて、37歳の若さで亡くなっていったとしたら、亡くなる前に書いた「雨ニモ負ケズ」は、なんと切なく、苦しい詩だったのでしょうか。小学生の時から学校で暗誦させられていた「雨ニモ負ケズ」が、まさかそんな意味だったなんて…(先生はそんなこと、ちっとも教えてくれなかったじゃないか)

 嘉内が亡くなった時のエピソードは、嘉内が賢治のことをどれだけ深く愛していたかということを物語っていて、ハラハラと涙がこぼれました。世が世なら、二人は結ばれて、幸せに暮らすことができたかもしれないのに…。

 東北の、岩手の、澄み渡った冬の夜空にさんざめく星空が、痛いくらいに美しく、胸に突き刺さってきました。

 

 たぶん、昔だったら、このような趣旨の番組は、同性愛だなんて言って冒涜する気か!という遺族からのクレームによって頓挫させられることが多かったと思います。でも今、ようやく、真実を描くことが許されるようになりました。時代が追いついたのです。

 昨年9月、盛岡で初めて、パレードが開催されました。もしかしたら天国の賢治も祝福してくれていたかもしれないな…と思ったり。

 

「宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」は、ドキュメンタリーでもドラマでもないため、DVDになることもなく、今後どこかで観られる機会があるかというと、おそらくほとんどないと思います…。ぜひ今のうちにオンデマンドで視聴してみてください。23日までです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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