http://literaselect.seesaa.net/article/51231913.html 【おそるべき君等の乳房夏来る(西東三鬼)】より
先ず俳句の雑学小事典の「人名辞典サ行」から年譜の一部を引く。
【引用開始】
大正14年に日本歯科医専を卒業。11月、上原重子と結婚。日本郵船シンガポール支店に勤務中の長兄武夫に従って、妻を伴いシンガポールで歯科を開業。
しかし昭和3年、その頃田中義一内閣の大陸政策強行などにより、日貨排せつが起こる。また三鬼がチフスにかかった為、医院を廃業し失意の中で帰国する。
昭和4年29歳の折、長男太郎出生。
昭和7年、埼玉県の朝霧総合診療所歯科部長就任。しかし、3ヵ月後に診療所が解散する。
昭和8年33歳の折、東京神田共立病院歯科部長に就任。
その時朝霧総合診療所の泌尿器科の同僚だった医師と患者達に誘われ、患者の俳句会に参加したのが三鬼が俳句を始める契機となる。
昭和9年に同人誌「走馬灯」に参加。清水昇子、三谷昭、幡谷梢閑居らとともに新興俳句勃興の機運に乗り「京大俳句」に参加。新興俳句の横の連絡機関として「新俳話会」を創立。
昭和10年には、日野草城の「旗艦」に参加。居を大森区入新井4丁目に移す。
昭和13年38歳の折、歯科医を廃業し、合資会社「紀屋」に入社、貿易会社の社員となる。
昭和14年4月、三橋敏雄が部下として「紀屋」に入社。
15年には同士とともに新興俳句の牙城とも言うべき俳誌「天香」を石橋辰之助、東京三らとともに創刊。しかし、俳句弾圧事件により、主要同人が検挙され、「天香」は3号をもって終刊。8月に三鬼も京都松原署に留置されるが、11月、起訴猶予となる。
昭和17年12月、妻子を残して東京を出奔、神戸に移り住み、再び妻子の元へは帰らなかった。
昭和18年、堀田きく枝との間に、二男直樹が誕生。住居を神戸市生田区山本通4丁目の古い洋館に移す。この洋館は後に三鬼館と呼ばれる。
昭和21年、平畑静塔、橋本多佳子らと奈良日吉館での「奈良句会」を始める。
昭和22年、神田秀夫、石田波郷らとともに「現代俳句協会」を設立。23年には山口誓子を主宰に仰ぎ、俳誌「天狼」創刊に力を尽くす。また自ら俳誌「激浪」を創刊。また平畑静塔の斡旋により、大阪女子医大付属香里病院歯科部長に就任。
昭和27年には「激浪」を廃刊し、新しく「断崖」を主宰する。
31年には、香里病院を退職し、角川書店の「俳句」の編集長となるが翌年辞任。角川書店に入社する為、神奈川県三浦郡葉山町に転居。
36年横浜医大にて胃癌の切除手術を受け、その静養中に「俳人協会」設立に参加。
37年、病が再発し、4月1日61歳で死去。
【引用終了】
私が興味を持ったのは所謂京大俳句事件に連座した後、昭和17年12月に妻子を捨てて神戸に移り住んだ辺りのことだ。翌年、堀田きく枝との間に、二男直樹が誕生とあるから出奔の時には関係が出来ていたのだろう(詳細未確認)。そして神戸市生田区山本通4丁目の古い洋館、三鬼館へと居を移す。疑問は三鬼館に移る迄何処にいたのかだ。
産経新聞イザ! 8/10付け【野菊】神戸にあった奇妙なホテルは、1950年迄存在した有名な高級ホテル「トアホテル」へ行く途中に戦前「芝居の建物のように朱色に塗られた」何とも奇妙なホテルがあった、と書き出してこう述べる。
< 俳人の西東三鬼(さいとう・さんき)(1900~1962年)がこのホテルへ移り住んだのは、1942年の冬のこと。新興俳句運動に傾倒するも、特別高等警察に治安維持法違反で検挙されるなどの弾圧を受け、「東京の何もかもから脱走」し、「閑散な商人」へと身をやつして、この人種の坩堝(るつぼ)のような“国際ホテル”の住人になったのだ。
<三鬼が書いた自伝的小説「神戸」には、各国から流れてきた旅行者(亡命者?)、外国船員ら、このホテルに出入りするひと癖もふた癖もありそうな人々が登場する。戦時下の暗い世相の中、三鬼自身も特高にマークされているにもかかわらず、人々の生き方に暗さがない。したたかに生き抜いてゆく姿は、時に吹き出すほどにおかしく、時にほろりとさせられる。まるで映画をみるような文章だ。
やがて、ホテルは神戸大空襲によって灰燼(かいじん)に帰する。その後、三鬼は山側の山本通にある洋館へと居を移し、ホテルから流れてきた女たちとの怪しい共同生活を始め、時に俳句の同人らも訪ねてくる。(引用終)
どうやら、いかがわしいホテルに特高の眼を気にしながら雌伏していたらしい。小説を未読なので恐縮だが、この潜伏生活には色々ドラマがあったらしい。かの有名な「本郷菊富士ホテル」程ではなかろうが、覗き見したい欲望をかき立てる。
物語の舞台となった建物は文士らの住んだ場所だけに限らない。我々の通った事務所でさえ毎日色々な事件が起こり、ドラマが起きている。だがよ程のことがない限り、小説的面白さはない、いやあるようなことは世間に対して隠蔽され、公言されることも少ない。だがそれは静かに建物の雰囲気を色付けし、人々の記憶を塗り込んで行く。建物は時間経過で単に古びるだけではない。ひと肌で鞣すような歴史が上塗りされて行くのだ。
三鬼の雌伏した謎のホテル、一体どんな様子だったろうか。『神戸』なる小説を日本に注文しなければならない。
因みに三鬼とは「さんきゅー」の文字りだと言う。
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