『精紳医学と俳句』

http://www.arsvi.com/b2000/0811ib.htm 【『精紳医学と俳句』】より

■内容

 報徳会宇都宮病院の精神科医療の変遷を通じて、病院の創設期に迎えた初代病院長平畑富次郎(静塔)と石川文之進の40年間に渡る交誼が、およそ350句の静塔俳句の世界を縁として描かれている。静塔を師と仰ぎ父と慕った石川文之進が解明していく平畑静塔の実像は、科学者として文学者として多種多用な人間味がにじみ出て、静塔実存俳句の真髄が読み取れる。

(「BOOK」データベースより)

昭和の大俳人平畑静塔の実像と後姿。「静塔の医道と俳句は写真の陽画と陰画の関係にあった」40年間静塔に師事した著者が畏敬を持って静塔を語り明かす。

■目次

I 鳥銜へ去りぬ(思い出の名句)          II 山高の案山子(苦悩)

III 黙し征く(戦争・戦後)            IV 天辺に紅葉(故郷)

V 平畑靜塔と斎藤茂吉             VI まだ他国者(下野・関東)

VII 八朔や(奥州・漁歌)             VIII 夜はしらたま

IX 壺国

■言及

◆立岩 真也 2011/05/01 「社会派の行き先・7――連載 66」,『現代思想』39-7(2011-5):8-20 資料

◆宇都宮病院事件・廣瀬裁判資料集編集委員会 編 20081031 『都宮病院事件・廣瀬裁判資料集』,発行:宇都宮病院事件・廣瀬裁判資料集編集委員会,197p. 1000 連絡先:東京都東久留米市東本町14-7 滝ビル1F グッドライフ気付 荻久保 ※ m.

 「まず石川文之進という人(一九二五~)――著書に『アルコール症――病院精神医学の40年』(石川[2003])と―『精紳医学と俳句』(石川[2008])がある――および東京大学の関係死者たちはこの報告書では次のように記される。

 「石川文之進は内科医から精神科医に「転身」していく際に、東京大学精神医学教室の秋元波留夫教授(当時)に近づき、同教室の武中信義医師から精神科医としての指導を受けた。宇都宮病院と東大との関係はこのときに始まる。

 宇都宮病院と東大との関係はキブ・アンド・テイクと言える。宇都宮病院側からすると、東大の医師の名を借りることによって病院の権威付けをすることができる。東大の医師の側からすると、短期間のディスカッション(通常の病院では複数の医師らが患者の診断や治療について一定の方針を出すもの。宇都宮病院ではこれと異なり、ビールを飲みながら不真面目に患者さんの人格への誹謗を繰り返すだけのもの)に関わるだけで多額の謝礼を受け取れる。入院患者を「研究材料」として提供されたり、宇都宮病院を実験の場として事実上の人体実験を行った者もあった。宇都宮病院では無届けの解剖が多数行われており、それによって得られた脳を送られていた者もいる。

 宇都宮病院に関係した東大の医師は多数にのほるが、反省の弁を述べている者はごくわずかである。その中には大学の教授になっている者も多い。今なお宇都宮病院と共同で研究している人もいる。上記の武村は事件発覚時は東大脳研究所の助教授であったが、東大の中で追及の声があがったため、宇都宮病院に逃げ込み、長く常勤医として宇都宮病院に勤めた。」(編集委員会編[2008:7])」

*作成:山口 真紀

http://www.arsvi.com/b2000/0810uh.htm  【『宇都宮病院事件・廣瀬裁判資料集』】

http://www.arsvi.com/d/m01h1984.htm 【宇都宮病院事件】より

■概要

宇都宮病院事件とは、宇都宮病院の看護職員が入院患者2名をリンチして、死亡させた事件のことである(『朝日新聞』1984.3.14朝刊)。

宇都宮病院に入院していた安井健彦が病院の実態を告発し、明るみになった。その後、元入院者複数名が宇都宮病院を相手取った裁判を提訴し勝訴したが、宇都宮病院自体は現在も廃院になっていない。

宇都宮病院を告発し解体する会

宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議

■人

◆石川 文之進(1925~)

◆秋元 波留夫(1906~2007)

◆武村 信義(1928~)

言及

◆19840313 宇都宮市報徳会宇都宮病院 看護職員のリンチで患者2名死亡が判明*

◆19840817 国連人権小委員会で、民間の国際人権擁護団体「障害者インターナショナル(DPI)」が日本の精神病院の人権抑圧問題に言及。※(抜粋)「日本の現状はもっとも嘆かわしい多くの病院での患者の扱いは動物以下」と述べた。発言はまず、日本についての情報はさまざまな筋から以前から取っていたとのべ、これらをもとに「日本の精神病院の現状は、患者の持っているもともとの障害を虐待によってさらに悪化させ、”入院障害”ともいえる状況をつくっている。これは、治療をいっそう困難にし、ときに社会復帰を不可能にする」と述べ、「身障者に関する国連世界行動計画」に照らして、精神障害者の「独立の生活と自由の権利」の確立を訴えた。(朝日新聞1984年8月18日夕刊1総)

◆19840913 厚生省が精神病院の患者処遇へ指針作りを始める

※報徳会宇都宮病院事件などの不祥事を受けて、精神病院の入院患者の人権保護策の強化を求められていた厚生省が、「作業療法」「通信・面会」「閉鎖病棟・保護室」の3つの分科会に別れ検討したうえでたたき台をまとめ審議会に諮問。答申を受けて都道府県に通知する。

◆岡田 靖雄 1984/05/10 「宇都宮病院と東京大学精神医学教室」,『ツブヤキ』第14号

 「[…]

 宇都宮病院の石川院長が東京大学の見学生となったのは秋元教授のとき。そのあと秋元教授は講義をさぼって、宇都宮へゴルフにいったりしていた。この人の名はあまりだされないが、宇都宮病院と東京大学の結び付きをつくったのはおそらくこの人だったろう。

 碧水荘問題がすこしずつあらわになってきたころ(宇都宮病院は指定病院をとりけされなかったが、碧水荘はとりけされた)、その院長がやっている診療所で仕事をしていたのが、そのころ東京大学の非常勤講師として精神分析のゼミナールをしていた土居。[…]」

◆19840522 日本精神神経学会評議委員会 「宇都宮病院事件問題についての見解――精神障害者の人権擁護のために」

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon]/[kinokuniya] ※ m.

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙

 第2章 造反:挿話と補遺

  5 「赤レンガ病棟」・広瀬裁判報告集・宇都宮病院事件

 「「赤レンガ」は(たいしたことない)普通の精神病院だったと言われる。薬だってずいぶん使っていたではないかと言われる。たぶんそうだったのだろうと思う。もっときれいな建物であったらよかったと思うが、それはその状況下ではありえないことでもあったのだろう。ただ、ここに関係した人たちが、幸福な結末を迎えたりしなかったできごとに関わったことは様々にあった。悪名高い「宇都宮病院事件」――といってもどれだけの人たちがどれだけのことを覚えているのか――について書かれたものが幾つかあるが☆16、そのなかでも知られることが少ないだろう『宇都宮病院事件・広瀬裁判資料集』(宇都宮病院事件・広瀬裁判資料集編集委員会[2008])という冊子が出されている。

 まず石川文之進という人、および東京大学の関係者たちはこの報告書では次のように記される。

 「石川文之進は内科医から精神科医に「転身」していく際に、東京大学精神医学教室の秋元波留夫教授(当時)に近づき、同教室の武村信義医師から精神科医としての指導を受けた。宇都宮病院と東大との関係はこのときに始まる。

 宇都宮病院と東大との関係はキブ・アンド・テイクと言える。宇都宮病院側からすると、東大の医師の名を借りることによって病院の権威付けをすることができる。東大の医師の側からすると、短期間のディスカッション(通常の病院では複数の医師らが患者の診断や治療について一定の方針を出すもの。宇都宮病院ではこれと異なり、ビールを飲みながら不真面目に患者さんの人格への誹謗を繰り返すだけのもの)に関わるだけで多額の謝礼を受け取れる。入院患者を「研究材料」として提供されたり、宇都宮病院を実験の場として事実上の人体実験を行った者もあった。宇都宮病院では無届けの解剖が多数行われており、それによって得られた脳を送られていた者もいる。

 宇都宮病院に関係した東大の医師は多数にのほるが、反省の弁を述べている者はごくわずかである。その中には大学の教授になっている者も多い。今なお宇都宮病院と共同で研究している人もいる。上記の武村は事件発覚時は東大脳研究所の助教授であったが、東大の中で追及の声があがったため、宇都宮病院に逃げ込み、長く常勤医として宇都宮病院に勤めた。」(編集委員会編[2008:7])

 「Sさんと赤レンガの広瀬さんの主治医佐々木ドクターの個人的な援助で、一九八八年七月に本人訴訟のかたちで提訴、八月にはSさん、広瀬さんの地元練馬での人脈を中心に「宇都宮病院事件・広瀬裁判を支援する会(後に「ひさしの会」と改称、Yさん、Dさんの要請により辻も活動に加わった。担当弁護士の赤松弁護士は、Dさんが探し出してきた。

 私を通して全国障害者解放運動連絡会議などの障害者解放運動、さらに重要なこととして全国「精神病」者集団らの精神障害者解放運動との結びつきが実現し、森さん、山本さん、医学生中島直さんらの会への参加へと結実した。また、すでに広瀬さんと付き合いのあった山谷争議団、赤レンガの患者の「病者」、東大学生らの支援の輪も、広瀬さんおよび会のメンバーの尽力によって作られた。ビラが定期的に刊行され、情宣活動も活発になった。

 支援運動の広がりは、広瀬さんの生活支援にも拡大し、多くのメンバーが彼の介護にかかわるようになった。」(編集委員会編[2008:87]、この部分の執筆は辻雄作)

 これは精神障害の本人が起こした裁判としては初めてのものだったという。練馬の人たちの中には、日本の障害者運動では(小さいが)古くからある「練馬区在障会(練馬区在宅障害者の保障を考える会)」の人たちもいたよう(練馬区在障会については田中恵美子[2000])。佐々木由紀子医師は広瀬を二年間担当した(編集委員会編[2008:23]、以下佐々木の陳述の要約部分)。てんかんの発作がときにあり、薬物(シンナー)依存がありそれをやめたいということで最初の入院、入院は計四回。一九九〇年、ひとりぐらし――無償で(当時精神障害者についてホームヘルプの制度はなかった)介助者が入っていた――のアパートで自らの失火により焼死。裁判は支援者たちに受け継がれ、一九九三年十二月勝利的和解。和解金は三五〇万円「被告、医療法人報会は本件和解にあたり、患者の人権を尊重し先進医療の向上に努力すると共に、広瀬章氏の死亡について哀悼の意を表する。」(編集委員会編[2008:33])

◇石川文之進(一九二五~)。一九四九年大阪大学付属医学専門部卒業、五二年石川医院(診療所)開設、六一年医療法人報徳会宇都宮病院開設、六二年同院理事長就任、八四年同理事長・院長辞任。著書に『静塔・文之進・百物語――俳句と精神医学』(石川[1999])、『アルコール症――病院精神医学の40年』([2003])、『精紳医学と俳句』([2008])。

◇武村信義(一九二八~)。東京大学医学部脳研究所医学心理学部門・助教授。著書に『精神病質の概念』(武村[1983])。八三年十二月、都宮病院二十五周年祝賀論文に「「われわれはこの病院において、平畑高次郎先生と石川文之進院長を中心として、水魚の交わりをもち、精神医学においてまた人生において多大の収穫をえつつあります」と書いたことが八四年六月二五日の回国会・決算委員会での本岡昭次の質問で取り上げられている。近代日本精神医療史研究会[2011]によれば、宇都宮病院の三つ折りの「病院案内」には顧問とし秋元波留夫・武村信義の二人の名が記されていたという。

◇広瀬章(一九四七~一九九〇)。一九七八年に宇都宮病院に入院、頻回に暴行を受け、一九七九に二度脱走するが職員に連れ戻され、保護室で暴行を受ける。八一年に三度目の脱走。自宅に戻れば連れ戻されるため、山谷で野宿生活を送るが、警官の職務審問で身元が発覚したのを契機に退院。八四年宇都宮病院での患者のリンチ死事件発覚を契機に糾弾闘争に加わる。

 「Sさんと赤レンガの広瀬さんの主治医佐々木ドクターの個人的な援助で、一九八八年七月に本人訴訟のかたちで提訴、八月にはSさん、広瀬さんの地元練馬での人脈を中心に「宇都宮病院事件・広瀬裁判を支援する会(後に「ひさしの会」と改称、Yさん、Dさんの要請により辻も活動に加わった。担当弁護士の赤松弁護士は、Dさんが探し出してきた。

 私を通して全国障害者解放運動連絡会議などの障害者解放運動、さらに重要なこととして全国「精神病」者集団らの精神障害者解放運動との結びつきが実現し、森さん、山本さん、医学生中島直さんらの会への参加へと結実した。また、すでに広瀬さんと付き合いのあった山谷争議団、赤レンガの患者の「病者」、東大学生らの支援の輪も、広瀬さんおよび会のメンバーの尽力によって作られた。ビラが定期的に刊行され、情宣活動も活発になった。

 支援運動の広がりは、広瀬さんの生活支援にも拡大し、多くのメンバーが彼の介護にかかわるようになった。」(編集委員会編[2008:87]、この部分の執筆は辻雄作)

 これは精神障害の本人が起こした裁判としては初めてのものだったという。練馬の人たちの中には、日本の障害者運動では(小さいが)古くからある「練馬区在障会(練馬区在宅障害者の保障を考える会)」の人たちもいたよう(練馬区在障会については田中恵美子[2000])。佐々木由紀子医師は広瀬を二年間担当した(編集委員会編[2008:23]、以下佐々木の陳述の要約部分)。てんかんの発作がときにあり、薬物(シンナー)依存がありそれをやめたいということで最初の入院、入院は計四回。一九九〇年、ひとりぐらし――無償で(当時精神障害者についてホームヘルプの制度はなかった)介助者が入っていた――のアパートで自らの失火により焼死。裁判は支援者たちに受け継がれ、一九九三年十二月勝利的和解。和解金は三五〇万円「被告、医療法人報会は本件和解にあたり、患者の人権を尊重し先進医療の向上に努力すると共に、広瀬章氏の死亡について哀悼の意を表する。」(編集委員会編[2008:33])

 広瀬を支援する会は資料集の編集に着手。その一人だったのが森泰一郎だった。この報告書は森の没後、「病」者集団のメンバーとして批判を受ける立場でもあった山本真理(長野英子)が最終的な編集・刊行作業にも関わってできたものでもある。最後まで残ってこの報告集を作った人たちにおいても思うことは一様でない。そこでは薬物の使用また「依存」について、自死について、各人の違う思いが記されている。介助者の一人は次のように記す。[…]<0110<」

 「☆16 宇都宮病院(事件)について『新 ルポ・精神病棟』(大熊一夫[1985])他。  「四二、三年頃には、関東一円の福祉事務所や保健所に「アル中歓迎」と印刷されたビラが郵送されていた。「アルコール中毒で困っている患者さんがあれば、お電話下さい。車でお迎えにあがります。報徳会宇都宮病院」などとあった。世界でもこのようなビラは例が無かろう。しかし、各福祉事務所、保健所は嬉しがった。何処の病院でもアル中の入院などはあまり喜ばない。病院は二、三カ月で退院させなくてはならないし、又直ぐに飲みつぶれて、同じ保健所や福祉事務所の係員は、「またかあ。参ったなあ!」と、同じ患者を、頭を下げて病院へ連れて行かねばならない。そして、何処の病院でも、何回も入退院している者の入院などは歓迎されないのだ。下手すると、何カ所も、入院させて下さいと、頼んで回ることとなるのだ。その代りに、病院の方から来て下さり、迎えにまで行くというのだ。結果は、病院開設後五、六年で、もう入院患者四〇〇人の大病院にまで肥大化したのだった。」(安井健彦[1986:131])

 一九八四年、報徳会宇都宮病院事件が起きた時、病院精神医学会(理事長・広田)は、自由人権協会の弁護士らとともに国際人権連盟に同問題を訴え、国連の人権委員会「少数者の差別防止並びに保護に関する小委員会」に提訴された。一九八七年、精神衛生法が改正され「精神保健法」が制定され、患者本人の意思による「任意入院」がこの時初めて日本にできた。戸塚悦朗・広田伊蘇夫編[1984][1985a][1985b]。<0379<」

 ◇第4章 「生活療法」を巡って

  6 二つ(へ)の分かれ方

 「一九六九年九月に、予想もしなかった「東大精神科赤煉瓦病棟占拠事件」が起こった。それが全<0216<国の大学に波及し日本精神神経学会も紛糾した。この騒動が収束に向かったのは一九八〇年代に入ってからで、東大の事件が最も長引いた。[…]肝心な精神障害者をそっちのけにした精神科医の独善的な論争であり、コップのなかの嵐であった」(同[183-184])

 「精医連結成の理念であるはずの「医局講座制解体」、「教授会不信任」は空文と化し、「病棟自主管理」は完全に崩壊して、病院長管理下の「他主管理」に転落し[…]以後の[…]闘争の矛先は東大当局ではなく、たまたまおきた一私立病院のスキャンダル追及、保安処分反対、日本精神神経学会撹乱などの外部の問題に介入するようになっていく。しかし、一九九〇年代に入ると、精神保健法の成立、保安処分の再検討(「心神喪失者等の医療観察法」の成立)、日本精神神経学会の正常化など、精医連の一部の諸君の介入の余地のない状況が実現する。すでに事実上壊滅していた「病棟自主管理」とともに、このような状況の変化がおそまきながら、精医連の終末を結果した。」(同[230])

 私は、基本的には「バランスのとれた」記述を行なってきているのだがこの文章は、いくつもについて、それはないだろうと思う。「一私立病院」とは宇都宮病院だが、事件は「たまたまおきた」のでもなく「当局」と無関係でもない。その他様々言うべきことはある。ただ、そのような――私は正しいと思う――批判は、既にされている。まずは同じようなところから分かれていくところを見る。おそらくそこにはどうでもよいような個人的な確執のようなものが混じっているのだろう。しかし私はどれほど混じっているかもわからないからそうした部分も含めて、わからないまま書いていく。<0217<」(同[183-184]等とある文献は秋元[2005])

◆1984/05/28 東大精神科医師連合 『精神医療』No.51より抜粋

 宇都宮病院と東大医学部の癒着が新聞報道等で大きくとりあげられている。この癒着の構造を簡単に説明しておこう。

(1)東大医学部保健学科精神衛生学教室

浅香照雄講師は後述の脳研出身で現在同教室の講師。彼は宇都宮病院をフィールドに様々の研究を行うと同時に診療を行っていた。逸見武光教授は同病院で鑑定を行ったことがある。

(2)東大医学部脳研究施設

脳研は、生理、病理、解剖、神経生物学、臨床部門、生化学部門などに分れている。(犯罪心理・遺伝学の心理部門は一九八〇年に神経生物に吸収された。吉益?夫が初代の主任で保安処分推進の根拠地となっていた)。

石川文之進院長と最も深く関っていたのは神経生物学部門の武村信義助教授であった。宇都宮病院の設立当初、精神医学教室は秋元波留夫教授の時代であったが、石川文之進の精神科研修の指導医として秋元教授にひき合わされたのが関係のはじまりであった。

脳研病理の白木博次元教授もまた脳標本のコレクターとして現在も深く同病院と関っており、宇都宮病院の常勤医として登録されている。同氏は精神医学教室時代に少女の生埜体解剖罰を行っており、東大精神科科医師連合などの糾弾にあって、脳研教授を辞任している。

宇都宮病院の脳標本を東大精神科外来教室会議にもってきて供覧したりしていた。

(3)東大精神科外来=「東大精科教室会議」

このグループは脳研グループとともに最も深く宇都宮病院と結びついている。

精神医学教室では、六八年に医局講座制の研究至上主義と精神医療の改革をめざして東大精神科医師連合を結成した。しかしその後「8人衆」と呼ばれる部分が台教授の側に寝返って、教室会議を結成した。同グループはその後、台氏人体実験問題でも一貫して台氏を擁護しつづけてきた。七八年のサンケイ新聞による東大精神科医師連合つぶしのキャンペーンの際、同派の本多裕講師は、病棟に入院している患者のプライパシーをサンケイ新聞に流すという不祥事を起こしている。

同グループと宇都宮病院との癒着は次のようなものである。

1)月曜日の症例検討会に石川院長が患者を宇都宮病院より連れてきて供覧して

いた。彼らの、症例研究会なるものの患者蔑視は目に余るものがある。

2)同グループの医師が宇都宮病院へ土曜日のディスカッションに出席したり、研究のフィールドとして利用していた。その見返りとして字都宮病院の外来には、岡崎、平松、丹羽、斉藤、苗村などの名前が麗々しく張り出されている。

3)報徳会宇都宮病院は、八一年に東大近くに「本郷神経クリニック」を設立し、それは東大外来の出店として機能していた。その実質的責任者は斉藤陽一であり、常勤医は苗村双葉医師と苗村育郎医師(現、国立精神衛生研究所研究員になっている)である。あろうことか、科研費によるコンピューター端末器を同クリニックにおき、東大の大型コンピユーターと回路を結んでいた。

患者=研究材料とともに、研究費等の流れも同病院と同グループの間にある疑惑をもたれている。

(4)東大病院分院精神科

昨年新潟大学医学部教授として転出した飯田真元講師が石岩川文之進院長と深く関っていたことは報道の示すとおりである。他にも若手研修医が派遣されていた。

右のように、東大医学部と宇都宮病院との癒着は抑圧的精神病院と大学の研究至上主義とのもちつもたれつの構造的なものとしてある。東大精神科医師連合(通称赤レンガ病棟で入院と通院治療を行っている)のみが唯一宇都宮病院との関りをもっていなかった。

そのことは設立の趣旨から当然であるが、反省すべき点も多い。医局講座制―研究至上主義を廃し、精神医療の改革をめざすとしながら、このように広範な医療犯罪を阻止できなかったからである。

この十年余、外来教室会議や脳研、脳外科の人体実験や研究至上主義に対する闘いを東大において行って来たが、医学部当局は一貫して彼等を守って来たのであり、今回の問題もその意味で医学部当局の責任は重大である。

◆1984/06/25 第101回国会 決算委員会 第9号

 昭和五十九年六月二十五日(月曜日)

 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1410/10106251410009c.html

「○委員長(安恒良一君) それでは、これより質疑に入ります。

 質疑のある方は順次御発言願います。

○本岡昭次君 まず、宇都宮病院事件についてお伺いをいたします。

 法令により拘禁下にある精神障害者に対し、病院ぐるみの暴力支配体制をつくり、リンチ、殺人、暴行などを行っていた宇都宮病院事件は、国民に対し名状しがたい衝撃を与えてきました。事件は、三月十五日、本院予算委員会で取り上げられまして以降、かなりのテンポで解明されつつありますが、まだ必ずしも全体像が浮き彫りにされるまでには至っておりません。そこで私は、これを解明し、きちんとした決着をつけるために幾つかの点に対し政府の見解を伺い、責任ある対応を求めるものであります。

 まず、宇都宮病院事件に関する捜査の現況を伺います。

 これまでの告訴、告発、取り調べ、逮捕、送検、起訴などの件数とその内容はどのようになっておりますか。時間が余りありませんので、簡潔に御報告をいただきたいと思います。

○政府委員(金澤昭雄君) 宇都宮病院の一連の事件について御報告いたします。

 栃木県警察におきましては、宇都宮病院に関します暴行、傷害等の暴力事犯の捜査を行いました結果、三月二十九日、傷害致死及び傷害容疑で五名を通常逮捕したのを初めといたしまして、十件を立件をしまして、被疑者延べ二十四名を宇都宮地検に送致、送付いたしております。

 また、生活保護法に基づく付添看護料を福祉事務所から不正受給していた事件につきましては、六月八日に被疑者三名を地検に送致をいたしております。

 さらに、死亡診断書に虚偽の記載をしました事犯につきましては、被疑者三名を証憑隠滅等の容疑で、六月四日に地検に送付をいたしております。

 また、無資格診療等の医事関連事犯につきましては、四月八日から二十五日までの間に、保健婦助産婦看護婦法違反容疑等で、石川前院長ほか三名を逮捕いたしたのを初めとしまして、九件を立件いたしました。延べ四法人、被疑者六十五名を地検に送致をいたしております。

 なお、捜査に関連いたしまして告訴、告発を受理しました件数は四件でありまして、いずれも既に地検の方に送付をいたしております。

 以上でございます。

○本岡昭次君 石川文之進宇都宮病院前院長の公訴事実の要旨とその罪名をお伺いします。

○政府委員(金澤昭雄君) 石川前院長につきましては、四月二十五日に保健婦助産婦看護婦法違反で通常逮捕いたしましたが、その容疑内容につきましては、看護士、准看護士の資格のない入院患者を使いまして、約一年三カ月にわたって脳波検査などの診療行為を行わせたものであります。このほか、入院患者の死亡原因につきまして、診療録に診療事実と異なった記載をした証拠隠滅事件、それから保健所長の許可を得ずに死体を解剖した死体解剖保存法違反及び看護人名義の看護料請求明細書を偽造しました付添看護料の不正受給事犯などの容疑で送致をしておりますほかに、ゴルフクラブ等で傷害を負わせたということで、元入院患者から告訴三件を受理しておりますが、これにつきまして検察庁の方に送付をしております。

 以上でございます。

○本岡昭次君 萩原久之、石川亨、石川敏彦看護人等のこの公訴事実の要旨と罪名をお伺いします。

○政府委員(金澤昭雄君) 萩原看護人につきましては、三月二十九日に傷害致死及び傷害容疑で通常逮捕いたしましたが、その容疑の内容は、昭和五十四年四月二十四日、他の二名と共同しまして入院患者に対して金属製パイプ及び手拳で殴打をしたという暴行でございますが、その暴行を加えまして、同日入院患者を死亡させたという疑いが一つでございます。

 また、昭和五十八年十二月三十日、他の三名と共同しまして入院患者を足げりにした、それから体をスチール製パイプで殴打した、こういう事件で傷害を負わせたというケースでございます。

○本岡昭次君 今報告を受けただけでも慄然とするような状況があるわけでございますが、私はそれで事件が終わったとは思っていません。まだまだ隠された事実があり、また警察の手によって真実を解明していただかなければならない問題がたくさんあると、こう思っております。今後のこの宇都宮病院事件の全体を解明することについてどのように進めていこうとされているのか、その点についてお伺いをいたします。

○政府委員(金澤昭雄君) 栃木県警察におきましては、現時点で犯罪の疑いありと考えられますケースにつきましては、一応捜査を終了いたしたという報告を受けております。しかし、今後も家族その他からいろいろな情報が寄せられました場合には、当然それぞれのケースにつきまして必要に応じ捜査を遂げまして事件処理をいたしたい、かように考えております。

○本岡昭次君 これから、きょうもですが、社会労働委員会等を通じて、警察によって解明していただかなければならない問題を次々と我々の側から提示をしていきたいと思います。警察の方もこれで終わったということではなくって、真相を徹底的に究明して、この精神病患者に対する社会的なこの問題を浮き彫りにして、そして根本的な解決のために力をかしていただきたいということを要望しておきたいと思います。いかがですか。

○政府委員(金澤昭雄君) ただいまもお答えをしましたとおり、今後におきましても各種の違反容疑情報等がありましたら、十分に捜査をいたしまして適正に処理をしていきたいというふうに考えております。

○本岡昭次君 私は、報徳会宇都宮病院の問題の全貌を知るためには、石川一族によって形成されてきた報徳産業グループの実態の解明が必要であることを訴えてきました。宇都宮病院の巨大化、肥大化と並行をして、石川ファミリーが報徳産業グループとして次々と経営をしてきた企業、施設、こうしたものが数多くあります。この問題について政府の方に明らかにするように求めましたけれども、それは今応じていただいておりませんが、精神医療委員会が発行しております本年五月号にこの産業グループの目ぼしいものが明らかになっております。全体として十四あると言われておりますが、参考までに申してみますと、一九七六年に報徳建設、一九七七年に宇都宮自動車販売、一九七八年に報徳冷凍冷蔵、報徳自動車学校、一九八〇年に報徳会幼稚園、報徳基準寝具、報徳交通、報徳電算、そのほか報徳スイミングスクール、あるいは三幸石油、さらにマンション、郵便局、パーキングタワー、その上に葛生、今市、二つの特別養護老人ホームを持つ。さらに、この事件が発覚していなければ、宇都宮保健大学を建設する予定であった。こういうことでございまして、大変な宇都宮病院の周辺にこの問題が私は存在をしている、このように思います。したがって、宇都宮病院とこの今申し上げました報徳産業グループを一体のものとして解決していかなければ、宇都宮問題の真の解決はあり得ない、こう思っております。

 そこで、医療法人宇都宮病院が多くの利益を上げている、そしてトンネル会社を通して、今言いましたいろいろな報徳産業グループにその利益を蓄積をさしていった、その分だけ宇都宮病院の医療そのものの質はどんどんと低下をして、そして無診療、無医療、不法拘禁、そうした数々の問題が起こって、医療法に抵触するというふうになったと、私はこのように結論を持っているんです。にもかかわらず、この問題に対して対応ができないということでは、どうしても私は納得ができないわけなんです。一体どこが、私が今言いましたような問題を解明をしていくのか、そこのところをお尋ねしたいと思うんです。そこにずっと各大臣がお並びでございますが、今私が言っているようなところ、どこが一体政府としてとらえて事態を解明していただけるのか。

○国務大臣(藤波孝生君) それぞれいわゆる関連の産業につきまして所管があることではございますので、私からまずお答えをいたしたいと思います。

 今般、宇都宮病院におきまして、いわゆるリンチ殺人を初めとして、規則違反であるとか、あるいは患者を人間として扱わないといったような態度が出まして、それぞれ捜査を受けておることになりましたことはまことに遺憾でございます。その間にいろいろこの報徳会の関連産業がある、これをどうするんだというようなお話を伺って今日に至っておるところでございますが、いわゆる関連会社と言われておる会社は、いわゆる関連ではありますけれども、医療法人報徳会とは別の法人格を持っておると、こういう形になっておりますので、単に関連会社というだけで、これらの会社の実態について調査をするということはなかなか困難である、こういうふうに考えて今日に至っておるところでございます。しかしながら、医療法人報徳会の先生御指摘がございましたようにいわゆる資産の運用などにつきまして不適切であるという事情があるといたしますれば、必要に応じ、関係省庁が十分連携をとり合って適切な対応措置を講じていかなければなるまい、こんなふうに考えておるところでございまして、いろいろ捜査当局の解明なども進んでいくわけでございますし、またこの医療法人報徳会の内容につきまして、厚生省を中心にいたしましていろんな調査もしてきておるところでございますので、それらの様子も見ながら対応していくようにいたしたい、このように考えておる次第でございます。

○国務大臣(渡部恒三君) 今、官房長官から御答弁がありましたが、厚生省としては、まず先生方から御心配をいただいておる患者の人権の保護、これを第一にして今日までやってまいりましたが、今御指摘のように患者の人権を保護していくためにまことにけしからぬ行為があったのでは困りますから、それらの問題については今法当局で真相の究明が随時なされておりますが、まだ完全に解明されたものではございません。先生御指摘のとおりでございますが、それらの真相究明を見ながらなお一層努力を続けてまいりたいと思います。

○本岡昭次君 今、官房長官にお答えいただきましたことは、後ほど具体的な問題として再度見解をいただきたいと思っております。

 そこで、もう少し事実関係のようなものを明らかにしていきます。

 宇都宮病院に限らず、最近精神病院問題として新聞紙上に報道されている群馬の田中病院あるいはまた群馬の上毛病院、そうしたところにも同じように関連、トンネル、幽霊会社というものが存在をしているんです。厚生省は今大臣がおっしゃったように、まずそこの患者の人権を守ることだと、患者の治療、保護に当たることが先決だとおっしゃいますが、しかしその患者の十分な治療なり、人間として十分な保護を与えていくというその条件をつくるためには、その病院経営によって生まれた利益、本来それは病院経営の中で使うべきものがトンネル会社を通して外へどんどん流れていく、そしてその病院は、表現は適切じゃありませんが、まさに吸血鬼のごとく患者から搾り取って、それをほかへ流しているという事実があったときに、そこの問題にまで広げて問題の解決をしなければ、その病院の患者をどうこうするといっても、水道の蛇口を閉めないで、出てくる水のところを幾らさわっていってもだめだというようなことにもなると私は思っております。厚生省、そうした先ほどのような答弁じゃなくて、やはり関連するその周辺の関連企業、トンネル会社、幽霊会社というようなものがあるのかないのか、医療法人として純粋にそのことだけにその医療法人が仕事をやっているのか、経営者がやっているのかという問題についても調べていかなければどうにもならぬと思うんです。そのことは現在の医療法からはできないからどうしようもないんだというのか、それともやろうとするんだけれども、いろんな障害があってできないのか、意思がないのか、そこらあたりをはっきりしていただきたいと思う。

○政府委員(吉崎正義君) 御指摘のございましたいわゆるMS法人と言われております法人、かなりあることは事実でございます。これが当該医療法人とどういう関係にあるか、この解明が実は非常に難しいのでございますけれども、現行医療法に基づきましてできるだけ必要な指導を行いまして厳正に対処してまいる所存でございますが、御案内のように現行の医療法では医療機関に対しましては立入検査ができますけれども、法人につきましては報告徴収ができるだけでございまして、立入検査の権限がございません。そこで、今国会に提出をいたしておりますところの医療法の一部改正案におきましては、医療法人の会計等につきましても立入検査ができますように改正案をお願いしておるところでございますが、私どもといたしましては御指摘の趣は十分理解できますし、厳正に対処しなければいかぬと考えておるところでございまして、一層の努力をいたしたい所存でございます。

○本岡昭次君 医療法に問題がある、この問題についてはまだ社会労働委員会のところで、そのほかにもいろいろ現在の医療法あるいは精神衛生法に問題があるのでそれはそれで追及をし、また厚生省の善処を求めてまいりたいと思います。

 そこで、今私が田中病院の問題について言いましたけれども、田中病院にあった田中食品あるいは田中薬品という二つの会社は、新聞によって田中病院の事件が表面化するや、五月三十日に間髪を入れず社員総会を開いて解散をしてしまった。上毛病院も幸栄不動産あるいは上毛センターの二つの会社もありますが、これも調べていただいたらわかると思うんですが、いずれもこれは幽霊、トンネルの会社、こういうことも私たちは情報としてつかんでおります。こういうものが医療法人を経営する一族にとって、先ほど厚生省からもありましたけれども、医療法そのものを骨抜きにする脱法の道具として使われている、ここのところから逃げてしまえば問題の本質の解決はできないと思うんですね。京都十分会グループの六十億を超える土地取引、二百七十億円に達する株買い占めにも同様の手口が使われて、そして大きな事件になったのはごく最近のことなんですね。その当時の厚生大臣であった故園田直氏は、法の不備を補うために医療法改正案というものをまとめられた。今もそういう案は提案しているんだとおっしゃるけれども、それがいまだに日の目を見ていないわけで、したがって早急にこの医療法の改正というものを成立さすのか、さもなくば、故園田厚生大臣が当時十分会グループのこの問題を解明するために厚生省だけではだめだということになって設置された警察そして大蔵省もかかわって国税、厚生、この三省庁による連絡協議会のようなものをこの際つくるか、それともできないというなら、官房長官がお見えでございますが、内閣が責任を持って解明を図るか、この際明確な宇都宮病院問題に対する解決の態度をここで明らかにしていただきたい、このように思うんです。

○国務大臣(藤波孝生君) ただいま医務局長から御説明申し上げましたように、医療法人のいろんな運営につきましておるいは経営につきまして、他の法人といろいろな関係があるという場合に、なかなか医療法人でない法人格を持っておる他の企業を立入調査することができない、こういったことができるようにするということは一つあるだろうと思います。それから医療法人そのものにつきましては、やっぱり今度の事件などを考えてみまして医師なり職員なりの倫理観の問題とか、あるいは病院の体制の問題とかいろいろ医療法人そのもので指摘していかなければならぬ問題もあるだろうと思います。いろんな角度からこういった事件、事案が二度と起こらないように対処していくということは非常に大切なことでございまして、厚生省を中心にいたしましてこの事態を深刻に受けとめて、今対応を急ごうとしておるところでございます。

 ただ、先生御指摘のように、それじゃ関連の企業といろいろトンネル会社などをつくって資金が動いている、あるいは利益金が他の企業へ動いているといったような事態をどうするのかということにつきまして、ここですぐにそのような形で対応するということはなかなか今申し上げましたように、他の法人への調査など非常に難しい面がございますけれども、先生の御指摘を踏まえさしていただきまして、関係企業それぞれ今お話がありましたように、教育の施設であるとか、あるいは通産省所管の企業であるとかいろんな関連産業、一般的に言われておりますので、それらの官庁が十分連携を取り合いましてこの問題を、医療法人報徳会の運営を中心にいたしましてその周囲のことにつきましてもいろいろ調査をしてまいらなければなるまい、そんなふうに考えておりますが、対応につきまして少し時間をいただいて相談をさせていただきたい、このように考えております。

本岡昭次君 官房長官の前向きな答弁をいただいて、それで了解せねばならぬと思うんですが、いま少しはっきりさせておいていただきたいんです。

 検討するということの中身の問題として、十分会病院の事件が発生をしてその全貌を解明するために、当時厚生省、それから大蔵省の中の国税、それから警察、そうしたところが中心になって、そして今おっしゃったように関係するところとの協議をしながらその問題の解明に当たってきたというこの前例を踏まえて、こうした各関係省庁の連絡協議会というようなものをつくることをこれから考えて、そしてそれによって解決をしていく、もうこのような答弁をいただければ非常にありがたいと思うんですが、いかがですか。

○国務大臣(藤波孝生君) 先ほどお答えをいたしましたように、捜査当局によりまして事態の解明が急がれておるところでございますし、事実関係についてはっきりしていくというのが一つあるだろうと思います。

 それから当然厚生省といたしまして、医療法人のいわゆる中身がどうなっているのか、報徳会の中身がどうなっているのかということにつきましていろいろ調査をしていっておられることであろうと、こう思いまして、それらの事実関係の解明が進んでまいります中で、いわゆる関連産業との関係につきましてもまた浮き彫りにされてくる面があろうかと思います。そういった時間的な、どの時期にそういうふうに対処するかというようなことも含めまして、少し時間をいただきまして検討をさせていただきたい、このように申しておるところでございまして、やはり事実関係がずっと解明されていくことが中心であろうと思いますので、政府といたしましてもこの事案に対しまして厳しい態度で臨む、対応していくということをお答えを申し上げておきたいと存じます。

○本岡昭次君 ひとつ厳しい態度で政府として対応していただきたいということを強く要望しておきます。

 宇都宮病院事件は、ある意味では戦後における医療機関での不正あるいは人権侵犯事件としては、これは最大級のものであると思います。この解明なくして世界第二位の経済先進国日本は、人権の面では全くの後進国のそしりを免れないと私は思います。

 現に五月十五日付のイスラエルの新聞ハァ・アレツ紙は「日本の経済的脅威の裏庭」というふうに題しまして、記事の中で「日本の精神病院の患者の処遇は、ユダヤ人の強制収容所をほうふつさせる」というふうに述べております。あの戦時国家のイスラエルの人々の目にも宇都宮病院事件はこのように映っているわけなんです。人権の問題からも政府の責任ある対応が求められると思いますし、また、三月十五日以降いろんな事実が明らかになっておりますが、中曽根総理大臣も予算委員会の中でこの問題についての答弁をされております。若干紹介しますと、「たとえ身体的あるいは精神的な欠陥がある者につきましても、やはり人格としての取り扱いを入念に行わなければならない。そういう点についてもし取り扱い上不備な点や考えの上において間違っている点があれば当局として厳重にそれらを取り締まらせ、また是正する措置をやらなければならないと思っております。」、このように予算委員会で総理が宇都宮事件問題で答弁をしております。精神障害者の人権確立のためにも本件の解明については政府として強い決意で臨んでいただかなければならぬと思うんですが、この点について官房長官に再度お伺いをしておきたいと思います。

○国務大臣(藤波孝生君) 予算委員会におきまして総理がお答えをいたしておりますように、強い決意でこの問題に対処しなければいかぬ、こんなふうに考えるわけでございます。

 精神病患者の問題は、医療の問題とかあるいは保護の問題とか、あるいは社会に復帰をして再生をしていくといったようなときにどういうふうに指導をしていくかとか、いろんななかなか難しい問題があるだろうと思うんです。私も詳しく専門的に知っておるわけではありませんけれども、今ここに座って先生の御指摘を聞いているだけでも、なかなか難しい問題があるだろうなということは想像いたしておるところでございます。しかし、それらの一人一人の患者の人権が正しく守られ、そして治療、医療が加えられていくようにしなければならぬということは非常に重要な問題でございまして、患者の人権を中心にいたしまして対処しなければなるまい、このように考えておる次第でございます。先生の御指摘を承らせていただきまして、政府といたしましても強い決意でこの問題に対処してまいりたい、このように考える次第でございます。

○本岡昭次君 そこで官房長官にお願いがあります。

 厚生省は、今官房長官が人権の問題は重大だとおっしゃいましたが、そのことにかかわって、入院患者の人権を守るガイドラインをつくるというふうなことが聞こえてまいります。そのことに関連して申し上げるんですが、国連は一九六八年から十六年越しに詰めてきた精神病者または精神障害者保護のための原則、ガイドライン、保障草案というものをつくり、そしてダエス最終報告書ということで現在国連の段階でまとまっているということなんです。この問題は私は、一部の専門家や医師だけの視野や、あるいはまた厚生省という行政の立場だけでできるものでない、こういうふうに考えております。そこで、国連という世界の場でこの精神病患者の人権をどのように守っていったらいいか、保護をしていけばいいかという草案が今できて、それが国際的に論議をされているという状況にあります。そこで、政府は早急にこの最終報告を入手して、もう外務省の方は入手していると思うんですが、これを政府刊行物として発行をして、広く国民に精神障害者の人権を守るということは一体どういうことなのかという事柄について、ひとつ国民的な論議をする材料を提供していただいて、そして先ほど言ったように人権後進国と言われるようなそういう汚名を返上していく第一歩としていただきたい、そのダエス報告をひとつ政府の力で翻訳をしてそして政府刊行物として出して、私たちの目にもそれが触れるようにしていただきたいというお願いですが、いかがですか。

○国務大臣(藤波孝生君) 国連でそのような論議が進められておるということを今聞かせていただいたところでございます。外務省、厚生省とよく連絡をとりまして、先生御指摘のようなそういう動きに対応いたしまして国内におきましても国民の理解を深めていくように努力をしなきゃいかぬ、そのように今考えておるところでございます。早速に勉強させていただきまして、いろいろ対策につきまして関係省庁と相談をいたしまして、しかるべき結果が出ましたならば国民に向かっていろいろな形でこれを理解を深めるための努力をするというふうに持ってまいりたいと存じます。

○本岡昭次君 時間がありませんので、今の御答弁でまた次の機会にお願いをしていきたいと思います。官房長官どうもありがとうございました、時間が参りましたので。

 次に、宇都宮病院の措置入院患者の実地審査についてお伺いしますが、この措置入院患者の実地審査の結果はどのようになっておりますか、ひとつ簡単にお答えください。

○政府委員(大池眞澄君) 宇都宮病院の措置入院患者の実地審査の結果につきまして御説明申し上げます。

 措置入院患者百六十一名を対象といたしまして、本年四月十日から着手をいたしまして精神衛生鑑定医による実地審査を実施したところでございます。その結果は、四十七名について措置入院継続の必要ありと判断され、残りの百十四名の方については措置入院という形の必要がないと診断されたところでございます。

 このため、その措置入院の措置の要なしとされた患者さんにつきましては、現在措置解除後の同意入院等の入院医療の継続あるいは社会復帰へ向かっての可能性の追求というようなことで保護義務者などと連絡をとりながら、逐次措置に関しましては措置解除を現在行っている途上でございます。

○本岡昭次君 実にこれはひどいものですね、人権問題であります。また後ほど法務大臣にお伺いしますが、具体的なものはあすの社会労働委員会で質問をしていきます。

 そこで厚生省にお願いしたいのは、措置入院患者百六十一名を対象にして実地審査をしたら措置入院の必要のある者は四十七名しかいなかったというこの実態、それでは同意入院患者をもし実地審査したらどういう結果が出るかということを私は思うんですね。早速同意入院患者についても、同意入院という状態が必要であったのかどうか、恐らくその中にも、通院でいい、退院してもいいという人がたくさんいるのではないかと思うんですが、同意入院患者についての実地審査を早急にしていただきたい。いかがですか。

○政府委員(大池眞澄君) 同意入院の患者さんにつきましては、御承知のとおり入院の必要があって保護義務者の同意を得て入院している仕組みでございますが、同意入院の患者さんにつきましても今月末から実地審査を行うこととして、現在県においていろいろ調整準備を進めていると承知しております。

○本岡昭次君 法務大臣、先ほどから人権上の問題としていろいろ聞いていただいたと思うんですが、法務大臣に二、三お伺いをいたします。

 今宇都宮病院の同意入院患者についてこれから実地審査をするということですが、この間新聞で問題になりました群馬県の田中病院では、同意入院患者の中で保護義務者の選任が必要な三百四十八人中保護義務者を選任していたのはわずか六十八名、残り二百八十人が保護義務者を選任しないまま、別の表現をすれば違法入院、違法な状態で強制入院をさせられていたという事実が判明した。群馬県の衛生環境部は手落ちだとしておりますが、担当官は、法を知らなかったとか、絶対的保護義務者である父親が同意したからそれでいいと思っていたというまことにずさんなことでありまして、病院も県も全く人権意識がないという状況がここで明らかになりました。

 それから今の宇都宮の措置入院の問題、これもお聞きいただいたと思うんですが、大変な状況です。私はその一覧表を持っておるんですが、百六十一人の人たちがどういう状況で入院して現在どういう実地審査の結果があったか。その中で四十歳の男性が昭和三十七年から措置入院患者として実に二十二年間措置入院させられている。そしてこの実地審査によると入院する必要はない、通院でよいということになったというんですね。一体この十八歳から四十歳までこの患者の人生をだれが奪ったのか。考え方によれば最初から措置入院の必要なんか全くなかった、通院の治療でもよかったという者が入れられておったということにも考えられるような事態がここにあります。精神病院の名において人権をこのように剥奪することに私は強い怒りを覚えると同時に、お医者さんであるということによって、それじゃ診断を下して、そしてその人権を剥奪し、監禁したというこの行為はもう許せない気持ちでいっぱいであります。

  私はこれは行政当局が監禁罪に問われてしかるべきではないかというふうにこう思いますし、一方ではそういうことをやりながらその病院が多額の利益を、不正な、不当な利益を上げる、そのことに加担をしてきた、精神病院の不当な繁栄、それに手をかしてきたそういう行政の責任というものもある、こういうふうに思います。

 人権上の問題から法務大臣の見解をひとつ聞かしていただいて、人権上の問題として全国の精神病院の措置入院患者、同意入院患者全部をご週人権上の問題から、正しく法の手続に従って入院しているのか、別の医者が診てもそれは措置入院の必要ありということで入院しているのかということを全部洗い直してもらわなければ、三十二万人が入院して、そのうちに措置入院、同意入院が八割いるということなんですから、それがこの宇都宮病院なりあるいは田中病院のような実態であれば人権侵害も甚だしいことがそこに起こっている。イスラエルの新聞にまるでナチの強制収容所と同じではないかと言われても仕方がないような側面が出てくると思うんですね。これは社会労働委員会でまた厚生大臣にお伺いしますが、きょうは決算委員会で法務大臣お見えになっているんで、法務大臣としてこの私の提案、全国一遍人権上の問題から実地審査というものをひとつやっていただきたいということについての御見解を承りたいと思います。

○国務大臣(住栄作君) 一般論としまして、心身障害者等の人権をどう守っていくか、先ほど来御議論がございますようにあらゆる機会を通じて、そしてあらゆるデータに基づいて人権保護委員中心にいたしまして私ども十分配慮をしていかなければならない。

 同時に精神病院の人権擁護の問題につきましては、精神衛生法に特に措置入院の制度だとかあるいは同意入院の制度、同意入院の制度につきましては患者の医療保護あるいは人権尊重という趣旨で保護義務者の制度が設けられておるということでございます。まず精神病院の管理者あるいは精神病のドクター、これはそういう法律を私はまず十分に知っていただく、そして正しく患者を扱っていただく、こういうことが基本的に必要であると思いますので、厚生省の方とも十分連絡をとって、特に厚生省におかれては今度指導基準をきちっとつくっていただく、こういう措置もとっていただくと聞いておりますので、病院の方はもうお医者さんのある意味では倫理の問題としても私は精神衛生法に基づくそういう思想、これのもとに患者を正しく扱っていただく、こういうようにもしていただきたいと思っておるわけでございます。実は人権擁護機関といたしましては立入検査の権限もございません。いろいろの情報をもとにいたしまして人権擁護委員が本当にむしろボランティア精神のような大変とうとい気持ちで努力をしていただいておるわけでございますが、そういうような点、特に人権侵犯のおそれある分野でございますので、私と皆これからも重点的に配慮して対策を講じてまいりたいと考えております。

○本岡昭次君 それでは次に文部大臣に伺います。

 昨日の新聞に宇都宮病院との癒着は東大医学部のみにとどまらず、自治医大にもあったということが報道されております。きょうもまた自治医大の問題が報道されているんですね。中でも自治医大の吉田充男教授は医療法人大恵会石川分院医局宿舎に無料で家族とともに住み、同病院の車を自家用車として使い、その上年五百万もの報酬を得ていたとありますが、これは事実なのかどうか。

 またもう一点、きょうの新聞にも自治医大が六年閥にわたって宇都宮病院より研究費の名目で八百三十五万円の寄附を受けていたとも報じられています。

 宇都宮病院にかかわった医者の皆さんも、東大医学部の関係者と同様、宇都宮病院における無診療、無看護、無資格診療が行われており、それから患者がどのように人権が侵害されていたかというふうな問題は恐らく皆知っていたと思うんです。わからなければそれはもうお医者さんでないと私は思います。そうした不正、不当な行為に目をつぶって、しかもその不正、不当な行為を裏づけとして積み上げてきた利益の中から寄附を喜んで受けるというようなことは、私はその無神経ぶりにもうあきれております。一体、医師の先ほど倫理という問題が法務大臣から出ましたけれども、私はもう医師の倫理よりも何よりも人間自身の退廃現象ではないか、どのように思って仕方がないわけなんですね。文部大臣、この二つの事実関係、それから今後どのように対応しようとされているのか、その問題についてお伺いしたいと思う。

○国務大臣(森喜朗君) 今回無資格診療等の問題で指摘されました、今本岡先生から御指摘をいただいております宇都宮病院におきましては、東京大学医学部の教官が診療の指導及び研究を行っていることにつきましては、文部省としては事態を深刻に受けとめておりまして、大学に対しまして事実関係の解明を強く指導してきたところであります。

 現在までの大学の調査によりますと、関係教官は東京大学教官としてあるいは医師としての姿勢において必ずしも適切ではないものがあった、極めて遺憾なことであると考えております。

 同大学の医学部におきましては、この調査結果に基づきまして先般関係者に対しまして医学部長及び病院長から厳重に注意をいたしたところであります。また、兼業許可手続のとられていなかった者に対しましては訓告及び厳重注意を行っております。さらに東大医学部におきましては本件を契機といたしまして倫理審査委員会の設置を今準備をいたしておりまして、今後嗣医学部におきます医学研究の遂行を倫理面から厳しくチェックをしていきたい、このようにいたしたいと考えておりまして、文部省といたしましては同大学の今後の対応については適切に指導してまいりたい、こう考えております。

 自治医大につきましては文部省の方にはまだその報告が入っておりませんので、私の方から今ここで申し上げる資料を持ち合わせておりませんことを御了承いただきたいと思います。

○本岡昭次君 いや、自治医大の問題を今後どのように事実調査をしていかれますか、という問題についてはっきりとお答えをいただきたい。

○政府委員(宮地貫一君) ただいま大臣からお答えしたとおりでございますが、私立大学の教官についてのアルバイトなりあるいは服務上の問題ということは、国家公務員法の適用されます国立大学の教官の場合とは異なりまして、基本的には各大学で処理をすべき問題であることは先生御存じのとおりでございます。ただ、基本的に医学部の教官として、また医師として、これは国立大学の教官、私立大学の教官に限らず、いずれにいたしましても、例えば研究遂行に当たりまして、患者の利益に対する配慮を十分するというようなこと、あるいは運営に問題のある病院におきまして、その問題に注意を払わず兼業なり研究を継続するというようなことなど、さらに大学教授の肩書等が利用されるというようなことについては十分配慮をすべきことは当然でございます。当面は、私ども自治医科大学内部での対応を見守りたいと、かように考えておりますが、必要に応じまして大学当局からその実情についてさらに今後事情を聞くなどの対応をしてまいりたいと、かように考えております。

○本岡昭次君 いや、新聞に報道されているのが事実であるかどうかということを尋ねているんですよ。事実ということをまだつかんでいなければ、今後どうするかという、簡単にそれ答えてください、時間ありませんから。

○政府委員(宮地貫一君) その事実については私どもとしてはまだ承知をいたしておりませんので、その事実の確認について大学側に至急問い合わせをいたしたいと、かように考えております。

○本岡昭次君 文部大臣、東大医学部の問題について今報告がありました。また、自治医大の問題も、これは私立の大学あるいは病院であるという立場からの説明がありました。しかし、私は国立

であろうと私立てあろうと、この宇都宮病院にかかわった病院、医師のあり方というものは、医師の倫理の上から、人道的な問題から許すことはできないと思うんです。厳重なひとつ対応をお願いしたいと思います。

 わけても、この東大医学部ですが、内部で若干の処分的なことを行われたということですが、しかし宇都宮病院に東大の医師が、私の表現をすれば、まさに寄生をしたと思うんです。そして、私欲のために精神障害者をモルモットがわりに使ってきたと。それで、この癒着の深さは――こういうことを言っている。「われわれはこの病院において、平畑高次郎先生と石川文之進院長を中心として、水魚の交わりをもち、精神医学においてまた人生において多大の収穫をえつつあります。」、これは何ですか。人生において多大の収穫を得られたら大変なことになりますやないか。これが医学部附属脳研究施設の武村信義助教授が昨年十二月、こともあろうに宇都宮病院二十五周年祝賀論文にこういうことまで響いているんですよ。そんな簡単なことじゃない。人生においても多大の収穫を宇都宮病院から東大の医師は得たというんですよ。だから、私は東大内のその甘い処分で見過ごすことはできないと。つまり、医師法第四条三号あるいは医師法第七条二項、これによってこの宇都宮病院にかかわった医師たちは厳重に処断されるべきだと、このように思います。文部大臣どうですか。医者としての品位を汚したという問題もあるし、公務員として、現に殺人、リンチ、不法診療、無資格診療が行われているその病院に行ってかかわってきたんですよ。知らなかったとは言わさぬ。そんなことがわからぬようなお医者さんでは困るですよ。自分がそこにかかわって、この病院がどんな病院かわからないで何の研究をやってきたんですか。ただ脳をもらいにだけ行ったんですか。そんな甘い処分では東大の権威が守れぬでしょう。東大なんというものは、日本の今の学術、研究の頂点にあるんでしょう。東大医学部といえば、日本の医学の面で、医師養成の面で、医療の研究の面でトップに立つところなんでしょう。文部大臣としてもっと厳正な処断をお願いしたいと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(森喜朗君) 事実関係につきましては、直接文部省が調査に当たるということよりも、東京大学を中心にいたしまして事実の調査を今日までいたしてきたわけでございます。

 東大医学部などの医師が非常勤の医師として名を連ねていたわけでございますが、報告によりますと、症例研究会等に出席をし、診療の指導及び研究を行っていたということでございまして、もちろん、先ほど申し上げましたように兼業許可の手続をとられてなかったということについては、これはまた別途の処置はいたしたわけでございます。東大の医師は、暴行、無資格診療は知らなかったと言っておるわけでございまして、関与の形態から、先ほど申し上げましたように、いわゆる症例研究会等に出席をするという形でございますので、関与の形態からいたしまして詳細に承知していたというふうには考えにくいという判断を東大ではいたしておるわけでございます。しかし、患者の状況に十分な注意を払っていないということは、今、先生からもお話がございましたように、医師としてやはり研究者のモラルあるいは兼業のあり方等から考えまして極めて遺憾なことであるというふうに考えておりまして、東京大学医学部では、医学部長、病院長から、先ほど申し上げましたように厳重な注意をいたしたと。それから、二人の無許可兼業につきましては訓告、監督者を厳重に注意をいたしたと、こういうことでございます。

 確かに、先生がおっしゃいますように、私も直接この先生方にお会いしていないですから、この方々について申し上げるということも――一般論としてやはり学問を進めておられる研究者というのは、えてして対社会的にはいろんな意味で若干、ちょっとこう我々常識から考えにくい面があるというのは、まあこんなことを申し上げていいのかどうかわかりませんが、政治家の一人としておつき合いをしておるとそんな感じがしないわけでもありません。そういう意味で、今、先生から大変おしかりをいただいたように、実態、病院がこういうことをやっておったということを知らなかったと、私もこの報告だけを聞いて、やはりそういうふうに信じられない、面がある。大学局長にも、もう一遍そういう点は、一体どういう関係があったのか、あるいはこの宇都宮病院の院長というのは、これは東大の卒業生であって、そしてこの人たちと――お医者さんの世界というのは、やはり系列といいましょうか、学間の関係というのは強うございますから、そういう関係でもあったのかなと、こう調べて、大学局長にも問い合わせてみましたが、どうもそういう関係でもない。そういう面から見ると、どうも私としても理解しにくい面がたくさんあるわけでございます。しかし、文部省といたしましては、一応東京大学に調査をさせ、東京大学の報告を私ども受けて対応をいたしておるところでございまして、御指摘の点につきましては先生のおっしゃるとおり、医学者としてのモラル、倫理観、こういう面については極めて遺憾でございまして、今後もなお十分に指導をしていきたいと考えております。先ほど申し上げましたように、東京大学にはこの機会に倫理審査委員会ができつつ今ございますので、やっぱりお医者さんの世界でございますので、大学の倫理審査委員会を中心にして今後の措置を考えていっていただくということが適切ではないかというふうに考えております。」

◆19850326 宇都宮地裁 宇都宮病院前院長に懲役1年の実刑判決 *

◆石川 文之進 19990420 『静塔・文之進・百物語――俳句と精神医学』,近代文芸社,373p. ISBN-10: 4773364181 ISBN-13: 978-4773364187 \1575 [amazon]/[kinokuniya] ※ m

◆石川 文之進 20030510 『アルコール症――病院精神医学の40年』,メディカル・ジャーナル社,479p. ISBN-10: 4944012519 ISBN-13: 978-4944012510 \4410 [amazon]/[kinokuniya] ※ m alc

◆石川 文之進 20081115 『精紳医学と俳句』,幻冬舎ルネッサンス,584p. ISBN-10: 4779003709 ISBN-13: 978-4779003707 \1890 [amazon]/[kinokuniya] ※ m [67]

◆木村朋子,1998,「精神医療における権利擁護」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

「日本の精神科病床数の多さ、強制入院や長期在院率の高さが、国際的批判を浴びることとなった。」(木村 1998: 111)

◆高橋一,1998,「精神保健福祉法の意義と内容」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

「この事件は経済大国になった日本での人権問題として国際的にも問題となり、国際法律家委員会(ICJ)等からの改善勧告を受けることとなった。」(高橋 1998: 210)

◆全家連30年史編集委員会編,1997,『全家連みんなで歩けば道になる――全家連30年のあゆみ』全国精神障害者家族会連合会.

「新精神保健法の主な改正点は、精神障害者の人権擁護と社会復帰を柱とし、本人の同意に基づく任意入院の導入や同意入院の名称を医療保護入院と改め、また社会復帰促進策として、社会復帰施設の法定化がなされた。」(全家連 1997: 67)

◆伊東秀幸,2010,「宇都宮病院事件から精神保健法の誕生」『ノーマライゼーション-障害者の福祉』30(8):5.

「1984(昭和59)年3月、栃木県宇都宮市にある精神科病院、医療法人「報徳会宇都宮病院」における患者リンチ事件が新聞報道され、病院スタッフによる患者への暴行、無資格者の医療行為や不必要な入院等が明らかにされました。

1984年8月、国連人権小委員会において国際法上の問題として日本政府は非難され、また、1985年(昭和60)年5月には、国際法律家委員会(ICJ)、わが国の精神科医療の実態を調査するために訪れるなど、宇都宮病院事件は国際問題へと発展していきました。その結果、国連差別防止・少数者保護小委員会(第38回会議・ジュネーブ)において、日本代表は、精神障害者の人権保護を改善することを明言しました。

1987(昭和62)年、精神衛生法は精神保健法へと改正されました。宇都宮病院事件における精神障害者への重大な人権侵害が、大きな問題となったことから、改正の主な内容は次の通り、人権に配慮するものでした。

精神障害者本人の同意に基づく任意入院制度の創設

入院時における書面による権利等の告知制度の創設

入院の必要性や処遇の妥当性を審査する精神医療審査会制度の創設

精神科病院に対する厚生大臣(当時)等による報告徴収、改善命令に関する規定

精神障害者の社会復帰の促進を図るために精神障害者社会復帰施設に関する規程」(伊東 2010: 5)

◆君島正志,2004,「精神保健福祉法」志田民吉・伊藤秀一他『改訂社会福祉サービスと法』建帛社.

 「1984(昭59)年に宇都宮病院事件が露顕し国際的批判を浴びると、精神衛生法を改正し精神保健法が制定された。この法律は、精神保健の向上、精神障害者の人権擁護と適正医療の確保、社会復帰の促進を目的とし、任意入院・応急入院の新設、入退院手続き・書面告知・病状報告の義務付け、信書・電話・面会・患者の隔離・身体拘束についての処遇基準の明確化、精神保健指定医の制定、精神医療審査会の設置、社会復帰施設の整備と充実のための予算措置などがなされた。1993(平5)年には一部改正が行われ、精神障害者の定義の変更、保護者の名称変更、事務処理の政令指定都市への委譲、精神障害者地域生活支援事業(グループホーム)の法定化、さらに医療機関が行うリハビリテーションに関する相談・援助活動が入院患者だけでなく通院患者についても実施できるようになり、同時に欠格条項に関する一部見直しなども行われた。1993年に障害者基本法が成立し、精神障害者が施策の対象に位置づけられたことで、精神病院から社会復帰施設へ、さらに地域へという流れが形成された。」(君島 2004: 143-144)

◆加藤真規子,2009,『精神障害のある人々の自立生活―当事者ソーシャルワーカーの可能性』現代書館.

「一九八四年の宇都宮病院事件で、病院職員による入院患者への著しい人権侵害が発覚したことを契機として、精神障害がある人々に対する法律が精神衛生法、精神保健法、精神保健福祉法と変わり、精神障害者の社会復帰とともに権利擁護や人権の確立に重点が置かれるようになった。一九九三年には障害者基本法が成立し、精神障害者も社会福祉の対象者として位置づけられた。さらに社会福祉基礎構造改革の中で、障害者に対する福祉サービスのあり方が「措置」から「契約」に変化し、二〇〇六年四月には、精神障害、知的障害身体障害の障害種別を超えた障害者自立支援法が施行された。

 しかし、未だ日本における精神病院入院患者数は約三四万人と世界でも突出して多く、欧米では最高でも入院日数は六週間といわれる時代にあって、三四万人の入院患者の約五割の人々が五年以上の入院という極めて異常な事態となっている。また精神病院での人権侵害も毎年のように報道されている。さらには精神科特例や欠格条項、再犯予測は成立するという前提の下に予防拘禁・隔離収容を規定した心神喪失者等医療観察法などの法律や制度に規定された差別の存在など、社会的差別・偏見も根強く、精神障害者が地域社会で生活していく上での社会的障壁は実に大きいといわざるをえない。」(加藤 2009: 10)

◆杉本章,2009,『障害者はどう生きてきたか――戦前・前後障害者運動史[増補改訂版]』現代書館.

「七〇年代の十全会病院事件、八〇年代の宇都宮病院事件と精神病院におけるでたらめ医療や患者虐待が日本の精神医療の在り方に対する国際的批判を呼び起こし、それが精神衛生法から精神保健法への改正(八七[昭和六十二]年)につながったことは先に見たとおりですが、にもかかわらず、こうした事件を引き起こした精神医療体制、精神病院の構造は依然として生き続けていました。」(杉本 2009: 186)

◆精神保健福祉行政のあゆみ編集委員会,2000,『精神保健福祉行政のあゆみ』中央法規.

「このような中で、いわゆる宇都宮病院事件一医師や看護婦等の医療従事者が不足する中で、無資格者による診察やレントゲン撮影が行われたり、看護助手らの暴行により患者が死亡したりした事件)などの精神病院の不祥事件を契機に精神衛生法改正を求める声が国内外から強く示されるに至り、厚生省においては、通信・面会に関するガイドライン等により指導が強化されるとともに、精神障害者の人権に配慮した適正な医療及び保護の確保と精神障害者の社会復帰の促進を図る観点から、精神衛生法が改正されることとなった。」(精神保健福祉行政のあゆみ編集委員会 2000: 13)

◆谷中輝雄,2007,「社会福祉基礎構造改革と精神障害者福祉」日本精神保健福祉士養成校協会編『精神保健福祉士養成講座4 精神保健福祉論』中央法規.

「1984 (昭和59)年に栃木県の報徳会宇都宮病院で起こった事件(宇都宮病院事件)を契機として, 1987 (昭和62)年に精神衛生法が改正され精神保健法が誕生し,精神障害者の人権擁護と社会復帰の促進が掲げられた。」(谷中 2007: 81)

◆半田芳吉,2007,「社会復帰施設の現状と課題」日本精神保健福祉士養成校協会編『精神保健福祉士養成講座4 精神保健福祉論』中央法規.

「地域生活支援の大きな展開は,1987 (昭和62)年の精神衛生法から精神保健法への改正からである。人権擁護と社会復帰対策を柱とし,社会復帰施設が制度化されたのである。」(半田 2007: 281)

◆高橋一,1998,「精神保健福祉の歴史と概念」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

「1984(昭和59)年3月,栃木県の報徳会宇都宮病院で,入院患者2名が看護職貝の暴行によって死亡するという事件が国会で問題とされた。いわゆる宇都宮病院事件である。この事件は国内のみならず広く海外でも報道され,国際的批判が高まった。こうして国連人権小委員会や国際法律家委員会から視察団が来日するに至り,これを受けるかたちで1987 (昭和62)年,精神衛生法は精神保健法に改められ,精神障害者の社会復帰施設の法定化,任意入院制度,精神医療審査会など人権に配慮した法改正が実施された。」(高橋 1998: 83)

◆木村朋子,1998,「精神医療における権利擁護」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

「1988 (昭和63)年7月から施行された精神保健法には,人権擁護護の規定として,新たに本人の意思にもとづく任意入院,強制入院や行動制限の判断は指定医という資格ある精神科医のみがなしうること,患者の側が退院請求や処遇改善請求を申し立てる権利,入院時にそれらの権利を告知されること,退院などの請求や病状報告を審査する精神医療審査会,通信面会の保障や保護室収容・身体抑制についての条件づけ等が盛り込まれた。」

◆木村朋子,1998,「精神障害者の権利」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

「この原則は,もともとは旧ソ連の政治犯に対する精神医療の濫用を防止するために, 1970年代の後半に必要性が認められたものであった。しかし,その後ソ連は崩壊し,かっ各国の事情をみると精神医療の濫用は政治的理由によるものばかりでなく,精神障害者が差別されたり,無権利状態に置かれているのは多かれ少なかれ各国共通の現状であることがわかってきた。後にみる日本の報徳会字都宮病院問題もちょうどこの原則案の検討が進むなかで起こり,日本の精神医療状況も論議の大きな的となった。」(木村 1998: 100)


■資料

◆1984/04/01 全国「精神病」者集団 「抗議声明」

◆1984/04/16 4・16「精神障害」者差別・虐殺―宇都宮病院解体東大脳研―精神科教室会議追放―総決起集会 参加者一同 「決議文」

◆1984/06/** 不明 「東大医学部長室座り込み闘争へ支援・連帯を訴えます!」

◆1984/06/24 東大福祉研 「対三島医学部長公開討論会要求全学集会へ」

◆1984/06/25 全国「精神病」者集団(→三島 一済 医学部長,原沢 道美 病院長) 「公開質問状」

◆1984/06/18 東大精神科医師連合 「医学部長室・坐りこみ宣言」

◆1984/06/19 東大精神科医師連合 「坐りこみニュース」No.1

◆1984/06/20 東大精神科医師連合 「坐りこみニュース」No.2

◆1984/06/21 東大精神科医師連合 「坐りこみニュース」No.3

◆1984/06/22 東大精神科医師連合 「坐りこみニュース」No.4

◆1984/06/27 東大精神科医師連合 「坐りこみニュース」No.7

◆1984/06/28 全国「精神病」者集団 「宇都宮病院解体!逃亡した三島医学部長を許さず、東大脳研・精神科外来一派を徹底糾弾する!!」

◆1984/07/18 7・18 これで「宇都宮病院」はなくなるか!?全国集会参加者一同 「7・18 これで「宇都宮病院」はなくなるか!?全国集会 集会決議(案)」

◆1984/07/18 社会党政策審議会 「第6回水曜会 政府に対する事前の質問と回答」

◆1984/09/04 宇都宮病院を告発し解体する会(→厚生大臣 渡部恒三) 「公開質問状」(新規)

◆1984/09/20 医療法人報徳会宇都宮病院長 平畑 富次郎 「7.29集会抗議要求の回答」

◆1984/10/05 栃木県衛生環境部保健予防課長 稻葉 寛(→宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議) 「宇都宮病院事件に関する要請に対する回答について」

◆1984/10/24 宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議(→栃木県知事 船田 譲,栃木県衛生環境部部長 鈴木 忠義) 「抗議と要求書」

◆1984/11/06 栃木県衛生環境部長 鈴木 忠義(→宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議) 「抗議と要求書に対する回答について」

◆1985/04/02 日本精神病院協会 「声明」

◆1984/05/22 日本精神神経学会評議委員会 「宇都宮病院事件問題についての見解――精神障害者の人権擁護のために」

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■文献

◆武村 信義 19830610 『精神病質の概念』,金剛出版,精神医学文庫,176p. ISBN-10: 4772401695 ISBN-13: 978-4772401692 1800 [amazon]/[kinokuniya] ※ m.

◆戸塚 悦朗・広田 伊蘇夫 編 198411 『日本収容所列島――精神医療と人権I』,亜紀書房,300p.ISBN-10: 4750584118 ISBN-13: 978-4750584119 [amazon]/[kinokuniya] ※ m,

◆秋元波留夫 19850523 『迷彩の道標――評伝/日本の精神医療』,NOVA出版,290p. ISBN-10: 4930914191 ISBN-13: 978-4930914194 \2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ m. ut1968. [70]

◆大熊 一夫 19850601 『新 ルポ・精神病棟』,朝日新聞社,274 p. ISBN-10: 4022553553 ISBN-13: 978-4022553553  950 [amazon]→19880320 朝日文庫,331p. ISBN-10: 4022604948 ISBN-13: 978-4022604941 [amazon]/[kinokuniya] ※ m

◆戸塚 悦朗・広田 伊蘇夫 編 19850625 『人権後進国日本――精神医療と人権II』,亜紀書房,260p. ASIN: B000J6PE60 1800 [amazon] ※ m,

◆戸塚 悦朗・広田 伊蘇夫 編 198512 『人間性回復への道――精神医療と人権III』,亜紀書房,267p. ASIN: B000J6O4W0 [amazon]/[kinokuniya] ※ m,

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◆石川 文之進 19990420 『静塔・文之進・百物語――俳句と精神医学』,近代文芸社,373p. ISBN-10: 4773364181 ISBN-13: 978-4773364187 \1575 [amazon]/[kinokuniya] ※ m

◆富田 三樹生 20000130 『東大病院精神科病棟の30年――宇都宮病院事件・精神衛生法改正・処遇困難者専門病棟問題』,青弓社,295p. ISBN-10: 4787231685 ISBN-13: 978-4787231680 \3150 [amazon]/[kinokuniya] ※ m

◆石川 文之進 20030510 『アルコール症――病院精神医学の40年』,メディカル・ジャーナル社,479p. ISBN-10: 4944012519 ISBN-13: 978-4944012510 \4410 [amazon]/[kinokuniya] ※ m alc

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◆石川 文之進 20081115 『精紳医学と俳句』,幻冬舎ルネッサンス,584p. ISBN-10: 4779003709 ISBN-13: 978-4779003707 \1890 [amazon]/[kinokuniya] ※ m [67]

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◆青木薫久,1993,『保安処分の研究――精神医療における人権と法』三一書房.

◆伊東秀幸,2010,「宇都宮病院事件から精神保健法の誕生」『ノーマライゼーション-障害者の福祉』30(8):5.

◆宇都宮病院事件・広瀬裁判資料集編集委員会,2008,「宇都宮病院事件・広瀬裁判資料」宇都宮病院事件・広瀬裁判資料集編集委員会.

◆宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議・宇都宮病院を告発し解体する会,1988,『6/18宇都宮病院差別虐殺糾弾現地集会―精神保健法弾劾― 基調』(灰色文献).

◆宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議,1987,「宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議ニュース」第6号(灰色文献).

◆宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議,1989,『宇都宮病院の患者差別虐殺5か年糾弾!「精神保健法」施行1か年弾劾!宇都宮現地集会―基調』(灰色文献).

◆宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議,1986,『悪魔の精神病院――報徳会宇都宮病院』三一書房.

◆岡田靖雄,1984,「つぶやき第14号」(灰色文献).

◆小澤勲,1981,「日弁連『要綱案』を批判する」『精神医療』10(4):48-72.

◆加藤真規子,2009,『精神障害のある人々の自立生活―当事者ソーシャルワーカーの可能性』現代書館.

◆木村朋子,1998a,「精神医療における権利擁護」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

◆木村朋子,1998b,「精神障害者の権利」精神保健福祉士養成セミナー編集委員会『精神保健福祉士養成セミナー第4巻 精神保健福祉論』へるす出版.

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◆杉本章,2009,『障害者はどう生きてきたか――戦前・前後障害者運動史[増補改訂版]』現代書館.

◆「精神医療人権基金」運営委員会,1986,「日本における人権と精神病患者」悠久書房.

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◆精神衛生法撤廃全国連絡会議,1987,「2・14精神衛生法撤廃全国連絡会議結成集会基調・資料」(灰色文献).

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◆戸塚悦郎,1984,「宇都宮病院事件と精神障害者の人権救済」『精神医療』13(2):24-37.

◆富田三樹生,2000,「東大病院精神科病棟の30年――宇都宮病院事件・精神衛生法改正・処遇困難者専門病棟問題」青弓社.

◆長野英子・一の門ヨーコ,1990,「精神医療」現代書館.

◆日刊警察新聞1986年5月1日

◆半田芳吉,2007,「社会復帰施設の現状と課題」日本精神保健福祉士養成校協会編『精神保健福祉士養成講座4 精神保健福祉論』中央法規.

◆安井健彦,1986,「悪魔の精神病院――報徳会宇都宮病院」三一書房.

◆安井健彦,1984,「宇都宮病院の実態」精神医療委員会編『精神医療(第二次)』13(2):12-19.

◆谷中輝雄,2007,「社会福祉基礎構造改革と精神障害者福祉」日本精神保健福祉士養成校協会編『精神保健福祉士養成講座4 精神保健福祉論』中央法規.

◆吉田おさみ,1981,「狂気からの反撃」新泉社.

◆吉田おさみ,1983,「『精神障害者』の解放と連帯」新泉社.

*作成:桐原 尚之

UP:20110504 REV:20130811, 0905, 1214, 21, 20140108, 20140818,20150510, 0525, 20161127

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