俳諧史とポピュラー音楽の意外な共通点

https://news.line.me/detail/oa-rp73025/72fee99ea2d3 【天下一言語遊戯会── 俳諧史とポピュラー音楽の意外な共通点】より

天下一言語遊戯会──俳諧史とポピュラー音楽の意外な共通点

明治時代以降の文学と比べ、実際に読まれることの少ない江戸文芸。しかし、芭蕉の俳句や西鶴ら以外にも、豊饒な文学の世界が広がっています。

江戸時代の作品を愛読してきたJ-POP作詞家の児玉雨子さんが、現代カルチャーにも通じる江戸文芸の魅力を語る、全く新しい文学案内エッセイ。

前回は、松尾芭蕉のリテイクを繰り返す創作のスタイルを考えました。

今回は引き続き、俳諧史を現代J-POPの観点も交えて考えていきます。

イラスト/みやままひろ

◇俳諧はカウンターカルチャー?!

 今回は俳諧(俳諧の連歌)そのものや、大まかな文学史について書こうとおもう。というのも、やはりこの俳諧というジャンル、わたしは今日の商業音楽──ポップスと非常に親和性があると常々感じているのだ。先日、あるテレビ番組で俳人の黛まどかさんとご一緒したのだが、黛さんも似たようなことをミュージシャンから指摘されたそうだ。これはわたしのこじつけではないのだ、と確信したので、思い切って書いてみる。

 俳諧──正確には「俳諧の連歌」は、和歌・連歌に対するカウンターカルチャーだ。和歌・連歌は主に宮廷や貴族による伝統文化で、よく「雅」の文化と呼ばれる。一方俳諧は武士や商人も参加する、階級を問わない新興文化で、「俗」のそれとして扱われる。

 この「雅」と「俗」の具体的な違いは、歌を詠むときのことばやモチーフにあらわれる。たとえば和歌で使われる数字は基本的に「ひい、ふう、み」と訓読みだが、俳諧では「いち、に、さん」と音読みしてもよいのだ。それまでは原則大和言葉で編まれてきた歌世界(*1)に、漢語(当時の中国語)という外国語を入れて異化効果を生む俳諧的方法は、英語、和製英語、日本語が混ざるJ-POPにも近いところがある。ほかにも、和歌では無教養な印象があるとして好まれない、「畳語じょうご」というオノマトペや繰り返しことばも俳諧では受け入れられている。単純に繰り返すことで記憶に残りやすいし、音楽的快楽もある。

 では、そういった「俗」な言葉で詠まれる歌世界はどうだろう。これは俳諧の文学史的な流れも一緒に説明するほうがわかりやすいと思う。和歌的な「雁かり」というモチーフに対して、松永貞徳(1571-1653)という俳諧師はこんな句を詠んだ。

「花よりも団子やありて帰雁かえるかり」(「犬子集」)

(現代語訳:花の季節だが、それもたのしまず帰って行く雁たちの故郷には団子でもあるのだろう)

 和歌の世界でも、雁が花の風流がわからずさっと故郷に帰っていってしまう鳥だというのは伝統的なのだが、そこに「花より団子」を持ってきたのがこの句のおもしろさだ。

 俳諧という文芸ジャンルは鎌倉時代からあったのだが、この松永貞徳は江戸時代の俳諧大流行の土壌を作ったと言ってもよいだろう。和歌の知識を踏まえた句が多いのでややインテリ風味だが、貞徳の元に弟子が集まり、このような作風は「貞門俳諧」と呼ばれるようになった。

 貞門はインテリをニヤリとさせるものが多いのだが、彼に次いで更に軽い調子の、爆笑を狙った句の名手が登場する。西山宗因(1605-1682)だ。彼にも弟子が集まり「談林俳諧」の開祖となった。

「ながむとて花にもいたし頸の骨」(「牛飼」)

(現代語訳:こうして桜を眺めていると、ずいぶんと首の骨が痛くなってくるなぁ)

 この句は西行の「ながむとて花にもいたしく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ」のパロディで、「いたく」は元ネタの意味の「ずいぶんと」と、そのまま「痛く」とかけたダジャレだ。はじめは和歌をなぞって雅やかに桜を見上げていたが、最後に「首が痛いな~」と笑える滑稽で終わらせている。この宗因の軽口で、談林俳諧はそれまで連歌へ興味のなかった層にも波及した。しかし現代の近世文学研究では「今日の我々の目から見れば文芸とはいいがたい」(*2)や「今日からすれば文芸的に未熟な」(*3)などと評される。一方芭蕉が一般的に貞徳や宗因よりも知名度が高いのは、「今日」の「文芸」的とみなされたからだろうか?

 そもそもここで言う「文芸」とはなんだろう。 

◇芭蕉によるテクニックの引き算

 この俳諧の「文芸」的価値を考えるにあたって、前回紹介した芭蕉の強迫的なまでのリテイクがヒントのひとつなるかもしれない。実は芭蕉はこの談林派出身で、当時は桃青というペンネームで活動していた。かの有名な「古池や」の句の初案は、談林風だという指摘が多い。

「古池や蛙飛ンだる水の音」(「庵桜」)

「古池や蛙飛び込む水の音」(「蛙合」「春の日」)

 明らかに変わった点は「飛ンだる」から「飛び込む」だ。この「飛ンだる」の軽さが談林俳諧らしいそうだ。わたしは先に完成形を知っていたので牽強付会かもしれないけれど、前者は蛙が飛び込む音よりも「飛ンだる」という言語的快楽のほうに意識が向いてしまう。軽妙さを捨てる──今どきな表現をすれば、テクニックを引き算したことでこの句が評価され、芭蕉は自身の作風を確立した。

 晩年の芭蕉は「高悟帰俗」を説いた。わたしはこの言葉をきちんと理解できている自信がないのだが……つまり、高く悟り俗に帰るのが俳諧である、という禅思想に近いものだ。この「俗な世界のなかに雅がある」という不思議な風味を近世文学研究の領域では「俗中雅ぞくちゅうが」といった表現をするそうだが、ただ和歌のパロディや言語遊戯に興じるのではなく、俗中雅のような新たな感覚を生んだから「文芸」としての価値を見出されたのだろう。そしてこの新たな感覚こそ、芭蕉のエポックなところだとわたしは感じる。

 文学史を踏まえれば、そんな「ポチャン」という音は、それまで和歌・連歌にもなく、そしてただパロディや言葉遊びに甘んじた既存の俳諧にもなかった、新しい音の発見であったはずだ。当時の日本人さえ「蛙飛び込む水の音!?!?」「芭蕉神、天才かよ……」と驚いたかもしれない。

 ところで、この「雅」すなわち伝統と「俗」すなわち新興の対立と融和は、現代音楽に置き換えてもそんなに乱暴なことではないとわたしは思っている。J-POPというか、ジャズ、ロック、ポップ、EDM、ヒップホップなどを含むポピュラー音楽は、伝統的なクラシック音楽に対するアンチテーゼといってもよいだろう。そのふたつでは音楽理論や用語がやや違う。和声と和音の考え方はもちろん、細かいことだがクラシックでは音名をドレミやドイツ語のアー・ベー・ツェーと読むのに対し、ポピュラー音楽ではエー・ビー・シーと英語読みするところも異なっている。また、ポピュラー音楽にはクラシックと異なり「禁則」と呼ばれるものがない。(厳密には「好ましくない」という扱いなので、あるっちゃあるし、ないっちゃない、といった感じらしい)それはクラシックのルールを破り、裾野を広げるように発展してきたからだ。また反対に、何でもありであるポピュラー音楽は、対位法などのクラシック的手法を取り入れることもできる。これも俳諧との親和性が高い。芭蕉の弟子・各務支務による聞き書き『続五論』に「俳諧は高下の情をもらすことなし」とある。俳諧は素材や心情を雅か俗かで選別することはない。それは俳諧師の身分を問わない姿勢にもつながる。

 職業作曲家にはクラシック畑からやってきたひともいれば、バンドマン、DTMer(*4)もいる。生まれや育ちは関係ない、というより、どんな出自も個性であり武器となるような、天下一武道会であることも俳諧と共通している。PCやDTMの際に使うソフトやアプリが普及し(*5)、YouTubeにポピュラー音楽理論の解説動画が増えて、デジタルネイティヴ世代がぞくぞくと成人してゆく今日このごろ、特にその傾向が強くなっているとわたしは感じている。

◇俳諧の歴史を知ると前向きになれる

 そして芭蕉が起こした変化と、わたしが現代ポピュラー音楽の現在と似ているな~と感じる点はもうひとつある。一度の句会で巻いた句の数だ。貞門・談林時代では、百句つらねる「百韻」形式が基本だったのだが、芭蕉は三十六句(三十六歌仙にちなみ、この形式を「歌仙」と呼ぶ)まで短くなった。その理由のひとつに、句のつなげ(付け)方や俳諧性が、芭蕉の登場でそれはもうめちゃくちゃに洗練されたことがある。余韻や行間を重んじるようになり、ただペダンティックに古典を引用したり、ダジャレに興じたりするのでは適わなくなったのだ。ほかにも、俳諧が武士や僧侶などの有閑インテリ層だけでなく、いそがしく働く商人階級にも広がり、百韻も巻く時間がなくなったことも影響しているだろう。

 尺が短くなる傾向は今現在のポップスにも見受けられる。20年前の楽曲で5分を超えるのはそんなに不思議なものではなかったが、最近はチャート上位にそんな長い曲が来るのはレアケースじゃないかと個人的には感じる。勝手な推論だけど、サブスクサービスで曲を聴くのが若年層の主流になり、音楽の「数字」は円盤売上ではなく再生回数を指すようになった。一回聴いただけで満足されたら「数字」にならないので、ちょっと物足りなく感じさせるため短くする、という戦略も邪推できるが、何もそんな商業的な理由だけではないと思う。すべてを説明しきらない、シャープな余情が求められているのかもしれない。

 こうして俳諧の歴史と照らし合わせてみると、まだまだ音楽業界に様々な変化を期待できるかもしれない。芭蕉の少しあとには上島鬼貫が活躍し、時代が下れば与謝蕪村や小林一茶も有名だ。もちろんまったく同じ流れを繰り返すことはないだろうけれど、歴史を振り返るたびに、不思議と前向きな気分になる。

【注釈】

(*1)12世紀ごろにはすでに、雅な和歌的情緒のある連歌を「有心うしん連歌」、言語遊戯に興じた俗なそれを「無心連歌」と分けていたそうだ。「俗」な俳諧の連歌は貞門俳諧でいきなり成立したのではなく、中世から存在していた。

(*2)田中善信「談林俳諧における寓言論の発生について」

(*3)中村幸彦(『中村幸彦著作集』第9巻 P.168) ただし中村は同書で「談林は(中略)滑稽の文学である。滑稽文学は、明治以後現代まで軽視する傾向が続いている。柳田國男爺のいわゆる不幸なる芸術にさせたくないものである」と続けているように、談林派軽視の論壇に対し懐疑的であった。

(*4)PCを使って楽曲制作をすることをDTM(デスクトップミュージック)と呼ぶ。DTMerはそれをするひとたちの通称。

(*5)iPhone等をはじめとしたApple社製品には「GarageBand」という簡易的な音楽制作ソフトが標準搭載されている。また、より自由度の高く「Logic Pro」というソフトも、iMacやMacBookシリーズ購入時に他社製品よりも比較的安価に同時購入することができ、時が下るほど音楽制作を始めるハードルが下がっている。

【参考文献】

池澤夏樹編 丸谷才一・大岡信・高橋治著『日本文学全集 12巻 とくとく歌仙』(河出書房新社 2016)

穎原退蔵校注『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波書店 1939)

櫻井武次郎『連句文芸の流れ』(和泉選書 1989)

田中善信「談林俳諧における寓言論の発生について」(『国文学研究』49,P65-73 早稲田大学国文学会 1973)

中野三敏『十八世紀の江戸文芸――雅と俗の成熟』(岩波書店 2015)

中村俊定「貞門俳諧の諸問題 重頼(維舟)と宗因の関係について」(『国文学研究』7,P84-93 早稲田大学国文学会 1952)

中村幸彦『中村幸彦著述集』第1巻・第9巻(中央公論社 1982)

長谷川櫂『古池に蛙は飛び込んだか』(花神社 2005)

 連載第3回は12/28(火)公開予定です。

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