Facebook一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)さん投稿記事
平常心は空に浮かぶ月のような心です。雲が押し寄せて月を覆っても月には関係ありません。
いつもその場でただ明るく輝くだけです。
そのうち雲が晴れるとその明るさは再び現れます。それが私たちの本当の姿、真我です。
心の中から平常心が消える瞬間それが地獄です。
真我に気づかないままだと私たちはいつも追われるように過ごします。
永遠の真我に気づいたとき揺るぎない平常心が得られます。それが道の心です。
Facebook田中 宏明さん投稿記事
自分には価値がないと思っている人がたくさんいます
そんな人にあなたには本当に価値があるんですよと、いくら伝えてても絶対に伝わることは
ありません^ ^ なぜだと思いますか?
それはその人が無意識のうちに自分が無価値である事を望んでいるからです
自分が無価値であれば自分の置かれた状況に抗わずにすみます
自分が無価値であればつまらない人間関係も仕方がないと思えます
自分が無価値であればこの苦しさや虚しさに無感覚でいられるように思うのです
つまり自分を無価値にすることで自分自身を生きる葛藤から逃れようとしているんですね
でも同時にそのやり方は全ての自分の思いを殺してしまいます
素敵に感じる状況や人に出会った時無価値の自分にはふさわしくないと思ってブレーキが
かかります とても楽しい シチュエーションに遭遇しても無価値の自分が楽しくしている事が不自然に思えます
さて^ ^ ではどうして人は 自分には価値がないという ことを選択してしまうのでしょうか?それはたくさん傷ついてきたからです^ ^
まだ小さくて無邪気だったあなたが自分の思うように 感じたままに 生きようとしただけで
たくさんの大人たちにそんな風にしては人の迷惑になるだとかそんなことで社会を生きていけると思っているのかだとか お前にはそれは ふさわしくないだとか
ありのままの自分で 生きようとするといつもそれではいけないと言われ続けて来たからなんです
だからあなたはある日ありのままの自分自身を生きることに疲れてしまったのです
自分を生きようとするたびにたくさんの葛藤に巻き込まれるだけだと気づいたのです
だったらいっそ自分自身を生きるのはやめて他人や社会との摩擦の起きない当たり触りのない自分でいようと決めたのです
その時あなたはいつかあなたを否定した「大人」になりました もちろんそれには気づかずに^ ^大人になったあなたは 自分を生きようとすること つまり自分自身に価値を感じる
生き方はいけないのだと 自分にも他人にも 強いる生き方になったのです
そして同時に 喜びも失いましまた それが多くの人に 起こっている 悲劇の顛末です^ ^
多くの人の中に 自分自身を生きたかった 小さな子どもが今もいます
そしてこの自分自身の 内なる子どもに向き合わない限り いくら無価値な自分を装って、外見はそつなく生きていたとしても あなたが本当の安らぎにたどり着くことはありません
心の中には 絶えず虚しさだけを 感じるはずです
この虚しさを 埋めようと、お金や異性や仕事にどれだけ没入しても虚しさが満たされる
ことはないでしょう
あなたしかその小さな自分を抱きしめることは出来ないのです
「そのまんまの君でいいよ」「そのまんまの君を愛しているよ」そう言ってあげられるのは
あなたしかいないのです 自分自身を許し愛する覚悟を持つことそれが無価値感から 脱していく方法です
つまり 喜びに満ちた安らぎの人生を 取り戻すわけです 簡単でしょ?
本当に大切なことはシンプルなんです^ ^だから今日、今この瞬間から自分を愛すると決めてください僕もさりげなく応援しています^ ^
てなわけで今日も長い独り言になりましたが必要な人に届けば嬉しいです^ ^
では皆さまも良い一日を🌈💓✨らぶ😆
Facebook田中 宏明さん投稿記事·
実は今こっそりたくらんでいることがあります^ ^
まぁ、たくらむというほどたいした事ではないんですがみんなで瞑想や気づきをシェア出来る場や機会をつくっていきたいなぁと思っています^ ^
今やネットの中ではたくさんの情報やオンラインサロンなどで手軽に自分の好きな情報を手に入れることが出来るようになりました とてもいい時代になったと思います^ ^
でもオンラインの 素晴らしさや 利便性と同じくらい 実際に場を共有する 素晴らしさがあります
瞑想やスピリチュアリティに 興味や関心がある人たちで 集まってそれぞれの存在を分かち合う場 そんな場をつくっていきたいんですね^ ^
僕にその素晴らしさを教えてくれた師匠がいるのですが彼の僧名は「愛が集まる場所」という意味だったんですね
まさにそれは瞑想や精神的な気づきを分かち合う場「サンガ」という言葉から来ています
昔は禅寺やアシュラムなどが、修行の場としてその役割りを担っていました
でも僕はそんな場所が苦手でした^ ^ 興味はあったのですが 何かその集団独特の
特別意識みたいなものを感じて、自分には合わないと思っていたのです
そんな時インドで師匠に出会いました 彼とはほとんど言葉を使うことはなく ただ一緒に旅をして 寝食を共にしただけです
でもその中にたくさんの学びがありました その学びの一つに「近くにいること」というのがあります グルジはこう言っていました
誰かを愛する時に 一番大切なことは その人の側にいること なんじゃ
昨日お前が外のベッドで寝ていた時急に冷えてきた だからワシは布をお前にかけた
どうじゃ? 近くにいなければ お前が寒いだろうということもわからない
ましてや布をかける ことなど出来やしない わかるかの?
愛するにはその人の側にいるだけで十分なんじゃよ そう言うといつもの笑顔で 笑っていました 僕はこのやり取りがとても印象に残っています
近くにいること という言葉にすると 単純なことを 自分の中で 言葉ではなく体感で
感じられたからなのだと思います
体感があればどんな修行も説明も必要ありません
そんな感じ合える場を創れたらいいなと思っています
ちなみに僕がグルジからもらった僧名は HEROバハロティといいます^ ^
HEROとは主人公という意味でもあります この名前をもらった時はわからなかったのですが
今はこの名前の意味が良くわかります それは一人一人がこの世界の創造主であるということです^ ^ そして僕はそれを それぞれの人が 思い出すことが 何よりの喜びだと 感じています あなたが あなたの人生の 主人公なんですよ^ ^とまぁ、長くなりましたが
手始めに 今度の9/23の秋分の日に みんなで集まって 瞑想したり、お茶を飲んだりして
フッと優しい気持ちになれる場を企画してます
場所はデュニヤマヒルがいいなーと思ってます まだオーナーのアキラさんには何にも言ってませんが^ ^
デュニヤマヒルのワクワク波動も人を幸せにしてくれます^ ^そんな最幸の場所でやりたいですな
まだ、それ以外の詳細は決まっていませんが まぁシンプルでいいと思っています^ ^
とりあえずご報告までご縁のあるお暇な人たち(笑)と出会えますように^ ^
では皆さまも良い一日を💓🌈😆らぶ💓
https://www.duniyamahill.com/ 【リトリート デュニヤマヒルへようこそ!】
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