実物からの学び

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バラ十字会日本本部AMORC

私の書棚に置いてある2つの仏像は、決して忘れることのできないある出来事を思い起こさせてくれます

https://www.amorc.jp/the-two-buddhas/?fbclid=IwAR1pktviGkhBquYPYQJI_jAgrJ_IkVc-fSX1Iw5LmGNhX-i61QkU7AD7DD4 【二つの仏像-私の人生を大きく変えた「実物からの学び」】より

私の書棚に置いてある2つの仏像が、とても貴重である理由は、ひとつだけではありません。他の人はただの骨董品だと思うでしょうが、私には違います。私にとっては、決して忘れることのできない出来事を思い起こさせてくれるものなのです。

この2つの仏像を見ていると、私をじっと見つめながら仏像を私に手渡してくれた僧侶の愛情のこもったまなざしが、いまだに目に浮かびます。それは、もう何年も前、私が若かったときのことです。私がこの仏像を手に入れたいきさつをお話すれば、なぜ私がこれを「実物からの学び」(object lesson)と呼んでいるのかをご理解いただけることでしょう。私がこの仏像から学んだことは、私の生涯の宝物になったからです。

1936年、私は世界一周クルーズ中の大型客船で、二等通信士として働いていました。ある日の早朝、私たちは、セイロン(現在のスリランカ)のコロンボの港の停泊場所に到着しました。植民地時代風の白い家々と緑の丘に囲まれた港でした。とてものどかな風景でした。

私たち4人は、島の中央部にあるキャンディ(Kandy)という町に向かっていました。私たちは古いガタガタのトラックに乗り込み、灼熱のジャングルを通っている、穴だらけで溝だらけの道を抜けていきました。最後には、車を降りて人力車に乗り換えなくてはなりませんでした。人力車でなければ、道にある車ほどの大きさの穴を避けて通ることができなかったからです。キャンディでは、太陽がギラギラと容赦なく照りつけていました。しかし、耐え難いほどの暑さにもかかわらず、私たちは町中を歩いて写真を撮ることにしました。

まず、蛇の寺を訪れました。そこでは、広い部屋の中央に、床から30センチほどの高さの円形の祭壇が設えてありました。祭壇には小さな木々が固定されており、木の枝には想像できる限りのあらゆる種類の蛇がいました。鮮やかな色をしてしっかりと枝に巻きついているものもいれば、濃い灰色や茶色でとても長いものもいました。ひざまずいたり、祈ったりする人や、お辞儀をして寺を出て行く人がいました。

床の近くの低い枝に巻きついている、色とりどりの模様をした蛇に魅せられ、もっとよく見ようとして身をかがめたとき、私は右の耳にシューシューという音と風が吹いたような感覚を感じました。体を起こさないようにして、ゆっくりと振り向くと、茶色がかった蛇の目を自分が見つめているのに気づきました。その蛇の細い刀のような舌が私の耳をかすめました。シューシューと大きな音を立てながら、その蛇は一撃を与えるようと大きな口を開けました。しかし、逃げ出したいという強い気持ちを押えて、幸いにも、完全に静止したままでいることができました。致命的な一撃に襲われるのではと身構えていましたが、その一撃は来ることなく、蛇は口を閉じると、枝を素早く登って行きました。私が色とりどりの模様の蛇を見ようと身をかがめたときに、おそらく、その枝に軽く触れたのです。

私はどうやってその寺を出たのか覚えていないのですが、ものすごいスピードで走り出たに違いありません。その一瞬の後には、通りの斜め向かいにある別の寺にいるのに気づいたからです。そこでは祭壇が部屋全体に広がっていました。そして、祭壇にはさまざまな種類の小さな仏像が点々と置かれていました。そこにいた一人の人はすぐにいなくなり、私は独りで祭壇上の、素晴らしい仏像を見ていました。そのとき、視界の端から輝く銀色の仏像が飛び込んできて、私の注意を引きました。今でもその理由がわからないのですが、私はその仏像を持ち去りたいという突然の衝動にかられました。

通りの斜め向かいにある別の寺では祭壇が部屋全体に広がっていました

ひそかに周りをうかがい、部屋に誰もいないことを確かめると、私は素早く仏像をポケットに入れました。そして、祭壇の箱にお金を入れれば、埋め合わせ以上になるだろうと考えていました。お金を入れようと祭壇のほうを振り向くと、白い衣を着た奇妙な姿の僧侶がどこからともなく現れました。

「やあ、こんにちは、若者よ」と彼は言い、丁寧にお辞儀をして微笑みました。彼の目は私の目を真っすぐに見つめていました。「この慎ましい寺を気に入ってくださったか」。私は小さな仏像が置かれていた祭壇に目をやりながら、「はい、気に入りました」と何とか口ごもりながら言いました。私は、自分のうしろめたい眼差しや仏像がなくなっていることに、僧侶が気づかないことを願っていました。すると、僧侶は身をかがめて、私がポケットに入れた仏像の隣に置いてあった金色の仏像を取り上げました。その仏像と対になった銀色の仏像を私が盗んだことを僧侶はもう知っていることが、私には即座にわかりました。

彼はしばらくの間、金色の仏像を手に持っていましたが、やがて私に手渡しながらこう言いました。「若者よ、これも持って行ってくださらんか。今あなたが持っている仏像は正直を象徴しています。そしてこちらは真実を象徴しています。この2つは対なのです。ですから、あなたは両方を持っていたほうがいいのです」。私は恥じ入って、ポケットから銀の仏像を取り出し、それを返すと申し出ました。僧侶はゆっくりと頭を振りました。「いや、若者よ、私からの贈り物として受け取りなさい。この2つの仏像を持っていれば、あなたの中で、この2つが磨かれていくと私は思うのです。」

今、私の書棚にあるこの2つの小さな仏像を見ていると、私は今でも彼の言葉を思い出すことができ、思慮深く静かな彼の声が聞こえてくるような気がします。そして確かに、この重大な出会いによって私の人生は大きく変わり、私は、あの聡明な賢者との出会いに、永遠に感謝しています。


https://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=ai_school&frame=column33_16 【経験から学ぶことの大切さ】より

~株式会社EDUCOM 小林泰平~

私にとっての学びは、昔から座学で得られるものよりも実践から得られる知識や経験が大きな部分を占めてきたように思います。まず自分で実践し、成功・失敗体験を積み重ねて初めて身につくものがある、それはかけがえのない自分の成長の糧となるということを一人の先生との出会いで教えていただきました。

 そのような私なりの捉えで、学ぶことの楽しさを教えてくれた人、経験についてお話しさせていただきます。

私が小学3年のころの話ですが、当時の担任であったI先生が自分と数人のクラスメートを、数回、渓流釣りにつれて行ってくれたことがあります。なだらかな川辺で釣りをするのでなく、岩がごろごろと転がっているような山奥の渓流です。初めてつれて行ってもらった時のことです。現地につくと、車を道路沿いに止め、川まで道の無い岩場を皆で手を取り、下ってゆきます。数メートル下ると、そこには川底までが見通せるほど透明感の高い水が流れており、それまで本格的な渓流という場に行ったことのなかった私は、それだけでもかなり興奮した記憶があります。

 少し広いスペースを確保できる場所にベースキャンプを作り、釣りの仕掛けの作り方や魚がいるポイント、魚がどのようにえさに食いつくのか、食いに合わせるタイミングなどを丁寧に教えてもらいました。

上流に上ってゆくと、流れが留まる小さな滝壺のような場所があり、そこでアマゴ、ヤマメを狙って竿を出します。水の流れに逆らわず、餌を上流から滝壺に落としては、5メートルくらい流す、その繰り返しを何度も何度も、その時、これはビギナーズラックですが、一匹の魚が私の仕掛けにぱくりと食いついてくれました。魚が食いついた時の感触は、竿を通して伝わり、ぶるぶるというとても鋭い反応が来るのですが、今でも釣りを続けている要因になっています。釣り上げてみると25センチには満たないアマゴでした。

この日の帰り道、興奮冷めやらない私は助手席に乗せてもらい、その日の出来事を繰り返し話をし、すべてが初めての経験であること、それまで経験したことのあった釣り堀とは全然違うということなどを子どもながらに語り、そのすべてをよくやったと褒めてもらったことをよく覚えています。それからも何度か渓流釣りにゆき、川ではBBQをしたり、魚のさばき方を通して、ナイフの使い方を教えてもらったり、火の起し方や飯盒でのお米の炊き方など、経験のないことをいろいろと教えて頂きました。

私が「やったことが無いからやらしてくれ」というとなんでもやってみろとチャレンジさせてくれることに、いつも期待し、興奮し、経験することの楽しさを貪欲に追いかけるようになっていたと思います。そういう私を常に自分の趣味は犠牲にして(担任はほとんど坊主でしたから、きっと自分が釣りをすることは避けていたのだと思います)見守ってくれていました。

そんなときですが、担任にも、親にもかなり叱られることをしました。 ある時、渓流釣りで使う自分の竿がとてもほしくなったことがあります。それまで玩具やプラモデルなどにしか興味を示したことが無かったのですが、初めて分野の違うもの、「釣りがうまくなりたい」そのために自分で道具をそろえたいという物への欲求が生まれた時だと思っています。

愛知県の瀬戸市にエースという釣具屋があったのですが、そこにはI先生と何度か行った記憶があり、駅からの道のりなどは何となく覚えていたのだと思います。ある日学校が終わり、ありったけのお金を握りしめた私は、だれにも言わず、自転車で駅に向かい、愛知環状鉄道線に乗り、その釣具屋に行きました。道中はうきうきです、自分が危ないことをしているなどとは何も考えていませんでした。

ココは、お笑い話なのですが、店について目当てのカーボンロッド4.5m(小学3,4年生には長すぎます)を手に取り、レジでお金を出したのですが、1円足りないのです。 必死に価格交渉しましたが、お父さんは?お母さんは?というだけで、まったく交渉に応じてくれませんでした。当たり前です。(もし交渉に店員が応じてくれたら、帰りの電車代もなく、さらに途方に暮れていたと思います。まあ、行く道中に交番の位置は確認していましたが)。この時にものを買うときにはちゃんと金額を調べておかなければ、ダメだということも刻まれました(余談です)。

このことは内緒で終わらせるつもりだったのですが、店で1時間近くも交渉した結果、家に帰る時間が夜遅くなってしまったことで、母にすべてを話すことになりました。「あんたは、あほか!」と一喝され、張りビンタ。しかし1時間の交渉の末に、1円を値引きしてくれなかった店員にはもっと怒っていました(笑)。その夜のうちに釣具屋に連れて行ってもらい、自分のほしいそれとは違いましたが、自分の竿を買ってもらうことができました。

このことは担任にも伝わっていました。担任からもしっかりゲンコツをもらい、怒られましたが、同時に自分(担任)が悪かったなぁという話も頂きました。そして、やはり、この時もそれまで以上に褒めてもらいました。どうやって瀬戸駅まで行き、店にたどり着いたのか、店員とどうやって交渉したのか、なぜカーボンロッドを買おうとしたのかというような話を教室で長い間、していたように思います。

 この時、私は怒られる、褒められる、欲しいものを得られるということを同時に経験し、とても複雑な気持ちになりましたが、I先生からは新しいことへのチャレンジに恐れを抱かず経験を積むこと、その見返りは大きいということについて語り、教えてもらいました。

その後も何度か釣りにはつれて行ってもらい、高学年になってからは、部活の顧問として、常に厳しく指導いただき、やはりたくさん褒めて頂き、粘り強さや最後までやり切ることなど自分の行動判断の考え方を形づくる学生生活を過ごさせて頂いたと思います。

 この時期の経験は、その後の学生生活や社会人になった今でも自分の中で様々な行動の重要な考え方の一つになり、動く勇気をもらう経験・教えであったと感じています。

これからも常に新しい学びにチャレンジし、自分の経験値から少し背伸びをした新境地への一歩を踏み出すことの楽しさを忘れずに歩んでいきたいと考えています。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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