Sammaditthi Asakura
「人の言うことは気にするな。好きなことをしたら「こうすれば、ああ言われるだろう」、
こんなくだらない感情のために、どれだけの人がやりたいことも出来ずに、死んでいくのだろう」とジョンレノンの言葉があります。
好きなことでも最初から判断を誤らず成功することは難しいことです。
失敗は成功の礎ですから周りの非難を恐れず、人生を有意義に過ごしたいものです。
仏陀の言葉を二句ご紹介します。
「為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断乎として 実行せよ。」
「人は「私はこういう人間だ」と自分で考える その通りのものになります。
それと異なったものになることはありません。」
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/inna-tyairudo_hi-ringu.htm 【インナーチャイルドヒーリング】
50代の男性。人あたりがよく、いつも笑顔。社会的にも多くの評価を得てきた彼が 不全感に苦しみ 心が空っぽだと嘆きます。
彼のコミュニケーションの仕方は 即応答。講演を聴くときも 見事に反応します。
しかも カウンセリング技術で言う いわゆる「オウム返し(照り返し)」を駆使します。
相槌も上手にしまくり!!
相手の話の内容を素早く掴み 応答してしまうので 演者のが話の腰をおられてしまいかねない有様です。
たまりかねて「会話はよく キャッチボールに例えられますね。〇〇さんの話し方は ピンポンのように感じてしまいます。」
「自分の言ったことが跳ね返されて帰ってくると受け止められた感じになれません。」
「心のエネルギーが外にばかり向いて 自分の内側に無関心な感じがしてしまいます。」
「不登校が問題視された頃いい子が危ないと言われました。
良い子とは 周りの大人にとって都合のいい子を指すからですね。自分を生きることを諦めた子かもしれません。」
「○○さんにそんないい子を感じてしまいます。」と伝えました。
彼は涙ぐみ「幼い時から 大人の評価を受けることばかり 頑張ってきたこと『90点取れば なぜ100点取れなかったか?』と叱責され、頑張って頑張って生きるしかなかったこと、など、生育歴にまで 話が及んでしまいました。
子どもは親から自分が愛してもらえない、認めてもらえないのは自分がダメな子だからと勝手に思ってしまいます。
30代の女性A.さん。長い間、母親の期待に応え、母親を慰める役をやってきました。
彼女が高校1年生のときに両親は離婚し、それから母親との二人暮らしが始まりました。
母親は、「あなたが幸せになるためだったら、お母さんはいくらでも頑張るからね」とも言うようになりました。
母親の期待が重くて、何度か反抗しましたが、、口論の後、母親は涙を浮かべながら、「お母さんはあなたの幸せのために自分の人生をささげてきたのに、あなたはお母さんを見捨てるの?あまりに恩知らずじゃないの?お母さんのこれまでの人生はなんだったの?」とさえいいます。
「離婚してからの母は、経済的な不安を抱えながらも働いて和多志を養ってくれていたので、そんな母を悲しませてはいけないという氣持ちを振り払うことができませんでした。」とAさんは話します。
母に取り込まれ、操られてきた自分を許し、慈しむにはどうすればよいのでしょう?
東京で生まれたBさんは三歳の時に宮城県に疎開、終戦後も宮城県にとどまり、ミッションスクールに学びます。
彼は勉強に運動にと一生懸命励み、常に学校では中心的存在でした。
しかし、Bさんの心はいつも寂しく、虚ろだったと言います。
人生に失望していたのだとBさんは言うのです。
不仲だった両親は喧嘩が絶えず、幼いBさんの目の前で毎日のように怒鳴り合っていたといいます。
「あなたの父さんと見合い結婚したけど、すぐに愛想がつきて離婚しようと思ったのに、あなたがお腹にいたせいで離婚できなかったのよ!」母親の心無い言葉に、自分はこの世に生まれてくるべき人間ではなかったのだと思うようになりました。
哀しみはそればかりではなく、13歳の時、祖母と二人きりの夜に隣の部屋で祖母が首を吊って死に、それからほどなく、祖父も自殺してしまったのです。
Bさんは表面では快活な優等生を演じながら、心の中の強烈な虚無感に苛まれる青春時代を送ることになりました。
こんな傷ついたままの自分(インナーチャイルド)はどのように癒されるのでしょう
Facebookシェアらんどさん投稿記事【母から娘への手紙】
私のかわいい娘へ。
私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。
話をしているときに私が同じ話を何回も繰り返したら、「さっき同じこと言ったじゃない」なんて言って遮らずに、ただ耳を傾けていて。
幼いあなたが眠りに落ちるまで、私は幾夜も幾夜も同じ物語を読み聞かせたわ。
私がお風呂に入りたくないと駄々をこねても、怒って私を責めないで。
あなたが小さな女の子だったころ、言い訳をして逃げ回るあなたを追いかけてお風呂に入らせなければならなかったことを思い出して。
新しいものに対して私が無知であることに気付いたときは、そんな目で見ないで、ゆっくり時間をかけて覚えさせて。
覚えてるかしら、私があなたにたくさんのことを教えてあげたこと。
正しい食べ方、お洋服の着方、髪のとかし方、そして毎日ぶつかる人生の壁との向き合い方まで、ね。
私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。
私が何を話していたか分からなくなってしまったときは、思い出す時間をちょうだい。
そして、もし思い出せなくても、心配したり、いらいらしたり、馬鹿にしたりしないで。
私にとって何よりも大切なことは、あなたと一緒にいることだということを分かってね。
私が年老いて、以前のように歩けなくなったときは、やさしく手をとって。
あなたが初めて歩いたときに、私がそうしたように。
そんな日がきても、決してさみしいだなんて思わないでね。
私が最期の日を愛情に包まれながら迎えられるように、ただそばにいて。
ともに過ごした時間、ともに過ごすことができた幸せを、あなたに感謝しています。
満面の笑みと、いつ何時も絶やすことのないあなたへの愛とともに伝えさせて。
愛する、私の大切な娘へ。
------------------------
英語だったものを中島美緒さんが和訳されたものです。
神との対話@kamitonotaiwa_
『友だちでいるとは、何も頼まないことなのかね?』「ええそうだと思います。少なくとも、そう教えられてきましたよ。友だちを失ういちばん手っ取り早い方法は、負担をかけることだって。」『いや、それは、誰が友だちかを発見する、いちばん手っ取り早い方法だよ。』
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/tokinomeisou.html 【時の瞑想】
Facebook市堀 玉宗さん投稿記事 〇生きることは「流れ」そのものです。
道元禅師は「時は有なり。有は時なり」と諭されました。「時」とは「いのちそのもの」ということ。「時」とは「無常」「流れそのもの」であり、それがそのまま「有」「いのち」であるというのです。「無常は仏性なり」という言葉もあります。いのちは「流れ」をその本質、面目、醍醐味、真相としています。「流れそのもの」が全てであるということ。人の一生とは「流れを学ぶ旅」「流れながら流れを学ぶ道程」です。
仏道がありのままに生きることを理想とするのには、流れに逆らって生きようとする本末転倒があるからです。溺れる者藁をもつかむという。その真相は、流れにあって藁を掴むから溺れるのです。世の中には様々な「藁」があります。お金、名誉、肩書、等々。人生という激流を乗り切るのに藁よりも大きな船であるに越したことはないように思えますが、わが身の器以上の舟もあろう筈もありません。小さすぎて流れに翻弄させそうだし、かといって余り大きすぎては座礁するということもあります。
諸行無常の流れを生きるコツ。それは力を抜いて流れに身を任せ、心を任せて生きることが最善です。力を抜けば自然と水に浮きます。身を捨てて浮ぶ瀬が確かにあります。というより、流れそのものが、わが身わが心が浮ぶ瀬ではないのでしょうか。今、ここ以外のどこにも浮ぶ瀬がありはしません。
人は倒れたところかしか起き上がることはできません。今に倒れ今に起き、流れに倒れ流れに起き上がる。いのちは一度だって流れを止めたり、遡ったりはしません。いのちは迷うことなく、生老病死そのときそのときの風景があるばかりです。出会いや別れがあります。迷いや覚りがあります。苦楽や希望や絶望があります。初心があり、末期があり、今があり、永遠があり、眼差しがあり、救いがあります。それもこれもすべて「流れ」の為せるところのものです。
いのちとは流れそのもの。それだけが第一義としてあります。仏法に奇特なし。まさに日々是好日なる所以です。娑婆世界の喧騒とは流れの間に間に浮んだ欲望や妄想の泡沫に過ぎません。何ものにもとらわれず、飄々と流れのままに生き死にする。本来、握るべき藁もありません。「本来無一物」という壮大な流れの世界があるばかりです。いのち、大事に。合掌。
0コメント