https://lifeskills.amebaownd.com/posts/8959054/ 【2月20日、98歳で亡くなった俳人の金子兜太さん】
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/16957899?categoryIds=4499438 【兜太 他界からの眼差し】
https://www.tokyo-np.co.jp/article/217958 【俳句ってなんだろう? 還暦過ぎから研究の道へ 俳人協会評論賞・根本 文子さん(83)】より
俳人の根本文子(あやこ)さん(83)=横浜市緑区=は、著書『正岡子規研究−中川四明(しめい)を軸として』(笠間書院)で今年の俳人協会評論賞を受賞した。根本さんが俳句を始めたのは50代。還暦を過ぎてから大学で学び、さらに大学院に進んで研究を続けた。原動力となったのは、「俳句ってなんだろう」という自らの問い。それは、母の介護を通して生まれたものだった。 (北爪三記)
◆晩年の母 生き生きと作句続ける姿 目の前にある感動 言葉にすることで救われている
「晩学の学生だった私のような者が、こんなに晴れがましい日を迎えることができまして本当にうれしく思っております」。先月、東京都内で開かれた同賞の授与式で、根本さんは晴れやかに喜びを語った。
受賞作は、東洋大大学院時代の二〇一二〜二〇年に発表した論文をまとめた。近代俳句の草創期に関西で活動した俳人中川四明(一八五〇〜一九一七年)に焦点を当て、正岡子規との関係や、小説の執筆に傾いた高浜虚子が俳壇に復帰した背景に四明の呼び掛けがあったことなどを指摘した。選考委員からは「関西でも知名度が高いとはいえない四明の足跡をたどり、一つ一つきちっと克明に書かれている」と評価を受けた。
根本さんにとって、俳句はもともと身近にあったものだった。太平洋戦争に出征し、レイテ沖海戦を経験した父弥市さんは戦後、故郷の宮城県登米市で教員として働く傍ら、友人と俳句会を結成。自宅に会員を集めて毎月、句会を開いていた。根本さんも勧められたが、子どもだった当時は「俳句が古くさく感じて嫌だった」。
結婚を機に上京し、子育てや仕事に追われる中、故郷の両親の暮らしに異変が起きていることを知ったのは、二人が八十代になって間もなく。母初枝さんに認知機能の衰えが目立つようになっていた。とりわけ、一日に何度も聞かれるのが「今月の兼題は何ですか」。初枝さんは、しゅうととしゅうとめの介護や、根本さんら五人の子育てを終え、六十歳前後から句会に参加していた。
初枝さんの面倒を見る弥市さんを助けるため、根本さんは横浜から実家にかよっては、紙に兼題を書き、居間や台所、トイレなど目に付くところに張った。「母はいつも俳句のことで頭がいっぱいでした」。衰えゆく中でも生き生きと俳句に向かう初枝さんを目の当たりにして、根本さんは「俳句ってなんだろう」と考えるようになった。
母と一緒に句を作れたら、と俳句教室に通ったのが、後の研究にもつながっていくことになる。二〇〇四年に弥市さんが他界し、三年後に初枝さんも亡くなった。ともに享年九十四。〇九年に出した根本さんの第一句集『雁(かり)のやうに』(本阿弥書店)にはこんな句が収められている。
天国の話はあとで胡桃(くるみ)餅
胡桃餅は根本さんにとっていわばおふくろの味。「あやちゃん、死ぬってどういうことだべ?」「わからないから、俳句作ろう」「んだね」。最晩年の初枝さんと繰り返したやりとりがもとになっている。
「目の前にある感動を探して言葉にすることで、救われている。俳句をやるようになって、母は救われたと思うんです。句に気持ちを出していくことができましたから」と根本さんは振り返る。
いまや、自身にとっても俳句はなくてはならないものになった。「大学院では、学問の厳しさに『もうだめだ』と思うこともあった。そういう時、無理やりでも俳句を作ると切り替えになるんです。俳句は心の解放、心の支えになるものですね」
四明や松尾芭蕉の『おくのほそ道』など、調べたいことは尽きず「時間が足りない」と根本さんは笑う。「俳句は父も母もやったように、私も死ぬまでやっていきたいですね」
◇
「あやちゃん、死ぬってどういうことだべ?」
「わからないから、俳句作ろう」「んだね」
一指李承憲@ILCHIjp
肉体の人生は、どれほど甲斐甲斐しく世話を焼いても最終的には死とともに終わります。そのため、肉体に完成はありません。ただ魂を通してのみ、有限な人間の肉体の人生を超えて無限の永遠性に近づくことができます。
【あの世とこの世】
天外伺朗さんの「般若心経の科学」は示唆に富んでいます。
「この世を二元世界 あの世を一元世界」と説き「二元性を取り除いていくことが悟りのプロセスではないか?」と語ります。
それは「正・反・合」「テーゼ・アンチテーゼ・シフト」の止揚のプロセスのようにもとれます。フォーカシングによる自己一致の過程のようにも取れます。
一元世界の一体感を取り戻すということにおいては 右脳・左脳の統合ともいえます。
また 一元世界は 渾然一体となった「たたみこみ」の世界だと表現しています。
和多志には よくわかりません。以下のように考えてみました。
一元世界に二元世界は包含されており 五蘊をとおして マトリックスの世界二元が認識される。それであれば 死とは五蘊を失うことでしょうか?
たたみこみとは「素粒子であり波動である」、「吾(左脳意識)であり宇宙(右脳意識)である」という情報が霊魂の情報としてDNAに組み込まれているということでしょうか?
(DNAの二重螺旋は 和多志にはメビウスの輪のように見えます。)
シーターヒーリングでは 輪廻転生で受け継がれる情報は 松果体にあるマスターセルの遺伝子情報、ハートにあるマスターセルの魂情報 尾底骨にあるミシャクジ神のマスターセル情報だといわれます。それは「靈魂と観音菩薩(命)」ともとれます。
素粒子であり 波動であるとは 自転・公転が生む現象でしょうか?
自転だけだと 落下は振り子になり無限大になると聞きます。公転が加わると 波動になる感じがします。
それとも 波動は 乖離光線から紫外線、可視光線、赤外線、音波、超音波 その他様々な波動が 共鳴し合ったり、増幅し合ったり、干渉し合ったり、引き合ったり、反発し合ったりしながら渾然一体となっているということでしょうか?
バーコードを連想させます。
【「あま」と「うつしよ」】
東大の臨床医・矢作医師は「人は死なない」と主張します。空海も「人は死なない」と言います。
日本人は古来「あま(あの世)」と「うつしよ(この世)」を想定し 二つの世界をつなぐ「ま」を大事にしてきました。
「ま」をつり合わせる「まつり」は神事として祀られてきました。
祀り・祭り・奉り・政りとは、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)であると言われます。
祭のお囃子、太鼓や鈴の音。神輿や踊りや香り。祭に預かるものは いつしか変性意識になり潜在意識とコンタクトする=神からの啓示=ご神託 を受けとることになります。
「ま」つりを行えば「うつしよ」に居ながらにして「天」と交信できるともいえます。
「命」は「人が一を叩く」と和多志が解釈したことに対し、本来命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて 跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。」との指摘を受けました。
然し「神の啓示を受け取れるもの」は「ひとつを体験できるもの」だと思うのですが如何でしょう?
「あま」と「うつしよ」の関係は キリスト教の直線的な時間感覚に類似しています。
あの世の中にこの世が内包され(これが五次元、形成磁場の概念なのでしょうか?)永遠の中に今が内包されている。
永遠の象徴である「円」は「直線」の集合であり、直線は 位置を示すことのみができる「点=0」の集合です。
永遠はゼロの集合でありそれは即ちゼロであることになります。
円は永遠の今を表していることなのでしょうか?
和多志はキリスト教の時間観は直線的と錯覚していたのでしょうか?
ヨベルの年、最後の審判の概念が時を直線に見せていましたが 円=ゼロであり無限であれば時は循環することになります。
Facebook川上 律子さん投稿記事
私たちはもともとはゼロポイントフィールドの愛と感謝の存在だ、ということを思い出すことで3次元的な問題の全てが解決すると感じます。
そんなことを学ぶ少人数量子力学的生き方勉強会。
ディスカッションしていると 「私たちは感情や観念といった素粒子の雲の中にいて、青空を遮られている状態なんだ」ということを実感します。
私たち自身がそもそも青空なのにね🙄
今日の勉強会、なんと84歳の男性が田坂広志さんの"死は存在しない"を持って参加してくださいました。
「今まで "なに寝ぼけたことを言ってんだ" と言われ続けてきたけど、初めてこういう話をまともにできた、この歳になるまでボーっと生きてたし、もう力もなくて何もできないが、勉強会を知りどうしても参加したくて飛んできた」とその方はおっしゃいました。
その言葉や姿が響いて皆んな涙を流し、私は大慈大悲という言葉を思い出していました。
性別にも年齢にも姿にも持ち物にも関係なく、響くものは響き、伝わるものは伝わるんだということを教わりました。
84歳という年齢の方が、痛む足を庇いながら1時間も車を運転してここまで来る、何かをつかみたいというその思いの深さに心が震えます。
それと同時に私の中にあった観念にも気付かされました。
参加費は必要ないとお断りしましたが、スーパーのビニール袋の中から1000円札を出して置いていってくださいました。
なけなしのお金だったかもしれないけれど、大きな大きなエネルギーの交換ができました。
なんてありがたい1000円札だろう。
人ってすごい、生きるってすごい。
https://www.youtube.com/watch?v=vycNGBpw6as
0コメント