一指李承憲@ILCHIjp
脳で自然を感じてみましょう。私たちの脳と体は自然です。自然の延長として脳と体を感じてみるのです。自然が死ぬことはありません。ただ変化するだけです。絶えず変化していきます。
Facebook宇多川 久美子さん投稿記事
もしもこの世に薬がなければ、人は自力で病気を治そうと生活を律するはず。
ところが、薬という便利なものがあるために、生活を変えるよりも、薬で簡単に症状にふたをすることを選んでしまうのです。
一指李承憲@ILCHIjp
自分だけでなく他の人や生命が健康で幸せであることを願う純粋な思いが誰にもあります。そんな思いを生活の中で小さなことから実践していくと、誰かから認めてもらうのではなく、自分で自分を認めるという真の内面の喜びが感じられます。
作家しりこだま@shiriko1971
穏やかに暮らしたいなら、まずは自分を好きになろう。自分を認めよう。自分を許そう。弱さを自覚してもいいじゃん。その分、他人に優しくなれる。その優しさこそが強さだよ。自分を信じないと、他人を信じれないさ。自分を愛さないと、他人を愛せないさ。悲しみを生きる糧にした人を僕は素敵だと想う!
マノマノ稲穂@manomano_farm
ネガティブな感情も、そう感じた自分を「よし」として下さい。自分の心に生じた感情は押し殺さないこと。言葉を溜め込むからエネルギーが溜まるのです。エネルギーは使わないと消えずにずっと残ってます。感じたことはネガティブなものでも「ちゃんと吐き出す」「飲み込まない」「隠さない」ことです。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
約1万6000年もの間、環境を破壊せず戦争をしなかった縄文時代は世界でも類のない平和な時代でした。
争いを好まず和を尊ぶ心
人を同じ仲間としてやさしく迎え入れる心
富を独り占めにせず誰にでも平等に分け与える心
個性や能力の差を認めながら調和できる心
自然に対する感謝と畏怖の心
日本に住む人の心には縄文の心が延々と引き継がれてきました。
今から140年前の1877(明治10年)に東京大学の教授としてエドワード・S・モース(Edward S.Morse 1838-1925)がアメリカから来日しました。
モースは東京都大森貝塚を発掘調査した縄文(cord marked pottery)の名付け親です。
彼は持ち前の好奇心で庶民の生活用品のコレクションを集め膨大なスケッチと日記をのこしていました。
モースは「日本その日その日」 (講談社学術文庫)で次のように述べています。
『日本人は行儀がよく働き者で正直で、親切で微笑みを絶やさない。日本人は生れながらに善徳や品性を持っている。』
『日本人の家は開放的で鍵をかけない、日本人の子供や召使いは触ってならぬ物には決して手を触れぬ。部屋に子供や召使いが何度出入りしても物がなくならない。泥棒や乞食が少ない。』
『貧しい家も清潔で品があるし、下流に属する労働者も正直、節倹、清潔だ。最も貧しい寒村の子供は不潔だったが、野獣性も悪性も、また憔悴した絶望の表情もなかった。子供たちは大事にされ物優しく育てられている。』
日本は子供達の天国でした。
『子供はうるさく叱られることもなく大切に育てられた。
日本の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。
また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。
他のどこの国の子供達よりも多くの自由を持っていた。
世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。』
『日本人の暮らしぶりは見栄を張ることが全くない。生活道具は少なく簡素だが洗練されている。』
『火事の災難にあっても涙を流す人も、いらだった様子の人も見ることはなく、意地の悪い言葉も一切聞かなかった。
そして持ち出した畳や襖をたて、その中で小さな火で魚を焼いたり汁を作ったりして彼らは普段通り幸福そうに見えた。』
そしてゴミを出さないエコロジカルな都市だった江戸についてモースはこう述べています。
『日本人はある神秘的な方法で、彼等の廃棄物や屑物を、目につかぬように埋めたり焼いたり利用したりする。
いずれにしても卵の殻、お茶のカス、その他すべての家の屑は、綺麗にどこかへ持って行ってしまうので、どこにも見えぬ。』
『この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷。
自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである。』
『日本人の繊美な装飾芸術を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる。』
『衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、簡素で魅力に富む芸術、礼儀正しさ、他人に対する思いやり、自然に対する愛これ等は恵まれた富裕な階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。』
このように日本人の礼儀正しさや正直さを大いに賞賛したE・S・モースでしたが日本の未来をこのように予言していました。
『この国のあらゆるものは、日ならずして消え失せてしまうだろう』
モースは西洋の近代化がもたらす弊害を見抜いていたのです。
1890(明治23年)に来日したハーン(小泉八雲)も近代化に邁進して、しだいに近代合理主義に変わりつつある日本の姿に顔を曇らせていました。
「霊も天使も悪魔も神々も今はいません。みな死に絶えました。電気と蒸気と数学でできた世界は、がらんとして冷たく、虚ろです。 」
「金儲けがなされ、収入が高く、生活水準が絶えず上昇し、必然的に無慈悲な競争が行われている所では、精神的・道徳的な弱者は、他の地域におけるよりもっと恐ろしい極端な行動に駆りたてられる。
将来、日本の産業が発展すると共に、必然的に弱者の不幸の増加と、その結果として起こる悪徳と犯罪の増加が危ぶまれている。」
明治に来日したハーンも今の日本の姿を予見していました。
近年、来日したウルグアイのムヒカ元大統領は「日本人は本当に幸せか」と問いかけました。
「今の日本はあまりにも西洋化してしまい。本来の歴史やルーツはどこにいってしまったのか」
「西洋にある進んだ技術に対抗できないことを認め、彼らに勝る技術をつくろうと頑張ったんだ。そしてそれを成し遂げてしまった。でも、そのとき日本人は魂を失ってしまったんだ」
「すごい進歩を遂げた国だとは思うけど、産業社会に振り回されていると思うよ。本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。西洋の悪いところをマネして、日本の性質を忘れてしまったんだと思う。日本文化の根源をね」
「過去の歴史に自分のルーツを見つけ出す必要がある。多くの障害を乗り越える強さを持っていた。それがあなたたち日本人なんです。」
近代化のもとに西洋に追いつこうと物質的な豊かさを追い求めて、お金の価値がなによりも優先されるようになって本来の自分を忘れてしまった日本。
コロナ禍で大きな変化が訪れている今こそ本当の自分を取り戻すチャンスなのです。
魂とは何でしょう?
和多志の体験では「セルフであり、意志としてのエネルギー」です。
日本古来の考えは神道に見ることができます。
『ウィキペディア(Wikipedia)』には
「人間の心は四つの魂、四魂(荒魂、和魂、幸魂、奇魂)からできていて、この四魂を一つの霊、直霊(なおひ)が統括するとされる。荒魂には勇、和魂には親、幸魂には愛、奇魂には智というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコントロールしている。簡単に言えば、勇は前に進む力、親は人と親しく交わる力、愛は人を愛し育てる力、智は物事を観察し分析し、悟る力である。
直霊(なおひ)の機能を一語で表すと『省』(かえりみる)で、自分の行動の良し悪しを省みることで、四魂を磨いていく働きをする。直霊はものごとの善悪を判断して、人を誤らせないように導き、もしも誤ってしまった場合は、それらを反省し、自らを責め、悔い改めようとする。またこの直霊だけが、直接『天』につながり、四つの魂をコントロールすることで四つの魂を磨くという働きをする。」と紹介しています。
「言霊はこうして実現する」出版社:文芸社 著者:大野靖志には
「一般の神道では、魂にはその新しいものを生み出す側面を表す荒魂(あらみたま)、優しく平和的な側面を表す和魂(にきみたま)、収穫をもたらす働きを表す幸魂(さきみたま)、奇跡のような力をもたらす奇魂(くしみたま)……という四種類があるとされているが、伯家神道はそこに精魂(くわしみたま)が加わって五魂となる。そして、そのそれぞれの働きを調整させることが鎮魂であるとされている。 」
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/3150025?categoryIds=7755313 【人間の靈的構成】
佐々木合気道研究所の研究論集 【第153回】 には
一霊四魂三元八力
古神道では『天上から下された四魂を一霊が統括して人体に宿り、霊止(ひと)になるという。四魂とは、荒魂・和魂・幸魂・奇魂である』。 また、明治時代の神道家である本田親徳(ほんだちかあつ)は、『霊には力無く、力には霊無し。霊、力相応じて、而して神と為り物と為るを得る也。』という。本田親徳の古神道霊学では、万物の生成は「霊」、「力」、「体」の三大要素によって起こるとしている。そして、「体」として剛体、柔体、流体の3つを挙げ、これを三元とし、そして「力」として動、静、引、弛、凝、解、分、合の八つを挙げ、これを八力としている。
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